◇ 7. 石打ダム(波多川水系支川八柳川) の建設
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波多川は宇土半島の雄岳(標高348m)の西方約1qの下開拓付近に、その源を発し、熊本県三角町石打にて南側支川八柳川と合流した後、南西に向きを変え、三角町を貫流し不知火海へ注ぐ流路延長9q、流域面積10.5km2の二級河川である。
三角町の気候は、年間平均気温17℃で降霜も極めて少なく、平均年降水量1,700o〜1,800o、臨海性の温暖な気候であることからミカン栽培が盛んで、三角みすみミカンの産地として知られている。しかしながら、波多川の下流域一帯は古くから水害をうけており、特に昭和47年の梅雨前線による集中豪雨で氾濫した。一方では度々旱魃の被害もうけている。
このようなことから、石打ダムは波多川水系支川八柳川の熊本県宇土郡三角町中村地先に多目的ダムとして建設され、平成5年に完成した。そのダム工事の記録については、熊本県土木部河川課編・発行『石打ダム工事誌』(平成5年)があり、以下ダムの経過、目的、諸元、特徴等はこの書に拠った。
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『石打ダム工事誌』 |
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石打ダムの経過をみてみると、昭和50年4月熊本県単独で予備調査を開始、59年4月ダム建設事業に着手、61年2月損失補償基準調印、63年12月ダム本体工事着手、平成元年9月ダム本体コンクリート打設開始、3年10月試験湛水開始、4年8月三角町水道取水開始、5年3月に完成した。
石打ダムは、次の3つの目的をもって造られた。 @ 洪水調節 ダム地点の計画高水流量64m3/sのうち、55m3/sの洪水調節を行い、波多川沿川地域の水害を防禦する。 A 流水の正常な機能の維持 ダム地点下流波多川沿川の既得農業用水の補給(農地58.8ha)を行う等、流水の正常な機能の維持を図る。 B 水道用水 三角町に対し、ダム地点において水道用水として、新たに0.044m3/s(3,800m3/日)の取水を可能とする。
ダムの諸元は堤高38.5m、堤頂長256m、堤体積9.3万m3、総貯水容量120万m3、有効貯水容量113万m3、型式は重力式コンクリートダムである。ダムの補償は家屋移転4戸、土地取得面積19.7ha、補償工事付替町道3.8qである。
起業者は熊本県、施工者は鹿島建設・岩永組・吉岡企業建設共同企業体で、事業費は98億円を要し、その費用割振は河川79.3%、水道用水20.7%となっている。
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松崎勇二石打釈迦院ダム建設事務所長は、石打ダムの特徴について、次のようにのべている。 @ 計画的には、治水計画を満足するために、間接流域の導水計画として、波多川に取水堰を設け、導水トンネル(延長260m、直径3.3m)によって、八柳川の石打ダムに分水している。 A 技術的には、頁岩、砂岩の互層からなるダム基盤岩盤の劣化問題への施工対応を行った。 B ダム本体コンクリート打設を環境に配慮したクローラークレーン工法の採用等、各分野で工夫、研究を施し、実施した。 C ダム周辺環境整備には、地元三角町の地域振興構想にあわせ、JR三角線の石打ダム駅の誘致、ダム天端周辺のグレードアップ化、資料館の建設、ダム湖周辺の整備(休憩場、水草、魚釣り、ピクニック広場)を行った。
なお、石打ダムの骨材は、粗骨材は長崎県上五島、細骨材は長崎県壱岐から船でそれぞれ三角港まで運ばれてきた。余談だが、ここ三角港は天草諸島の玄関口で、三角西港護岸は明治20年オランダ人ムルデルの手により築港され、丸味を帯びた石の造形物の遺構がよく保存され、国重要文化財に指定されている。
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