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5 城山ダムの建設


城山ダム

 昭和34年神奈川県は「土地及び水資源に関する総合計画」をまとめ、将来の増大する水需要予測を行っている。この水源対策として、昭和35年12月県議会によって「相模川総合開発事業共同基本計画」が議決され、城山ダム(津久井湖)が建設されることとなった。昭和40年3月、城山ダムは紆余曲折を経て、右岸津久井町大字太井字癸、左岸城山町川尻字水源地点に完成した。

 城山ダムの目的は、洪水調節を行い、水道及び工業用水16.0m3/Sの供給、城山発電所は、本沢ダム(城山湖)を上流調整池、城山ダムを下部調整池として最大出力 250,000Kwの発電を行う。一方、これらの用水確保のために、相模川の自然流量のほかに支川串川(津久井町根小屋)に取水堰を造り、さらに串川導水路を建設し、この導水路によって最大 2.0m3/Sを城山ダムへ流域変更を行っている。
 各用水の取水方法は、津久井分水池から相模原地区、川崎市の水道に分水し、城山ダム下流30kmの寒川取水堰(寒川町)から取水し、県営湘南地区、横浜市、横須賀市へ送水する。


『津久井湖誕生』

 このダムの諸元は、堤高75.0m、堤頂長 260m、堤体積36.2万m3、総貯水量 6,230万m3、有効貯水量 4,820万m3、直線越流重力式コンクリートダムで、事業費は68.3億円、起業者は神奈川県、施工者は(株)熊谷組である。なお、用地取得面積 230 ha、水没世帯は 285世帯となっている。

 この城山ダムの建設については、神奈川新聞社編・発行『津久井湖誕生』(昭和40年)、角田福松著『ふるさとをあとに 城山ダム補償(三協出版社・昭和41年)、神奈川県企業庁編・発行『城山ダム建設工事誌』(昭和42年)、同『城山ダム発電所工事誌』(昭和42年)がある。


『城山ダム建設工事誌』

 この『城山ダム建設工事誌』の書で、当時揚水発電所にかかわるアロケ−ションの計算方式が確立されておらず、どのように各事業者にアロケ−トするか困難をきたしたこと、工事では、仮排水路トンネルの落盤事故、ケ−ブルクレ−ンのメ−ンワイヤ−の上層部のはがれ、ケ−ブルクレ−ン走行路の掘削中に2万m3の地滑り事故、骨材の砂利獲得に奔走、ダム本体の掘削から打設時点での破砕帯の処理に苦労されていることが述べられている。補償については、内山岩太郎知事が交渉にはすべて忍耐が必要であるから、我慢して相手に当たるよう、知事から「忍耐」と書いた額が工事現場に寄贈されていたこと、ある地権者から「 100回位は通いなさい」と言われ、担当者は実際に 100回以上交渉を重ねたことなど、その体験談をまとめている。
 水没移転者 285世帯は、相模原市二本松地区、城山町川尻地区などに移転した。二本松地区では、相模原市主催の移転者の歓迎会が開催され、暖かく迎えられ、「歓迎碑」が建立され、第2の故郷となっている。

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