7.吉田ダムの建設 |
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壺井栄の小説『二十四の瞳』、名勝寒霞渓、オリ−ブの里で有名な小豆島は、瀬戸内海では淡路島に次ぐ大きな島である。面積 153km、周囲 126km、土庄・池田・内海の3町にて小豆郡を形成している。地形は島の大部分が山地で最高峰星ケ城山(標高 816m)がそびえている。河川は全てが中小河川で、伝法川(延長 7.9km)、殿川( 4.6km)、別当川(4km)、吉田川( 3.7km)などが流れ、いずれも急峻である。気候は温暖少雨の瀬戸内式気候であって、年間降水量は1300mm程で、従来からたびたび水不足干ばつに悩まされているが、逆に台風や集中豪雨による災害に見舞われている。
このようなことから、小豆島も古くからため池の築造が盛んで、代表的な池は天和3年(1683)築造の土庄町肥土山・蛙子池である。昭和30年代以降、近代的なダムとして、内海ダム(昭和34年完成)、殿川ダム(昭和49年)、粟地ダム(昭和55年)、吉田ダム(平成9年)が完成し、現在内海ダムの再開発事業が進んでいる。
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『吉田ダム工事誌』
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吉田ダムは、吉田川水系吉田川の香川県小豆島郡内海町吉田地点に多目的ダムとして平成9年に完成した。この建設記録として香川県土庄土木事務所編・発行『吉田ダム工事誌』が刊行されている。 このダム事業の必要性について、次のように記されている。
「吉田川は星ケ城山に源を発し、内海町吉田において瀬戸内海に注ぐ流域面積 6.3km2、流路延長 5.0kmで、また森庄川は吉田川に隣接し、同町福田において瀬戸内海に注ぐ流域面積 3.5km2、流路延長 2.1kmのともに2級河川である。両河川とも下流一帯に水道用水、かんがい用水を供給する等、地域住民の生活や産業の振興に重要な役割を果している。しかしながら、両河川は急流のために出水のたびに被害が発生しており、とくに昭和49年7月の台風8号により死者15名、流出・浸水家屋 206戸、被害総額 788百万円、昭和51年9月台風17号により死者5名、流出、浸水家屋 111戸、被害総額 635百万円など毎年のように河岸の決壊、氾濫を繰り返しにより地域住民の抜本的な治水対策が強く望まれた」
なお、これらの災害については、内海町編・発行『昭和49年7月台風8号による集中豪雨災害の記録』(昭和50年)、池田町編・発行『昭和51年9月台風17号の集中豪雨による災害と復旧の記録』(昭和54年)、香川県編・発行『昭和51年台風17号の災害記録』(昭和52年)、香川大学編・発行『小豆島災害調査研究報告− '76.17 号台風による被害』(昭和52年)の書がある。
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吉田ダム
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吉田ダムは、
・洪水調節は門入ダムと同様に自然調節方式として、ダム地点における計 画高水流量 140m3/s(吉田川の計画高水流量 115m3/sと森庄川からの計画導水量25m3/sを合わせたもの)のうち75m3/sを調節し、65m3/s(最大76m3/s)を調節する。なお、導水のため森庄川に森庄分水堰を設け、トンネルの分水路によって吉田川に流下させている。 ・流水の正常な機能の維持を図る。 ・都市用水として内海町、土庄町、池田町へ日量 5,000m3の取水を行う。
という3つの目的で築造された。
ダムの諸元は、堤高74.5m、堤頂長 218m、堤体積31.7万m3、総貯水容量 236万m3、重力式コンクリートダムで、一方森庄川の分水堰は、堤高14.5m、堤頂長45.0m、分水トンネル延長は 1.7kmである。起業者は香川県、施工者は大成建設(株)・前田建設工業(株)・佐藤工業(株)共同起業体である。なお、補償については、水没家屋なし、取得面積24haとなっている。
このダムの特徴に、堤高74.5mは香川県一の高さを誇り、前述のように森庄川上流に分水堰を設置し、分水トンネルにより吉田ダムへ導水し、森庄川と吉田川と併せて洪水調節(自然調節方式)を行うことを挙げることができる。また、特筆されることは、四国では初めての省力化、省資源化、工期短縮を図ったRCD工法で施工されたことである。
吉田ダムの天端に佇むと、直下に青い瀬戸内海が見え、海原には姫路と福田港を結ぶフェリ−の優雅な姿を眺めることができる。海に映ゆるダムである。
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