全項目表
 
ダム番号:238
 
田瀬ダム [岩手県](たせ)
 [旧名]猿ヶ石ダム(さるがいし)


ダム写真


025206 灰エース
025198 灰エース
077126 北国のNAGO
077136 北国のNAGO
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どんなダム
 
直轄ダム第1号
___ 「日本のTVA」とも呼ばれた壮大な北上川総合開発計画に基づいて建設された「5大ダム」の一つ。5大ダムの中で貯水容量が最大。国の直轄ダム第1号として昭和16年に着工。しかし、着工から3年後の昭和19年8月、堤体コンクリート打設を一部開始した時点で、太平洋戦争の影響を受け工事は中断。再開されたのは戦争終結後の昭和25年10月。再開からちょうど4年後の昭和29年10月、ついにダムは完成。
戦中・戦後の困難を乗り越えて建設
___ 戦時中はセメントの品質が極度に低下。アメリカで開発されたコンクリート中に微細な空気泡を混入してコンクリートの性質を改善する方法(AEコンクリート)を採用。戦後、国内でAEコンクリートを採用したのは田瀬ダムが最初。ダム建設は戦争のため、6年間中断。再開時、堤体コンクリート約37,000m3が4ブロックにわたって打設途中だった。表面が風化し品質が劣化。そこで表面をはがし、新しいコンクリートを打ち継ぎ、包み込む。取り壊し数量は5,829m3にのぼった。当時、土木機械不足で宮城刑務所の囚人40人を使ったという。
三船敏郎の「激流」
___
田瀬ダム建設現場は、三船敏郎主演の映画「激流」の舞台となった。三船敏郎は当時32才。血ダム技術者が、戦後日本の復興期に使命感に燃えてダム建設に立ち向かう姿を演じた。
改名ダム
___ 建設当時は河川名を取って猿ヶ石ダムだったが、その後、水没地の字名を取って田瀬ダムに改名。
常用放流設備を設置
___
放流設備としては、ダム建設当時にクレストゲート6門、コンジットゲート4門が設置されていたが、コンジットゲートは全開・全閉方式で、部分開閉による放流量の調節ができなかった。そのため、右岸側の既設堤体に直径5mの穴を削孔して新たな常用放流設備を設置。平成6年度に着手、10年度に完成。
監査廊に昇降設備
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戦中から戦後にかけて建設された古いダムで、エレベータ設備がない。監査廊内には、人や重量物の輸送ができる珍しい昇降設備が導入されている。監査廊内の任意の位置で発信・停止ができる。昭和61年3月完工。
コンジットゲート油圧シリンダーはアメリカ製だった
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田瀬ダムは日本で初めて洪水調節用の高圧放流管を設置したダムで、4門のコンジットゲートがあるが、堤体内を高圧放流管が通り、その中ほどに油圧式の高圧スライドゲートが設けられている。全開・全閉操作で利用する方式。高圧スライドゲートは建設当時国産のものが無く、アメリカから輸入された。老朽化で、現在順次国産のものに置き換えられつつあるようだ。
[写真]老朽化で廃棄されるアメリカ製のコンジットゲート開閉装置
アオコ対策を実施
___
アオコの発生を抑制するためダム湖の3箇所にばっ気装置を設けて空気を湖中に送ることで水を循環・撹拌させている。これに必要な圧縮空気は、維持放流水のエネルギーを利用した2台の水力コンプレッサによって造り出されている。電力を介さずに直接圧縮空気を造り出すという珍しいシステム。
[写真]水力コンプレッサ
ボランティアによる水生植物植栽
___ 田瀬湖畔の親水公園で、平成14年3月末、地元自治会などのボランティア約40名の協力により、公園内の湿地に約6000株の水生植物を植栽。周辺の湿地の植生を参考にして、エゾミソハギ、クサレダマ、ノハナショウブ、サワギキョウ等7種。湖畔のビオトープ
シリーズ ダム百選 投票から
第 1 回  『 もう1度行きたいダム 』
■ 私の家から遠いだけあって凄く行きたい・・・一番好きなダムです。 (11〜20歳 女)

第 14 回  『 管理している方が親切なダム 』
■ いつ行っても気持ちよくあいさつしてくださり、ダム機能についての説明もしてくださいます。 (附田さと子)
テーマページ 「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (5) 戦後の国土総合開発と多目的ダム建設
ダムマイスター東北研修会報告
ダムインタビュー(4) 川崎秀明さんに聞く 「ダムファンがいるからプロもやる気になる」
洪水吐き拾弐景 《第弐景》 田瀬ダムの日本初高圧洪水調節用放流管
このごろ 熱血ダム技術者・三船敏郎の「激流」
東北ダム巡りツアーに参加してみた
春の足音を訪ねて〜岩手県北上川5ダム探訪〜
左岸所在 岩手県花巻市東和町田瀬  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯39度20分34秒,東経141度19分07秒   (→位置データの変遷

