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穴内川ダム及び発電所は穴内川水系一貫開発の基幹となる発電所で、その下流に新設された新平山、新改発電所との緊密に連繋された総合運用により効率的に運営する計画である。穴内川ダムの建設により、年間流量の季節的調整を行うほか、斜流型ポンプ水車を採用して下流の繁藤調整池からの揚水による河水の有効利用と余剰電力の消化、系統一連のピーク調整を図り、最下流の新改発電所から遠方制御操作を行い、60kv系送電線と奈半利川系 187KVとを連繋して四国内の供給力の安定を図る。さらに、中西幹線により西地域の広域運営に資するものである。新平山、新改発電所は昭和38年4月、穴内川発電所は昭和39年7月に発電を開始した。
穴内川ダムの建設については、四国電力(株)編・発行『穴内川発電所工事誌』(昭和43年)がある。
ダムの諸元は、堤高66.6m、堤頂長 251.9m、堤体積21.3万m3、有効貯水容量4330万m3、総貯水容量4626万m3、型式は中空重力式コンクリートダムである。 起業者は四国電力(株)、施工者は鹿島建設(株)、事業費 63.19億円を要した。
なお、主なる補償は、取得面積 213ha、水没家屋 187戸、公共用建物15件、漁業補償、鉱業権補償などであり、その解決に容易ならぬ努力があった。 この補償問題の特徴について次の点があげられる。
・開発計画が、穴内川の水を国分川に流域変更するため、分水による穴内川の減水、国分川の増水という二面性を生じ、この両面の実害が対象となり、複雑多岐を極めた。 ・水没用地 213ha、水没家屋 187戸と多くの移転補償交渉を行った。 ・三発電所の一貫開発のため工事工区が広大となり、影響区域を加えると関係市町村は6カ市町村となり、補償もあらゆるケースを伴った。 ・農業用水疏水(甫喜峯疏水)を利用した既設発電所の廃止と関連して、農業用水確保のための子発電所を設置するなど、特別な灌漑補償を要した。 ・なお、任意協議では解決せず、土地収用法を適用したのは4件、うち3件は裁決に至らず和解、1件は裁決に及び、代執行による立木の除去を行った。
ダムの位置、型式の決定については、 ・ダムの高さに対して貯水容量が多く岩盤が露頭していること ・基礎地質の地耐力、強度 から中空重力式を選んだ、という。ダムの調査設計技術者は工学博士小沢章三である。工事の実施方法については、ダムはダム地点の上下流に仮締切を設け、左岸に仮排水ずい道を設けて河水を切替え、全間同時に作業した。この仮排水路は湛水開始前に閉塞しコンクリートを填充する。コンクリート混合設備は右岸バッチヤープラント(28切3台)を設け、練上コンクリートは 4.5t ケーブルクレーン2基により運搬打設した。
また、片山文雄前穴内川水力建設事務所長は、この『工事誌』のなかで、
【穴内川ダム左岸の満水面付近より上方一帯は岩質脆弱にて通常のダム掘削にては、異状な建設費の高騰をきたしますので、経済性を追求しダム最頂部より殆ど鉛直に近い法面こう配を以って逆巻鉄筋コンクリート壁にて土圧を支えながら低部に達しました。止水心壁は塩化ビニールシートを用いた特殊工法を採用し、いずれもダム建設費のコストダウンに努めました。】
と、その苦労を語っている。
昭和35年3月穴内川水力建設事務所を開設し、昭和39年に約5年の短期間で穴内川ダムは完成した。わが国の高度経済成長期を背景とした大規模水力発電の時代であった。翌年昭和41年には東海原子力発電所が営業を開始(平成8年停止、解体)し、原子力の時代に移行していくことになる。
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