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ダムインタビュー(72)
長門 明さんに聞く
「ダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困る」

 長門 明(ながとあきら)さんは、昭和27年に建設省へ入省され、関東地方建設局荒川上流工事事務所二瀬ダム、藤原ダム、薗原ダム、川治ダム、宮ヶ瀬ダムなどのダム現場を経て昭和62年に建設省を退職されるまでの34年半、ダム事業に携わって来られました。
 また、建設省のダム積算基準の確立においては中心的な役割を果たされ、地域ごとに異なっていた積算基準を全国基準に統一されました。
 退職後、(財)ダム技術センターに移られてからは、ダムの施工管理、施工計画及び技術指導に当たられ、現場のダム技術者に対して丁寧な指導をされてこられました。この功績により、数多くの賞を受賞されておられます。
 建設省34年間、(財)ダム技術センター10年間、(株)竹中土木12年間、トータル56年間、ダム関係業務に携わって来られました。


 今回は、ダムに長く関わってこられた長門さんに、ご自身のご経験からダムが抱える諸課題の解決の方向性やこれからのダム事業を担う若手技術者の育成についてご意見を伺って参ります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

ダムの仕事を希望する

中野: 職歴を拝見しますと、ダム一途ということですが、そのきっかけからお聞かせください。

長門: 私とダムとの出会いは、建設省採用試験の面接の時に「ダムの仕事を希望します」と答えたことから始まったと思います。それ以降、56年間ダムに関わることになりました。多忙な職場でしたが、色々勉強になり、「ダム屋」でなければ味わえない人生でした。

初めてのダム現場は二瀬ダム

中野: 56年間ダムに関わられたということですが、始めに、二瀬ダムのお話からお聞きしていきたいと思います。


二瀬ダム

長門: 私が最初に従事した二瀬ダムは、当時予備調査の段階でした。予備調査は一般的にダム建設管内の河川事務所が担当することになっていましたので、荒川上流工事事務所で実施されたわけです。二瀬ダムの調査業務は、ダムサイト付近の1/500の平面図、ダム完成後の貯水池を想定した工事区域内の1/3 000の平面図、貯水池容量算定用横断面図作成に必要な諸測量業務と、地質調査(横坑)業務が主なものでした。

中野: 二瀬ダムでは、業務の遂行にあたり生活環境などにおいて戸惑いなどありませんでしたか。
長門: ここでの業務は、上司1名と、私を含む新卒3名、計4名で対応して、昭和28年6月末日までに完了させる業務でした。派出所として、ダムサイト予定地左岸側県道沿いに6坪程度のプレハブ小屋を建て、宿舎は大滝村村長のご尽力もあって、大滝村小学校寄宿舎及び元村長宅をお借りしました。測量用作業員は、地元の方々10名ほどに協力頂くことができました。作業は、土、日、祝祭日は殆ど返上しての残業の日々でした。また、家主さんへの生活環境も考慮して22時までには仕事を終了させるようにしました。
 測量業務は、外業分の計算処理や図面作成を怠ると、例えばミスがあった場合に対応が遅くなり業務に支障を来たすので、その日のうちに残業で処理することにしました。その結果、目標期限を3ヵ月短縮でき所長から褒められたことを覚えています。しかし、困ったこともありました。それは、猿による弁当被害です。賢くて、油断すると盗られてしまい、この頃から猿は嫌いになりましたね(笑)。

藤原ダムで阪西所長に出会う

中野: 昭和28年7月には、藤原ダムに転勤されましたが、どのような業務内容だったのでしょうか。

長門: 約5年間、藤原ダム建設により水没する県道、町道(B線・C線)3路線の新設工事に伴う調査、測量、計画、設計、積算、施工管理に従事することになり、着任早々の8月には、直営による測量に着手しました。私は主に付替県道を担当することになり1工区当たり職員1名で全てにわたり対応することで作業量としては多く残業の日々でした。若かったこともあり体調も問題なく、それよりも自分が計画、設計した県道が着々と新設される実態を見て感激したり、調査から施工管理までの一連の業務に従事できた満足感でいっぱいでした。そうした中で、申し訳ない事件もあり心を痛めたこともありました。測量補助要員として雇用したアルバイト学生の墜落事故です。幸いに命に別状はなかったので「ほっ」としました。

