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4.由良川−大野ダムの建設



 由良川は、その源を京都、滋賀、福井の府県堺三国岳(標高 959m)に発し、京都府下北桑田郡の山間部を西流しながら、高屋川、上林川などを合わせ、さらに福知山市において、土師川を合流し、北に流れを転じ、大江町、舞鶴市、宮津市に沿って流れ日本海に注ぐ。
 その流域は、京都府、兵庫県におよび、流域面積 1,880km2(京都府内 1,700km2、兵庫県内 180km2)、幹線流路延長 135kmで、京都府下の約1/4の流域面積を占めている。

 由良川流域は、綾部、福知山両市周辺の東西20kmが盆地として開けて、殆どが山地であり、その比率は、山地89%、平地11%の代表的な山地河川で、福知山から海に向かっては、両岸山が狭まり、洪水がおこりやすい。戦前、戦後通じ水害に見舞われた。

 流域全般の気象概況については、裏日本型気候の特色を示しており、年降水量は中下流および土師川流域は 1,400〜 2,000mm、上林川および上流域は 1,900〜 2,700mm程度である。

 また、流域全般の地質は秩父古生層帯に属し、本川上流域は顕著な河岸段丘をなし、大野ダムはこの峡谷を利用する形で建設された。
 昭和28年9月25日紀伊半島に上陸した台風13号は、由良川の支川上林川上流に総雨量 500mmの記録的大雨を降らせ、下流福知山市街地に大きな被害を及ぼした。この水害が大野ダムの洪水調節の計画となったものである。昭和32年大野ダムは、ダム本体に着手し、京都府北桑田郡美山町字樫原地点に昭和36年完成した。
 

『大野ダム建設工事の記録−建設事業の概要と関係資料総目録』

 このダムの建設記録について、大野ダム建設工事誌編集委員会編『大野ダム建設工事の記録−建設事業の概要と関係資料総目録』(近畿地方建設局・昭和62年)が、大野ダム工事事務所開所30周年を記念として出版された。

 ダムの目的は、最大流入量 2,400m3/sを 1,400m3/sに調節し、下流の福知山地点の流量約 6,500m3/sから 5,600m3/sに低減させることである。洪水調節のしくみは、
・流入量 500m3/sに達した後は、ゲート開度を固定する。
・放流量が流入量の58%に達した後は、流入量58%を放流する。
・流入量がピークに達した後は、流入量が放流量に等しくなるまで定量放流を行う。即ち一定率一定量方式となっいる。
 

 大野ダムでは、流入量 500m3/s以上を洪水と呼び、洪水調節を行ったときは、その効果を発表することにしている。平成16年10月21日台風23号では、流域平均雨量 292.6mm、流入量 1,186m3/s、放流量 723m3/sの洪水調節を行った。

 もう一つのダムの目的は、大野発電所によって最大出力毎時11,000KWの発電を行い、京都府の北部地域に電力を供給している。

 ダムの諸元は、堤高61.4m、堤頂長 305,0m、放流設備クレストゲート(最大 1,500m3/s3門)、放流管ゲート(最大 900m3/s3門)、総貯水容量 2,855万m3で、型式重力式コンクリートダムである。起業者は建設省、(昭和37年京都府に管理移管)、施工者は大成建設(株)、事業費は29.3億円である。
 なお、補償関係は、移転世帯約65世帯、用地取得面積約 173.1ha、公共補償として、付替道路と7橋の架替、7橋が虹の7色に塗り分けられ、その当時話題を呼んだ。

 大野ダムの建設特徴について、川崎精一第二代大野ダム工事事務所長はこう述べている。「大野ダムは、戦後ダム工事初期の高炉セメント使用の貴重な実施例であり、しかも堤体内に大口径高圧テンターゲートを内蔵した日本最初の重力式ダムである。」
 このように大野ダムの建設は、京都府における初の近代的なダムであった。
 

『大野ダム誌−由良川』

 一方、山内忠一美山町長を中心とする大野ダム誌編さん委員会編・発行『大野ダム誌−由良川』(昭和54年)は、大野ダム事業の経過について、詳細に記録し、後世に伝える責務あるとして刊行された。
 その内容は、上由良川の生活史(古代、中世、近世、明治、戦前)、戦前の由良川治水(由良川治水慣行、戦時中の大野ダム計画)、大野ダム建設計画と反対闘争(大野ダム被害者同盟、昭和28年災害と建設促進)、補償交渉(一般補償公共補償、特殊補償)、大野ダム建設工事、地域振興事業(営農対策−酪農、茶)、戦後の由良川改修(建設省直轄河川改修、中小河川改修)、大野ダムをめぐる諸問題(治水効果、経済効果)、ダムの残したもの(過疎、生活再建とのたたかい)、資料(大野ダム建設座談会、子供の作文)からなっている。
 

 前書の『大野ダム建設工事の記録』は、ダムを造る側から著され、ダムの計画、補償、設計、施工、資料、図面の構成で、ダム技術及び工事を中心に編さんされているが、この『大野ダム誌』は、ダムを造られる側の立場から捉えた書である。上由良川の筏流しや美味しい大野鮎の生活について描き出し、明治29年、40年、昭和28年の大洪水に悩まされた苦難の歴史を辿る。昭和18年河水統制事業における大野ダムの建設は、戦争によって中止、戦後大野ダム建設がおこり、水没者たちのダム反対闘争、そして建設促進に代わり、生活再建に係る地域振興事業が図られ、昭和36年完成した。

 この書によるとダム建設に係わる京都府、美山町の行政側の協力は欠かせなかったことがよく理解できる。2書を合わせて繙くと、大野ダムの建設は後世に伝わっていくものの、昭和36年完成以来40数年を経過した今日、京都府における初の本格的なダム建設であった大野ダムに関する社会的、経済的、文化的な影響について、検証、分析する必要があると思われる。治水、利水、環境についても当然含まれる。

 なお、由良川の水利使用許可(平成15年3月31日現在)は、発電6件12.587m3/s(常時)、上水道18件 1.3m3/s(給水人口15.5万人)、鉱工業用水3件 0.544m3/s、かんがい用水 152件 6.1m3/s(かんがい面積 1,288ha)、その他5件0.07m3/sとなっている。(国土開発調査会編・発行『河川便覧2004』( 平成16年) )

  水没のさだめは知らず山眠る
              石田修岳

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