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9.鹿野川ダム(肱川)の建設

 肱川は愛媛県の南西部に位置し、その源を標高 460mの西予市宇和町正信に発し、黒瀬川、河辺川、小田川、矢落川等の大小支川をはじめ 474の支流を合わせ大洲平野を貫流して伊予灘に注ぐ、流域面積1210km2、幹線流路長 103kmの県下最大の一級河川である。

 しかしながら、肱川は洪水の起こりやすい河川である。
 すでに述べてきたが、昭和18年7月には死傷者 131名、床上浸水6940戸、昭和20年9月には死傷者 152名、床上浸水7229戸と大出水が相次ぎ、大洲市周辺は甚大な浸水被害を被った。

 この水害を契機に、昭和19年より大洲市街地の浸水防御を目的とした建設省直轄河川改修事業が開始されるとともに、より一層肱川の治水効果をあげるため鹿野川ダムの建設が計画された。一方、この時期は地方産業の発展に伴い電力需要が増加し、ダムによる発電への期待も極めて強かったことから、鹿野川ダムは、治水及び利水(発電)が参加する多目的ダムとして、昭和34年3月大洲市肱川町宇和川地点に、 209戸の家屋と 160haの田畑山林の水没という大きな犠牲を払って完成した。



『鹿野川ダム工事報告書』

 このダム建設記録として、建設省鹿野川ダム工事事務所編・発行『鹿野川ダム工事報告書』(昭和36年)がある。

 ダムの諸元は、堤高61m、堤頂長 167.9m、堤体積16.1万m3、総貯水容量4820万m3、型式重力式コンクリートダム、起業者は建設省(現・国交省)、施工者は清水建設(株)、事業費は30億円を要した。
 残念ながら、鹿野川ダム完成後においても、昭和45年8月台風10号、昭和57年8月台風13号などにより肱川の流域を襲い、大洲盆地に多大な被害を及ぼした。
 このように肱川は宿命的な洪水河川であり、その理由を肱川の地形・気象状況などによるものだと、前掲書『肱川の治水』のなかで、次の3つの要因を挙げている。

 肱川は格子状のように多くの支流が集まった河川である。これらの支川の多くは南から襲来する台風や前線性の湿った風を抱え込む風上に開いた斜面をもち豪雨をもたらす特性を持っている。また、洪水の出口の河口に行くほど平野が広がりがなく、山が両岸に迫り、海の満潮と重なると洪水が吐けにくく……さらに、矢落川との合流点である東大洲地区などから洪水が氾濫して、昔から大洲盆地の低平地が遊水地の役割を果たしていた。
 このように肱川は流域で最も多くの人々が暮らす大洲盆地が大きな遊水地となってあふれてしまう。

 以上、肱川は宿命的な洪水河川であると論じる。

10.野村ダム(肱川)の建設

 肱川は大雨が降るたびに川が氾濫して災害を繰り返してきたが、前述のように昭和34年には鹿野川ダムが完成し、これにより洪水の被害は以前に比べると減ったものの、水害を蒙ってきた。一方、宇和島市、八幡浜市などの南予地区海岸部は、山が海に迫っており、平野の少ない地形で、大きな河川もないため、毎年のように水不足に悩まされてきた。なかでも昭和42年に西日本を襲った大干ばつは、90日間雨らしい雨はなく、農作物の被害総額は 250億円にのぼった。そこで、肱川上流に洪水調節と利水補給を目的とする野村ダムが建設され、昭和57年3月西予市野村町大字野村地点に完成した。その工事記録として、建設省野村ダム工事事務所編・発行『野村ダム工事誌』(昭和57年)によれば、ダムには3つの目的を持っている。


『野村ダム工事誌』


 次にダムの諸元は、堤高60m、堤頂長 300m、堤体積25.4万m3、総貯水容量1600万m3、型式は重力コンクリートダム、起業者は建設省(国交省)、施工者は清水建設(株)・大豊建設(株)共同企業体、事業費は 285.5億円を要した。

 なお、主なる補償関係は、移転家屋49戸、用地取得面積約 117ha、野村発電所廃止補償、肱川発電所減電補償、漁業補償などとなっている。肱川は宿命的な洪水河川と呼ばれるように、野村ダム完成後も平成7年梅雨前線、16年台風18号により水害がおこり、多大な被害を及ぼした。
 現在、水害の減災を図るために、肱川右支川河辺川に、国交省によって山鳥坂ダム(堤高 103m、総貯水容量2490万m3、洪水調節容量1400万m3)の建設が進められている。

 大洲基準地点で目標流量5000m3/s(現在3550m3/s)とし、この目標流量のうち、鹿野川ダムの改造、山鳥坂ダムの建設、さらに築堤、宅地の嵩上げを図り、1100m3/s(現在 450m3/s)を調節し、3900m3/sを河道へ安全に流下させる計画である。


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