; ; ; 世界のダム ウサントウダム Wushantou[烏山頭ダム] - ダム便覧


世界のダム 全項目表
 
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ウサントウダム Wushantou[烏山頭ダム]


ダム写真

(提供:緒方英樹)
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 金沢出身の八田與一技師が日本統治時代の台湾に建設したロックフィルダム。台南県官田郷にある。堤高56m、堤頂長1273m。嘉南平野に農業用水を供給する1万6000キロにおよぶ大規模灌漑用水路・嘉南大しゅうの水源として、1920年に着工し30年に完成。総工費5413万円。ダムは当時東洋一の規模だった。
 八田與一は1886年、金沢市に生まれ、東大・土木科を卒業後、24歳の時(1910年)、台湾総督府内務局土木課技手として台湾に赴任。その後、烏山頭ダムの計画策定、設計、工事指導など、ダム建設に全力で取り組んだ。堤体の建設には、当時世界でも実例が少なかったセミ・ハイドロリックフィル工法を採用。その後、八田技師は1942年、日本からフィリピンに向かう船上で米軍の攻撃を受けて死亡。妻は終戦後の45年9月、烏山頭ダムの放水口に身を投げて夫の後を追った。
 ダムの完成によって出現した広大なダム湖は、その形から「珊瑚たん」と呼ばれる。
 ダムと用水路の完成によって、それまで水不足に悩んでいた嘉南平原は一大穀倉地帯に生まれ変わった。八田與一は、現地では「嘉南大しゅうの父」として慕われ、尊敬されている。ダム湖のほとりには、銅像があり、5月8日の命日には毎年地元農民らにより墓前祭が営まれている。また、最近台湾では世界遺産登録を目指す署名運動が進められている。
 2009年に、土木学会は烏山頭ダムを選奨土木遺産に選定。日本人の土木技師が海外で手掛けた建造物の選定は初めてで、工法や役割などが評価された。
テーマページ ダムの書誌あれこれ(8) 〜台湾のダムを造った日本人・八田與一〜
ダムインタビュー(21) 緒方英樹さんに聞く 「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
ダムインタビュー(22) 吉越洋さんに聞く 「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
ダムインタビュー(45) 古川勝三さんに聞く 「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
このごろ 長編アニメーション映画「パッテンライ」
「パッテンライ!」再び
台湾で「パッテンライ!」
パッテンライ!!見てきました。
パッテンライ!台湾 帰ってきた土木技術者
緒方さんが土木広報の研究で博士に
書評: 小学館版 学習まんが 八田與一
(財)全国建設研修センターで「映画会」  〜 3作品を一挙上映 入場無料 〜
ダムマニア展レポート(3)〜トークライブ「台湾のダム」
烏山頭ダムに行きませんか
台湾インフラを築いた日本人技術者たちの業績を訪ねる〜烏山頭ダムと日月潭水力発電所、西郷堤防〜
土木技術者の功績を伝えたい
八田與一の烏山頭ダムと台湾土木遺産を訪ねる〜土木学会台湾土木遺産視察 第5弾〜
国/河川 Taiwan[台湾]/kuantien[官田渓]  
完成年 1930
ダムタイプロックフィル
機能I,W,F
堤高/堤頂長/堤体積56m/1273m/11020千m3
リンク ダムマニア・烏山頭ダム
Dam master・烏山頭ダム

【注】
データは、「WORLD REGISTER OF DAMS 2003」を基礎として、「Water Power & Dam Construction Yearbook 2003」、これら書物の新しい年版、雑誌の記事、ネット上の情報などを元に修正・補充して作成したものですが、資料によって情報内容が異なることがしばしばあり、正確性には限界があります。なお、ダムタイプについては、日本の型式分類の概念と必ずしも一致しない点がありますので、注意が必要です。

機能の略号は次の通り。
  C : Compensation
  F : Flood/River controll
  G : GroundWater recharge
  H : Hydro power
  I : Irrigation
  M : Multi-puroose
  N : Navigation
  O : Other
  P : Pollution controll
  R : Recreation
  T : Transfer
  TA : Tailings
  W : Water supply



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ダムインタビュー(21)
緒方英樹さんに聞く
「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」

八田與一のアニメ、「パッテンライ!」

中野: それでは、最新アニメ映画の「パッテンライ」について伺っていこうと思いますが、始まりからお聞かせ下さい。

緒方: 虫プロダクションとは絵本のビデオ化・三本と、この「パッテンライ!」を作りましたが、実はこの「パッテンライ」の前にもう一本企画した映画が「明日をつくった男」という作品です。琵琶湖疏水を完成させた田辺朔郎の物語です。

中野: 作家の田村喜子さんの「京都インクライン物語」が原作というものでしょうか?