中野: 大事にならなくて良かったですね。他に藤原ダム工事事務所で経験されたことをお聞かせください。

長門: 道路建設工事で必要となる全ての分野に携わることができたことは、土木技術者として得たものが多くありました。転勤後、2年ほど経過した頃、阪西所長と道路設計の雑談をしている時のことですが、私が転勤する時に、荒川上流工事事務所長から、「転勤先の藤原ダムでは、ダム技術をマスターし、二瀬ダムが始まった時は戻ってきてその成果を反映するよう頑張ってくれ」と言われましたので、「藤原ダム本体工事も経験させてください」と、阪西所長に話しところ「馬鹿者、ダム屋は何でも対応屋でなければ勤まらん。日頃から様々な技術面の知識を会得しておく必要がある。そうすることで、どんな難問も解決できる」と力説され、私は「良くわかりました」と返事をしました。
 その直後、阪西所長から「お前には今後のダム屋として最良の仕事を用意したので頑張れ」と言われました。阪西所長には本当に貴重な経験と教訓を頂きました。


藤原ダム(撮影:さんちゃん)
中野: 阪西さんは、今までインタビューさせて頂いた糸林さんから、やる気のある者には優しいが、やる気のない者は相手にしないという厳しさがある。若い技術者へ技術指導をされておられた方とお聞きしていました。長門さんは何年ほどご指導頂いたのですか。

長門: ダム事務所と(財)ダム技術センター合わせて15年ほどご指導頂きました。他界されましたが、私にとっては「神様」のような存在です。

薗原ダムの用地問題

中野: その後、薗原ダム工事事務所に勤務されるわけですが、薗原ダムは用地問題で難航したダムだと聞いていますが。


薗原ダム(撮影:だい)

長門: 薗原ダムは、昭和33年4月、薗原ダム調査事務所として発足し、実施計画調査僅か1年の昭和34年4月、薗原ダム工事事務所になり、その後、数々の困難を克服して完成したダムです。用地問題では「西の松原・下筌 東の薗原」と言われたダムでしたが、藤城所長はじめ用地職員の尽力で昭和35年から続けられてきた水没補償交渉は、5年間の歳月をかけて昭和40年3月24日全面解決の運びになりました。今は亡くなりましたが、藤城所長が成し遂げた偉業によって薗原ダムは完成をみることができたといっても過言ではないと思っています。藤城所長は、昭和38年から41年まで在任され、用地問題の解決に当たっては心身の休まることもなくご苦労の日々だったと思います。

中野: 用地問題に関連して支障をきたした工事はありましたか。

長門: 本体工事の着手が2年ほど遅れました。
大崩落に遭遇した

中野: 本体工事はどのような状況でしたか。

長門: 私は、薗原ダムに昭和33年7月に行き、昭和37年2月までの期間は工事用道路新設工事の測量、設計、施工管理、仮排水トンネル工事及び仮締切工事の施工管理業務に従事しました。水没者との補償が進展し、昭和37年3月、本体掘削工事の着手に伴い本体工事の施工管理業務等に従事することになりました。本体掘削中の昭和37年6月18日、左岸側掘削法面に大崩落が発生し、崩落量は、約24 000m3。大崩落直前まで測量班は、掘削線の確認と出来高確認測量を5名で実施していました。
 私は、測量班の責任者として右岸ダム軸付近で安全管理の監視中に上方部掘削完了法面から小岩片が落下した現象を見て、即座に「逃げろ」と大声で連呼したことを今でも覚えています。逃げ終わった時、大崩落が発生しました。今考えてもぞっとします。一人の犠牲者もなかったことは奇跡的で、確かな判断ができてよかったと思っています。

中野: 小さな岩のかけらが落ちたことを見逃さなかったことが良かったのですね。

長門: そうですね。ダム本体掘削期間中に崩落岩石を処理できたことで昭和37年10月打設開始、昭和37年11月16日に定礎式を迎えることができました。その後、グラウチング関係工事、副ダム新設工事、エプロン部新設工事の施工管理に従事しました。


ダム屋のオヤジと呼ばれた藤城所長

中野: 先ほどもお話しされておられた用地交渉で、大変ご苦労された藤城所長さんとはどのような方だったのかお聞かせください。

長門: 藤城所長には、昭和38年4月から41年2月までの約3年間、現場の第一線で工事全般について、勉強の機会を与えて頂きました事は、何事にも替え難い貴重な体験でした。ある日、私がダム本体の岩盤検査をしていた時のことですが、後ろを振り返ると藤城所長が私の後ろにおられ、「ご苦労様、頼むよ。俺がふらふら現場にいると邪魔になるし、長門にも嫌われるから帰るよ」と、言われるので、「とんでもない、所長が現場にこられることがとても励みになりますので、これからも暇を見付けてご指導をお願いします」とお伝えしたところ、「そうしたいところだが、工事事務所長ではなく用地事務所長なので、なかなか現場に来る暇がなくてな」と、冗談を言われましたが、「少し見るか」と言われ、型枠材に腰をおろし、1時間ほど雑談をしました。
 そのなかで、厳しく言葉にされたのは「ダム工事は他の工事以上に毎日毎日が少しのミスも許されないし、その対応こそダム技術者に課せられた使命であることを忘れないこと、また、仕事面では、請負者の上に立つ事、そのためには、常に勉強を怠るな」ということでした。今でも胸に刻みこまれる教訓になっています。『ダム屋のオヤジ』として公私ともにお世話になった方です。

