全項目表
 
ダム番号:2829
 
一ツ瀬ダム [宮崎県](ひとつせ)


13/05
ダム写真

(撮影:安河内孝)
120184 夜雀
112977 安河内孝
112983 安河内孝
159550 3A
D-shot contest 入賞作品   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
貯水容量の大きなアーチダム
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総貯水容量2億6131万立方メートル、湛水面積686ha。ともに、国内アーチダムとしては第2位。堤頂長は第3位。九州最大の水ガメといわれる。
[写真]工事中
一般水力発電としては九州最大
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下流約3kmにある一ツ瀬発電所は出力18万kw。一般水力発電では九州最大の出力を誇る。一ツ瀬発電所資料館で、一ツ瀬ダムと発電所について説明がある。
[写真]一ツ瀬発電所(撮影:萩原雅紀)
特徴的なデザイン
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巨大アーチダムだが、デザインが特徴的。下流から見ると、左岸右岸、中央の3箇所にクレストゲートを配し、このうち左岸・右岸はスキージャンプ式の洪水吐で、バランスのとれた美しい景観を見せている。日本一美しいアーチダムという声もあるようだ。
[写真](撮影:)
ヘラブナ釣りの名所
___ 巨ベラが釣れると全国に名を轟かすという。50cmを越える大物をつり上げることも。
テーマページ 「ダムナイト5〜ダムのデザイン、どうしてこうなった〜」 そのあらまし
減勢工って何?
このダムどんな人? ・・・ダムの擬人化イラスト集・・・
文献にみる補償の精神【30】 『凡てに対し、只「有難う御座いました」「御苦労さまでした」と 感謝の言葉を捧げたいのである。』 (一ツ瀬ダム)
ダムの書誌あれこれ(35) 〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
ダムツーリング -火の国・九州-
このごろ ダムをうたう(13) -春の光をあびて-
左岸所在 宮崎県西都市大字中尾字的場  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯32度12分24秒,東経131度18分06秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  杉安(7km)  大瀬内(7km)  かなすみ(7km)  長谷(8km)  戸崎(9km)  立花(9km)  石河内(9km)

河川 一ツ瀬川水系一ツ瀬川
目的/型式 P/アーチ
堤高/堤頂長/堤体積 130m/415.6m/555千m3
流域面積/湛水面積 445.9km2 ( 直接:415km2 間接:30.9km2 ) /686ha
総貯水容量/有効貯水容量 261315千m3/155500千m3
ダム事業者 九州電力(株)
本体施工者 鹿島建設
着手/竣工 1960/1963
ダムカード画像コレクション
一ツ瀬ダム
リンク Dam's room・一ツ瀬ダム
damsite・ダムデータ
damsite・ダム写真集
Damstyle・一ツ瀬ダム
THE SIDE WAY・一ツ瀬ダム
ダム好きさん【一ツ瀬ダム】
雀の社会科見学帖・一ッ瀬ダム
関連書籍 ■原田種夫 『一ツ瀬ダムとその周辺』 ジャパン・コンサルタントルーム 1963
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】流域面積[445.9→415]
【06当初→06最終】流域面積[415→445.9]
【06最終→07当初】流域面積[445.9→445]
【13最終→14当初】流域面積[445→445.9]

■ このごろ → このごろ目次
ダムをうたう(13) -春の光をあびて-

 
   春光にダムの巨体を仰ぎけり  田代信雄

 九州電力椛獄ア部編・発行『湖底に祈る・一ツ瀬ダム建設の記録』(昭和39年)に所収。
 九州電力鰍ヘ、宮崎県一ツ瀬川の上流に、社運をかけて一ツ瀬ダムを昭和38年に完成させた。ダムの諸元は堤高130m、堤頂長415.62m、総貯水容量26131.5万m3、型式は可動堰付越流アーチ式コンクリートダムである。施工者は鹿島建設(株)で、工事費は196.15億円を要した。水没移転家屋355戸に及ぶ。ダムサイト左岸に工事で犠牲となった尊い41名の慰霊碑が建立されている。

