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◇ 5. 二瀬ダム(荒川)の建設

 埼玉県編・発行「荒川 人文U」(昭和63年)に、戦前における荒川の水利用については、次のように記してある。
 「発電では、上流山間部に小規模な水路式発電所5ケ所(川又、栃本、宮平、大滝、秩父、合計出力18 850kW)があるのみで、農業面では下流の大野郡花園村の六堰頭首工において12.8m3/sを配水し、3 470haを灌漑するに過ぎなかった。」
 また、昭和22年、23年、24年と荒川流域には台風が襲い、甚大な水害を受けた。このような背景から、戦後、埼玉県の経済復興には、荒川の治水を含め、発電、農業用水の水資源開発が急務であることから、昭和28年「荒川総合開発調査報告書」がまとめられ、その荒川総合開発事業の一環として、二瀬ダムの建設が行われた。

 二瀬ダムに関しては、建設省二瀬ダム工事事務所編・発行「二瀬ダム工事報告書」(昭和38年)、二瀬ダム建設水産科学調査団編・「二瀬ダム(埼玉県)建設の荒川漁業に及ぼす影響と今後の開発に関する調査報告書」(埼玉県・昭和36年)の2書がある。二瀬ダム(秩父湖)は、荒川上流の埼玉県秩父市大滝字大久保地先に昭和36年に完成した。


「二瀬ダム工事報告書」

「二瀬ダム(埼玉県)建設の荒川漁業に及ぼす影響と今後の開発に関する調査報告書」
 このダムは3つの役割を持っている。
@ 洪水調節
 大雨によって発生した大量の水を一時的にダムに貯めることにより、ダム下流の荒川の水位上昇を抑える。大雨が降る可能性が高い7月1日〜9月30日(洪水期)までと定め、洪水を貯める空ポケットを確保するために貯水位を下げる。
 ダム地点の計画高水流量1 500m3/sのうち700m3/sをダムで調節し、ダム下流域の洪水被害の軽減を図る。
A かんがい用水
 荒川中流付近の大里、元荒川地区の4 378ha、櫛引、本畠地区の4 255ha、8 603haに対し、二瀬ダムに貯めた水により荒川の流量を安定させて農業用水を確保する。農業用水の確保期間(かんがい期)は、4月26日から9月20日までである。
B 発電
 二瀬ダムに設置された「二瀬発電所」により最大出力5 200kWが発電され、埼玉県が運転、管理を行う。


 二瀬ダムの諸元は堤高95m、堤頂長288.5m、堤体積35.6万m3、総貯水容量2 690万m3、型式アーチ式コンクリートダムである。起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は熊谷組で、ダム工事費53億円、発電所6.2億円を要した。なお、移転家屋は30世帯、水没面積は田畑3.5ha、山林65.5ha等であった。

 二瀬ダムの型式は最初、直線重力式コンクリートダムで計画されていたが、地質調査の結果、重力式ダムでは事業費が高くなることが予想され、経済性、安全性などの検討の結果、アーチ式コンクリートダムとなった。主放流設備はダムのほぼ中央の48.5mの高さの堤体内に幅5.0m、高さ3.5mのコンジット2門を、また非常用設備として幅10m、高さ7mのラジアルゲート4門が主放流設備の両側に設けられている。二瀬ダムの工事中は頻繁に地すべりが発生し、地元住民に不安を抱かせ、工事を一時中断したこともあった。
 だが、職員の士気を高める「二瀬ダム建設の歌」(作詞中村敏治・作曲伊藤正康)が作られている。

 二瀬ダムは既に完成後半世紀となろうとしているが、この間荒川流域の治水と利水に大きな貢献を果たしてきた。例えば、平成13年9月、関東地方に上陸した台風15号は各地で豪雨をもたらし、二瀬ダム上流でも515oというダム完成後最大の雨量を記録した。この雨で秩父湖の水位は約19mも上昇し、ダムでは約660万m3の洪水を貯留し、荒川流域の洪水被害の軽減を図った。



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