全項目表
 
ダム番号:609
 
薗原ダム [群馬県](そのはら)



ダム写真

(撮影:だい)
041852 takane
047917 Dam master
003298 安河内孝
047909 Dam master
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →ダム動画   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
ゲート機械室の屋根上にスキージャンプ式減勢工
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クレスト部に4門のラジアルゲートを備え、減勢工はスキージャンプ式。その水路がコンジットゲート機械室の屋根上を通っているという珍しい構造。
[写真](撮影:安部塁)
天端に巨大ガントリークレーン
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巨大なガントリークレーンがある。天端の上流側と下流側にレールがあって、レール上を走行する。堤体上流面にある予備ゲートを開閉する際に使う。IHI製、132.5t。
[写真](撮影:だい)
近くに観光地
___ 薗原湖の直上流には老神温泉があり、さらに上流には名勝・吹割の滝があって、この付近は新緑・紅葉の時期には観光客が多いが、ダムは駐車場などの施設が整備されていないらしい。
りんごの産地
___ 薗原湖周辺は、りんごの産地としても有名で、りんご園がある。津軽、ムツ、フジ、など種類も豊富。9月下旬から11月下旬までがシーズン。
シリーズ ダム百選 投票から
第 20 回  『 電車やバスで行けるダム 』
■ 上越線沼田駅下車 関越交通バス大清水行きで大原老神入口下車 ここから老神観光バス根利集会所行きで園原ダム下車。
老神観光バスは本数が少ないので注意。日曜日は運休です。土曜日は運行です。 (加賀美喜久)

テーマページ 洪水吐き拾弐景 《第拾景》 薗原ダム 〜堤体下流面にスキージャンプ式シュートを有する洪水吐き〜
ダムインタビュー(72) 長門 明さんに聞く 「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」
ダムの書誌あれこれ(99) 〜利根川水系薗原ダム〜
写真集・薗原ダム 2003.4.17
ダムインタビュー(56) 近藤徹さんに聞く 「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
左岸所在 群馬県沼田市利根町穴原字大平  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯36度38分20秒,東経139度10分31秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  平出(6km)

河川 利根川水系片品川
目的/型式 FNP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 76.5m/127.6m/173千m3
流域面積/湛水面積 606.9km2 ( 直接:493.9km2 間接:113km2 ) /91ha
総貯水容量/有効貯水容量 20310千m3/14140千m3
ダム事業者 関東地方建設局
本体施工者 清水建設
着手/竣工 1958/1965
ダム湖名 薗原湖 (そのはらこ)
ランダム情報 【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2003)
カイツブリ、カワウ、ゴイサギ、アオサギ、オシドリ、マガモ、カルガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、キンクロハジロ、カワアイサ、ハチクマ、トビ、オオタカ、ハイタカ、ノスリ、クマタカ、キジ、ヤマドリ、イカルチドリ、ユリカモメ、セグロカモメ、ウミネコ、ドバト、キジバト、アオバト、ジュウイチ、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、コノハズク、アオバズク、フクロウ、ヨタカ、アマツバメ、ヤマセミ、カワセミ、アカゲラ、オオアカゲラ、コゲラ、ヒバリ、ツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ビンズイ、サンショウクイ、ヒヨドリ、モズ、カワガラス、ミソサザイ、カヤクグリ、コルリ、ルリビタキ、ジョウビタキ、ノビタキ、クロツグミ、ツグミ、ヤブサメ、ウグイス、センダイムシクイ、キクイタダキ、キビタキ、オオルリ、コサメビタキ、エナガ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、メジロ、ホオジロ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、ノジコ、アオジ、クロジ、アトリ、カワラヒワ、マヒワ、ベニマシコ、ウソ、イカル、シメ、スズメ、ムクドリ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス、サンコウチョウ
【ダムカード配布情報】2021.8.1現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.0
○薗原ダム管理支所 8:30〜17:15(年末年始は配布していません)
ダムカード画像コレクション
薗原ダム Ver.1.0 (2007.07)
[協力:さんちゃん]
薗原ダム [管理50周年記念]
薗原ダム 節水にご協力を!! [平成28年度渇水]
リンク DAM Photographer・振替休日・・・
DAM Photographer・大忙しでしたよ・・・
DAM-goodfellows・薗原ダム
Dam's room・薗原ダム
damsite・ダムデータ
Damstyle・薗原ダム
kazu_ma’s WALKING-DIARY・薗原ダム
THE SIDE WAY・薗原ダム
ウィキペディア・薗原ダム
おぼえがき・薗原(そのはら)ダム
ダム『京』・薗原ダム写真集
だむ†ほりっく・薗原ダム
ダムマニア・薗原ダム
ダム好きさん【薗原ダム】
ダム浪漫−薗原ダム
ちょいとダムに行ってくる・ちょいと薗原ダムへ行ってきた。
関東の堰提
今日の貯水量(東京都水道局)
水所探検ぐぁ!!
水力ドットコム・白沢発電所
日本全国ダム紀行・薗原ダム
利根川の3ダム(国土交通省関東地方整備局利根川ダム統合管理事務所)
関連書籍 ■薗原ダム工事事務所 『薗原ダム工事報告書』 利根川ダム統合管理事務所 1967
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】左岸所在地[利根郡利根村大字穴原字大平→沼田市利根町穴原字大平] 流域面積[607.6→493.9]
【06当初→06最終】流域面積[493.9→607.6]
【06最終→07当初】河川名[片品川→銅山川] 流域面積[607.6→606.9]
【07当初→07最終】河川名[銅山川→片品川]
【08最終→09当初】堤高[76.5→76]
【09当初→09最終】堤高[76→76.5]

