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8.石手川ダム(石手川)の建設

 石手川は、その源を伊之子山(標高 872m)に発し、西南へ流下し、九川川、五明川、伊台川、神谷川、小野川を併合し、重信川の河口より 3.8kmの地点で合流する右支川である。合流点より上流8kmの区間は松山市街の南東部を貫流している。幹川流路延長24km、流域面積 136.9km2の一級河川である。石手川ダムについては、建設省石手川ダム工事事務所編・発行『石手川ダムの設計とその施工』(昭和48年)、松山工事事務所編・発行『石手川ダムのあゆみ−石手川ダム完成20周年記念誌』(平成5年)が発行された。これらの書によると、ダムは次の3つの目的を持っている。

・石手川ダム地点における計画高水流量 550m3/sのうち 250m3/sの洪水調節を行い 300m3/sの一定量放流によりダム下流沿岸の水害を防御する。
・石手川北部地区に対する灌漑に必要な年間水量 174.8万m3を補給する。
・ダムで放流された水は、ダム下流 3.4kmにある取水堰から水道用水として松山市に対し97000m3/日 供給されている。

『石手川ダムの設計とその施工』

『石手川ダムのあゆみ−石手川ダム完成20周年記念誌』

ダムの諸元は、堤高87m、堤頂長 278m、堤体積42.3万m3、総貯水容量1280万m3、型式重力式コンクリートダムで、起業者は国土交通省、施工者は清水建設(株)、事業費は78億円を要した。主なる補償関係は移転家屋6戸、土地面積 62.26ha、減電補償、漁業補償、県道付替工事である。

 次に石手川ダムの建設経過を追ってみたい。昭和41年石手川ダム調査事務所開設、43年損失補償基準妥結、ダム起工式、44年付替県道一部竣工、45年ダム本体コンクリート打設開始、47年ダム本体コンクリート40万m3打設完了、湛水を開始、48年3月竣工式、7年余りで完成した。石手川ダム工事は、無事故無災害の記録を樹立し、全日本建設技術協会により「全建堂」の受賞の栄誉に輝いた。

 昭和48年以前、松山市を中心とする水利用の農業用水、水道用水、工業用水の大半は、石手川、重信川の伏流水に依存していたが、その開発の余地もなくなっていた。この石手川ダムの完成は、これらの利水の確保をさらに充足させ、あわせて、松山市内の水害の減災につながった。松山市民にとっては待望のダムであったといえる。現在50万人の松山市民に対する水道水は、1日最大給水量石手川ダム 97000m3(50.3%)、地下水 95750m3(49.7%)によっている。

 平成6年の大渇水では、8月26日石手川ダム利水量0%となり、ダム底水利用、全国から多量のミネラルウォーターの援助、西条市からの支援水、面河ダムによる導水を受けているが、石手川ダムが竣工していなければ、もっと深刻な水危機となっていたであろう。


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