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4.吉野川の水資源開発史(年表)


『吉野川百年史』

 吉野川総合開発事業を含めた吉野川のダム建設について、前述の『吉野川百年史』、水資源開発公団吉野川開発局編・発行『吉野川の水資源開発二十年のあゆみ』(昭和62年)、日本ダム協会編・発行ダム年鑑2005』(平成17年)によって、

・大正元年〜昭和20年
・昭和21年〜昭和40年
・昭和41年〜昭和63年
・平成元年〜平成16年

の4期に分けて追ってみる。


【なお表記のダムは、型式、目的、堤高総貯水容量、の順で、A:アーチダム E:アースダム G:重力式コンクリートダム HG:中空重力式コンクリートダム R:ロックフィルダム FG:フローティングゲートダム(可動堰) F:洪水調節・農地防災N:不特定用水河川維持用水 A:灌漑用水 W:水道用水 I:工業用水 P:発電用水を表す】

■大正元年〜昭和20年

大正元年 吉野川大洪水(死者81人)
  3年 大場池(間谷川)の竣工
      E A   15m  1.8万m3
  5年 沢の池(樫の川)の竣工
      E A  15m  3.4万m3
昭和2年 吉野川第1期改修工事の竣工
  6年 明谷ダム(貞谷川)の完成
      G P  19.6m  5.2万m3
  7年 別宮川を吉野川と改称
     吉野川を旧吉野川と改称
  8年 共栄塘池(山田川)の竣工
      E A   15m  2万m3
  9年 室戸台風(死者37人)
  10年 御所池(宮川内谷川)の竣工
      G A  16m  10万m3
     若宮谷ダム(若宮谷川)の完成
      G P  32.2m  9.4万m3
  11年 愛媛県、徳島県による銅山川分水協
     定の締結
  13年 内務省、河水統制事業による吉野川
     水系調査
  14年 大橋ダム(吉野川)の完成
      G P  73.5m  2403万m3
  20年 太平洋戦争終わる
     枕崎台風(徳島県内 死傷不明者
           65人)
 大正〜昭和20年期は、7基が築造され、アースダム3基、重力式コンクリートダム4基で、農業用水4基と発電用水3基を用途とする。この期は、ひんぱんに洪水が起こっており、治水ダムは建設されていないが、特筆されるのは、大橋ダムで堤高73.5m、総貯水容量2403万m3のハイダムである。

■昭和21年〜昭和40年

昭和21年 南海大地震、地盤沈下
  24年 長沢ダム(吉野川)の完成
      G P  71.5m  3190万m3
  25年 四国電力・の設立
  27年 電源開発・の設立
  28年 柳瀬ダム(銅山川)の完成
     G FAWIP 55.5m 3220万m3
     松尾川ダム(松尾川)の完成
      G P  67m  1430万m3
  29年 ジェ−ン台風(死傷者17人)
  33年 建設省四国地方建設局(高松市)に
      発足           
  34年 大森ダム(大森川)の完成
      HG P  73.2m  1912万m3
     三縄ダム(祖谷川)の完成
      G P  17m  29.9万m3
     伊勢湾台風銅山川豪雨(死傷者28人)
  36年 名頃ダム(祖谷川)の完成
      G P  37m   136.7万m3
     第2室戸台風
  37年 水資源開発公団の発足
  39年 穴内川ダム(穴内川)の完成
      HG P  66.6m  4626万m3
    宮川内ダム(宮川内谷川)の完成
      G FNA  36m  135万m3
  40年 別子ダム(銅山川)の完成
      G IP  71m  562.8万m3
     岩津での基本高水流量17,500m3/S、
     計画高水流量15,000m3/Sを決定

