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6.永瀬ダム(物部川)の建設

 物部川は四国山脈の高峰を背にして、高知県香北地方の奥地の流れ、高知県第一の穀倉である香長平野をうるおしながら、その中央を下り太平洋に注ぐ、流路延長70.5km、流域面積 508.2km2の一級河川である。流域は多雨地帯であり、また、台風の最も襲うところであって、このため下流香長平野では、耕地、市街地、河川施設などにしばしば激しい洪水被害を被ってきた。

 一方季節的降雨が不規則なので、水田のかんがい用水が不足することが多く、かんばつによる農作物の被害も少なくなかった。また、四国の南岸は地形が急峻であり、水量も多く水力発電の有利な条件を備えていながら、電源開発は十分に行われていなかった。これから、治水、かんがい、発電の各方面から物部川を総合的に開発するため、多目的の永瀬ダムおよび発電用の吉野、杉田ダムが建設された。 永瀬ダムは高知県香美市香北町、物部町の物部川中流域、河口より31.4km地点に、昭和25年に着手し、昭和32年3月に完成した。

 この永瀬ダムの建設について、高知県企業局編・発行『高知県電気事業史(第2巻)』(昭和58年)のなかで詳細に述べられている。
 永瀬ダムの建設には、次の3つの目的を持っている。



『高知県電気事業史(第2巻)』
・ダム地点の計画洪水量3300m3/sのうち、1000m3/sの洪水調節を行い、下流基準地点の基本高水流量5400m3/sを4740m3/sの流量を低減させる。
・下流香長平野のかんがい用水として、杉田地点でかんがい期15.5m3/s、非かんがい期7m3/sを確保する。
・永瀬ダムは水路式によって、最大出力22,800KW(常時5900KW)の発電を行う。なお、吉野ダムでは最大出力4900KW(常時 980KW)、杉田ダムは最大出力11,500KW(常時2700KW)の発電を各々行う。


(撮影:灰エース)

 次に永瀬ダムの諸元は、堤高87m、堤頂長 207m、堤体積38万m3、有効貯水容量4147万m3、総貯水容量4909万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は(株)間組、事業費は 39.39億円を要した。
 主なる補償は、土地取得面積 171.5ha、水没戸数 248戸(民家 221戸、公共27戸)、森林鉄道補償、国道、県道付替補償であった。
 永瀬ダムは、昭和32年完成後管理業務を高知県が引継ぎ現在に至っている。また、管理に関する事業として、昭和54年より、ダム周辺環境整備事業、堰堤改良事業、貯水池保全事業が導入され、水源地域との調和を保ちつつ、ダム機能の維持を図っている。

 一方、発電所の建設は、高知県企業局によって実施され、吉野発電所は昭和26年11月着工、昭和28年4月発電開始、永瀬発電所は昭和28年3月着工、昭和30年8月発電開始、杉田発電所は逆調整池として昭和32年4月着工、昭和34年9月発電を開始した。

 平成18年10月5日高知新聞に、永瀬ダム建設回顧の記事が次のように載った。

【当時物部村の中学生であった藤田哲三さんは、「危険な高所作業する作業員にいつも感心していた」という。「おかげで村は景気がよかった。料亭は沢山あって、毎晩、太鼓や三味線の音が賑やかだった。新たな道路や子供のためのプールを造られ、完成後には遊覧船を浮かんだ。だが、そんなに賑わいも長く続かなかった。…………
 村を離れた人も毎年 夏に開かれる奥物部湖水祭は多くが帰省。ダム湖に54個の灯籠に在りし日の村を忍んでいる。】

 あとかたもなき村の跡 夏草の猛きいきれに われはたぢろぐ
                         (小野興二郎)


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