[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


6.白川ダム(最上川水系置賜白川)の建設

 水害は人の運命を変えることがある。昭和42年8月、最上川上流部を襲った「羽越豪雨」は小国町、飯豊町、長井市に連続雨量250〜600mmに達し、最上川本川、犬川、白川の各所で氾濫した。流域の被害は死者行方不明者8名、家屋の損壊、流失2203戸等被災者79000人に及んだ。このため、最上川上〜中流域部の置賜m3村山地方の防禦の必要性から洪水調節の白川ダムの建設が急務となった。この水害の遭遇の被害者、そして白川ダム建設に伴う水没者の運命が大きく変わることとなった。水没者104戸、準水没者35戸、計139戸が移転せざるを得なくなったからである。


(撮影:灰エース)
 白川ダム対策同盟連合会長男鹿久人は、

「昭和44年7月補償基準が発表されたが、連合会で独自の計算によって作った補償基準書を提出して、要求書による補償を強く求めた。白川ダム補償交渉に入って掲げた標語は「善意と信頼」であった。補償は難航した。…………10月に入ってようやく一致点に到達して、45年10月25日、山形市農業会館で調印が終わり、ダムの実現に大きく踏み出した。」(白川ダム20年のあゆみ)

と述べている。男鹿会長の補償交渉の原則に「善意と信頼」を掲げたことは特筆に値する。この補償の精神を貫いたことが、交渉は難航したものの起業者と地権者との合意に達することになったのではなかろうか。

 これらの補償交渉を丹念に記録した井上元一編『白川ダム物語−ダム編』(白川ダム対策同盟会m3昭和57年)、さらに湖底となった飯豊町中津川を偲んで同著『ダムに沈んだ村の伝承』(男鹿久人m3平成9年)、鈴木鷹吉著m3発行『白川ダムの湖底に眠る』(昭和63年)の書がある。この書のようにダムによって村の民俗、伝承、伝説が消えていくが、これらの文化を体系化して残しておくことは大変重要なことだ。また、鈴木実著m3久米宏一絵『ふるさともとめて花いちもんめ』(新日本出版社m3昭和51年)は、児童書であり、子どもたちからダム建設の動きを追っている。

『白川ダム物語−ダム編』

『ダムに沈んだ村の伝承』

『白川ダムの湖底に眠る』
 白川ダム(白川湖)は、最上川水系置賜白川の山形県西置賜郡飯豊町大字高峰地先に昭和55年完成した。東北建設協会編『白川ダム工事誌』(建設省東北地方建設局白川ダム工事事務所m3昭和56年)により、白川ダムの目的、諸元、特徴を追ってみたい。

 ダム建設の目的は次のとおりである。

・白川ダム建設地点における計画高水量1400m3/Sを300m3/Sに1100m3/Sの洪水調節する。本川分流後の小出(長井市)地点において3800m3/Sを3400m3/Sに低減する。


『白川ダム工事誌』
・白川沿岸の約1000haの既成農地に農業用水の補給、流水の正常な機能の増進を図る。

・白川、犬川、黒川沿岸の約3800haの農地に対し、最大9.36m3/Sの農業用水を補給する。

・飯豊町に立地する工場群に対し、新たに10000m3/日の工業用水を供給する。

・白川ダムによって新設される白川発電所において、最大出力8900KWの発電を行う。

 次に、ダムの諸元をみてみると、堤高66m、堤頂長 フィル堤長348.2m、余水吐71.4m、堤体積 フィル堤体223.3万m3、コンクリート15.3万m3、総貯水容量5000万m3、型式は中央コアロックフィルダムである。起業者は国土交通省、施工者青木建設で事業費は315.8億円を要した。

 なお、白川ダムの形式、中央コア型ロックフィルは建設省直轄第1号である。技術的特徴については3つあげることができる。(『東北のダム五十年』

・クラウチングにおいて流入特性に応じた配分の選択及び施工管理のため自動プランドの導入が図られ、グラウチングの省力化を図った。

洪水吐を前面は砂岩、シルト岩、泥岩、礫岩、凝灰岩の五層で、浸水により吸水膨脹が起こり、また、乾湿の繰り返しに弱いので、湛水後の変形透水性に対処するため岩盤覆工を施工。

・ダム左岸部の地滑り危険箇所に対し、鋼管枕による抑止工、排水工、抑え盛土などの対策工を実施し、安全性が確保された。


『白川ダムの試験湛水

 昭和54年白川ダムは試験湛水を開始したが、その試験湛水の記録について、東北建設協会編『白川ダムの試験湛水』(白川ダム工事事務所m3昭和56年)、同『白川ダム試験湛水観測データ集』の書が残されている。また、ダム技術者の汗と苦労を撮ったダムの建設、プロセスタチバナ・フォート・エンジェンシー編『白川ダム写真集』(白川ダム工事事務所・昭和56年)、そして、白川ダム工事事務所編・発行『白川ダム図集』(昭和56年)の書もある。
『白川ダム試験湛水観測データ集』

『白川ダム写真集』

『白川ダム図集』
 白川ダムは、昭和55年白川ダム湖岸公園の竣工、また56年10月に管理所に移行した。さらに、昭和58年全国白川ダム湖畔マラソン大会の開催、平成5年貯砂ダムの完成、平成9年源流の森、10年オートキャンプ場を各々オープンし、貯水池周辺の環境整備事業が行われ、市民の心身のリフレッシュ場となっている。

 また、平成12年10月で白川ダム完成から20年を迎えたが、その間12回の洪水調節を実施し、下流域の洪水の被害減災に貢献した。


[前ページ] [次ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]