[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


◇ 9. 徳山ダム(揖斐川)建設

 青いタオルを首に巻き「徳山村の記録を残さないといかん」と言いながら、30年近くにわたって、笑顔でシャツターを押し続けた増山たづ子さんが心筋梗塞で亡くなった。平成18年3月7日のことで、88歳であった。晩年、ガンと闘いながらも、ダムに沈みゆくふるさとの姿を撮り続けた。10万枚を超える写真を収めたアルバムに埋まる岐阜市の移転先の自宅で、徳山ダムの完成を見ることなく、静かに息をひきとった。

 楠山忠之著『おばあちゃん泣いて笑ってシャッターをきる』 (ポプラ社・平成7年)の表紙にはコニカを持ち、白髪姿の首にタオルを巻いた増山たづ子さんが写し出されている。

 増山たづ子さんは岐阜県揖斐郡徳山村(現・揖斐川町)開田・鶴見(右岸)、同徳山・東杉原(左岸)に、平成20年に完成した徳山ダムの水没者の一人である。


『おばあちゃん泣いて笑ってシャッターをきる』
 徳山ダムは、独立行政法人水資源機構によって、木曽三川揖斐川(幹川流路延長121q)の上流、伊勢湾河口から90q地点に建設された。ダムの諸元をみてみると、堤高161m、堤頂長427.1m、堤頂標高406m、堤体積1,370万m3、有効貯水容量約3億8,040万m3、総貯水容量約6億6,000万m3、型式は中央遮水壁ロックフィルダムである。事業費は3,500億円を要し、本体施工者は熊谷組・大成建設・青木建設共同企業体である。

 ダムは4つの目的をもつた多目的ダムである。

@ 洪水調節
 徳山ダムは、ダム地点の計画高水計画1,920m3/s全量の洪水調節を行い、横山ダムと合わせてダム下流域の洪水被害の軽減を図る。

A 流水の正常な機能の維持
 徳山ダムは、河川の流量が不足しているときにダムから貯水量を補給することによって、沿川の既得用水が安定して取水できようにするとともに、河川環境の維持・保全を図る。また、徳山ダムの下流にある横山ダムの洪水調節機能を強化するため、横山ダムの灌漑用途を徳山ダムに振り替え、沿川の灌漑用水の補給を行う。 また、渇水に強い木曽川水系とするため、異常渇水時に緊急水を木曽三川に補給できるようにする。

B 新規利水
 徳山ダムの貯留水を利用して新たに、水道用水として、岐阜県1.2m3/s、愛知県2.3m3/s、名古屋市1.0m3/s、計最大4.5m3/sを取水できるようにする。また、工業用水として、岐阜県1.4m3/s、名古屋市0.7m3/s、計最大2.1m3を取水できるようにする。新規利水は合計6.6m3/sとなる。

C 発電
 徳山ダム直下流の徳山発電所において、最大出力15万3,000kW発電(平成26年度運転開始予定)を行う。





 次に徳山ダムの事業経緯について、徳山村編・発行『徳山ダムの記録』(平成2年)及び徳山ダムのパンフレットで追ってみた。

昭和32年 揖斐川上流域を電源開発促進法に基づく調査区域に指定
  46年 実施計画調査開始
  51年 事業実施計画の認可
     水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に事業承継
  52年 水源地域対策特別措置法に基づく指定ダムに指定
  53年 一般補償基準の提示
  55年 付替道路工事に着手
  58年 一般補償基準妥結調印
  61年 公共補償協定の締結
  62年 徳山村が藤橋村に廃置分合(徳山村閉村)