河川 北上川水系猿ヶ石川
目的/型式 FAP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 81.5m/320m/420千m3
流域面積/湛水面積 740km2 ( 全て直接流域 ) /600ha
総貯水容量/有効貯水容量 146500千m3/101800千m3
ダム事業者 東北地方建設局
本体施工者 西松建設
着手/竣工 1938/1954
ダム湖名 田瀬湖 (たせこ)
ランダム情報 【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(H17.3.16公表)
【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2002)
カイツブリ、アオサギ、コハクチョウ、オシドリ、マガモ、カルガモ、コガモ、オナガガモ、ホシハジロ、オオホシハジロ、キンクロハジロ、ホオジロガモ、カワアイサ、ミサゴ、ハチクマ、トビ、オジロワシ、オオタカ、ハイタカ、ノスリ、サシバ、ハヤブサ、キジ、ヤマドリ、イカルチドリ、キアシシギ、イソシギ、ウミネコ、ドバト、キジバト、アオバト、ジュウイチ、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、フクロウ、アマツバメ、ヤマセミ、アカショウビン、カワセミ、アオゲラ、アカゲラ、オオアカゲラ、コゲラ、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ビンズイ、サンショウクイ、ヒヨドリ、チゴモズ、モズ、ヒレンジャク、カワガラス、ミソサザイ、コマドリ、ルリビタキ、ジョウビタキ、イソヒヨドリ、トラツグミ、クロツグミ、アカハラ、シロハラ、ツグミ、カオグロガビチョウ、ヤブサメ、ウグイス、オオヨシキリ、メボソムシクイ、エゾムシクイ、センダイムシクイ、キクイタダキ、キビタキ、オオルリ、エナガ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、メジロ、ホオジロ、ホオアカ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、ノジコ、アオジ、アトリ、カワラヒワ、マヒワ、イスカ、ベニマシコ、イカル、シメ、スズメ、ムクドリ、カケス、オナガ、ハシボソガラス、ハシブトガラス
【ダムカード配布情報】2021.8.1現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver3.0
○田瀬ダム管理支所 9:00〜12:00 13:00〜16:30(土・日・祝日を含む)※正面玄関の脇にあるインタ-ホンを押して下さい。※ダムカ-ドの配布場所はダムに隣接しています。
ダムカード画像コレクション
田瀬ダム Ver.1.0 (2007.07)
田瀬ダム Ver.2.0 (2015.10)
リンク 〜日本のTVA〜北上川総合開発計画(岩手県地域振興部)
DAM Photographer・日帰り東北(3)
kazu_ma’s WALKING-DIARY・田瀬ダム
THE SIDE WAY・田瀬ダム
ウィキペディア・田瀬ダム
ダム好きさん【田瀬ダム】
水力ドットコム・東和発電所
田瀬ダム(社団法人日本土木工業協会)
東北のダム(国土交通省東北地方整備局)
北上川ダム統合管理事務所(国土交通省東北地方整備局北上川ダム統合管理事務所)
参考資料
■親水観光拠点をめざす『田瀬湖レイクリゾート』整備構想:佐々木勲
【ダム日本 No.561(H3.7)】
関連書籍 ■建設省北上川ダム統合管理事務所 『北上川五大ダム統合管理20年のあゆみ』 建設省北上川ダム統合管理事務所 1995
■建設省北上川ダム統合管理事務所 『田瀬ダム建設の記録』 建設省北上川ダム統合管理事務所 1988
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】左岸所在地[和賀郡東和町田瀬→花巻市東和町田瀬] 目的[FNP→FAP]
【06最終→07当初】河川名[猿ケ石川→来浦川]
【07当初→07最終】河川名[来浦川→猿ケ石川]
【07最終→08当初】河川名[猿ケ石川→猿ヶ石川]
【08最終→09当初】堤高[81.5→82]
【09当初→09最終】堤高[82→81.5]

■ このごろ → このごろ目次
熱血ダム技術者・三船敏郎の「激流」

 
 映画の舞台は、北上川総合開発事業の田瀬ダム建設現場。熱血ダム技術者 三船敏郎(当時32才)が、戦後日本の復興期に使命感に燃えてダム建設に立ち向かう。次々と起こる様々な問題に真正面からぶつかり、まさに「激流」にもまれながら大きな人間として育ってゆく。現場の負傷者救出、水没者などへの思いやり、不逞の輩退治などに、遠距離恋愛の悲哀や新たな恋人との出会いを交えながら大活躍、三船の面目躍如といったところである。

 ファーストシーン、完成したダムで楽しそうにボートを漕いでいる恋人達にナレーションがかぶる。このダムでの水没者のこと、亡くなった人々のことなど、この二人に分かることはないと。ダムをはじめとする社会資本整備の宿命的とも言えるテーマが淡々と語られる。それから過去に遡りダム建設の場面に。用地買収の困難さ、農民の土地に対する執着、水没する人々や愛すべきダムに働く人たちの悲哀、金に群がる輩などダム現場に展開される赤裸々な人間模様を丁寧に浮き彫りにしている。

