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7.目屋ダム(岩木川水系岩木川)の建設

 岩木川は、その源を青森、秋田両県境の雁森岳(標高987m)に発し、平川、浪岡川小田川など多数支川を合わせ、津軽平野を南北に貫流し、十三湖を経て日本海に注ぐ流域面積2540km2、流路延長101.6kmの一級河川である。

 津軽平野は青森県内随一の穀倉地帯で、また全国的に知られている青森りんごの産地であり、岩木川はその貴重な水源となっている。

 岩木川の河床勾配は、わが国の他の河川に比べて上流部では急なため、流出が速く短時間に水が集中して流れ、勾配が緩やかになる下流部で氾濫する危険な河川である。河川改修は藩政時代からの懸案となっていた。このため、大正5年10月1日河川法河川に編入され、大正7年より国直轄で河川改修を行ってきたが、昭和10年8月21日〜23日にかけて、大出水により甚大な被害を受け、計画洪水流量が大幅に改定され、既改修及び未改修の全面的増強が必要となり、上流部に洪水調節用の目屋ダムは、昭和35年3月に完成し、同年4月青森県に管理業務移管されている。岩木川総合開発事業の始まりである。


(撮影:ふかちゃん)
 このダム建設記録につい、建設省東北地方建設局目屋ダム工事事務所編・発行『目屋ダム工事報告書』(昭和36年)がある。目屋ダムは、右岸中津軽郡西目屋村居森平、左岸同村藤川地先に位置し、次の3つの目的を持っている。


『目屋ダム工事報告書』

洪水調節
 洪水量500m3/Sのうち、450m3/Sを洪水調節し、河口における計画洪水流量2500m3/Sを2100m3/Sに減少する。目屋ダムは昭和35年3月完成以来、100回以上の洪水の減災を図ってきた。平成9年5月8日の融雪出水の場合、ダム下流約20km地点の上岩木橋観測所で最大水位43.71mを観測。もしダムがなければ水位1.09mも上昇し、災害を及ぼしたであろう。

・かんがい用水の補給
 7月1日〜9月30日までの間は、水位170.5mから160mの間の、最大容量900万m3を、またそれ以外の期間は水位180mから160mの間の最大1200万m3を岩木川第一発電所を通して流し、かんがい用水の補給を行う。
・発電
 ダム下流約4kmにある青森県公営企業局岩木川発電所において、最大出力11000KWの発電を行う。 目屋ダムの諸元は、堤高58m、堤頂長170m、堤体積11.8万m3、有効貯水容量3300万m3、総貯水容量3900万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は建設省(国土交通省)、施工者は間組、事業費は23億円を要した。なお、主なる補償関係は、移転家屋89戸、用地取得面積約143ha、岩木川漁業補償となっている。漁業補償の魚種はヤマメ、マス、アユ、カジカ、ウグイの五種であった。

 目屋ダムの技術的な特徴について、前掲書『東北のダム五十年史』で、次のように挙げられており、以後のダム建設に影響を及ぼした。

原石山採取の使用
 河川の堆積骨材では所要の6〜7割程度しか確保できず、七ツ滝地点で黒雲母石英閃緑岩の露頭を発見し、ここを原石山とした。以後骨材を原石山採取の使用の先鞭をつけるこになった。

右岸コンクリート遮水壁の築造
 ダムサイト右岸部には洪積段丘砂礫層等が厚く分布し、ダム基盤が低いため、この部分に対する止水処理が必要となり、コンクリート遮水壁の施行がなされた。この工法はその後の皆瀬ダム、四十四田ダムの建設のコンクリート遮水壁に応用されている。

・堤内仮排水路閉塞工事のプレパクト工法採用
 閉塞区間長さ42.2mを5区間に分け、上流部第4区間の38mをプレパクト工法により施工。この工法は雄物川における皆瀬ダム(昭和38年完成)、名取川における釜房ダム(昭和45年完成)などの工事にも採用、プレパクト工法の採用の基礎となった。

・水叩きの特殊設計
 洪水吐きの水叩きについて、シル型を採用するにあたっては、実験を重ねて決定している。

 なお、ダムには吊り橋は珍しいが、砂子瀬吊り橋が施工されており、『工事誌』に詳細な「砂子瀬吊橋応力計算書」の記載がある。

 前述のように目屋ダムの移転家屋は89戸であり、内訳は川原平地区3戸、砂子瀬地区86戸で弘前市とその周辺に移転した。その水没地状況については、十和田岩木川総合開発協議会編・発行『目屋ダム建設記念砂子瀬部落誌』(昭和34年)の書が刊行されている。


『目屋ダム建設記念砂子瀬部落誌』

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