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◇ 8. 浦山ダム(浦山川)の建設

 浦山ダム(秩父さくら湖)は荒川の河口から上流へ130q遡ると、支流浦山川が流れこむが、この浦山川へ2q入った左岸埼玉県秩父郡荒川村大字上田野、右岸同村大字久那地先に平成11年に完成した。浦山ダムの堤体は秩父市の荒川に架かる旧秩父橋をモチーフとして景観に配慮した優美なデザインとなっている。水資源開発公団浦山ダム建設所編・発行「浦山ダム工事誌」(平成11年)によると、4つの目的をもって造られた。

@ 洪水調節
 浦山ダムは百年に一度起こり得る規模の洪水1 000m3/s(計画高水流量)を想定し、これに対し890m3/sを貯水池に貯め、放流量を110m3/sとし、下流域の洪水を減災させる。
A 流水の正常な機能の維持
 浦山川の既得用水等の補給を行うとともに、荒川上流ダム群と相まって荒川沿岸の既得用水の補給を行い、流水の正常な機能の維持を図る。
B 水道用水
 浦山ダムで開発した4.1m3/sの水は秩父市に0.234m3/s、埼玉県に2.696m3/s、東京都に1.170m3/s水道用水として供給され、約100万人分の生活に必要な水として使用される。
C 発電
 埼玉県企業局の浦山発電所において、浦山ダムの利水放流を利用して最大出力1 500kWの発電を行う。これは一般家庭約1 500世帯の使用電力に相当する。



 なお、浦山発電所の建設については、埼玉県企業局編・発行「埼玉県浦山発電所建設工事誌」(平成13年)が刊行されている。

 ダム貯水池の運用は水道用水のためできるだけ多くの水を貯めておきたい。一方では洪水に備え空けておく必要もある。そこで雨の多い洪水期(7月〜9月)と雨の少ない非洪水期(10月〜6月)に分けてダムの貯水量をコントロールする。即ち、非洪水期には水道用水等のために5 600万m3の水を貯めているが、洪水期には、その量を3 300万m3まで減らし、残りの容量2 300万m3分を大雨などのときに備えて空けておく。

 浦山ダムの諸元をみてみると、堤高156m、堤頂長372m、堤体積約175万m3、総貯水容量5 800万m3、有効貯水容量5 600万m3、洪水期洪水調節容量2 300万m3で、型式重力式コンクリートダムである。


「埼玉県浦山発電所建設工事誌」
 起業者は水資源機構、施工者は飛島建設、間組、竹中土木特別共同企業体である。事業費は1 844億円を要した。ダムの補償に係る地域は秩父市と荒川村で、主なる補償は移転家屋50戸、土地取得面積237ha、付替県道6.8q、漁業補償、鉱業権補償、高速鉄塔移設補償であった。

 次のように浦山ダムの完成まで追ってみた。

昭和42年4月 予備調査開始
  47年5月 実施計画調査開始
  49年12月 荒川水系を水資源開発水系に指定
  51年10月 建設省から水資源開発公団に事業の承継
  53年3月 水源地域対策特別措置法に基づく「ダム指定」を受ける。
  55年10月 付替県道工事に着手
  58年4月 滝沢ダム建設所と分離して浦山ダム建設所発足
  62年4月 損失補償基準妥結調印
平成2年12月 本体掘削開始
  5年8月 付替県道工事竣工
  7年4月 「地域に開かれたダム」に指定
  8年6月 本体コンクリート打設完了
    10月 試験湛水開始
  11年2月 試験湛水終了
    4月 ダム管理開始

 昭和42年4月の予備調査から平成11年3月ダム完成まで30数年が経過した。前掲書「浦山ダム工事誌」のなかで、三島勇一浦山ダム建設所長は次のように述べている。
 「本ダムの特徴として、技術面では原石山から採取する骨材からコンクリートまで全てベルトコンベヤで輸送し、RCD工法及びELCM工法によって打設する合理化施工システムを採用する等新しい技術に挑戦し、成果を得たことがあげられます。また周辺環境整備の面では、平成7年4月「地域に開かれたダム」の指定を受け、浦山ダムが地域活性化の核となるよう自然に配慮した周辺環境整備を積極的に進めるとともに市街地から眺望のきく都市型ダムとして、旧秩父橋をイメージしてダム頂部にアーチ部を景観設計し、広い堤頂幅を確保したことがあげられます。」

 さらにこの書のおわりに、ダム歴代所長の座談会が記されている。
 金子毅5代目所長は、浦山ダムの先行が秩父3ダムの牽引的な役割を果たしたことについて、次のように分析する。
@埼玉県の音頭で作った現地本部体制は副知事を現本部長として、埼玉県の各部所、水公団、秩父市、大滝村が参加して、諸々の協議を図ったこと。
A当初、滝沢ダム、浦山ダムの建設所は統合していたが、これを昭和58年滝沢ダム、浦山ダムに分離したこと。
B補償については浦山ダムの方を先行したこと
C交渉の体制と進め方がよかったこと
D地元の間接的な協力を得たこと

 また、倉信健7代目所長は、ダム建設の前提である漁業補償の調印、原石山補償の解決が続き、本体発注翌日、ストレスで2日間起き上がれなく、寝込んでしまったという。このような所長たちの現場での苦悩は尽きなかったが、平成11年浦山ダムは完成した。

 浦山ダムの管理開始後、平成11年8月、平成13年9月と2度にわたって浦山ダムの流域に集中豪雨があり、大量の濁水が貯水池内に流れ込んだ。相次ぐ濁流放水に対し、改善の要望が出され、ダム貯水池沿いに延長6qの「清水バイパス水路」が設置され、濁水放流の軽減と河川環境の改善を図っている。


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