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11.浅瀬石川ダム(岩木川水系平川支川浅瀬石川)の建設

 浅瀬石川中流域には、下川原堰、枝川堰、小阿弥堰、藤崎堰、横沢堰があり、それぞれ取水する。藤崎堰にまつわる人柱の話が残っている。慶長14年4月この堰の取水口が崩れ、堰役を勤めていた堰八太郎左衛門安高は、取水口に立ち、禊ぎを行い、わが身に杭を打たせて水底に沈んだ。それ以来堰は崩れることはなかったという。安高は堰神社に祀られている。

 浅瀬石川は、岩木川右支川平川の右2次支川で、南八甲田山の櫛ケ峰(標高1516.5m)を源流とする滝ノ股川、御鼻部山(標高1011m)に源を発する温川を合わせて、浅瀬石川となり、小国川、青荷川、二庄内川と合流し、さらに下って中野川と合流後、黒石市街地の南端を通って、藤崎町百田地点で平川と合流する。流路延長44.2km、流域面積344km2で、この流域面積に占める割合は山地91%、平地9%となっている。

 浅瀬石川ダム(虹の湖)は平川合流点より約19km上流の左岸黒石市大字袋、右岸同市板留地先に、昭和63年に完成した。

 このダム工事記録については、東北地方建設局浅瀬石川ダム工事事務所編・発行『浅瀬石川ダム工事誌』(平成元年)、同『浅瀬石川ダム写真集』(平成3年)があり、浅瀬石川ダムの目的、諸元、特徴をみてみたい。

『浅瀬石川ダム工事誌』

『浅瀬石川ダム写真集』

(撮影:北国のNAGO)
 このダムは、4つの目的をもった多目的ダムである。

洪水調節として、洪水期間7月1日〜9月30日において、2000m3/Sの計画高水流量のうち、1500m3/Sをダムに貯水し、500m3/Sを下流に放流し、浅瀬石川、岩木川の沿川地域の洪水の減災を図る。これに要する洪水調節容量は2400万m3である。最近の洪水調節は平成18年8月18日の降雨により、既往最大流入372m3/Sの記録に達したために行った。

・流水の正常な機能の維持として、最大11.882m3/Sにより、浅瀬石川沿岸の水田7700haに必要なかんがい用水を補給するとともに、生活用水、水辺の景観、水生生物の生息場所の保持、さらに自然環境を維持するための用水を供給する。なお、関連事業として、二庄内ダムを築造し、用水源を確保を図るとともに頭首工の統合新設などの浅瀬石川農業水利事業が行われた。

・水道用水として、弘前市、黒石市、五所川原市など津軽広域水道企業団を構成する3市6町2村の約43万人に対し、1.537m3/S(日量最大132800m3)を確保し、供給する。なお、ダム関連事業として津軽広域水道事業が施行された。その事業は浅瀬石川ダム右岸寄り堤体に、専用の取水塔を設け、直接取水し、ダムサイト下流約5.6kmの黒石市大字花巻地内に設置する総合浄水場に1100mmの管路で導水する。さらに導水された原水は薬品沈殿池8池、急速濾過池24池で処理され、有効容量5280m3の浄水池2池より浪岡・五所川原方面、藤崎・鶴田方面、弘前方面の3方面へ分岐し、関係市町村の受水槽に自然流下方式で送水する。

・発電として、浅瀬石川ダム直下の発電所にて、ダムの落差により水のエネルギーを利用して最大出力17100KWの水力発電を行う。なお関連連事業が、東北電力によって行われた。浅瀬石川筋には東北電力の5発電所があった。このうち最下流に位置する温湯発電所はダムによる影響はないが、板留発電所と沖浦発電所は取水口が水没、導水路がダムによって分断されることになるため廃止。最上流に位置する一の渡発電所も水没となるが、取水導水部分に影響がないため発電所を移設嵩上げ工事となった。

 以上、最大出力合計4735KW以上の機能が失われたが、代わりに東北電力において最大出力17100KWの新発電所が建設された。

 続いて、浅瀬石川ダムの諸元をみてみたい。
 堤高91m、堤頂長330m、堤体積70万m3、有効貯水容量4310万m3、総貯水容量5310万m3、堆砂容量1000万m3、形式は重力式コンクリートダムである。

 起業者は建設省(現国土交通省)、施工者は熊谷組・竹中土木共同企業体で事業費は905億円を要した。補償関係では、移転戸数水没201戸、少数残存者8戸、付替道路関係3戸の計212戸、水没農地76ha、山林149haに及ぶ。公共補償として沖浦小学校廃校補償(子弟は移転地先の小学校へ転入)、郵便局移転、国道の付替、林道の機能回復を図った。さらに、特殊補償として、前述したが、板留発電所と沖浦発電所の廃止補償、一の渡発電所の移転補償、また鉱業権補償、浅瀬石川漁業補償、温泉権補償と多岐にわたった。

 なお、212戸の移転者たちは、黒石市、平賀町、青森市、弘前市、北海道へそれぞれ移った。

 このように212戸も多くの移転に伴う地域の変化に対し、その地域における生活環境や生活基盤を整備する目的をもった「水源地域対策特別措置法」が昭和48年に施行された。浅瀬石川ダムの事業は、同法第2条の整備事業の国の負担割合の特例を受け、同法第3条により黒石市と平賀町の関係地域が地域の指定を受けた。この指定によって、農道整備、県道黒石七戸線、平賀町簡易水道、小田診療所などが整備された。