中野: 藤城所長は、とても寛大な方でいらっしゃいますね。現場での指導でもお人柄が良く判ります。

長門: そうですね。あれだけの用地交渉でご苦労されたのに、「地元のダム建設への協力によって薗原ダムは完成した」と、いつも話されておられました。
 この3年間の業務内容は、ダム本体コンクリート工事、グラウチング関係工事、副ダム新設工事、エプロン左岸崩落処理工事、管理所新設工事の施工管理でした。昭和39年11月一次湛水を始めたところ、貯水池のダム左岸下流南郷地区裏山に漏水があり、地元では大騒ぎでしたが、この時も藤城所長の冷静な判断と適切な処理により事なきを得ました。その後、各工事とも順調に進み、ダム本体コンクリート工事は、昭和39年12月打設完了、グラウチング関係工事は、昭和40年7月完了の運びとなりました。

ダム現場以外の業務として本省等へ

中野: 日本の発展のためにダムが多く作られた時代に阪西所長や藤城所長というダム技術者のお手本のような方から直接指導頂けたことは本当に良かったですね。その後、関東地方建設局利根川ダム統合管理事務所、本局河川部河川工事課に行かれましたが、ダム現場ではないので、どのような業務をされたのでしょうか。

長門: 利根川ダム統合管理事務所の2年間は、薗原ダム関連の繰越工事、主に付替県道の設計、積算、施工管理及び赤城山「レーダー鉄塔新設工事」の施工管理業務でした。昭和46年4月から昭和47年5月までの約1年間と昭和54年4月から昭和57年3月までの3年間の合計4年間は、本局河川部河川工事課に勤務し、管内のダム事業、砂防事業(後期の3年間)の計画、設計、予算審査等の業務に従事しました。


中野: 昭和47年5月に、本省の河川局開発課へ行かれたことはダム積算の基準化が急務であったからでしょうか。

長門: 開発課では、補助ダム事業の行政事務、都道府県のダム技術者の技術指導、ダム積算の基準化業務に従事しましたが、当時、ダム積算の基準化前の積算業務は、守秘義務厳守で類似のいくつかのダムの積算実績の分析作業から始まり、ダム関係諸先輩からの情報収集、会計検査院の指摘事項などを参考にして対応していました。
 私が、本省河川局開発課に着任の挨拶をした時、宮内開発課長、藤城建設専門官より「会計検査院との約束事でもあるダム積算の基準化が当課の大きな課題でもあり、また、全国のダム仲間のためにも一日も早い基準化が必要のため2〜3年でまとめてほしい」と、言われました。

ゼロからスタートしたダム積算の基準化

中野: 会計検査院からのご指摘及びダム工事における積算の効率的作業などを考慮して、一般土木工事同様全国統一の積算基準の作成を「建設省」としてスタートさせたことは意義深いものがあると思いますが、大変な作業だったのでしょうね。



長門: 難問続出で悩んだことも度々ありました。先ほども少し話しましたが、ダム工事における積算の基準化作業は、昭和44年度より着手、昭和45年4月には「特定多目的ダム積算資料(案)」が作成され、全国統一に向けて第一歩を踏み出すことになりました。その後、昭和46年には、抜本的な積算基準を作成するため、ダム工事の施工計画、積算基準等に精通した有識者で構成される「ダム積算委員会」が設置され、全国の施工中ダムを対象に実態調査を行い、毎年、項目の追加や改訂等の検討が逐次行われています。当時、この業務の責任の重大さを感じて落ち込むこともありましたが、開発課長、建設専門官からの励ましとアドバイスを頂き、昭和49年に「ダム積算資料」及び「ダム工事共通仕様書」の制定をみることができました。この業務を成し遂げることができたのは「ダム積算委員会」の皆様方のご尽力があったからだと思っています。
中野: ダムの積算基準の統一はダム技術者の積算の「省力化」及び「会計検査院対応」などのためとても重要なことだと思います。長門さんも含めダム技術に情熱がある方の知恵がなければ出来なかったことだと思います。

2度目の勤務で川治ダムへ

中野: その後、ダム現場として2度目となる川治ダムに昭和51年4月から54年3月まで勤務されたとのことですが、どのような業務をされたのでしょうか。

長門: 3年間の寮生活で、工務全般の総括業務を担当しました。この間、糸林芳彦氏、山口甚郎氏、北村律太郎氏というダム技術に精通されておられる大ベテランの事務所長の下で、ご指導頂くことができました。川治ダムの工事関係業務については、本体掘削から本体コンクリート打設まで関わりました。2度目の勤務のため業務内容はそれなりに把握していたつもりでしたが、余りに多大な業務で、今後の業務対応に当たり業務経験者が少なく、職員の指導から行うこととなると正直、業務を期日までに成し遂げることができるか不安でした。職員の増員が期待できないので、職員の健康管理に配慮しながら残業で対処するしかなかったので、目的達成までの3ヵ月間、土、日、祝祭日返上、昼夜の区別もないような生活対応もありましたが、予定どおり目的を達成することができました。