緒方: そうです。製作の虫プロダクションは「私たちの暮らしと土木シリーズ」で、初めてアニメと実写という手法を用いましたが、この「明日をつくった男」も実写とアニメを融合して作りました。ただ、エンターテインメント色を強めて、鶴見信吾さんなど著名な役者さんを使ったり、監督もテレビの演出家に頼みました。土木の題材を娯楽色のある親しみやすく描く試みでした。2003年に世界水フォーラム参加作品ということで封切りました。一連の絵本の映画化でアニメと実写という手法を使ったのですが、そのうち絵本の第1巻を元にした「水と戦った戦国の武将たち」が土木学会の映画コンクールの優秀賞になり、それからこの「明日を作った男」が最優秀賞となりました。その流れの延長に今度は長編アニメーションの「パッテンライ!南の島の水ものがたり」があるという訳です。



「パッテンライ」のパンフレット
中野: そうですか。絵本の第5巻がそのままアニメになったのかと思いましたが。

緒方: 自分の中では絵本第5巻で9年前に取材した時から、やっぱり八田與一は全編アニメーションで子どもたちにもわかりやすい形で描きたいという気持ちがありました。

60年にわたり地元の人が八田の墓前祭

中野: 台湾まで取材に行かれて、想像以上に印象的だったのですね。

緒方: ある意味理想的な、代表的な土木技術者像というのを示したかったので、とくに現在の人々の暮らしに、強くつながっている八田與一を選んだのですが、やはり絵本の取材に行った時の印象があまりにも強烈でした。たとえば、60年以上にもわたって毎年、地域の人たちが八田與一のお墓参りをしてくれていることをもっと日本の人に知らせたいという気持ちになりました。そして、最初に案内してくれた嘉南農田水利会の古老に尋ねました。「なぜ、日本統治時代の日本人技師にこれほどしてくれるのですか?」。すると古老は、怒ったように言いました。「なぜ? 八田技師によって私たちが長い間苦しんできた三重苦、洪水、干ばつ、塩害を取りのぞいてくれただけでなく、土木事業によって暮らしを豊かに変えてくれた恩に感謝するのは当たり前のことです」。

烏山頭ダム

現地にある八田與一の墓と銅像
古老からは、そういうことを知っている台湾の人もだんだん少なくなってきていて、特に台湾の若い人たちが何事につけて感謝の気持ちをなくしつつあることを聞ききました。そして、八田技師のこと、当時のことを知っている人も少なくなっていることを知って、映像によって残したいと思ったのです。それは八田與一が示した土木技術者のあり方を描いて社会に提示したい気持ちにも通じていました。それは、ダムを造って終わるのではなく、土木事業が完成した後にも、農民のために「三年輪作給水法」による道筋までケアしたことなど、八田技師の恩師・廣井勇が導いた「土木事業というのは民衆のための福祉である」という薫陶を実践したことにもつながっていることを感じました。
こうしたことを教えてくれた古老こそ、映画で台湾少年のモデルとなった徐欣忠さんです。

だんだんと当時を知る人が減ってきた

中野: ただダムを造るというだけでなく、その地域の人たちの暮らしに寄与するということ、心のつながりというものがあったからこそ、今でも慕われているのだと思います。土木は造るだけじゃないというのは、本当に教えられますね。取材では、台湾のほか金沢にも行かれたそうですが大変だったことはありますか?

緒方: 今でこそ、八田與一は郷土の偉人として金沢で有名になりましたが、それはここ数年のことです。
始まりは、市民一人の熱意でした。現在「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」代表を務めておられる中川外司(とし)さんです。中川さんは、昭和60年、台湾で毎年の5月8日、郷里の土木技術者が地域の人たちから慰霊されていることを知って驚き、これは自分たち金沢の人間がそのことに報いなくてはならないと行動を起こします。地域の有志を募って、墓前祭に出向くだけでなく、八田夫妻の顕彰、石川県と台湾・嘉南との友好活動などを持続する中で、ようやく地元から認知されていくわけです。そして、石川県、金沢市、土地改良区などを巻き込んで台湾との地道な草の根交流がはじまります。そうした途中で私は中川さんと出会い、多くの関係者を紹介されて訪ねて歩き、そのおかげで「土木の絵本」で八田與一を取りあげました。