 指定を受けたダムは、浅瀬石川ダムをはじめ川治ダム、手取川ダム、阿木川ダムなどが第1号となった。

 浅瀬石川ダムの工期は、昭和46年〜63年の18年の歳月をかけて完成した。その経過を追ってみたい。

 昭和46年4月浅瀬石川ダム事務所発足、47年5月浅石川ダム水没者連合会発足、48年8月水没地内用地調査開始、50年12月浅瀬石川ダム補償基準妥結、補償協定調印式、54年9月転流基礎掘削着工、55年4月ダム起工式、57年10月ダム本体コンクリート打設、61年8月ダム本体コンクリート打設完了、62年11月浅瀬石川ダム湛水開始、63年9月沖浦ダム改造工事完了、63年10月ダム竣工式。

 完成までの18年間における歴代所長のダムにかける情熱について、前掲書『浅瀬石川ダム工事誌』から順に追ってみた。

「浅瀬石川ダムの技術的特徴は右岸青荷層の遮水構造として連続地中壁、スピルウェの導流壁コンクリートのベルコン打設の技術開発と近代的なゲート設備であり、更に環境整備としては素晴らしいダム公園の整備であります。」(会津正人)

「この上流端に堤頂部を残し水没した沖浦ダムが印象的である。半世紀にわたって流域の治水・利水の使命を全うし、浅瀬石川ダムの完成によってその役割を終え、発展的に引き継がれ・・・昭和から平成へ時代の変化に比し、永遠に続く川とのかかわりを象徴的に見せ、感慨に尽きない」(北村律太郎)

「日増しに高くなっていく堤体を見つめながら、頭にあったのは主に安全の確保であった。打合わせのたびに安全管理ばかりが口について出るのは、我ながら無策という外ないが、その後の現場の努力が実って慰霊碑が設けられることなく竣功したのは、技術屋として論外の幸せであった。」
「典型的な重力式コンクリートダムだからというので、ベルトコンベア施工、ステンレスクラッド鋼や重防蝕金属材料の採用、原石中の不良骨材の除去方法、機械設備のAV化スリーブグラウトなどの新しいことにも積極的に取り組むことができた。」(市川 慧)

「水没で苦労された人々、ダム建設に携わった人々、ダムの計画を支援してくれた人々、多くの人々の汗と涙の結晶、浅瀬石川ダムが地域の人々に愛され、あずましい(気持ちがよい)津軽の里に寄与できることを遠く北陸の地から祈りつつ筆を置きます。」(金子芳春)

「着工以来18年の歳月と総工費905億円をもって完成したものでありますが、その陰にはなんといっても先祖伝来の土地を提供くださいました地権者各位、無事故、無災害をスローガンとして、最新技術工法を駆使して工事を完成させた施行業者の方々。地元を始めとする関係者各位の理解ある協力。そしてまた、ダムに従事した職員の情熱の総てが結集されたものであります。あらためてここに感謝を申し上げるものであります。」(天道久男)

 歴代所長の浅瀬石川ダム建設に対する真摯な態度、対応がよく表現されている。

 浅瀬石川ダムの特徴について、一部重複するが次のようにまとめてみた。

・技術的特徴(建設省東北地方建設局河川部編・発行『東北のダム五十年』)として、
(イ)スリーブ注入工法の施工
(ロ)連続地中壁の施工
(ハ)ベルトコンベヤ打設工法の施工
(ニ)ダム用骨材生産で乾式による細粒分の処理
が挙げられる。

・水源地域対策特別措置法の指定を日本で初めて受け、黒石市、平賀町におけるインフラの整備事業が行われた。

・補償関係は地権者関係において、4団体を構成し、移転家屋212戸となり、公共補償、特殊補償など複雑な多岐にわたった。また共有地の関係者にブラジル移住者もあり、ブラジルの日本代表者の協力によって解決できたことがあった。

・浅瀬石川ダムの関連事業として、・津軽広域水道事業 ・発電事業(浅瀬石川発電所、津軽広域水道企業団発電所) ・水源地域対策特別措置法に基づく事業 ・浅瀬石川農業水利事業(基幹施設二庄内ダムの築造)が施工された。

・昭和20年3月 岩木川河水統制事業として完成した、沖浦ダム(標高40m・堤高171m・重力式コンクリートダム)は浅瀬石川ダムの上流 3.2kmに位置するが、浅瀬石川ダムの建設によって水没するため、砂防ダムの役割を 持つよう改修工事がなされた。水位187.58mに達したときは完全に水没する。

・浅瀬石川ダムは、黒石市中心部より10km、弘前市中心部より20kmの地点の距離にあることから、また、黒石温泉郷県立自然公園及び十和田八幡平国立公園との関係より、貯水池周辺の整備については重要視され、ダム公園、スポーツ広場、ふれあい広場、やすらぎ広場が施工され、市民の憩いの場を創り出した。

 以上、いくつかの浅瀬石川ダムの特徴を述べてきたが、ダムサイトの機械室などの施設にはピンクに塗装されており、遠くから眺めるとピンクの帽子をかぶったような姿をみせ、メルヘン的な世界をかもし出してくれる。全国的には珍しいダムカラーを写し出し、虹の湖にふさわしい。虹の湖は、沖浦ダムに名付けられた湖であったが、浅瀬石川ダムがそのまま引き継いだ。


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