中野: そのような過酷な作業となった要因はどこにあったのですか。

長門: 昭和51年度第1四半期に業務案件が集中したことが要因でした。その主たる業務は、1. 会計実施検査の受検、2. 既契約本体工事(2工事分)のスライド協議、3. 既契約本体建設工事(本体分)の変更契約、4. 本体建設工事(本体分)2期工事分の新規契約などがあり、特に会計実地検査の1週間対応に伴う諸作業に費やした時間は大きかったです。


川治ダム

中野: 担当職員は残業が多過ぎるなど、生活面の不満はなかったのですか。

長門: ダム担当職員からは、不満続出でしたが、私自身も共に残業に加わり的確な指導等を行ったこともあってか不満は徐々になくなりました。残業時間には触れたくありませんが、もう時効ですので申しますが、最大月の残業時間は一人当たり1ヵ月180時間くらいと記憶しています。残業時間は、職員同士の約束のもと暴飲・暴食はダメ、自己の体調に合わせた残業時間での作業実施を励行しました。緊張感、責任感も職員内にあって特に大きな問題はなかったです。
中野: ダムの案件が集中した時期で大変な業務だったのですね。川治ダムはアーチ式コンクリートダムですが、施工計画の検討において特に重要視された事項がありましたらお聞かせください。

長門: 川治ダムは日光国立公園特別地域内でのダム工事だったため環境面での配慮は当然のことですが、ダムサイトは急峻な地形で資材運搬等の道路を施工することは不可能であったため掘削段階から資材運搬は多数のクレーンを仮設し施工するほか対応策がありませんでした。コンクリート打設段階においてもクレーンに頼ることになりました。打設に伴う官貸与設備は@主打設設備として20t弧動型ケーブルクレーン(主に本体用)A9tジブクレーンR50m(ダム本体右岸部、岩盤PS工用)B6tタワークレーンR30m(減勢工、岩盤PS工用)この3設備です。この設備で、打設不可能範囲と雑運搬時間等を検討し、次の2設備を選定しました。2設備は任意仮設とし、20tケーブルクレーン走行路に、@6t弧動型ケーブルクレーンを併設(本体、減勢工、岩盤PS工用、経済性から併設した)A6tH型ケーブルクレーン(減勢工、岩盤PS工用)を選定し実施工に反映することができました。5設備の組み合わせから経済性を重視したリフトスケジュールは、結構な頭の体操になりました。

中野: 国立公園内のダム計画ということで様々な工夫があったのですね。他に検討されたことはありますか。

長門: 原石山に存在する「濁沸石」の問題についてですが、川治ダムの原石山調査は、通常実施すべき調査や試験はすべて実施済でしたが、山口所長は、コンクリート打設に備え自ら先頭にたち原石山の現地調査を行い、岩石の割れ目や断層部分に濁沸石が存在することがわかったので、対策を講じて可能な限り除去することを決定されました。難題であった濁沸石問題に現地調査をはじめ諸試験に真剣に取り組まれ、高品質の川治ダム用のコンクリート製造に尽力されました。山口所長は、建設省本省当時から多岐にわたり直接ご指導頂いた上司でもありました。

宮ヶ瀬ダムについて

中野: 昭和57年4月から60年3月までの3年間は、宮ヶ瀬ダムに勤務されたとのことですが、宮ヶ瀬の現場ではどういうことをされたのですか。

長門: 宮ヶ瀬ダムでは、技術面の総括的立場での業務に従事することになりました。そのなかで、特に計画面で苦慮したことが2点あります。まず、ダムサイトの地質調査用試掘工事で発生する土岩石処理計画でした。ダムサイトの地質調査は、長年にわたっての念願工事でしたが、昭和57年12月ダムサイト調査の了解が得られ、工事が可能となりました。右岸側には、県道宮ヶ瀬・愛川線が通っており、急峻な地形のため工事により発生する土岩石処理が最大の問題でしたが、検討の結果、安全管理面を重視しモノレール工法を採用しました。前例のない工法ですが、今後、立地条件が似ているダムサイト調査には参考になると思います。