中川さんは、その絵本を教材として小・中学校への出前講義を始めました。金沢ふるさと偉人館では、八田與一を土木偉人として展示しました。土木技術者が偉人となった希有な例でしょう。金沢ふるさと偉人館はさらに、館長さんみずから脚本を書かれて地元発の演劇「台湾の大地を潤した男 八田與一の生涯」が石川県で上演されました。連動して、石川で七ヶ用水を完成させた土木の先人・枝権兵衛を題材とした子ども歌舞伎上演が地元大学から起こります。そうした潮流は地元マスコミを動かすに十分でした。「パッテンライ!」企画に北國新聞社が参画を決定するや、県、市など行政も後援についたわけです。「パッテンライ!製作委員会」は、こうして北國新聞社と虫プロダクションによって成立します。

ですから、「パッテンライ!」は、金沢の人たちの地道な活動があり、行政、マスコミ、学校、地元住民の情熱が集約され、その結果、アニメーション映画という形となり、八田與一という地域資産が外界へ向かう後押しにもなったのだと受けとめています。

 ・・・→ 全文はこちら
(2009年12月作成)



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ダムインタビュー(45)
古川勝三さんに聞く
「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」

 古川勝三さんは、『台湾を愛した日本人〜土木技師 八田與一の生涯〜』の著者として、平成2年度土木学会著作賞を受賞されています。この本によって、それまで日本国内ではほとんど知る人のいなかった八田技師の功績が、広く世に伝わることになりました。この辺の経緯についてはかつてインタビューにご登場いただいた(一財)全国建設研修センターの緒方さんのお話にも詳細な紹介があります。2009年には、烏山頭ダムが土木学会初の海外土木遺産にも認定されました。
 今回は、古川さんから、今もなお「嘉南大しゅうの父」と慕われている八田技師の功績を掘り起こしていった経緯や、当時、八田氏以外で活躍した技術者たちのことなどを伺ってみたいと思います。また長年、教職の道に就いておられた経験から我が国における土木教育について、将来どういう方向に持っていけば良いのかという点についてもアドバイスをいただきたいと思います。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)


日本が敗戦した翌年に建てられたお墓

中野: 日本が嫌いだという人はいましたか?

古川: いえ、むしろ親日的です。そういう思いを決定的にしたのは、八田與一の銅像を初めて見たときです。
 家を借りて家具を買おうと思って行った高雄のお店のご主人が、周志和さんと言う台湾人で、家具工場が台南にありました。その周さんの工場を見に行ったとき、台南の古跡めぐりが終わった後に、連れていってくれたのが、烏山頭ダムだったのです。日本にいた時、黒四ダムや愛媛県にあるダムは何度か見に行ったことがあるので、ダムと言えばてっきり狭い渓谷に高いコンクリートの塀のようなものがあると思って行ったのですが、ダムらしきコンクリートは一切見えませんでした。そこには、いっぱい草が生えている土手があるだけで、とてもダムには見えません。まるで天然の湖だと思いました。
 すると、周さんが「これは日本人が造った」と言うのです。丁度、鈴木明さんが書かれた本「誰も書かなかった台湾」を読んでいたのですが、その中に日本人が造ったダムのことが少し書いてありました。また、日本人学校の卒業式の時に、交流協会の出田政夫高雄事務所長が、「日本人技師の銅像が、烏山頭ダムの丘に再び設置されました」と話されたことを思い出したのです。それが八田與一の造った烏山頭ダムだったのです。


烏山頭ダムにある八田與一の銅像と八田夫婦の墓石(1982年撮影)
中野: その時、八田與一の銅像をご覧になったのですか?

古川: 堰堤を歩いてくる台湾人に、銅像の場所を聞いて見にいきました。銅像も素晴らしかったのですが、その後ろにあるお墓を見てさらに驚きました。表は八田與一・外代樹之墓と彫られ、側面には中華民国35年12月15日、嘉南大しゅう農田水利協会建立と刻まれていました。これは日本の暦に直すと昭和21年の事で、日本が敗戦した翌年に当たります。日本人がどんどん引き上げをしていた頃です。その時期にこのお墓は造られているのです。

 ・・・→ 全文はこちら
(2013年5月作成)



■ このごろ → このごろ目次
「パッテンライ!」再び

 
 以前に、日本統治時代の台湾で烏山頭ダムを建設した八田與一を描いたアニメ映画「パッテンライ」について書いた。昨晩、「パッテンライ!」に因んで、土木学会で対談があった。

