3.石川県のダム開発史
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『治水事業のあゆみ』
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石川県のダム開発史について、北陸地方建設局金沢工事事務所編・発行『治水事業のあゆみ』(北陸建設弘済会・昭和60年)、前書の『手取川大水害復興50年誌』、日本ダム協会編・発行『ダム年鑑 '05』(平成17年)、「各ダム事業パンフレット」等により、
・ 明治・大正期(明治元年〜大正15年) ・ 昭和初期(昭和元年〜20年) ・ 昭和中期(昭和21年〜40年) ・ 昭和後期(昭和41年〜63年) ・ 平成期 (平成元年〜17年)
の5期に分けて追ってみる。
【なお、表記のダムは、型式、目的、堤高、総貯水容量の順で、A:アーチダム E:アースダム G:重力式コンクリートダム R:ロックフィルダム F:洪水調節・農地防災 N:不特定用水・河川維持用水 A:かんがい用水 W:水道用水 I:工業用水P:発電用水を表す】
【明治・大正期(明治元年〜大正15年)】
明治10年 手取川の水害(堤防決壊) 18年 新堤(菱根川)の竣工 E A 18m 18万m3 21年 手取川の水害(死者12人) 27年 日清戦争(〜28年) 29年 手取川大水害(死者40人) 31年 北陸本線 小松〜金沢開通 35年 阿手発電所の始電 36年 手取川七ケ用水合口工事完成 37年 日露戦争(〜38年) 籾川谷ダム(大坪川)の完成 E A 22m 13.8万m3
毎年のように手取川の水害がおこり、流域住民は難儀している。 明治期はアース式2基が建設され、かんがい用水を目的としている。大正期にはダムの築造がみられない。 なお、石川県のため池は、3148ケ所(平成元年現在)となっている。
【昭和初期(昭和元年〜20年)】
昭和元年 吉野谷ダム(手取川)の完成 G P 24.4m − 3年 甚之助谷第7号砂防ダム完成 柳谷第7号砂防ダム完成 5年 甚之助谷第9号砂防ダム完成 8年 「手取川改修期成同盟会」の設立 豪雨のため加賀一帯被害 9年 手取川大水害(死者97人) 10年 中宮ダム(手取川)の完成 G P 16.6m − 13年 尾口第1ダム(手取川)の完成 G P 24.4m 1.6万m3 15年 大雪のため被害(死者41人) 17年 神子原ダム(羽昨川)の完成 E A 15.7m 47.8万m3 20年 日中、太平洋戦争終わる
昭和初期は、戦争の時代であったが、4基が建設され重力式コンクリートダム3基(発電用)、アース式1基(かんがい用)である。各々小規模のダムであった。前述してきたように昭和9年手取川流域に大水害が起こり、このときの出水記録4500m3/s(鶴来地点)が戦後大日川ダム、手取川ダム建設における治水計画の基となった。
【昭和中期(昭和21年〜40年)】
昭和20年 阿久根台風、能登を通過 23年 福井地震おこる 24年 「手取川流域開発期成同盟会」の設 立 25年 ジェーン台風被害(死傷者25人) 27年 豪雨のため金沢、羽昨一帯被害 28年 豪雨のため金沢、河北地方被害 30年 新宮ダム(羽昨川)の完成 E A 25.9m 42.4万m3 手取川流域渇水おこる 31年 奥能登地方豪雨被害(死傷者18人) 32年 子浦川防災ダム(羽昨川)の完成 E FA 26.5m 66.9万m3 34年 八ケ川8月集中豪雨(死者16人) 35年 池田勇人内閣 国民所得倍増計画 を決定 36年 犀川総合開発事業開始 38年 若山ダム(若山川)の完成 E A 25.4m 48.6万m3 豪雪の被害(死傷者 175人) 39年 我谷ダム(大聖寺川)の完成 G FNP 56.5m 1010万m3 加賀と能登南部に豪雨被害(死傷者 175人) 河北潟干拓事業着工 40年 犀川ダム(犀川)の完成 G FNWIP 72m 1430万m3 上寺津ダム(犀川)の完成 G P 19.5m 12.9万m3
昭和中期は6基が建設され、アース式ダム3基、重力式コンクリートダム3基で、用途は、かんがい用2基、発電用1基、多目的ダム3基である。特筆されるダムは治水を含む近代的な多目的ダム我谷ダム、犀川ダムであって、各々堤高50m及び総貯水容量1000万m3を越えた。
【昭和後期(昭和41年〜63年)】
昭和41年 手取川一級河川の指定 7月能登地方に集中豪雨(穴水町 600余戸浸水) 42年 大日川ダム(手取川)の完成 G FAP 59.9m 2720万m3 金沢市内電車廃止(48年の歴史閉じ る) 45年 山口ダム(九里川尻川)の完成 R FA 27m 39.2万m3 河北潟干拓事業干陸式 石川県の人口 100万人を越える 48年 多根ダム(熊渕川)の完成 R A 30m 133.4万m3 49年 内川ダム(犀川)の完成 G FNWP 81m 950万m3 53年 赤瀬ダム(梯川)の完成 G FN 38m 600万m3 手取川第3ダム(手取川)の完成 G P 50m 424万m3 54年 宮田ダム(諸橋川)完成 E F 22.1m 31万m3 手取川第2ダム(手取川)の完成 G P 37.5m 170万m3 55年 手取川ダム(手取川)の完成 R FWIP 153m 23100万m3 56年 五六豪雪被害(死傷者54人) 59年 岩坂ダム(金川)の完成 E FA 31.7m 85万m3 新内川ダム(犀川)の完成 G NP 18.9m 6.1万m3 60年 河北潟干拓事業完工 61年 諸橋ダム(諸橋川)の完成 R FA 35.2m 172.5万m3 福光ダム(松波川)の完成 R A 36.5m 41.9万m3
昭和後期は13基が建設され、アース式ダム2基、重力式コンクリートダム6基、ロックフィルダム5基で、用途は農地防災1基、かんがい用2基、水力発電用2基、治水を含む多目的ダム8基である。特筆されるダムは、大日川ダム、手取川ダムの多目的ハイダムである。
【平成期(平成元年〜17年)】
平成3年 寺家ダム(清治川)の完成 R A 35.4m 62万m3 4年 大坪川ダム(松戸川)の完成 R I 20.3m 49万m3 5年 志賀原子力発電所発電開始 小屋ダム(鵜飼川)の完成 R FNW 56.5m 305万m3 7年 八ケ川ダム(八ケ川)の完成 G FNW 52m 313万m3 13年 医王ダム(大野川)の完成 R FA 58.8m 318.8万m3 17年 九谷ダム(大聖寺川)の完成 G FW 75.8m 2490万m3
平成期は6基建設され、重力式コンクリートダム2基、ロックフィルダム4基で、用途としてかんがい用1基、工業用水1基、治水を含む多目的ダム4基となっている。特筆されるダムは、治水と水道用水を目的とした九谷ダムの完成である。
以上、明治以降における堤高15m以上の石川県のダム建設は31基に及ぶが、堤高ベスト3は、 ・手取川ダム 153.0m ・内川ダム 81.0m ・九谷ダム 75.8m であり、 一方総貯水容量ベスト3は、 ・手取川ダム 23100万・ ・大日川ダム 2720万・ ・九谷ダム 2490万・ となっている。
続いて、戦後に建設された子浦川防災ダム(昭和32年完成)、手取川ダム(55年)、小屋ダム(平成5年)、八ケ川ダム(7年)、医王ダム(13年)について順に追ってみる。
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