 2点目は、本体工事の着工時期は、昭和62年が目標とされていることから、目標を厳守するために関連工事の再検討及び計画決定等が必要でした。荒井治所長は、工事用道路の新設が大きな課題であったため、中津川河床部を工事用道路として利用することができないかどうか検討等のため、仮設備予定地対岸からダム本体下流までをゴムボートで調査を行い、河床部に幅員15m程度の工事用道路新設は可能であることが確認されました。河床に工事用道路を造ることができれば、環境対策上望ましいのですが、一方、仮排水トンネルは工事用道路の機能に支障があってはならないため河川を約2q迂回させる計画になりました。この仮排水トンネルは当初から約400mとして計画されていましたが、荒井所長案と経済比較を含め検討した結果、本案(2q案)の採用を決定しました。


第10回(財)日本ダム協会ホームページ写真コンテスト応募作品(撮影:copter)
地域とコミュニケーションができたダム

中野: ダム建設に関わる生活再建のなかで、代替地の問題は重要な問題ですが、宮ヶ瀬ダムの代替地対策は今後のダム事業に大いに参考になると言われています。どのような対応策をとられたのかお聞かせください。

長門: 宮ヶ瀬ダムの代替地は、湖周辺のA代替地(39区画)、B代替地(15区画)、宮の里代替地(218区画)の3ヵ所が、集団移転用代替地として造成されました。A代替地は、一般住宅型の地域、B代替地は観光関連の店舗を営む人を対象とした商業型の地域、宮の里代替地は、厚木方面へ通勤している人の要望で集団移転地が開発されました。昭和55年5月に「代替地および世帯認定要綱」を作成して、地元組織との調印が行われ諸手続が進められました。その内容等は配分対象地、配分面積、区画割、配分方法その他が定められており、円滑に移転等の完了をみることができました。

中野: 地元との良い関係性が築けたので、宮ヶ瀬ダムは完成後も地域一体となったダムとして、多くの観光客を惹き付けることが出来ているのですね。

(財)ダム技術センターでの 審査・証明事業

中野: 宮ヶ瀬ダムの後は、(財)ダム技術センターに移られますが、どのようなことをされたのでしょうか。

長門: 約10年間の勤務で、主な業務内容は、建設省所管の補助ダムの建設に伴う施工計画、施工管理面の技術指導、そして建設省の引継ぎ業務として、ダム工事の積算に携わる官公庁職員、コンサルタント、建設会社等の関係者の実務を支援するために、各年度改訂される事項にも的確に対応することを目的にダム工事積算を体系化した「ダム工事積算の概説」の編集にも関わりました。

中野: 積算基準が数多くのダム技術者に活用され、業務に役立つということですね。他に関わられたことがあればお聞かせください。

長門: 昭和62年7月、建設省告知による民間開発証明事業が始まり、この中で、ダム建設技術・技術審査証明の実施機関として(財)ダム技術センターが認定され、昭和63年から8年間携わることになりました。この審査証明事業は、民間における研究開発促進と新技術の建設事業への適応、導入を図りこれにより建設技術水準の向上発展を図ることが目的で、ダムコンクリートに関する技術(コンクリート製造、運搬、打設設備、打設面処理、ダム用型枠)が主でした。

ダム工事総括管理技術者認定事業の技術審査を担当

中野: 昭和62年度、当協会でダム工事総括管理技術者認定事業が建設大臣の認定を受けました。当初、長門さんも関わっておられましたが、そのことについてお聞かせください。

長門: 本事業のうち技術審査については、(財)ダム技術センターが担当することに定められていることから、その担当として関わることになりました。ダム工事総括管理技術者認定事業は、試験問題の作成が伴い、マル秘での作業のため細心の配慮が必要であり、緊張の連続でした。審査では、ダム工事総括管理業務に従事する者が通常有すべき知識及び技術の程度を基準として、一次審査(筆記試験)、二次審査(論文試験、口頭試験)が実施されました。

中野: 本業務につきましては、(財)ダム技術センターの委員の皆様に大変お世話になり感謝しております。試験問題作成につきまして細心の注意が必要とのことですが、どのように対応されたのでしょうか。

長門: 何分にも試験問題作成というマル秘事項が伴うため万が一の漏洩に対して気配りが必要でしたので、いくつかの内規を定め厳守しての作業となりました。阪西先生にはこの業務で再度ご指導頂くことになりました。

CMEDへのメッセージ

中野: この試験は今でも難関ですが、ダム工事総括管理技術者(以下CMED)についてのメッセージがありましたらお聞かせください。



長門: CMEDの資格取得のためにはかなりの勉強が必要で、また、長期のダム現場の経験も必要となります。これは単に机上の勉強だけでは「この資格を与えることはできない」というメッセージであり、CMED資格者は、技術の裏付けを持った現場経験者で、コンクリート、岩盤、土、すべての知識が必要となるので、発注者からも信頼が厚いことはいうまでもありません。CMEDは、土木の総合知識と現場経験をもっている証である数少ない資格です。CMED会にはダム技術者集団としてダム技術の研鑽、伝承のための積極的な活動を期待しています。
ダム技術者へのテキストが本に

