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5.手取川−手取川ダムの建設

 国土庁土地局国土調査課編・発行『石川県南部地域主要水系調査書−手取川・梯川』(平成10年)によると、手取川について、次のように述べており、そのまま引用する。

【手取川は、その源を霊峰白山(標高2702m)に発し、尾添川、大日川、その他の支流を合流して石川郡鶴来町に至り、これより山間部を離れ、石川県の誇る穀倉地帯である加賀平野を西流し、石川郡美川町にて日本海に注ぐ流域面積 809km2、幹川流路延長72kmの石川県最大の河川である。
 流域全体の9割を山地が占め、水源から河口までの平均勾配は約27分の1で、我が国有数の急流河川である。手取川流域は、日本最古の岩石といわれる飛騨変成岩、植物化石を含む手取中生層が中上流域に分布し、最上流部では第四紀の白山火山噴出物がこれを覆い白山を形成している。白山火山による温度変質を受けた手取中生層は崩壊を起こしやすくこれが上流域の主要な土砂生産源となっている。中でも甚之助谷は、標高1500〜2000mに位置する全国的にも極めて稀な高山地域にある地すべり地域である。また、下流部には、鶴来町を扇頂部とする典型的な扇状地が形成され、河道はこの扇状地の南端部を日本海へと注いでおり、古来から洪水との闘いの中から生み出された治水技術である霞堤、村囲堤が今も残っている。】

 手取川名称の由来についても、紹介されている。

【源平の合戦、倶利加羅の戦いで平家の大軍を打ち破った木曽義仲が、都へ攻め上がる途中洪水に出合い、その激流に押し流されないように手を取り合って渡ったことから、手取川と呼ばれるようになったといわれているが、その真相は明らかでない。】

 現在、手取川水系には6基のダムが建設されている。吉野谷ダム(昭和元年)、尾口ダム(13年)、手取第3ダム(53年)、手取川第2ダム(54年)の4ダムは水力発電用、大日川ダム(42年)、手取川ダム(54年)の両ダムは治水を含む多目的ダムである。なお、昭和初期から手取川上流牛首川、尾添川には階段上に砂防ダムが築造されてきた。


 前書の『治水事業のあゆみ』によると、手取川ダム事業の必要性について、次のように述べている。
 「昭和9年7月の手取川の洪水を機に、鶴来地点での出水記録と同じ4500m3/sを昭和10年に計画高水流量と定めた。その後、手取川の改修を進めてきたが、昭和41年手取川が一級河川に指定され、 100年確率規模の降雨( 350mm)に対応できるように高水流量5000m3/sと決定し、手取川ダムの建設によって水害を低減させることとした。」昭和49年11月に着工し、昭和55年3月石川県尾口村東二口地先に完成した。

 このダムの目的は次のようなものである。

・ ダム地点の計画高水流量2400m3/sを 800m3/sの調節流量を行い、既設の大日川ダムと合わせて1000m3/sの洪水調節を行い、計画放流量5000m3/sに低減させる。
・ 水道用水として、金沢市を中心に7市9町(計画給水人口95.8万人)に対し、最大日量44万m3を供給する
・ 工業用水として、金沢港周辺の工業地帯に最大日量5万m3を供給する。
水力発電として、手取川第1発電所最大出力250000KW(最大使用水量 180m3/s)、同第2発電所最大出力 87000KW( 105m3/s)は、第3発電所最大出力 30000KW(70m3/s)を合わせて最大出力367000KWの電力を供給する。

 手取川ダムの諸元は、堤高 153.0m、堤頂長 420m、総貯水容量 23100万m3で、型式ロックフィルダムである。起業者は建設省、電源開発(株)、石川県。施工者は前田建設(株)・(株)青木建設共同企業体で、事業費は 740億円である。
 なお、補償関係は水没取得面積 509.2ha、水没世帯 330世帯、公共補償として、小学校7件など49件、特殊補償として、桑島発電所等4件となっている。


『白峰村手取川ダム誌』

 ダムを造られる側から著された白峰村手取川ダム誌編集委員会編『白峰村手取川ダム誌』(白峰村役場・昭和57年)がある。

第1章 手取谷−その風土と人間(深雪の谷、商いに頼る里、道をめぐる苦闘)
第2章 手取谷のダム建設(ダム建設の計画と経過、ダム完成と新しい出発)
第3章 ダム建設と地域変容(村の生活と交通、地場産業のゆくえ、文化の伝承と保存、信仰のきずな)

から構成されている。巻末のダム建設経過整理表、ダム建設の文書資料一覧表は、ダム造りにおける貴重な資料となっており、白峰村桑島地区 226世帯、下田原地区5世帯、尾口村五味島地区19世帯、釜石地区20世帯、深瀬地区57世帯、鶏ケ谷地区3世帯の合わせて 330世帯におけるダム水没者等の生活再建へ向けての苦悩を読みとれることができる。


手取川ダム

 「村と生活と交通」の節では、ダム建設後の白峰村の生活環境に関し、行政既成ルートや慣行における村役場を避け、白峰地区ダム対策委員会が全面に立ったユニークな交渉方法をとっている。そのことが国道 157号線の国営改良工事、流雪溝用水を中心とした生活用水工事につながっていく。

 さらにこの書で、昭和56年8月1日白峰村桑島地区 235戸の移転者にダム建設、移転、移住の結果について、アンケートを行っている。それによると、ダム建設の必要性は71.4%理解をしており、桑島地区の水没については「仕方がない」が72.1%を占めている。また、ダムによって、良くなった点は、

・ 水害の防止、水不足と電力不足の解消
・ こどものため
・ 道路

を挙げている。これに対し、悪くなった点は、

・ 古里がなくなった 
・ 親戚が離散した
・ 人間関係、仕事の面

を挙げている。このようにダム建設の功罪についてはそれぞれ意見が分かれる。物質的な面はプラスであるが、人的な関係についてはマイナスとなっているといえるだろう。

     山眠る閉村式のダムの村
                (杉田 暸)

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