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12.有帆川−今富ダムの建設


『今富ダム建設事業資料集』

 有帆川は、美弥市伊佐の涼木峠南麓を水源とし、浅地川、小野川、今富川、柳川を併合し、小野田市高泊で周防灘(瀬戸内海)に注ぐ。流路延長31.8kmの二級河川である。一方今富川は厚狭郡楠町西吉野の川崎を上流端とし、有帆川に合流する流路延長 6.8km、流域面積 8.6km2である。

 今富ダムは、山口県厚狭郡楠町大字今富、大字奥万倉地先に昭和44年の予備調査を経て昭和54年に完成した。このダムの建設記録について、山口県編・発行『今富ダム建設事業資料集』(昭和54年)の書がある。




 このダムの諸元は堤高35.5m、堤頂長 219m、聡貯水容量 170万m3、型式重力式コンクリートダムで、その目的は、ダム地点の計画洪水量 132m3/sのうち 116m3/sを自然調節(穴あき)方式で行い、有帆川流域の楠町、小野田市の一帯の人命と財産を守る。不特定用水として 163.2haの耕地にかんがい用水を補給し干害を防ぐ役割を担っている。起業者は山口県、施工者は奥村組(株)、洋林建設(株)共同企業体、事業費41億円である。なお、補償関係は、移転家屋6戸、用地取得面積27.1haとなっている。


13.阿武川−阿武川ダムの建設


『阿武川総合開発事業史』

 阿武川は、水源を権現山(標高 653m)に発し、途中幾多の支川を合わせ、阿武郡阿東町を貫流し、萩市に至り、派川橋本川を分かち日本海へ流入する。流路延長82.2km、流域面積 694.8kmの二級河川である。山林部の林相は、戦中、戦後の乱伐によって荒廃したため連年出水時には多大な被害を受けてきた。

 阿武川ダムは、阿武川総合開発事業の一環として、阿武郡川上村(現・萩市川上)地先に昭和50年完成した。このダム建設の記録について、山口県編・発行『阿武川総合開発事業史』(昭和51年)の書がある。

 このダムの諸元は、堤高95m、堤頂長 286m、総貯水容量15,350万m3、型式は重力アーチ式コンクリートダムで、その目的は、ダム地点の最大洪水量 3,130m3/s( 100年確率雨量)を 1,930m3/sをカットして最大 1,200m3/sを放流することによって、下流の一の井手堰地点で計画洪水量 2,000m3/sに洪水調節する。下流の相原調整池で調整放流する事により一の井手堰地点でかんがい期5.11m3/s、非かんがい期4.85m3/sの不特定用水を確保する。さらに、ダム直下に設けられた新阿武川発電所において最大30m3/sの使用水量で、ピーク発電を行い1年間に約8000万kwh の発電を行う。



 起業者は山口県、施工者は前田建設工業(株)、事業費1471億円である。なお、補償関係は、移転家屋 204戸、用地取得面積 435.1haとなっている。

 この阿武川ダムの完成によって、萩市の地元の人たちに、洪水から身が守られ、平穏な暮らしがもたらされた。ところが、もう一つ地元に「なごみ」をもたらしたのが「温泉」だった。ダム建設の際、雪が積もらぬ場所を掘ったところ湯が湧き出した。「阿武川温泉」の誕生である。山口県の温泉は、湯田温泉の白狐伝説、俵山温泉の白猿伝説、そして、阿武川温泉は平成の温泉伝説ともいえる。泉質はアルカリ性単純温泉、無職透明、微硫化水素臭、泉温34.7℃、水素イオン濃度PH10.6、効能は筋肉痛、関節痛、五十肩、うちみなどである。「ダム建設をきっかけに発見された温泉」は珍しい。(山口県土木建設部河川課編・発行『山口の川・阿武川』( 平成16年) )

  万緑に染りてダムは凪て居り
              (手柴登美)

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