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[奥美濃発電所は、揚水式発電所としては畑薙第一発電所(混合揚水、出力13.7万kW、昭和37年9月運開)、高根第一発電所(混合揚水、出力34万kW、昭和44年9月運開)、馬瀬川第一発電所(混合揚水、出力28.8万kW、昭和51年6月運開)、奥矢作第一発電所(純揚水、出力31.5万kW、昭和55年9月運開)、奥矢作第二発電所(純揚水、出力78万kW、昭和55年9月運開)に次ぐ当社6番目、純揚水式としては3番目の揚水式発電所である。 奥美濃地点は、岐阜県美濃地方北西部の最北端に位置し、武儀郡板取村、本巣郡根尾村の両村に跨る地域で福井県との県境をなす能郷白山(1,617m)を主峰とする1,200m級の山々が東西に連なる両白山地の山岳地域である。 当地点は、伊勢湾に注ぐ木曽三川のうち長良川と揖斐川を遡った源流部にあり、両白山地の南側に属する左門岳(1,224m)周辺を源流として、東側は当地点上部ダムを経て板取川となり長良川へ、また、南側は下部ダムを経て根尾東谷川、根尾川となり揖斐川へとそれぞれ南下し伊勢湾へ注いでいる。 当発電所は、この両河川の源流部に有効貯水量900万m3の上部・下部調整池を設け、この間の有効落差485.75mを利用し、延長約2.5qの水路に375m3/sの水を導いて、最大出力150万kW(25万kW×6台)の発電を行う純揚水式水力発電所である。 板取川支川西ヶ洞川源流部の上部調整池には、高さ107.5mのアーチダム(川浦ダム)および高さ40.0mの重力式ダム(川浦鞍部ダム)を、また、根尾東谷川最上流部の下部調整池には、高さ98.0mのロックフィルダム(上大須ダム)をそれぞれ建設した。発電所は、下部調整池に隣接した根尾村上大須地内の地下に設け、板取・根尾両村の山腹を貫く水路によって上部調整池と下部調整池を結び、この水路で発電所へ導入して発電を行うものである。]
この2書から3ダムの諸元、工事状況を見てみたい。
@ 上部調整池川浦ダムは、高さ107.5m、堤頂長341.2m、堤体積40万m3、総貯水容量1,720万m3、有効貯水容量900万m3、利用深度26.5m、型式はドーム型アーチ式コンクリートダムである。
A 上部調整池川浦鞍部ダムは、高さ40m、堤頂長95m、堤体積2.6万m3、利用深度26.5m、型式は直線重力式コンクリートダムである。根尾、板取間の分水嶺の一部が、川浦ダム調整池満水位より低いため水が溢れないように設けられた。
B 地下発電所は、空洞が3つ掘られており、その中に発電機や変圧器が設置されている。その空洞の高さは10階建のビルが丸ごと入るぐらいの大きさで、地表より380m下、トンネル入口から987mの位置にあり、下部調整池上大須ダムの水位よりも100m低い位置にある。
C 下部調整池上大須ダムは、高さ98m、堤頂長294.5m、堤体積315万m3、総貯水容量1,450万m3、有効貯水容量900万m3、利用深度23m、型式はゾーン型ロックフィルである。 3つのダムの型式がそれぞれに、ドーム型アーチ式コンクリートダム、直線重力式コンクリートダム、ゾーン型ロックフィルダムと相違することに、大変な興味を惹かれる。
D 工事は、昭和60年3月から開始し、平成7年11月までの10年9ヵ月を要し完成した。その間、有人から無人発電所への計画変更や最大出力100万kWから150万kWへの出力変更を行い、無人発電所として、ピーク供給力を受け持つ重要な役割を果している。建設中の平成元年には約2,000人が工事に携わった。なお、工事費は2,170億円を要し、施工者は、川浦ダムと川浦鞍部ダムでは間組、清水建設、西松建設、大日本土木、住友建設、一方上大須ダムでは熊谷組、大成建設、大豊建設、日本国土開発、奥村組がそれぞれ行った。
この奥美濃発電所は、国内最大級を誇る発電所建設であったことから、当然幾多の苦難に遭遇したことと思われる。その苦労とその成し遂げた喜びについて、前書『奥美濃発電所建設工事報告』のなかで、中部電力株式会社取締役土木建築部長宮口友延は、次のように述べている。
「非対称3心円形状を採用した川浦アーチ式コンクリートダムを始め地形・地質を生かした型式の異なる3つのダムの建設、水圧鉄管における1条4分岐や、分岐部の岩盤負担設計および放水路における調圧水槽省略、地下発電所クレーン桁の先行打設とPCアンカーによる支持など、地下構造物の合理的な設計、さらには高速大容量でコンパクトな水車発電機の開発や、長大CVケーブルの採用など新技術、新工法を導入して工期の短縮とコストダウンを追及いたしました。環境対策としては、我が国最初の本格的水回し水路を採用してダム下流の濁水長期化を防ぎ、切取法面の早期緑化による修復、そしてダム周辺景観のシンプル化など、自然環境との調和にも積極的に取り組みました。 また、地下発電所からの異常出水やバルブ最盛期の従業員不足、さらには、改良の困難な地質による、ダム基礎処理工事の大幅な増加と、それに伴う工程確保など、幾多の障害が生じましたが、建設所員をはじめ、関係者全員の創意と工夫そして情熱によって乗り越えることができました。総工費も、kW当り14万円台に納まるとともに、工期通りの完成をみることができました。前年の冷夏の反動から、想定をはるかに上回る電力需要となった平成6年の夏、この奥美濃水力発電所1・2号機が、まさにピーク供給力として大きな期待のなかで営業運転を開始した時の喜びは、記憶に新しいところであります。」
奥美濃発電所は、平成7年から運転開始した。その揚水式発電方法は、昼間電気の需要の多いとき、上部の川浦ダムから下部の上大須ダムに水を落として発電し、発電に使った水は、上大須ダムに溜めておき、そして電気の需要の少ない夜間に川浦ダムに水をくみ揚げ、再び昼間の発電に使う。
このように一定量の水を繰り返し使うため、ダム完成後の最初に溜めた水だけを使い、その後、ダムに流入する水は、溜めることなくダムから同じ量を放流することとなっている。
私は、平成18年5月12日、桑名市から大垣市の揖斐川沿いの土手を車で走り、途中席田用水・真桑用水を分ける山口頭首工を見て、根尾村に入り、根尾東谷川を遡り、漸く上大須ダムサイトに立った。ロックフィルのダムサイトを歩いて対岸に渡ると、巨大な余水吐がみえてくる。ダム湖を一周したが、人影はなく、至る所で猿と出会った。丁度昼の2時ごろ、突然に上大須ダムの水位がぐっと上がってきたのにいささか驚いた。いいときに出くわしたと同行者と互いに喜んだものだ。帰りに、樹齢1400年といわれる古木「淡墨桜」に寄った。青葉に繁り、淡墨桜公園周辺も上大須ダムと同様に静かであった。巨大なダム群である水力発電システムが無人であり、揚水式発電であることを認識しながら根尾川を下り家路に着いた。
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