第24回 土木学会トークサロン 
パッテンライ! 土木技術者・八田與一の本懐とは何か 〜社会に土木の価値と役割を伝えたい〜
講師 : 古川勝三(「台湾を愛した日本人」著者)× 緒方英樹(「パッテンライ!」企画者)


 古川さんは、「台湾を愛した日本人」著者。いわば八田與一を発掘した人。「パッテンライ!」の企画者・緒方さんが、もっぱら聞き役で、古川さんが熱心に語る。そんな展開だった。

 これは、その雰囲気をを元にまとめたものです。多分につまみ食い的でもあり、舌足らずでもあり、不正確でもあり・・・ということで、不都合な点が多々あるでしょうが、ご容赦頂きたいと思います。


【台湾に行こうと思ったわけではないが】

緒方:
古川さんは、1989年に出版され、八田與一を世に知らしめた「台湾を愛した日本人」の著者です。私が「パッテライ!」を企画したとき、この本は探しても古い本で1冊もなかった。この4月、改訂版が出たが、やっと出たという感じ。その記念の意味も込めて、質問をしたい。

 私が初めて古川さんを知ったのは、2000年に、「土木の絵本」を作っていて、金沢の中川外司さんに話を聞いたときのこと。四国に古川さんという人がいると。中学校の先生をしていた。赤いジープに乗って、先生とはとても見えない。懐の深い人だと思った。退職して、昨年はヨットで日本一周をしたという。

古川:中学の教員を37年、専門学校を2年、教育で生きてきた。ヨットが好きで、ヨットで世界一周をと思った。親と大げんか。それでも何とかして海外に行きたいと思い、日本人学校の教師にと、文部省の試験を受けたら、合格。

 どこにしようか。戦時中に日本人がアジアで悪いことをしたと言うことが、戦後の教育で広まってしまっていたので、家族を連れてアジアに行くのは避けたいと、ナイロビの希望を出したが、結果は台湾だった。そのときは最悪だと思ったが、今は良かったと思っている。

 それで、台湾の高雄に行くことになった。台北と違って、内省人が多く、日本人びいきが多い土地柄だった。


左:緒方英樹さん  右:古川勝三さん


【よっぽどすごいことをしたのだ】

緒方:
1980年から3年間、高雄の日本人学校に勤務されましたね。

古川:3月に小学校の卒業式があった。そこで、交流協会の所長が、来賓で、八田與一の話をした。烏山頭ダムを造り、銅像が立ったという話だった。日本人学校のクラスの生徒に聞いたら、みんな知らないと。

 その後、たまたまある湖に行ったとき、土手があって、自然の湖とは違う。ただ、土手に草が生えていて、ダムにも見えない、そんな風に思ったが、銅像があり、墓があったのでびっくり。烏山頭ダムだった。

 日本人学校の子供達は台湾のことを知らない。一方で、台湾人は戦時中支配者側だった日本人の墓を建てている。この人はどういう人なのか。よっぽどすごいことをしたのだと。

 それで、知りたくなった。


【調べるのに苦労した】

古川:
ところが、当時、調べようにも資料がない。それで、日曜になると、河南農田水利会に行った。
 苦労して調べ、調べたことを高雄の日本人会報に毎回載せた。

 当時、大洋丸会というのがあった。八田與一は大洋丸に載っていて、沈没したためなくなったが、その関係者が慰霊会を開くという記事が朝日新聞に載った。電話番号があったので、電話をして、遺族の名簿を手に入れた。その名簿に、八田與一の息子さんが載っていた。息子さんは、八田與一がなくなったときには東大の土木の学生だったが、小さい頃過ごした台湾のことはよく覚えていた。

 古本屋回りもした。日本統治時代の本を集めた。日本円で200万ぐらいは買った。当時としては大金だが、できるだけ正確な資料を残したいと思った。

 ダムの素人なので、ダムのことについて勉強するのも大変だった。だが、おかげで今では、人に説明してあげられるくらいにはなった。


【子供達に教えるべきだ】

緒方:
新聞報道がありますが、来年11月を目指して当時八田與一が住んでいた宿舎を復元するとのこと。また、朝日の記事に、馬英九総統の発言がある。

古川:日本人会報誌に八田與一のことを載せたときに、腹が立った。こんなすごいことをした日本人がいたのに、日本人は何も知らない。何で日本人は知らないのかと。日本人は、戦争で悪いことばかりしてきたと教えられたが、何でこんないいことをしてきたということを教えなかったのかと。