中野: 「多目的ダムの建設」は(財)全国建設研修センターで開講された「ダム技術研修」の講義テキストとしてまとめられたということですが、最初から関わられたのでしょうか。

長門: そうですね。最初から関わっていたと思います。

中野: なるほど、長年、建設研修の講師をされておられ、(財)全国建設研修センター理事長から表彰を受けられたのですね。

(株)竹中土木でダム技術者の指導に

中野: (財)ダム技術センターを退職されてから、(株)竹中土木へ行かれるのですが、どのようなことをされたのですか。

長門: 主に会社が受注したダムの施工管理業務と、ダム工事応札参加業務の対応及びダム技術者の育成でした。

中野: 会社では、「長門学校」ができたとお聞きしましたが、どのようなダム技術者の育成をされたのかお聞かせください。

長門: 近年のダム工事入札公告で、現場配置予定技術者の資格条件としてCMED及び小規模ダム工事総括管理技術者(CMESD)が指定される例が多くなったこともあり、会社として資格認定者の増員を図る目的からダム技術者の育成が急務となり、この業務に私が関わることになりました。退職するまでの12年間は、受験者対応としては、ダム技術全般については勿論のこと関連一般土木工事分野、その他諸法規等の教育及び指導に努め、成果としては、CMED 8名 CMESD 10名 計18名の合格認定を受けることができました。また、ダム工事応札参加業務の対応も併行して行いました。「長門学校」は、ダム技術者の育成業務に参加した社員が勝手に命名したものです。

中野: ダム技術者の育成ができたことは、本当に良かったですね。


ダム技術の伝承について

中野: ダム現場が少なくなっていくなかでダム技術の継承についてはどのようにお考えかお聞かせください。

長門: ダム技術者の高齢化が進むことによりダム技術の伝承が非常に難しくなってきています。しかし、リニューアルを含むダム建設が必須であることを考えるとダム技術の伝承は計画的に行わないと、いざ必要となった時に困ることは明白です。ダムは原材料を造ることから始まる総合土木であり、一方でボーリンググラウチングのような特殊な技術も必要です。そういったことから見ても技術の伝承のためには現場がどうしても必要です。そのためには発注者へのお願いとして、ダム技術者の技術の伝承を考慮した対応策を検討して頂く必要があると思っています。

若い技術者へのメッセージ

中野: 長年ダムに関わられた経験を踏まえ、これからのダム技術者へのメッセージをお願いします。



長門: 最近、若い技術者にとってダムは、あまり人気がないことが気がかりです。確かにダムは都会から離れたところで、昼夜作業、現場宿舎暮らしという若者から見れば環境的には非常に厳しいものがあります。しかし、ダムには多くの工種があり、技術を磨くためには非常に良い現場です。是非、若い技術者に参画して欲しいです。

中野: ダム現場の魅力を伝えることができればいいのですが。
長門: そうですね。ダム事業に参画した者の殆どがやってよかったという気持ちになれるのは、厳しい自然条件を克服してビッグプロジェクトを完成させた土木屋本来の喜びを感じることができるからではないかと思います。

日本のダムの将来について

中野: 最後にダムの将来についてご意見をお聞かせください。

長門: 気候変動が大きくなっていることは統計的にはっきりしており、これまでの治水計画がそのままでは通用しなくなってきたため新たな治水計画を作る必要が差し迫っています。これまで先輩方が作られてきた既存ダムをリニューアルすることで、用地、環境問題は最小限でより大きな治水機能を持たせることが可能です。特にダムの嵩上げは、少しの嵩上げで多くの貯水量を確保できるので、より多くの治水容量を稼ぐことが可能です。このようにダムは適切な対応をすることで、これからも国民の安全な生活を守るためになくてはならない存在になっていくはずです。

