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8.美和ダム(三峰川)の建設


 三峰川は、仙丈岳3033mの山麓より発し、小瀬戸ノ湯を流れ、瀬戸峡を形成し、塩平、中尾を流れ小黒川を合わせて美和ダムに注ぐ。さらに流下し高遠ダムに入り、高遠町を流れ、山室川、藤沢川を合わせて伊那盆地に入り、伊那市の中部平野を貫流して天竜川に合流する。延長は73kmである。急峻な河川で古くから荒れ川で天竜川の氾濫のもとをなしていた。今でも、三峰川沿いには霞堤や波除け堤(石垣の下の石積)が遺っている。前述した中央構造線の露頭を美和ダム右岸溝口に見ることができる。


『三峰川ものがたり』

 北原優美編著『三峰川ものがたり』(天竜川上流工事事務所・平成12年)に、次のように三峰川の水害について記している。三峰川沿岸に大正3年、12年、昭和13年、15年と水害がおこり、戦後も昭和21年、22年(カスリン台風)、23年(アイオン台風)、24年(キティー台風)、25年(ジェーン台風)、26年(ルース台風)、28年と連続して、大きな災害を及ぼした。昭和24年キティー台風に直面して、林虎男知事たちはアメリカへT・V・A(テネシー渓谷開発公社)の視察へ出かけ、帰国後直ちに三峰川総合開発にとりかかる。

 この総合開発は、建設省が美和ダムを建設し、さらに美和ダムの下流に長野県の高遠ダム建設により発電・灌漑用水事業を実施することとなった。

 美和ダムの建設経過をみると、昭和28年8月着工し、31年7月定礎式、32年12月補償基準の妥結、33年11月美和・高遠ダム、美和・春近発電所が竣工した。美和ダムはわが国最初の「特定多目的ダム法」(昭和32年4月1日施行)が適用されたダムであった。


美和ダム

 美和ダムの目的は、

洪水調節としてダム地点の最大流入量1200m3のうち 900m3/sを調節し、天竜川合流後最大流量3100m3/sを2000m3/sに低減する。
・灌漑用水として三峰川沿岸2512haの農地に灌漑用水を補給する。
・美和発電所によって最大出力12000KW の発電を行い、放流水は下流の高遠ダムへ流れ、高遠ダムからトンネルを通って春近発電所にて最大出力 26000KWの発電を行う。一方灌漑用水として、高遠ダムから三峰川両岸の段丘上へ10.76 m3/sが導水されている。これによって新たに 355haが開田され、この開田と併せて両岸に約2500haが灌漑されている。(久保田稔著『天竜川とともに』 (中日新聞社・平成13年) )

 美和ダムの諸元は堤高69.1m、堤頂長367.5 m、堤体積28.6万m3、総貯水容量2995.2万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は(株)大林組、事業費は 30.46億円を要した。
 この美和ダムによって三峰川沿いの最も豊かな水田地帯であった美和村(現・長谷村)が水没した。主なる用地補償は、移転家屋 105戸、水没土地201.9ha (うち農地約47ha)、役場、保育園の移転となっている。

 水没者はぞれぞれ高遠町、伊那市、駒ヶ根市、愛知県猿投町、碧南市、さらに遠く東京、九州へ移転した。
 【愛知県で出合った美和村からの移住者の「俺は故郷を売り渡してしまった」という絞り出すような言葉を忘れることはできません。助け合って暮らしていた村から離れ「よそ者」として暮らさなければならなかった人の悲しみは金銭では換算できないものだった。】(前掲書『三峰川ものがたり』)と、同情を重ねている。


『藍深き湖に映えー写真集』

 平成11年美和ダムは完成40周年を迎えた。これを記念して出版された長谷村編・発行『藍深き湖に映えー写真集』(平成12年)は、水没する前の山里の暮らし、次々と姿を消す民家、完成間近の美和ダム、三六災害、美和ダム再開発の様子が写し出され、かつての全ての人々が力を合わせて暮らしていた美和村のノスタルジアを彷彿させてくれる。

 美和ダムは昭和33年11月竣工を迎え、昭和34年、36年、57年の洪水には洪水調節が行われ減災が図られた。しかしながら、度重なる洪水により大量の土砂が流入し、「美和ダム堆砂経年変化」に示すように平成14年までの間に約2000万m3が堆積し、そのうち砂利採取業者により約 500万m3(コンクリート材料に利用) 、美和ダム再開発事業によって約 200万m3を除去し、現在ダムの有効貯水容量を辛うじて保っている。そこで、美和ダムは全国直轄ダムでは初の土砂流入を抑制する恒久堆砂対策事業が施行され、平成17年5月に完成した。

 恒久堆砂対策施設は、貯砂ダム堆砂容量28万m3)、分派堰(堆砂容量52万m3)、洪水バイパストンネル(全長4308m、最大流量 300m3/s)から成っている。貯砂ダム、分派堰では粗い土砂を堰き止め、沈降させ、洪水後に取り出すことを容易にする。堰き止めた粗い土砂はこれまでのように機械的に運び出し、コンクリートの材料などに有効に利用する。一方洪水バイパストンネルでは、細かい土砂(直径がおよそ 0.1mm未満の微小なもの)を洪水とともに下流に流し、ダム湖に堆積しないようにする。



 平成17年11月17日美和ダムを訪れたときは、ダム湖末端部で土砂採取が続けられており、洪水バイパストンネルは試験運転中であった。一方天竜川の右支川飯田松川における松川ダム(昭和49年完成)も、同様に土砂バイパストンネル(延長約1400m)が概成していた。この堆砂対策施設が排砂効果を十分に発揮することを期待したいものだ。榎村康史三峰川総合開発工事事務所所長は、この美和ダム再開発(恒久堆砂対策)について「月刊ダム日本」('04.4月号・714 )に論じている。なお、美和ダムの上流には戸草ダムの建設が進んでいる。

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