4月20日、会社から急いで自宅へ帰り、出張とダム巡りの準備を整えました。寝台急行銀河に乗り、一路大阪へ。翌21日(土)早朝には新大阪駅に着き、そのまま山陽新幹線に乗り換えて福山に到着。福山でレンタカーを借り、早速ダム巡りに出発しました。
最初の目的地は光林寺池ですが、その途中に瀬戸池という小堰堤があったので、まずはこれから見学しました。天端にはゴルフの打ちっぱなしの設備があります。洪水吐が変わった造りをしています。そこから暫く走って光林寺池に到着。静かな湖面に赤い屋根の取水塔がよく映えます。下流側から撮影する場所が見つかりませんでした。光林寺池を後に熊野貯水池ダムへ。一乗山城という、1400〜1500年代に造られたお城が近くにあるようです。堤体には芝生が植えられ、奇麗に整備されています。ここの取水塔は古くて味がありました。次に熊野貯水池ダムの隣にある八日谷ダムへ向かいました。下流側から見ると左岸側が削り取られたような印象を受けます。
瀬戸池ダム(小堰堤)
瀬戸池洪水吐
変わった造りをしている
光林寺池ダム
光林寺池取水塔
丸く赤い屋根がかわいい
熊野水源地ダム
古い取水塔
八日谷ダム
左岸側が削り取られたような感じ
本州にあるダムは一時ここまでにして、「しまなみ街道」(西瀬戸自動車道)を通って海を渡り、生口島にある中野ダムを目指しました。ミカン畑を抜けるとロックフィルの法面が見えてきます。天端からはミカン畑と共に海が見渡せます。再びしまなみ街道を通ってお隣の大三島へ渡りました。料金所を抜けるとすぐに「道の駅・今治市多々羅しまなみ公園」があったので、ここで昼食。海鮮丼を食べて西に向かい、台ダムに到着。島の重要な水源になっているダムで、ダムの入口には貯水率を表示してありました。台ダム見学後、戻る方向で上浦ダムを探しました。ミカン畑を縫って細い道を進むとダムが現れます。上浦ダム天端からも海が見えます。法面はカラスの持ってきた白いゴミ袋が散乱していました。このダムには記念碑はあるものの、ダム名が明記されていませんでした。この島にはもうひとつ、別所上池という溜池ダムがあるはずですが、場所を特定できなかったため、再び本州のダムを目指すことにしました。
中野ダム
中野ダム天端より
海が見える
台ダム
台ダム管理所脇にて
貯水率を表示してある
上浦ダム
上浦ダム天端より
海が見える
本州に戻って最初に栗原ダム、久山田ダムを見学しました。お互いに近い場所にあり、どちらも歴史が古く、趣のある堤体です。久山田ダムは土木遺産に登録されてます。さて、まずは栗原ダムから。重力式ダムということですが、とても薄っぺらく、通常の重力式ダムの上流面と下流面が逆になったような感じを受けます。ダム仲間の夜雀さんの調査では、栗原ダムは元々砂防ダムであったようで、水不足のため貯水ダムに変更されたとか。また、栗原ダムという名称も使われていないようで、門田貯水池堰堤と呼ばれているようです。門田貯水池を上流に遡ると久山田ダムがあります。最近下流側が整備されたようで、下流側からダムを写すことができます。表面が石積みで若干アーチを描いている久山田ダムは青森県の大湊堰堤を連想させますが、実際には曲線重力式のダムです。次に竜泉寺ダムへ向かいました。村落の奥に位置し、小さくてシンプルなダムです。続いて市畑大池ダムに向かいましたが、何度も道を間違えました。迷路のような村落内の道を進まねばならず、辿り着くまでに相当時間を費やしました。なんとか市畑大池に辿り着けましたが貯水池周囲はダートでぬかるんでいました。車でなければ辿り着くことができなかったでしょう。堤体直下に梨成大池の貯水池を見ることができますが、右岸側の道は途中で終わっていて、梨成大池へは大回りしなければならないようなのであきらめました。この日の最後として御調ダムへ向かいました。読みづらいですが「みつぎダム」と呼びます。自然越流式の洪水吐がずらりと並ぶ構造をしています。貯水池は曲がりくねっているので、天端から貯水池を見ても小さく見えます。
栗原ダム
砂防ダムから昇格
久山田ダム
土木遺産に認定されている
竜泉寺ダム
市畑大池ダム
下流には梨成大池ダムがある
御調ダム