中野: 本日は貴重なお話を有難うございました。

長門  明(ながとあきら)氏プロフィール
(職歴)
昭和27年4月 建設省関東地方建設局
   荒川ダム上流工事事務所(二瀬ダム調査)
  28年7月 建設省関東地方建設局
   藤原ダム工事事務所
  33年7月 建設省関東地方建設局
   薗原ダム工事事務所
  41年3月 建設省関東地方建設局
   利根川ダム統合管理事務所
  43年4月 建設省関東地方建設局
   川治ダム調査事務所設計係長、工務係長
  45年4月 建設省関東地方建設局
   川治ダム工事事務所工務係長
  46年4月 建設省関東地方建設局
   河川部河川工事課ダム係長
  47年5月 建設省河川局
   開発企画調整係長
  49年4月 建設省河川局
   開発課補助技術係長
  51年4月 建設省関東地方建設局
   川治ダム工事事務所工務課長
  54年4月 建設省関東地方建設局
   河川部河川工事課課長補佐
  57年4月 建設省関東地方建設局
   宮ヶ瀬ダム工事事務所副所長
  60年4月 (財)ダム技術センター
   技術部参事兼主任研究員
  61年4月 (財)ダム技術センター
   上席参事兼主任研究員
  61年7月 建設省関東地方建設局
   二瀬ダム管理所長
  62年10月 建設省退職
  62年10月 (財)ダム技術センター
   技術部上席参事、企画部技術管理課長
平成5年10月 (財)ダム技術センター
   首席参事
  8年4月 (財)ダム技術センター退職
  8年5月 (株)竹中土木技術本部次長
  20年4月 (株)竹中土木退職

(表彰等)
昭和47年7月 建設省河川局長表彰
  57年7月 建設大臣表彰
  62年10月 建設事務次官表彰
平成7年11月 (財)日本ダム協会
       ダム建設功績者表彰受賞
  9年6月 (財)全国建設研修センター
       理事長表彰
  17年5月 ダム工学会技術功績賞受賞

(著書)
昭和62年度版 多目的ダムの建設 施工編、積算編(共著、ダム技術センター編集)
平成7年度版 多目的ダムの建設 別巻、工事積算編(共著、ダム技術センター編集)