 昭和中期は9基のダムが築造され、発電用水6基、多目的ダム3基、型式は重力式コンクリートダム7基、中空重力式コンクリートダム2基である。特筆されるダムは銅山川分水による多目的ダム柳瀬ダムと、長沢ダム、大森ダム、穴内川ダムのハイダムといえる。9基のダムのうち8基が発電用水を用途としており、戦後復興に基づく電力需要に対応するダム造りであったことがわかる。なお、平均堤高55m、平均総貯水容量1693.6万m3である。

■昭和41年〜昭和63年

昭和41年 吉野川水系水資源開発基本計画の閣
     議決定
     吉野川、水資源開発促進法に基づき
     早明浦ダム建設事業実施方針の指示、
     認可される
     水資源開発水系に指定
  43年 水資源開発基本計画の一部変更
     池田ダム、香川用水、吉野川北岸用水事
     業の追加
     台風10号 岩津流量8860m3/S
  45年 水資源開発基本計画の一部変更
     新宮ダム、旧吉野川河口堰事業の追加
     台風10号 岩津流量12,820m3/S
  46年 水資源開発基本計画の一部変更
     高知分水事業の追加
  47年 今切川河口堰(今切川)の完成
     豪雨、高知県繁藤崖崩れ(死者60人)
  49年 台風18号岩津流量14,470m3/S
  50年 早明浦ダム(吉野川)の完成
      G  FNAWIP
           106m  31,600万m3
     池田ダム(吉野川)の完成
      G  FNAWIP
           24m  1265万m3
     香川用水事業の竣工
     台風5号 岩津流量10,480m3/S
     台風6号 岩津流量13,780m3/S
  51年 旧吉野川河口堰(旧吉野川)の完成
      FG FWI  7.3m  493万m3
     新宮ダム(銅山川)の完成
      G FAIP  42m 1300万m3

     台風17号 吉野川上流災害 岩津流
      量11,450m3/S
     吉野川水系濁水調査委員会の発足
  53年 高知分水事業の竣工
     早明浦ダム減勢工改良工事完成
  57年 稲村ダム(瀬戸川)の完成
      R  P  88m   580万m3
     吉野川水系工事実施基本計画の改定
      岩津地点基本高水流量 24000m3/S、
      計画高水流量 18000m3/S、
      t=1/150年
      このとき、第十堰改修計画が取り
     あげられる
  58年 水資源開発基本計画の一部変更
      富郷ダム事業、香川用水等有効利
     用の追加
  62年 柳瀬ダム低水放流ゲート改築完成

 昭和後期は、5基のダムが築造された。吉野川総合開発事業の早明浦ダム、池田ダム、新宮ダム、旧吉野川河口堰が各々竣工し、治水を基軸として利水に伴う長年の夢であった四国四県に対する用水確保と供給がなされるようになった。まさにこれらの吉野川総合開発事業によって四国は一つになったといえる。なお、5基ダムの平均堤高53.5m、平均総貯水容量7047.6万m3である。

■平成元年〜平成16年

平成2年 吉野川北岸用水事業の竣工
  5年 台風5号池田ダム流入量最大を記録
  6年 夏子ダム(曽江谷川)の完成
      G A  43.8m  160万m3
     吉野川水系渇水
  8年 銅山川大渇水
  11年 早明浦ダム選択取水設備改造
  12年 富郷ダム(銅山川)の完成
      G WIP  106m 5200万m3
     徳島市で第十堰改修計画の住民投票
     では反対が占める
  16年 吉野川洪水おこる

 平成期は、2基のダムが築造され、吉野川総合開発事業における最後の富郷ダムが竣工し、この事業が完了した。

 以上、大正期から平成期まで吉野川水系におけるダム建設は23基に及ぶが、発電用水の機能をもったダムは16基で70%を占める。
堤高のベスト3は、
   ・早明浦ダム  106m
   ・富郷ダム   106m
   ・稲村ダム   88m
 一方、総貯水容量のベスト3は、
   ・早明浦ダム 31600万m3
   ・富郷ダム   5200万m3
   ・穴内川ダム  4620万m3
となっている。

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