結局この日は10基余りのダムを見学。東広島のホテルに一泊して、次の日のダム巡りに備えました。
翌4月22日、東広島のホテルを朝早く出発し、近くの千足池から見学を開始しました。戦前から築造が進んでいたこの溜池は、戦後に完成するも漏水が激しく、改修されて現在の姿になったようです。第二千足池は位置の特定ができませんでした。千足池のすぐ上流にあるのは堤高が数mしかないもので、後の調査で「青ソウ池」と呼ばれるものでした。DamMapによりその位置を特定し、第二千足池に到着すると導流部を跨ぐ橋には「長野大池橋」と書かれていました。ダム協会様の再調査により第二千足池であることは間違いないようで、橋の銘板は間違いであろうということになりました。第二千足池を後に、次の昭和池を目指しました。堤体の割には洪水吐が長いです。近くに高麗池というのがあるはずですが、隣の沢にあったのは「呼岩溜池」でした。農家の方にも聞いてみましたが結局わからず、安芸津から海岸線を走って野呂川ダムへ向かいました。赤いラジアルゲートが1門あり、下流側から撮影できます。次に国道375号線にでて二級ダムを目指しました。中国地方のダム神の成長を見守り続けたというこのダムは、二級峡という岩盤の露出した場所に建設されています。どうしても真正面から撮影したかったので、崖を下りて行きました。古い堤体ですが、なかなか味があります。
千足池ダム
第二千足池ダム
第二千足池ダム導流部を渡る橋
長野大池橋と書かれており、これが第二千足池かどうか
迷わせる結果となった
昭和池ダム
野呂川ダム
二級ダム
広島のダム神の成長を見守り続けてきたという
二級ダム下流側
二級峡と言われる名所
二級ダムを見学している最中に雨が降り出しました。急いで次の黒瀬ダムへ向かいました。山陽新幹線の線路に近いですが、ダム周囲は宅地もなく静かです。ダムは堤高の割に長さがあります。次に深道池ダムに向かいました。ダムの下流側は私有地で近づけない為、ダムの上流側から傘をさして歩いて行きました。ぬかるんだ山道を15分位歩いて堤体に辿り着きました。結構立派なアースダムでした。洪水吐にはゲートピアのような出っ張りがあり、板を挟むための溝が掘ってあります。板を挟んで放流量を変えることができるようです。そこから北上して大久保ダムを見学。国道のすぐ近くにありますが、木が欝蒼としていて道路からはダムは見えません。続いて並竜寺池へ。ダム湖ではラジコンボートの競技が行われていました。しかし、このダムは堤高が15m無いため、ダム便覧から削除されています。そのまま県道80号線を進んでクロボヤ池へ向かいました。最近改修が済んだのか、堤体や洪水吐は新しかったです。付近はシャクナゲの群生する場所のようです。そこから西に進んで、椋梨ダムを見学。以前はありませんでしたが、洪水吐上に屋根が付いています。
黒瀬ダム
近くを新幹線が通っている
深道池ダム
深道池ダム洪水吐
板を挟んで流量を変えるシステム
大久保ダム
並竜寺池ダム(小堰堤)天端
ラジコンボートの競技中
クロボヤ池ダム
最近整備が終わったようだ
椋梨ダム
洪水吐上の屋根はあとから付けられたもの
雨が激しく降ってきたので、椋梨ダム横の駐車場で休憩してから次の三川ダムへ向かいました。農業用のダムでしたが、水の需要が増加したため、5m嵩上げして現在の姿になりました。三川ダムの隣には八田原ダムがあります。見学時間を過ぎており門が閉まっていたため、ダムに立ち入ることができませんでした。泣く泣く次の山田川ダムへ向かいました。山田川ダムはまだ完成して間もなく、堰堤壁には地元の児童のデザインしたレリーフが埋め込まれています。山田川ダム見学後西に向かい、目谷ダムを目指しました。目谷ダムはロックフィルダムです。周囲は人気もなく、ひっそりとしています。夕暮れとなり、急いで京丸ダムに向かいました。小さな重力式コンクリートダムで、ちょうど放流中でした。
三川ダム
嵩上げされた経歴を持つ
山田川ダム
山田川ダムの堰堤壁に埋め込まれたレリーフ
目谷ダム
京丸ダム
京丸ダムを最後に中国地方の事前調査を終えました。道も走りやすく、そこそこの基数を稼げると思われました。東広島のホテルに戻り、翌日からの仕事に備えました。