[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


3.黒部川のダム開発史(年表)

 黒部川におけるダム開発史について、前掲書の『黒部川のあゆみ(資料編)』(昭和53年)、関西電力(株)黒四建設記録編集委員会編『黒部川第四発電所建設史』(関西電力(株)・昭和40年) 、『各事業パンフレット』により、

・明治期・大正期(明治元年〜大正14年)
・昭和前期(昭和元年〜20年)
・昭和中期(昭和21年〜40年)
・昭和後期(昭和41年〜63年)
・平成期(平成元年〜17年)

の5期に分けて追ってみたい。


『黒部川第四発電所建設史』
【なお、表記のダムは、型式、目的、堤高総貯水容量の順で、A:アーチダム、G:重力式コンクリートダム。F:洪水調節・農地防災、W:水道用水、P:発電用水を表す。】

◇明治・大正期(明治元年〜大正14年)

明治3年 金沢藩奥山廻り役を廃止
  9年 針ノ木新道完成、平ノ橋、平ノ小屋
     を設ける
  26年 英人ウェストン、信州から針ノ木を
     越え、立山に登る
  44年 冠松次郎、白馬岳から祖母谷へ下る
大正6年 高峰譲吉博士、黒部川電源開発のた
     め、土木技師山田胖を黒薙まで踏破
     させる
  8年 高峰譲吉博士、東洋アルミナム(株)を
     設立。日本電力(株)の設立
  9年 東洋アルミナム(株)、黒部川水利使用
     許可を得る
  10年 黒部鉄道(株)の設立
  11年 東洋アルミナム(株)、黒薙・鐘釣など
     の温泉を買収、黒部温泉(株)を設立
     高峰譲吉死去
  12年 日本電力、宇奈月〜猫又間の工事用
     道路、軌道の開削着手
  13年 柳河原発電所工事に着手
  14年 宇奈月〜猫又間の軌道運転開始

 明治・大正期は、電力開発の宝庫とよばれていた黒部川が東洋アルミナム(株)を設立した高峰譲吉博士によって開発が進められた黎明期であった。

◇昭和初期(昭和元年〜20年)

昭和2年 柳河原発電所運転開始(36,000KW)
     日本電力(株)と東洋アルミナム(株)合併
  4年 日電歩道の完成(平ノ小屋〜小黒部
     間約35km)
  6年 満州事変勃発
  8年 黒二発電所建設所工事着工
  9年 中部山岳国立公園の指定
     黒部川の水害 最大流量 3,060m3/
     s(死者7人)
  11年 黒三発電所建設工事に着手
     小屋平ダムの完成
      G  P  51.5m 212.2万m3
黒二発電所運転開始(63,000KW)
  12年 日中戦争始まる
  13年 電力国家管理法の制定
  14年 電力国家管理法に基づき日本発送電
     (株)の設立
  15年 仙人谷ダムの完成
      G  P  43.5m  68.2万m3
     黒三発電所運転開始(81,000KW)
  16年 日本発送電(株)、日本電力(株)の柳河原
     、黒二、黒三発電所を承継
  17年 愛本変電所の完成
  18年 黒薙発電所建設工事に着手
  20年 太平洋戦争終結

 昭和初期は戦争の時代と重なり、電力の国家統制がなされ、小屋平ダム、高熱隧道で有名な仙人谷ダムが築造された。

◇昭和中期(昭和21〜40年)

昭和21年 黒薙第二発電所(旧黒薙発電所)の
     工事再開
  23年 黒薙第二発電所運転開始( 7,000KW)
  24年 日本発送電(株)、黒四ダム地点の調査
     再開
  25年 新愛本発電所の完成
  26年 日本発送電(株)、電力再編成により解
     体、九電力体制となる
     関西電力(株)の設立
     黒部川筋の発電変電設備及び水利権
     は関西電力(株)に移る
     黒四ダム、地質調査開始
  30年 日本自然保護協会、黒四発電に関す
     る反対陳情を行う
  31年 黒四ダム建設の着手
     ブルドーザ 立山越え 
     黒四ダム地点に作廊谷事務所設置
     ダム地点、越冬
  32年 大町ルート道路完成
     大町(関電)トンネル破砕帯にぶつ
     かる(5月)
     破砕帯を突破(12月)
  33年 大町(関電)トンネル貫通(2月)
     大町北停車場の完成(3月)
     大町(関電)トンネル開通(5月)
     世界銀行と借款契約(6月)
       3,700 万ドル(133.2億円)
  34年 黒部ルート開通(4月)
     黒四ダム地点台風7号襲う(7月)
     黒四ダムの定礎式(9月)
     黒四ダム地点伊勢湾台風襲う(9月)
     南フランスマルパッセ・アーチダム
     、大洪水のため崩壊(12月)
  35年 黒四ダム湛水開始(10月)
     黒四発電所の完成(11月)
  36年 扇沢地区 大雪崩の発生(1月)
     記録映画「大いなる黒部」完成(4月)
     世界銀行技術顧問団一行視察(5月)
     北美濃地震、ケーブルクレーンなど
     に被害(8月)
  37年 黒四発電所運転開始( 234,000KW)
  38年 黒四建設、朝日賞(文化部門)受賞
     (1月)
     黒四ダムの完成(6月)
      A  P  186m 19,928.5万m3
     新黒三発電所運転開始(56,000kw)
     (10月)
     大黒部幹線(第1期)営業運転開始
     (11月)
  39年 太田垣士郎関西電力(株)会長死去(3月)
  40年 黒四建設工事殉職者慰霊祭(6月)

 昭和中期は電力再編成により九電力体制となり、黒部川筋の水利権は関西電力(株)に移った。世紀の大工事となる黒四ダム建設が完成した。

◇昭和後期(昭和41年〜63年)

  41年 新黒二発電所運転開始(74,200KW)
  43年 映画「黒部の太陽」の完成
  44年 黒部川の水害 
     最大 5,661m3/sを記録
  46年 黒部峡谷鉄道(株)の発足
  47年 愛本橋(銅ニールセン型)の完成
  54年 宇奈月ダム建設工事に着手
  60年 音沢発電所運転開始( 124,000KW)
     出し平ダム完成
      G  P  76.7m   901万m3
  61年 北又ダム(支川黒薙川)の完成
      G  P   35m   69万m3
  62年 宇奈月ダム本体建設工事に着手
     黒部川電気記念館の完成

 昭和後期は、昭和44年黒部川に大水害が起こり、多大な被害を生じ、宇奈月ダム建設の契機となった。一方発電用出し平ダム、北又ダムが完成している。

◇平成期(平成元年〜平成17年)

平成3年 出し平ダム 汚濁土砂の排出、下流
     に被害を及ぼす
  4年 柳河原発電所運転停止
  5年 宇奈月ダム 本体初打設
     新柳河原発電所運転開始(41,200KW)
     愛本発電所出力アップ(30,700KW)
  7年 黒部川の水害 最大流量 2,378m3/s
     出し平ダム土砂排出
  10年 黒部川洪水
  12年 宇奈月発電所運転開始(20,000KW)
  13年 宇奈月ダム完成
      G  FWP 97m  2,470万m3

 平成期は出し平ダムの排砂が問題化してきた。排砂施設を設置した宇奈月ダムが、富山県初となる国施行の多目的ダム(洪水調節、水道用水、発電用水)として完成した。
 以下、黒部川における仙人谷ダム、黒四ダム、宇奈月ダムの建設について追ってみる。



[前ページ] [次ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]