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4.千曲川のダム開発史

 千曲川のダム開発史について、前掲書『定本千曲川』、長野県企業局編・発行『県営発電の灯をともして30年』(昭和63年)、日本ダム協会編・発行ダム年鑑 '05』(平成17年)、『各ダム事業パンフレット』等により、
 ・明治・大正期(明治元年〜大正15年)
 ・昭和初期(昭和元年〜20年)
 ・昭和中期(昭和21年〜40年)
 ・昭和後期(昭和41年〜63年)
 ・平成期 (平成元年〜17年)
の5期に分けて追ってみる。

【なお、表記のダムは、起業者、型式、目的、堤高総貯水容量の順で、A:アーチダム、E:アースダム、G:重力式コンクリートダム、R:ロックフィルダム、F:洪水調節・農地防災、N:不特定用水河川維持用水、A:かんがい用水、W:水道用水、I:工業用水、P:発電用水を表す】

明治・大正期(明治元年〜大正15年)

明治元年 大雨 千曲川大水害(辰の満水)
  7年 千曲川・犀川通船会社の設立
  23年 上田橋(木と橋)の架設
  26年 長野県、千曲川河川測量図作成
     信越本線、高崎−直江津開通
  27年 日清戦争(〜28年)
  29年 「河川法」の制定
     7月大雨 千曲川大水害
  31年 千曲川大水害 戸倉温泉流失
     亀岩下堤防(長野市)決壊
  37年 日露戦争(〜38年)
  38年 尾地谷池(斑川)の竣工(豊田村北
      永江地区)
      E  A  16m 1万m3
  43年 八月豪雨 千曲川大水害
  44年 八月豪雨 千曲川大水害
大正3年 長野県会、「千曲川治水ニ関スル親
      書」内務省へ提出
     八月豪雨 千曲川大水害 飯島堤防
     決壊
  7年 上組溜池(皿川)の竣工(長野県)
      E  A  16m  2.1万m3
     千曲川改修事業起工式
  9年 長野県の人口 156.3万人
  10年 大沢池(浦野川)の竣工(宝賀土地
      改良区)
      E  A  15.3m  2.9万m3

 明治・大正期では、千曲川はひんぱんに水害が起こり、その対策として部分的な河川改修が行われた。農業用水を目的としたアースダムが3基造られた。なお、長野県のため池数は1932ケ所(平成元年度)存するが、減少傾向にある。(内田和子著『日本のため池』 (海青社・平成15年) )

昭和初期(昭和元年〜20年)

昭和3年 セバ谷ダム(湯川)の完成(東京電
      力)
      G P  22.7m 4.6万m3
  4年 飯山線 豊野−越後川口開通
     千曲川通船衰退
  8年 堤池(鳥居川)の竣工(浅野区)
      E A  20m 7万m3
     大久保池(鳥居川)の竣工(豊野区)
      E A  24m  7.2万m3
  9年 三念沢池(浅川)の竣工(石区)
      E A  15m  2.6万m3
  10年 小海線 小淵沢−小諸間開通
  11年 沢山池(産川)の竣工(沢山水系
      土地改良区)
      E  FA 26.9m 108.2万m3
     塩之入池(浦野川)の竣工(浦里土
      地改良区)
      E  A  18.5m 21万m3
  12年 日中戦争始まる
  13年 「電力国家管理法」の設定
  14年 日本発送電(株)の設立
     信濃川発電所 西大滝ダムの完成
  15年 信濃川発電所完成
  16年 千曲川改修事業竣工
  17年 大沢ダム(塩沢川)の完成(南内田
      区)
      R  A  17.0m  2.7万m3
  18年 水内ダム(犀川)の完成(東京電力)
      G  P 25.3m  424.8万m3
  20年 日中、太平洋戦争終わる
     台風による千曲川大水害
     木曽川堤防決壊

 昭和初期は、8基のダムが造られた。その内訳はアースダム5基、ロックフィルダム1基はともに農業用水、重力式コンクリートダム2基は水力発電である。農業、電力のための利水優先のダムであった。犀川に建設された重力式コンクリートダム水内ダムは、最大出力3万1000KWを誇り、近代的なダムとして特筆される。

昭和中期(昭和21〜40年)