『徳山ダムの記録』
平成元年 466世帯の移転契約の完了
  5年 土捨場、場内工事用道路等に着手
  7年 仮排水路トンネルの完成
     徳山建設事業審議委員会の設置
  9年 徳山建設事業審議委員会の意見(早期完成について)発表
  10年 土地収用法に基づく事業認定告示
  11年 「徳山ダム周辺の自然環境」の公表、上流仮締切工事に着手、転流
  12年 徳山ダム建設工事起工式
     付替一般国道417号(徳山ダム区間)開通式
     「徳山ダム周辺の希少猛禽類とその保全」の公表
  14年 洪水吐きコンクリート打設開始、ロック材の本格盛立開始、コア・フィルタ材盛立開始
  17年 揖斐川町発足(揖斐川町、谷汲村、春日村、久瀬村、藤橋村、坂内村が合併)、
     「徳山ダム上流域の公有地化事業に関する基本協定書」の締結、徳山ダム堤体盛立完了
  18年 付替道路(徳山バイパス)全線開通、徳山ダム試験湛水開始、「徳山ダムにおける環境の保全」の公表
  19年 「揖斐川水源地域ビジョン」策定
  20年 徳山ダム管理所発足(4月)
     試験湛水完了(5月)
     徳山ダム竣功式(10月)

 徳山ダムは昭和46年実施計画調査の開始以来、37年を経て、平成20年10月13日に竣功式を迎えた。
 徳山ダムの事業経過にみられるように、徳山村、全村民1,500名、8地区466世帯が移転せざるをえなかった。その内訳は、下開田地区46世帯、上開田地区47世帯、徳山地区147世帯、戸入地区62世帯、門入地区34世帯、山手地区40世帯、櫨原地区59世帯、塚地区31世帯である。平成元年3月466世帯の移転契約が完了。移転先は本巣市などへ集団移転331世帯、岐阜市などへ個人移転135世帯となっている。なお、土地取得面積1,804.17haである。

 前述した増山たづ子著『ふるさとの転居通知』(情報センター出版局・昭和60年)には、〔個人補償の袋をもらって中身をみずに仏壇に備えて泣いた「本当に申し訳ありません。ご先祖様、イラ(私)にはどうすることもできなんで」と涙が流れてとまらなかった。〕と記している。増山たづ子さんが撮ったふるさと徳山村は、いまでは湖底に沈んだが、影書房から増山たづ子写真集『ありがとう徳山村』(昭和62年)、『徳山村写真全記録』(平成9年)が刊行されており、故郷徳山は永遠に残る。全村移転された方々の懐旧の場、揖斐川上下流域住民の交流の場として「徳山会館」が会館。さらに日本一のダムであることから、水と森に感謝し、学び、やすらぐ場の活用する拠点として「ふじはし星の家」、「水と森の学習館」がそれぞれオープンした。

『ふるさとの転居通知』

『ありがとう徳山村』

『徳山村写真全記録』
 完成した徳山ダムの洪水調節は、平成20年9月2日〜3日の西濃集中豪雨において、大垣市万石地点(河口から40.6q)で約1.2m、養老町今尾地点(河口から27.0q)で約0.7m水位低下を及ぼしたと試算されており、その効果を発揮した。

 なお、徳山ダムの利水については、ダム直下における徳山発電所の建設、さらに、西平ダム付近から導水する木曽川水系連絡導水路事業が始まった。

 私は平成20年10月13日徳山ダムの竣功式に出席した。午前10時式典は秋晴れのなか、揖斐川町上南方揖斐川アリーナで挙行され、金子一義国土交通大臣をはじめ、ダム建設により長年住み慣れた故郷を離れた移転者、ダム建設に尽力された関係者が出席し、おごそかに行われた。式典は唱歌「ふるさと」で始まり、「ふるさと」の合唱で終わった。式典終了後、揖斐川町開田のダムサイトへ移動。12時30分徳山ダムの完成を見ることなく、亡くなられた方々を追悼する献花式が行われ、ダムサイトの献花台は白い菊で埋まった。ダム湖は満々と水を貯め、静かに陽に輝いていた。

 徳山ダムの誕生によって、ダムのランキングが変わった。総貯水容量6億6,000万m3では、奥只見ダム6億100万m3を抜いて日本一となり、有効貯水容量3億8,040万m3では、奥只見ダムの4億5,800万m3に次いで2位、高さ161mでは、黒部ダムの186m、高瀬ダムの176mに続き第3位となった。


[前ページ] [次ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]