[関連ダム]  二瀬ダム  藤原ダム  薗原ダム  川治ダム  宮ヶ瀬ダム
(平成29年10月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
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  [テ] ダムインタビュー(9)Dam masterさんに聞く「機能と造形と自然の組み合わせが面白い」
  [テ] ダムインタビュー(10)水資源機構・金山明広さんに聞く「地元、ダムマニア、ダム管理事務所がコラボレーションできれば」
  [テ] ダムインタビュー(11)古賀河川図書館館長・古賀邦雄さんに聞く「将来は1万冊を目標にしようという気持ちでいます」
  [テ] ダムインタビュー(12)中村靖治さんに聞く「ダムづくりの基本は、""使いやすいダム""を設計するということです」
  [テ] ダムインタビュー(13)江守敦史さんに聞く「ダムについて何時間も語れる萩原さん。彼と本質を突き詰めたからこそ、面白い本になりました」
  [テ] ダムインタビュー(14)藤野浩一さんに聞く「欧米では水力を含む再生可能エネルギーの開発に重点を置いています」
  [テ] ダムインタビュー(15)安河内孝さんに聞く「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」
  [テ] ダムインタビュー(16)石川順さんに聞く「ふと閃いたのがダムだったんです。」
  [テ] ダムインタビュー(17)杉野健一さんに聞く「経験を重ねるというのはダム技術者にとって大事な財産」
  [テ] ダムインタビュー(18)だいさんに聞く「ダムを見るいちばんのポイントは機能美だと思っています」
  [テ] ダムインタビュー(19)琉さんに聞く「時々 ""ダム王子"" とか呼ばれちゃってますけど」
  [テ] ダムインタビュー(20)西田博さんに聞く「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
  [テ] ダムインタビュー(21)緒方英樹さんに聞く「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
  [テ] ダムインタビュー(22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
  [テ] ダムインタビュー(23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
  [テ] ダムインタビュー(24)高橋裕先生に聞く「公共事業を軽んずる国の将来が危ない」
  [テ] ダムインタビュー(25)竹林征三さんに聞く(その2)「風土との調和・美の法則を追求して構築したのが『風土工学理論』です」
  [テ] ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」
  [テ] ダムインタビュー(27)虫明功臣先生に聞く「八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠」
  [テ] ダムインタビュー(28)水野光章さんに聞く「水と安全はタダといった安易な考えではいけないと、あらためてそう思います」
  [テ] ダムインタビュー(29)萃香さんに聞く「ダムの魅力を引き出せるような写真を撮って公開していきたい」
  [テ] ダムインタビュー(30)樋口明彦先生に聞く「ひっそりと自然の中に佇むようなダムが美しい、とスペインの名もないダムを見て気づいた」
  [テ] ダムインタビュー(31)宮村 忠先生に聞く「これからは‘線’ではなく‘点’で勝負すべきだ」
  [テ] ダムインタビュー(32)土屋信行さんに聞く「きちんとやるべきことと、そうでないことの本当の仕分けが今こそ必要ではないか」
  [テ] ダムインタビュー(33)沖大幹先生に聞く「ダムは造りすぎではなく最低限の備えが出来た段階だ」
  [テ] ダムインタビュー(34)阪田憲次先生に聞く「技術者には""想定外を想定する想像力""が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(35)谷茂さんに聞く「これからは少しゆっくりと環境に負荷を与えないかたちでダムを造る方法もあるのではないか」
  [テ] ダムインタビュー(36)大藪勝美さんに聞く「インフラの重要性をもっと多くの人に知ってもらいたい」
  [テ] ダムインタビュー(37)武田元秀さんに聞く「四十年来の思いが叶い、『ダムと鉄道』にまつわる話を出版することができました」
  [テ] ダムインタビュー(38)山内 彪さんに聞く「若い人は、ダムを糧として立派な総合技術者として育っていって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(39)角哲也先生に聞く「ダムのアセットマネジメントの話をするときに何か目標がいる、千年ではどうかと」
  [テ] ダムインタビュー(40)唐澤一寛さんに聞く「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
  [テ] ダムインタビュー(41)糸林芳彦さんに聞く「今は新規のダム計画がなくとも、ダム技術は常に磨いておくべき。いずれ時代の要請に応える日が来るから。」
  [テ] ダムインタビュー(42)今村瑞穂さんに聞く「ダム操作の定式化と現場適用性の向上は車の両輪」
  [テ] ダムインタビュー(43)本庄正史さんに聞く「ダムの海外展開は、現地社会に貢献するという、貢献がキーワードだと思います」
  [テ] ダムインタビュー(44)石田哲也先生に聞く「何か起きたときのリスクのあるシナリオをきちんと一般の人に伝えていかないと」
  [テ] ダムインタビュー(45)古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」
  [テ] ダムインタビュー(46)入江洋樹さんに聞く「水を大切にするという日本人の心の原点を守り、継承していけば1000年先もダムは残っていく」
  [テ] ダムインタビュー(47)島谷幸宏先生に聞く「設計をする時に環境設計と治水設計を一体的にすることが一番重要なのです」
  [テ] ダムインタビュー(48)吉津洋一さんに聞く「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
  [テ] ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは黒部ダムが最初でした」
  [テ] ダムインタビュー(50)山口温朗さんに聞く「徳山ダムの仕事はまさに地図にも、私の記憶にも残る仕事となりました」
  [テ] ダムインタビュー(51)安部塁さんに聞く「新しい情報を得たらレポートにまとめてダム便覧に寄稿しています」
  [テ] ダムインタビュー(52)長瀧重義先生に聞く「土木技術は地球の医学、土木技術者は地球の医者である」
  [テ] ダムインタビュー(53)大田弘さんに聞く「くろよんは、誇りをもって心がひとつになって、試練を克服した」
  [テ] ダムインタビュー(54)大町達夫先生に聞く「ダム技術は、国土強靱化にも大きく寄与できると思います」
  [テ] ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
  [テ] ダムインタビュー(56)近藤徹さんに聞く「受け入れる人、反対する人、あらゆる人と話し合うことでダム建設は進められる」
  [テ] ダムインタビュー(57)小原好一さんに聞く「ダムから全てを学び、それを経営に活かす」
  [テ] ダムインタビュー(58)坂本忠彦さんに聞く「長いダム生活一番の思い出はプレキャスト型枠を提案して標準工法になったこと」
  [テ] ダムインタビュー(59)青山俊樹さんに聞く「相手を説得するのではなく、相手がどう考えているのかを聞くことに徹すれば、自然に道は開けてくる」
  [テ] ダムインタビュー(60)中川博次先生に聞く「世の中にどれだけ自分が貢献できるかという志が大事」
  [テ] ダムインタビュー(61)田代民治さんに聞く「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
  [テ] ダムインタビュー(62)ダムマンガ作者・井上よしひささんに聞く「ダム巡りのストーリーを現実に即して描いていきたい」
  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
  [テ] ダムインタビュー(64)工藤睦信さんに聞く「ダム現場の経験は経営にも随分と役立ったと思います」
  [テ] ダムインタビュー(65)羽賀翔一さんに聞く「『ダムの日』を通じてダムに興味をもってくれる人が増えたら嬉しい」
  [テ] ダムインタビュー(67)長谷川高士先生に聞く『「保全工学」で、現在あるダム工学の体系をまとめ直したいと思っています』
  [テ] ダムインタビュー(66)神馬シンさんに聞く「Webサイト上ではいろんなダムを紹介する百科事典的な感じにしたい」
  [テ] ダムインタビュー(68)星野夕陽さんに聞く「正しい情報を流すと、反応してくれる人がいっぱいいる」
  [テ] ダムインタビュー(69)魚本健人さんに聞く「若い人に問題解決のチャンスを与えてあげることが大事」
  [テ] ダムインタビュー(70)陣内孝雄さんに聞く「ダムが出来たら首都圏の奥座敷として 訪れる温泉場に再びなって欲しい」
  [テ] ダムインタビュー(71)濱口達男さんに聞く「ダムにはまだ可能性があっていろんな利用ができる」
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