[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


16. 内村ダム(内村川)の建設

 内村川は、その源を保福寺峠、三才峠、武石峠などに発し、丸子町の西内、平井、東内を東流 田川に合流する流路延長18.3km、流域面積63.2km2の一級河川である。河床勾配は1/50〜1/70程度である。


『内村ダム工事報告書』

 内村ダムは、この内村川上流の長野県小県郡丸子町大字西内地先に昭和60年に多目的ダムとして完成した。このダムの建設を記録した長野県上田建設事務所編・発行『内村ダム工事報告書』(昭和61年)によると、長野県(事業者)は、国有地を含む24haの貴重な土地地権者63名と11戸の家屋移転者に対し、感謝を述べている。

 このダムの目的は、

・ダム地点の計画高水流量 170m3/sのうち、 120m3/sの洪水調節を行う。
・内村川下流沿岸32井堰( 132.7ha)に対し、既得用水の補給を行う。
・丸子町(人口約2万5000人)に対し、水道用水として 14200m3/日( 0.164m3/s)を供給するものである。

 ダムの諸元は、堤高51.3m、堤頂長 265m、総貯水容量 200万m3。型式は重力コンクリートダムである。施工者は(株)大林組、地崎工業(株)、竹中土木(株)共同企業体で、事業費は 110.5億円である。

 ダムサイトに、中国の管子の言葉の記念碑が建立された。それは、「天地一険一易」(てんちいっけんいちいなり)であるが、「自然は決して動かずにいるものでなく、ある場合には険しい勢いをなすものであり危険である。時には平易な姿を示し、多くの易をもたらすものである。」と解する。河川は異常時と平常時の現象を、繰り返し起こす。そのことは、我々に油断するなと諭しているのであろうか。



17. 豊丘ダム( 百々川)の建設

 百々川は、その源を四阿山(標高2232.9m)に発し、北西に流下し、須坂市村石付近で灰野川を合流し同市南部地域を横切り、その後鮎川と合流し、千曲川に注ぐ流路延長19.5km、琉域面積 118.5km2の一級河川である。

 豊丘ダムはこの百々川の長野県須坂市大字豊丘に、多目的ダムとして平成6年に完成した。長野県土木部編『豊丘ダム工事誌』(須坂建設事務所・平成7年)によると、ダムは重力式コンクリートダムで、堤高81m、堤頂長 238m、総貯水容量 258万m3である。施工者は鹿島建設(株)、(株)銭高組、(株)守谷商会共同企業体、事業費は 212億円を要した。なお補償関係は移転家屋なし、取得面積22.8haとなっている。



『豊丘ダム工事誌』
 次の4つの目的をもって建設された。

・ダム地点の計画高水流量の 120・/sのうち、90・/sの洪水調節を行う。
・ダム下流の灰野川沿川の既得用水の補給を行う。
・須坂市(人口約5万5000人)に対し、下河原橋地点において水道用水として新たに1万・/日( 0.116・/s)の取水を可能とする。
・ダムから利水放流を利用し、最大使用水量 0.4・/sで最大出力 150KWの発電を行い、ダム管理設備用電力に利用する。余剰電力は中部電力に売電することにより、地域社会の発展に寄与することである。



 なお、水道用水については、これまで依存してきた地下水源も地下水規制により、今後の開発が困難となり、また市内を流れる河川の多くは酸性が強く飲料水として不適当である。このため、この中でも比較的水質の良い灰野川に水源を求めた。このように治水と利水の役割を豊丘ダムは荷なっている。また、ダム管理棟を蔵造りとし、中に多目的展示室、会議室を設け、ダム周辺には環境整備がなされ、憩いの広場となって人々に親しまれている。

[前ページ] [次ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]