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16.川内ダム(川内川水系川内川)の建設

 川内川は下北地方の南西部に位置し、その源を縫道石山(標高625m)に発し、野平開拓地を通り、矢櫃川、中川を合わせて東流し、畑地点にて湯の川を合流し南流、さらに安部城に至り平野部となり、中小渓流を合流しながら川内町を貫流し、陸奥湾に注ぐ流路延長30.9km、流域面積203.4km2の二級河川である。流域の平均年間降水量は2000mmを越える多雨地帯であり、年間平均気温6.8℃である。

 川内川の殆どは、原始河川のままで、連続雨量50〜80mmで河川は氾濫し、古くより度々被害を受けた。昭和41年4月の集中豪雨で家屋浸水568戸、43年8月豪雨により家屋浸水627戸、水田冠水220ha、44年8月台風9号で家屋浸水425戸、水田冠水380ha、被害総額924百万円、さらに45年8月台風9号で被害総額48百万円等毎年のように氾濫を繰り返してきた。

 このため、川内川河口から上流1.0kmを昭和46年度から小規模河川改修事業、その上流6.0kmを56年度災害復旧助成事業等の治水事業によって行われてきた。しかし、最近の川内川沿川の高度な土地利用の状況、さらに開発整備の必要性から抜本的治水対策が強く地元民から要請された。

 このような必要性から、川内ダム(かわうち湖)は川内川の青森県下北郡川内町大字板家戸、福浦地先に主に治水ダムとして、昭和48年から20年の歳月を経て平成5年に完成した。

 この建設記録として、青森県むつ土木事務所編『川内ダム工事誌』(青森県・平成7年)がある。この書から川内ダムの目的、諸元、特徴などを追ってみる。


『川内ダム工事誌』
 その目的は、

・ 洪水調節は自然調節方式とし、ダム地点における計画高水流量370m3/Sのうち、335m3/Sを調節し、35m3/S(最大50m3/S)を放流する。これに要する調節容量は950万m3である。

・ 既得用水の補給および流水の正常な機能の維持と増進をはかるため、川内頭首工下流基準点において、1.371m3/Sを確保することとし、これに要する容量は500万m3を利用して補給する。 なお、川内川沿岸下流の水田161.2haの灌漑用水は川内頭首工により、代掻期0.821m3/S、通常期0.544m3/Sを取水する。

・ 東北電力岩谷沢発電所最大 使用量3.34m3/S(通常使用量1.67m3/S)で、最大出力800KWの発電し、また、管理用発電と洪水調節や維持用水の放流を利用し、最大出力260KWを発電する。

 次に、ダムの諸元は堤高55m、堤頂長137m、堤体積9.3万m3、有効貯水容量1450万m3、総貯水容量1650万m3、型式は直線重力式コンクリートダムである。起業者は青森県、施工者は熊谷組、清水建設、日本国土開発共同企業体、事業費は202億円を要した。なお、主なる補償関係は土地取得面積92.4ha、移転家屋36戸、漁業権であった。移転家屋は36戸であるが、川内村では水没11戸、過疎地域集落再編成事業8戸、佐井町少数残存者17戸の内訳で、移転先は袰川新住区28戸、川内本町1戸、むつ市6戸、青森市1戸となっている。

 昭和56年7月15日野平の離村式が行われ、野平地先に「留魂の碑」が建立された。この碑文によると、「戦前、満州や樺太に移住するが、敗戦によって故国の地を踏み、昭和24年下北半島を開拓するも、入植20年にして国の勧める農業経営適正化に伴う離農政策によって止むなく42戸が離農、残36戸も川内ダムの建設により移転せざるを得なかった。」とある。国の施策によって二転三転して移転する、断腸の想いがこの碑に重く刻まれている。このことは川内ダム建設において特筆されることだ。


(撮影:北国のNAGO)

 川内ダムの建設経過は、次のとおりである。
 昭和46年予備調査開始、48年実施計画調査、50年からダム建設に着手した。野平地区における水没に関わる生活再建対策が行われ、55年8月用地補償の妥結をみた。55年9月県道長後川内線の付替道路工事が始まる。急崖の掘削等難工事の連続であった付替工事は61年10月に開通。61年12月ダム本体工事に着手。62年8月転流開始、63年9月堤体コンクリート打設開始、平成2年11月打設完了、河床深部の高透水性岩盤の改良で難儀。4年4月試験湛水開始、平成5年9日竣工式を迎えた。
 池田一義青森県土木部河川課長は、前掲書『工事誌』のなかで、ダムの特徴について2点挙げている。

・ ダム型式重力式コンクリートダムとし、堤高55m、堤頂長137m、堤体積93000m3と堤体が比較的小規模にかかわらず総貯水容量1650万m3、有効貯水容量1450万m3と、貯水効率が他ダムと比較して高いものとなったこと。

・ 調査時に深部で局部的にルジオン値の大きな所が発見されたため、当初ダム高の1〜1.2倍を処理範囲として設計がなされたものの、さらに深部まで透水性の高い部分が連続していることが明らかとなり、ボーリング孔を利用して各深度における地下水の水質調査を行うとともに浸透流解析を実施し、河床部においてダム高の1.5倍、その他の部分はダム高までの改良を行うとしたことから、カーテングラウチングの総延長が23000mに及んだこと。

 さらに、「工程的には基礎処理工に思わぬ時間を要し、当初の計画工程より約7ケ月遅れたが、周辺整備等の工事工程を短縮することにより、遅れを取り戻し、ほぼ当初の計画工程どおり完了することができた。」とある。

 川内ダム建設に伴って、野平〜畑集落間11kmの町道が、その後県道に昇格し、ダムの付替県道工事とともに野平〜畑集落間の道路改良事業も進められ、現在では下北半島観光ルートの大動脈となった。また、ダム事業に伴い付替られた長後川内線の板家戸大橋南東詰に川内ダムの環境整備事業により「レイクサイドパーク」が設けられ、このなかに「野平高原交流センター・レイクハウス」が川内町により建てられ、川内町の特産品の販売、軽食、休憩コーナーが設けられた。また、近くには日本における川柳の第一人者時実新子の文学碑も建立されており、下北半島の代表的な観光地である恐山と仏ケ浦の中継地点の役割を果たしている。平成6年から10月に、川内ダムを会場として「川内町高原まつり&ベコまつり」が開催されるようになった。

 なお、平成17年3月川内ダムは、ダム水源地整備センターによる『ダム湖百選』に選ばれている。


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