 当時、台湾の人たちが開いていた八田の追悼式に出たが、日本人が初めて出てくれたと感謝された。素朴ないい追悼式だった。追悼式は今でも続いているが、昨年行ったら、もう政治ショーだ。地元の人もそういっていた。

 戦前に日本人はすばらしいことをたくさんした。鴨緑江の水豊ダムや旧満州の豊満ダムもその例だ。光の部分も子供達に教えるべきだ。陰の部分を教えるべきではないとは言わないが。

 日本に帰るときになって、会報誌の連載で終わらせずに、まとめて一冊の本にして出せといわれた。ところが、台湾の出版社なので、日本語も分からない。苦労した。帰国の2〜3週間前だったろうか、やっと700部できあがった。


【出身地金沢では活発な動き】

古川:
金沢の中川外司さんは、四高で、先輩の中にすごい人がいたことは知っていたが、何をした人かは知らなかったようだ。本を1冊ほしいと言われたが、手元にもうなくなっていたので、コピーをやった。中川さんは20年間、毎年台湾に行かれている。「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の事務局長だ。
八田與一は、「金沢ふるさと偉人館」に土木偉人としてまつられている。こんなことは他にはないのではないか。

 私の本が池に波紋を起こした。それで、偉人になり、演劇になり、アニメになった。八田與一の他にも偉大な土木技師がたくさんいるはず。彼らがもっと知られるようになってほしいと思う。


【農民ありき、そして公につくすという精神】

緒方:
八田與一は、お山の大将とか、大風呂敷とか、東大出のエリートとか、悪いイメージで言われることもあるが、台湾で民衆に出会い何かが変わったのではないでしょうか。

古川:嘉南大しゅうの設計が32才の時、工事が始まったのが34才。どこに目線を置いたかと言えば、それは農民。台湾の人を差別しない。最初にダムありきではない。農民ありきだった。これは、生まれた環境によるのではないか。金沢は浄土真宗の盛んな土地柄。子供時代の環境が影響したのだろう。

 廣井勇の影響も大きかった。札幌農学校で育った人々、彼らには、公につくすという精神がある。今の日本人には少なくなっているが、そういう意識があった。教育の影響は非常に大きいと思う。


古川勝三さん


【土木について教育がない】

古川:
土木というと、談合とか、悪い面がすぐ言われる。残念なことだ。
 土木について教育がない。今は蛇口をひねると水が出る。昔は違った。今はそれが当たり前になってしまって、そのためにいかに大変だったかを誰も教えない。報道もマイナーなことばかり。もっと重要なことを発信してほしい。八田さんの場合、北国新聞が必ず書く。
 日本は災害国家だから、インフラの整備が大事だ。それが理解されていないのが残念だ。

(2009.9.8、Jny)


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書評: 小学館版 学習まんが 八田與一

 
 先日、(財)全国建設研修センターの緒方さんから、土木技師八田與一が学習まんがに登場しましたとご紹介いただいた。実物を手にとってみると「小学館版 学習まんが 東洋一のダムを作った日本人 八田與一」とある。偉人の伝記シリーズとしては豊臣秀吉や西郷隆盛など歴史上の人物と並んで、近代の土木技術者を取り上げてくれたのは正直嬉しい。これまでインタビューさせていただいた方々からは、我が国の教育制度の中では土木の事が系統立てて教えられていないのが問題であるというご意見を数多く伺ってきたが、こうした小学生にもわかりやすい形で、ダムの大切さや土木事業のあり方というものが印象深く伝えられるとすれば、それは大いにこのましい。

 そう思いつつも、表現手段は漫画である。厳しい自然条件に立ち向かい、大勢の人が力を合わせて難工事を成し遂げたという、どちらかといえば薄っぺらな人間ドラマになってしまうのではないかと、読む前には心配した。ところが、歴史的な背景をもとに日本の近代化の流れの中で、台湾農民の生活向上はもとより、一段と大きな農業振興、さらには発電事業による近代化の促進など、烏山頭ダムの事業目的と、その成果がちゃんとわかりやすく描かれている。インフラ整備というと、どうも土木のあり方としては、小さくまとめられがちだが、この物語には80年前に活躍した一人の技師の国づくりという大きな志が感じられた。


小学館版 学習まんが 八田與一
 2011年6月1日 初版第1刷発行
 監修/許 光輝(八田與一文化芸術基金会)
 まんが/みやぞえ 郁雄
 シナリオ/平良 隆久

(2011.6.27、中野朱美)