昭和21年 下平大池(安庭川)の竣工(下平区)
      E  A 15m   1万m3
  24年 キティ台風村山(須坂市)の堤防決壊
  25年 朝鮮戦争始まる(〜28年休戦)
     「国土総合開発法」の制定
     「長野県総合開発審議会条例」公布施行
  26年 日本発送電(株)・電力再編成により解体
     九電力体制、東京電力(株)の設立
     美鈴湖(女鳥羽川)の完成(女鳥羽水利協議会)
      E  A  19m  71万m3
     ケイト台風、南信地方水害続出
  27年 沓沢池(小曽部川)の竣工(奈良井川土地改良区)
      E  A  26.9m  91.8 万m3
     みどり湖( 田川)の完成(長野県)
      E  A  22m  27.5万m3
     七窪溜池(皿川)の竣工(西部土地改良区)
      E  A  18.5m  1.1万m3
  28年 和池(成沢川)の竣工(和土地改良区)
      E  A  17.8m  8万m3
     電力制限強化でネオンなど消える
  29年 千曲川と犀川の合流点背割堤工事着手
     弁天池(所沢川)の竣工(弁天池土地改良区)
      E  A  16m  11.2万m3
     笹平ダム(犀川)の完成(東京電力)
      G  P  19.3m  275.5万m3
     小田切ダム(犀川)の完成(東京電力)
      G  P  21.3m  254.6万m3
  30年 渋沢ダム(中津川)の完成(東京電力)
      G  P 20.7m  22万m3
  32年 平ダム(犀川)の完成 (東京電力)
      G  P  20m  303万m3
  33年 黒部ダム建設、関電トンネル貫通
  34年 伊勢湾台風(台風7号)・大洪水
     樽川堤防決壊
     台風7号長野県下に大災害
  35年 長野県の発電量全国1位となる
  36年 長野県企業局発足
     36災害集中豪雨
     バイオント・ダム(イタリア)の災害
  39年 生坂ダム(犀川)の完成(東京電力)
      G  P 19.5m  311万m3
     河川法の制定(治水・利水の体系的な制度の整備)
  40年 信濃川一級河川の指定

 昭和中期は、戦後における重要課題であった食糧と電力不足に対応するために12基のダムが造られた。その内訳は、アース式ダム7基が農業用水、重力式コンクリートダム5基は水力発電用を目的としている。とくに、東京電力(株)は、犀川に上流から階段状に、昭和39年生坂ダム(2万1000KW)、昭和32年平ダム(1万5600KW)、昭和29年笹平ダム(1万4700KW)、同年小田切ダム(1万6900KW)と4基のダムを築造したことは注目される。これらの発電用ダムの建設によって、昭和35年長野県の発電量は全国1位となった。昭和40年まで、千曲川水系では治水、利水を含めた多目的ダムの建設はみられない。

昭和後期(昭和41年〜63年)

  43年 菅平ダム(神川)の完成(長野県)
      G AWP 41.8m  345.1万m3
     小布施橋(永久橋)の完成
  44年 奈川渡ダム(梓川)の完成(東京電力)
      A  P   155.0m  12300万m3 
     水殿ダム(梓川)の完成(東京電力)
      A  P   95.5m  1510万m3
     稲核ダム(梓川)の完成(東京電力)
      A  P    60m  1070万m3 
     湯の瀬ダム(裾花川)の完成(長野県)
      G  WP   18m   33万m3
     裾花ダム(裾花川)の完成(長野県)
      A FWP   83m  1500万m3
  47年 香坂ダム(香坂川)の完成(長野県)
      R F 38.5m 105万m3
  48年 オイルショックで高瀬ダム、七倉ダム資材高騰
  51年 ティートン・ダム(アメリカ)の決壊
  52年 湯川ダム(湯川)の完成(長野県)
      G  FN   50m  340万m3
  53年 奥裾花ダム(裾花川)の完成(長野県)
      G FWP   59m  540万m3
  55年 長野県の人口 208.4万人
  56年 豪雪の被害
     高瀬ダム(高瀬川)の完成(東京電力)
      R  P    176m 7620万m3
     七倉ダム(高瀬川)の完成(東京電力)
      R  P    125m 3250万m3
     中央自動車道長野県内(122.2 km)全線開通
  57年 奈良井ダム(奈良井川)の完成(長野県)
      R FNW  60m   800万m3
     台風18号、樽川破堤、木島平村・飯山市・大水害をうける
     千曲川(飯山市、西大滝ダム)サケ・遡上
  58年 古谷ダム(抜井川)の完成(長野県)
      G FN 48.5 m 720万m3
     台風10号、千曲川本堤防柏尾橋上流で決壊
     飯山市常盤地区で大水害
     「七ケ釜の渡し」(飯山市野沢温泉村)の廃止
  60年 内村ダム(内村川)の完成(長野県)
      G FNW 51.3m  200万m3
  61年 大町ダム(高瀬川)の完成(建設省)
      G FNWP 107m 3390万m3