 一ツ瀬ダムは、一ツ瀬川の本流と支流岩井谷川、湯ノ片川、尾八重川、打越川の各河川からの取水を合わせて、ダム上流約200mの右岸取水口から延長2.7kmの導水路で、一ツ瀬発電所に導き、最大出力18万kw(常時1万9100kw)の発電を行う。

 作者は、一ツ瀬ダム建設所長であり、この書のなかで「工事の思い出」として、次のことを挙げている。
@ 昭和34年の終り頃に、フランスのマルパッセのアーチダムが破壊して、大変なショクを受けたこと。
A 36年に政府の所得倍増計画に刺激され、物価と特に労賃が高騰し、労務者が不足したこと。
B マルパッセの影響もあり、コンサルタント、ジーコ氏の勧告を入れて、ダムの安全に一段と留意したため、コンクリート量10万m3を増加して、工程が大変苦しかったこと。さらに、川床断層がコンクリート打設直前に発見され、その処理に手間取ったこと。

 このように、一ツ瀬ダムは幾多の困難を乗り越えて竣工した。完成の根底には、我が国の高度経済成長期における電力需要に対応するという、社会的使命感があり、それが貫かれたからであろう。その巨大なダムに春の光がやさしく射している。ダム建設所長として、責任を果し、その安堵感に満ち満ちている句である。

(H21.2.6、古賀邦雄)


■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

「ダムナイト5〜ダムのデザイン、どうしてこうなった〜」
そのあらまし

○上椎葉ダムと一ツ瀬ダムの兄弟説を検証する

(萩原)このテーマは昔からやりたかった。両方とも九州電力のダム。上椎葉ダムは、最初のアーチダムで、しかも日本初の100mを越えたダム。



 左右両岸にクレストゲートがあり、そこからスキージャンプ式の洪水吐き。両側から流れ出た水ジャンプ、空中でぶつけて勢いを殺すというすごい構造。


(中村)その方式は標準的なものだ。

(萩原)そうですか。スキージャンプ式の洪水吐きからの放流を一度見てみたい。しかし山奥なのでなかなか見られない。なぜアーチダムとして計画されたのか、なぜ両岸スキージャンプ式の洪水吐きか。
 当時の工事誌は設計についてほとんど書いてない。1行あるが・・・、よくわからない。
 上椎葉ダムは昭和30年完成、その後8年後の昭和38年に一ツ瀬ダムが完成。高さ130m。当時九州最大のアーチダム。黒部が完成した年。もしかしたら一瞬日本一だったかも。九州電力の発電ダムでアーチで、左右両岸にスキージャンプ式洪水吐き。この一致は偶然ではなく、何かの意志が働いたのではないか。
 文献を調べると、一ツ瀬は当初からアーチを前提にした節がある。何としてもアーチにしたいという意志が見える。当時アーチダムが全国で造られていて、きっとアーチを造りたかったのでは・・・(以下、オーバーハング、洪水吐きの文献にある説明を紹介)。洪水吐きについて「この設計は上椎葉の型式を踏襲した」とあったのを見て、図書館で小躍りをした。似せたいという意志が働いているのでは。







 似せたいと言ったことは現場であるんですか。

(中村)それはない。技術屋としてはできたら違うものを造りたい。似たのは結果ではないか。よく統一がいいと言われるが、たとえば隅田川の橋梁は全部形が違う。

(鳥口)ミュージシャン的に言うとカバーしたと。

(萩原)セルフカバー、この場合は。
 もう一つ感じている「意志」があって、一ツ瀬ダムは大好きですが、天端アーチダムにしては平らで、何も飛び出たものがない、クレストゲートも上に何もなくすっきりしている。ゲートの機械室をゲートの脇のコンクリートの中に配置し、その天井は天端の柵ときっちりそろえてある。



(中村)立派ですね。

(萩原)入るためにちっさな扉がついている。出っ張らないように小さくしてある。コンジットゲートには予備ゲートが備えられているが、クレストの脇にきれいに収まるようになっていて、機械室もクレストゲートの機械室と同じところに入れてある。



(中村)見習うべきです。

(萩原)こんな細かなデザインは誰かのこだわりがあるのではないか。

 ・・・→ 全文はこちら
(平成23年8月作成)


→ ダム便覧の説明
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