◇ 6. 五十里ダム(男鹿川)の完成
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五十里ダムの完成は、昭和31年であるが、このころの世情をみてみると、平均年給与18万5,000円、白米(10s)845円、煙草ピース40円、都電電車賃13円、理髪料150円で漸く高度成長期へ向かう時であった。日本は貧しかった。このような背景のなかでのダム造りは資材、機器も十分でなく、まだダム技術の経験者も少なく、起業者は大変な苦労であったという。
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五十里ダム完成までを簡潔に追ってみたい。
内務省の鬼怒川改修工事は大正15年に始まり、改修起点栃木県塩谷郡大谷付近から下流利根川合流点までの110qの区間であった。昭和2年5月三依村に鬼怒川上流改修事務所を設け、ダム調査を開始した。
昭和6年11月以降床掘りを起工したが、その後進行するにつれて、隅々に断層に遭遇したため、昭和8年に中止。
昭和13年8、9月の洪水でダム築造の問題が再然し、昭和16年再び工事が始まり、翌年石塊ダムとして着手したものの戦争のため中止となった。
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戦後昭和23年より五十里ダム工事再開され、型式はロックフィルダムから重力式コンクリートダムに、さらに昭和25年2月ダムサイト軸も2.5q下流地点に変更された。これらの変更については、前述の江戸期における五十里湖水にかかわる地質等の調査、検討の結果であった。昭和27年定礎式。昭和28年9月台風13号で、ダム現場は洪水に遭遇するが、それを乗り越えコンクリート打設を終え、昭和31年4月湛水開始、同年8月竣工式を迎えた。
五十里ダムに関する書として、建設省五十里ダム工事々務所編・発行『五十里ダム工事報告書』(昭和32年)、鹿島建設五十里出張所編・発行『五十里ダム工事誌』(昭和34年)、国土交通省鬼怒川ダム統合管理事務所編・発行『語り継ぐ五十里ダム竣工50周年記念』(平成18年)がみられる。
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『五十里ダム工事報告書』 |
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『五十里ダム工事誌』 |
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五十里ダム建設の目的は、洪水調節、灌漑用水の補給、発電の3つである。
@ 洪水調節 ダムサイトにおける計画高水流量1,500m3/sを、治水容量3,480万m3を利用して1,000m3/sの洪水調節を行い、500m3/sに低減して放流する。これにより鬼怒川の基準地点栃木県宇都宮市石井における基本高水流量8,800m3/sを川俣、川治ダム等の鬼怒川上流ダム群によって3,400m3/sを調節し、5,400m3/sとする。 A 灌漑用水 灌漑用水は、下流の佐貫頭首工において川俣ダムと併せて最大42m3/sの用水補給を行い、これによる補給対象農地面積は約8,941haである。 B 発電 発電は有効落差113.3mを利用して、栃木県営の川治第一発電所、川治第二発電所においてそれぞれ最大発電量15,300kW、2,400kWを行う。
このダムの諸元は堤高112m、堤頂長267m、堤体積46.8万m3、総貯水容量5,500万m3、有効貯水容量4,600万m3、型式は重力式コンクリートダムである。
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湛水区域内の村落は藤原町五十里の全村と川治、栗山の一部が水没した。主なるダムの補償は移転世帯66戸、土地取得面積約122.3ha、学校、神社、五十里発電所の移転であった。起業者は建設省(国土交通省)、施工者は鹿島建設、事業費は48億円を要した。残念なことは殉職者28名、治療後障害者99名にのぼったことである。
いくつか五十里ダム建設における技術的苦労を追ってみたい。 佐藤寛政関東地方建設局長は『五十里ダム工事報告書』で、「着工当時としては日本一の高ダムであり、その施工にあたってはパイプクーリングや継手グラウト等の当時として新しい工法も採用したので相当苦労があったことである。」と述べている。
この書の最後のところで、ダム事務所の様子について次のように書かれている。
「この工事の最高責任者である荒井所長以下ほとんどが初めてのダム仕事にたずさわる人達ばかりである。又職員もなかなか集まらず30名たらずで、あとは皆現地採用で補充した。少ない人数でしかも仕事は山程あるという状態で徹夜の続くことも多かった。又技術的に言っても従来の低いダムと異なった新しい施工方法例えばパイプクーリング、継手グラウト等をやらねばならず、アメリカの文献を参考に研究したものである。付替道路工事も無理矢理道路をつけねばならず、危険と苦労がともなった。」
また、松尾梅雄・鹿島建設五十里出張所長は、『五十里ダム工事誌』のなかで、そのダム建設に関し、施工者の立場から述べている。
「昭和25年着工当時、本ダムは高さ100米を超える吾国最初のものとして棋界の注視を集め、建設省当局でもハイダムのモデルケースたらしむ可く、総ゆる面に於いて最高最先端の技術を駆使し、吾々施工業者としてもこれに応える可く、日夜吾国に先例の無い新技術の研鑽に励んだのでありまして、コンクリートの型枠では、米国のハングリーホース、フーバー、シャスタ等々の諸例を此彼検討し、試作試験を反復して吾国でも初めてのノンカンチレバー繰上げ式を採用して先鞭をつけ、又パイプクーリング、ヂョイントグラウチングの施工に当たっても、上記諸ダムの資料を唯一の足掛りとし、見様見真似の創意工夫を加えて漸くその目的を達した如き皆その例であります。」
前述したように、江戸期の天然ダム五十里湖の誕生、そして決壊以来、時空超えて技術者達の叡智と努力の結集が五十里ダムを造り上げた。
平成19年五十里ダムは竣工50周年を迎えた。その半世紀の間、鬼怒川の洪水調節は、その後に完成した川俣ダム、川治ダムと相まって水害の減災を図ってきた。また灌漑用水は佐貫頭首工において、川俣ダムと併せて用水を補給し、農地を潤している。
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