 昭和後期は、高度成長の最盛期であって15基のダムが築造された。その内訳は、重力式コンクリートダム7基、アーチダム4基、ロックフィルダム4基で、目的として洪水調節農地防災1基、水力発電5基、多目的ダム9基となっている。ここで初めて菅平ダム(昭和43年完成)等、治水、利水を含めた多目的ダムか竣工している。とくに人口の増大(昭和55年 208.4万人)に伴う、水道用水の供給を目的とした、多目的ダム6基が建設されたことは注目される。
 さらに特筆されるのは、昭和44年奈川渡ダム(アーチ式堤高 155m)、昭和56年高瀬ダム(ロックフィル・堤高 176m)、同年七倉ダム(ロックフィル・堤高 125m)、昭和61年大町ダム(重力式コンクリート・堤高 107m)のハイダムの完成であり、ダムの技術力の集成がみられる。なお、昭和60年長野県産業別人口割合は第一次産業17%、第二次産業37.9%、第三次産業45.1%と戦前に比べると大きく変化し、長野県における電力、水道等のインフラ整備が都市生活者の利便性を享受することとなったといえる。

平成期(平成元年〜平成17年)

平成2年 建設省「多自然型川づくり」の通達
  3年 台風18号の災害
  6年 豊丘ダム(百々川)の完成(長野県)
      G FNWP 81 m 258万m3
  7年 梅雨前線豪雨災害
  8年 満原沢土石流災害
     神田川放水路完成
  9年 河川法の改正(治水、利水、環境の総合的な制度の整備)
  10年 長野県オリンピック冬季競技大会開催
     台風5号の災害
  11年 金原ダム(金原川)の完成(長野県)
      R FNW  36.5m 38.8万m3
     北山ダム(宮川)の完成(長野県)
      G FNW   43m 21.3万m3
  12年 水上ダム(合田川)の完成(長野県)
      G FNW  38m  27.6万m3
     大仏ダム建設の中止
     大梁橋(坂城町)の完成
     長野県の人口 221.5万人
  13年 田中康夫長野県知事・脱ダム宣言
     「長野県治水・利水ダム等検討委員会条例」の制定
  14年 田中康夫長野県知事再選
  16年 余地ダム(余地川)の完成(長野県)
      G FNW  42m  52.3万m3
     小仁熊ダム(東条川)の完成(長野県)
      G FNW  36.5m 193万m3 
  17年 南相木ダム(南相木川)の完成(東京電力)
      R  P   136m  1917万m3
     高瀬ダム、ダムの百選に選ばれる

 平成期は、長野県営ダムの豊丘ダム、東京電力(株)の南相木ダム等7基が築造された。その内訳は、重力コンクリートダム5基、ロックフィルダム2基で、目的として、治水を含む多目的ダム6基、水力発電1基となっている。平成13年田中康夫知事の「脱ダム宣言」は、今後のダム建設に大きな影響を与えた。

 以上、明治期から平成期(平成17年現在)まで、千曲川における堤高15m以上のダムの建設は45基に及ぶが、その型式は重力式コンクリートダム19基、アース式ダム15基、ロックフィルダム7基、アーチ式ダム4基で、一方、起業者別にみると長野県18基、土地改良区等14基、東京電力(株)13基、国土交通省1基となっている。
 なお、堤高ベスト3は、
 ・高瀬ダム    176m
 ・奈川渡ダム   155m
 ・南相木ダム   136m
である。
 一方、総貯水容量ベスト3は、
 ・奈川渡ダム 1億2300万m3
 ・高瀬ダム    7620万m3
 ・大町ダム    3390万m3
である。

 続いて、千曲川における奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダム、高瀬ダム、七倉ダム、大町ダム、奈良井ダム、水上ダム、小仁熊ダム、北山ダム、古谷ダム、余地ダム、金原ダム、内村ダム、豊丘ダムについて追ってみる。



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