 劇映画ではあるが、ロケーションは全て実際の現場で行われた。現場事務所の活気ある雰囲気、宿舎や食堂での生活風景、仮設備やコンクリート打設現場の様子など隔世の感があるが、昭和20年代当時の空気が感じられ、一面貴重な記録映画でもある。

 谷口監督は、三船を映画「銀嶺の果て」(監督:谷口千吉氏、脚本編集:黒澤明氏)で役者として27才でデビューさせている。三船のまっすぐな性格、直球勝負で挑む姿をすがすがしく描いた名品である。

(参考)
東宝 1952年作品
監督 谷口 千吉(八千草 薫の旦那さま)
音楽 伊福部 昭(「ゴジラ」作曲)
主演 三船 敏郎 
   久慈 あさみ 島崎 雪子 若山 セツ子 多々良 純

あらすじ
 ダム建設現場に赴任した若い土木技術者(三船敏郎)は、東京から追ってきた恋人(島崎雪子)とも別れ、ダム建設に情熱を燃やす。活気ある建設現場では様々な人間模様。建設が進み、完成も間近い頃、ダム建設で一儲けをたくらむ輩が、ダム工事の引き延ばしを図ろうとダムの監査廊にダイナマイトを仕掛けた。導火線に火がつけられ、ダイナマイトに向かって燃えてゆく。爆破を阻止しようと技術者らは危険もかえりみず駆けつけ、危機一髪・・・

(2007.9.12、北川正男)


■ このごろ (はじめの部分) → このごろ目次
東北ダム巡りツアーに参加してみた

 
今回は(財)日本ダム協会が主催する“東北ダム巡りツアー”(10月22日−23日 ダムマイスター研修会「東北のダムを巡る」)に同行させて頂いたということで、その時の感想などを“一ダムフリークの視点”から紹介  ・・・→ 全文はこちら
(2011.12.6、ばっきぃ)


■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

ダムマイスター東北研修会報告

安 部  塁
 
5.田瀬ダム

 田瀬ダムは北上川5大ダムの中で最も早く着工されたダムでした。戦争中に一時中断し、戦後、工事を再開したダムでした。このダムも堤体下流直下は一般には立入できません。竣工年が古いためエレベーターは設置されておりません。保守点検用に懸垂式モノレールが昇降設備として導入されているようですが、これは2人乗りです。団体の見学は、階段を上り下りするのが早いことになります。


田瀬ダム堤体内
 監査廊コンクリートは木目調でした。これはデザインによるものではなく、製材した木板を型枠として使用したからだと思います。最近のプレキャスト工法ではありえないことです。
 田瀬ダムは、着工は石淵ダムより早いものの、完成は石淵ダムに1年程後れをとりました。田瀬ダムは、その後に誕生した湯田・四十四田・御所の各ダムに負けない総貯水量(1億4,650万立方メートル)を誇ってきました。まもなく胆沢ダム(総貯水量1億4,300万立方メートル)が完成します。しかし、最先端の技術を尽くして完成する胆沢ダムにその座を譲ることなく、北上川5大ダムの総貯水量トップの座を維持し続けます。


田瀬ダム
 ・・・→ 全文はこちら
(2011年11月作成)



■ テーマページ → テーマページ目次

洪水吐き拾弐景
《第弐景》 田瀬ダムの日本初高圧洪水調節用放流管

解説:箱石 憲昭  写真:ダム日本編集部
 

昭和29年(1954年)に国直轄の本格的重力式コンクリートダム第一号として竣工した田瀬ダム。我が国初の高圧洪水調節用放流管が採用されている。洪水調節容量を確保するため,利用水深を大きくするべく堤体の低い位置に高圧放流管4条を配置している。当時はまだ高圧ゲートの製作経験が国内に無かったことから,米国から高圧スライドゲートを輸入し据え付けている。その後,同型のゲートが国内で製作され,2年後に完成した五十里ダムに国産第一号の高圧ゲートとして据え付けられている。

放流管は円形で水平に配置されており,負圧が発生しないように下流側で楕円形にしぼりこまれながら,堤体下流面に沿うように曲げられている。当時の高圧スライドゲートは全開全閉操作が基本であり,放流条数を変えることで段階的に流量調節を行うものであった。そのため,平成10年(1998年)には,堤体に削孔して部分開放流が可能な高圧ローラゲートを有する放流設備が増設され,これを併用することで,きめ細やかな流量調節が可能となっている。

戦後の荒廃した国土を相次いで襲った水害に立ち向かうため,新たな技術に果敢に挑戦した当時の技術者の熱意が感じられるダムである。


(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(2014年11月作成)


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