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八田與一のアニメ、「パッテンライ!」
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中野: それでは、最新アニメ映画の「パッテンライ」について伺っていこうと思いますが、始まりからお聞かせ下さい。
緒方: 虫プロダクションとは絵本のビデオ化・三本と、この「パッテンライ!」を作りましたが、実はこの「パッテンライ」の前にもう一本企画した映画が「明日をつくった男」という作品です。琵琶湖疏水を完成させた田辺朔郎の物語です。
中野: 作家の田村喜子さんの「京都インクライン物語」が原作というものでしょうか?
緒方: そうです。製作の虫プロダクションは「私たちの暮らしと土木シリーズ」で、初めてアニメと実写という手法を用いましたが、この「明日をつくった男」も実写とアニメを融合して作りました。ただ、エンターテインメント色を強めて、鶴見信吾さんなど著名な役者さんを使ったり、監督もテレビの演出家に頼みました。土木の題材を娯楽色のある親しみやすく描く試みでした。2003年に世界水フォーラム参加作品ということで封切りました。一連の絵本の映画化でアニメと実写という手法を使ったのですが、そのうち絵本の第1巻を元にした「水と戦った戦国の武将たち」が土木学会の映画コンクールの優秀賞になり、それからこの「明日を作った男」が最優秀賞となりました。その流れの延長に今度は長編アニメーションの「パッテンライ!南の島の水ものがたり」があるという訳です。
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「パッテンライ」のパンフレット |
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中野: そうですか。絵本の第5巻がそのままアニメになったのかと思いましたが。
緒方: 自分の中では絵本第5巻で9年前に取材した時から、やっぱり八田與一は全編アニメーションで子どもたちにもわかりやすい形で描きたいという気持ちがありました。
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60年にわたり地元の人が八田の墓前祭
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中野: 台湾まで取材に行かれて、想像以上に印象的だったのですね。
緒方: ある意味理想的な、代表的な土木技術者像というのを示したかったので、とくに現在の人々の暮らしに、強くつながっている八田與一を選んだのですが、やはり絵本の取材に行った時の印象があまりにも強烈でした。たとえば、60年以上にもわたって毎年、地域の人たちが八田與一のお墓参りをしてくれていることをもっと日本の人に知らせたいという気持ちになりました。そして、最初に案内してくれた嘉南農田水利会の古老に尋ねました。「なぜ、日本統治時代の日本人技師にこれほどしてくれるのですか?」。すると古老は、怒ったように言いました。「なぜ? 八田技師によって私たちが長い間苦しんできた三重苦、洪水、干ばつ、塩害を取りのぞいてくれただけでなく、土木事業によって暮らしを豊かに変えてくれた恩に感謝するのは当たり前のことです」。
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烏山頭ダム |
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現地にある八田與一の墓と銅像 |
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古老からは、そういうことを知っている台湾の人もだんだん少なくなってきていて、特に台湾の若い人たちが何事につけて感謝の気持ちをなくしつつあることを聞ききました。そして、八田技師のこと、当時のことを知っている人も少なくなっていることを知って、映像によって残したいと思ったのです。それは八田與一が示した土木技術者のあり方を描いて社会に提示したい気持ちにも通じていました。それは、ダムを造って終わるのではなく、土木事業が完成した後にも、農民のために「三年輪作給水法」による道筋までケアしたことなど、八田技師の恩師・廣井勇が導いた「土木事業というのは民衆のための福祉である」という薫陶を実践したことにもつながっていることを感じました。 こうしたことを教えてくれた古老こそ、映画で台湾少年のモデルとなった徐欣忠さんです。
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だんだんと当時を知る人が減ってきた
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中野: ただダムを造るというだけでなく、その地域の人たちの暮らしに寄与するということ、心のつながりというものがあったからこそ、今でも慕われているのだと思います。土木は造るだけじゃないというのは、本当に教えられますね。取材では、台湾のほか金沢にも行かれたそうですが大変だったことはありますか?
緒方: 今でこそ、八田與一は郷土の偉人として金沢で有名になりましたが、それはここ数年のことです。 始まりは、市民一人の熱意でした。現在「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」代表を務めておられる中川外司(とし)さんです。中川さんは、昭和60年、台湾で毎年の5月8日、郷里の土木技術者が地域の人たちから慰霊されていることを知って驚き、これは自分たち金沢の人間がそのことに報いなくてはならないと行動を起こします。地域の有志を募って、墓前祭に出向くだけでなく、八田夫妻の顕彰、石川県と台湾・嘉南との友好活動などを持続する中で、ようやく地元から認知されていくわけです。そして、石川県、金沢市、土地改良区などを巻き込んで台湾との地道な草の根交流がはじまります。そうした途中で私は中川さんと出会い、多くの関係者を紹介されて訪ねて歩き、そのおかげで「土木の絵本」で八田與一を取りあげました。
中川さんは、その絵本を教材として小・中学校への出前講義を始めました。金沢ふるさと偉人館では、八田與一を土木偉人として展示しました。土木技術者が偉人となった希有な例でしょう。金沢ふるさと偉人館はさらに、館長さんみずから脚本を書かれて地元発の演劇「台湾の大地を潤した男 八田與一の生涯」が石川県で上演されました。連動して、石川で七ヶ用水を完成させた土木の先人・枝権兵衛を題材とした子ども歌舞伎上演が地元大学から起こります。そうした潮流は地元マスコミを動かすに十分でした。「パッテンライ!」企画に北國新聞社が参画を決定するや、県、市など行政も後援についたわけです。「パッテンライ!製作委員会」は、こうして北國新聞社と虫プロダクションによって成立します。
ですから、「パッテンライ!」は、金沢の人たちの地道な活動があり、行政、マスコミ、学校、地元住民の情熱が集約され、その結果、アニメーション映画という形となり、八田與一という地域資産が外界へ向かう後押しにもなったのだと受けとめています。
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