■ テーマページ → テーマページ目次

洪水吐き拾弐景
《第拾景》 薗原ダム
〜堤体下流面にスキージャンプ式シュートを有する洪水吐き〜

写真・解説:箱石 憲昭

昭和40年度に完成した薗原ダム。3条の管路式常用洪水吐きと4門の越流非常用洪水吐きを有している。当時は第五景で紹介した大野ダムのような堤体内にゲートハウスを設置する事例はまれであり、常用洪水吐きとしての高圧ラジアルゲートを堤体下流に設置することとし、ゲートハウスの上をスキージャンプ式シュートとしている。

シュートの標高は、ゲートハウスの容積の関係から決定されている。シュートの形状は、土木研究所における水理模型実験によって求められており、シュートから自由落下する水脈が拡がって減勢工からはみ出さないように、下流に向かって若干幅をしぼった形状となっている。

ゲートハウスは、鉄骨鉄筋コンクリート構造の3階建となっている。シュート直下の3階は開閉装置室で、3門の高圧ラジアルゲートの油圧シリンダが並ぶ広い空間となっている。2階には操作盤が置かれ、1階にゲートが据え付けられている。


(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(2017年4月作成)



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ダムインタビュー(56)
近藤徹さんに聞く
「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」

再びダムの時代

中野: 建設省に入り、最初からダム現場に出られたとお聞きしましたが、どこのダムでしたか?

近藤: 利根川水系片品川の薗原ダムです。僕が建設省に入った年に薗原ダムが調査事務所から工事事務所になった。同時に、まだ何の調査もしてなかった矢木沢ダムにも工事事務所が出来ました。後で背景を聞くと、当時は水利権は認可権を全部県が持っていましたから、利根川の開発計画書を群馬県知事が策定していたのです。また、東京都は小河内ダムだけではどうにも水が足りないから、利根川に水源を求めて調査していた。それと東京電力が大規模発電を利根川でやりたいので、矢木沢ダムの調査をやっていた。そこへ建設省のかなり腕力のある開発課長さんが割って入って、治水も含めた特定多目的ダムでやるぞということで、治水を入れて矢木沢ダム、利水で足りないところは下久保ダムも入れて、東京都の水道開発、東京電力の大規模発電、治水もやるという計画を本省ベースで組み立てたのです。


薗原ダム(撮影:だい)
 常識的には予備調査の事前調査があり、次に現場事務所を立ち上げて実施計画に入るという段階を経るのですが、矢木沢ダムはいきなり何もないところから工事事務所を作ったという非常に珍しいダムです。それと薗原ダムが調査事務所だったのが工事事務所になり、一挙に関東地方建設局が担当する2つの直轄ダムが立ち上がったのです。

中野: その頃は、ダム建設が盛んな時だったのですね。

近藤: そうですね。矢木沢ダムの貯水量は1億8000万トン、当時我が国最大級のダムです。本省の課長の号令が相当に強かったのでしょう。僕は矢木沢ダムの工事史を読んだことはないのですが、果たしてどんなことが書いてあるのか。計画屋としては、気になります。他の事業者がやるものを建設省が割って入って、しかも形としては円満に主導権を握っている。

中野: 先に調査をかけていたところに建設省が後から割って入って進めたと…。

近藤: ええ。これは正直言って先方の現場技術者は怒り心頭だったと思いますよ。ただ結果としては、組織の長が納得していたから揉めずに出来た。僕らの一昔前が、本当にダムの勃興期で、昭和20年代後半の学士さんは皆、大学で何を研究したかは関係なくダム現場に配属されました。資料もないのでアメリカ内務省開拓局の英文の示方書を日本語に翻訳しながらダムの設計をやりました。一通り学士さんがダム現場に行き渡り、昭和31年からは道路特定財源に基づく道路特会が始まり、道路に予算がつく時代になってようやく道路の方に人材もお金も行き始めたのです。だから、その流れに乗れば、僕も同期入省の山住君も当然道路に行くのだと思っていました。結果的に山住君は3年半ぐらい矢木沢ダム、僕は薗原ダムに4年半いました。

ダムの神様との出会い

中野: 薗原ダムでは、いろんな経験があると思うのですが、所長さんがダムの世界では有名な方だったとお聞きしましたが。


矢木沢ダム(撮影:安河内 孝)

近藤: 矢木沢ダム所長は、阪西徳太郎さんで、私が行く前に薗原ダムの調査事務所長をされていたのですが、1億8000万トンの矢木沢ダムが調査もせずにスタートすることになり、急遽、矢木沢ダムの所長になったのです。急に出来た事務所なので庁舎も寮もないので、薗原ダムの調査事務所の部屋を2つに割って、矢木沢ダム事務所の看板も並べてかけて、所長室も事務室も半分に割って、こっちに薗原、こっちに矢木沢という具合に非常に狭いところにいました。

 阪西さんは、後に事務次官になる山本三郎さんの大学の同級生でした。ダム屋になったが最後、出世してもダムでは事務所長どまりで、片方はどんどん偉くなる。つくづくダム屋というのは損だなと思ったことがありました。
しかし、阪西さんは後で聞くと戦前に水豊ダム(現在の北朝鮮にあるダム)の設計の責任者を30歳そこそこでやって、帰国して、東北の猿ヶ石ダム、田瀬ダム、藤原ダム、相俣ダム等をやられた「ダムの神様」みたいな人で、後に水資源開発公団の理事になりました。

 ・・・→ 全文はこちら
(2015年8月作成)


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