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14.下湯ダム(堤川水系堤川)の建設

 堤川は青森県の中央部八甲田連峰櫛ケ峰(標高1516.5m)、駒ケ峯(標高1416.3m)、大岳(標高1585m)にその源を発し、北流して寒水沢、居繰沢、大柳辺沢、合子沢川、横内川、駒込川などの多くの大小支川を合わせ県都青森市の市街地を貫流し、青森湾に注ぐ流路延長32.6km、流域面積287.9km2の2級河川である。堤川は治水、利水上大きな役割を果たし、青森市における経済文化の基盤を形成している。

 この地域は、これまでに集中豪雨や台風による洪水が多く発生し、とくに昭和33年台
風22号、昭和44年台風9号の洪水により青森市街地は大被害をうけている。気象的には夏期が短く、冬期の長い積雪寒冷地域であって、年平均降水量は平地1400mm、山地1750mm、積雪深2m前後、年平均気温9.3℃となっている。

 下湯ダム(下湯平成湖)は、堤川の上流域青森市大字荒川地先に平成元年に完成した。

 このダム建設記録については、青森県下湯ダム建設事務所編・発行『下湯ダム工事誌』(平成元年)がある。この書から下湯ダムの目的、諸元、特徴などを追ってみたい。

『下湯ダム工事誌』

『下湯ダム記念アルバム』

(撮影:北国のNAGO)
 ダムは3つの目的をもって造られた。

洪水調節として、自然調節方式を採用し、ダム地点における計画高水流量570m3/Sのうち470m3/Sを調節し、100m3/Sを放流する。それに要する調節容量740万m3に20%を見込んで治水容量890万m3とした。

・堤川流域は1137ha(3.846m3/S)のかんがいと、青森市の土地の高度利用に伴い、地下水が多量に汲揚げられ、地盤沈下が起きるなど、堤川の水位低下が生じ、渇水時には流水の正常な機能の維持ができない状態になった。 この流れの正常な機能の維持と増進を図るため、標高263.4mから標高253.4m間の容量210万m3のうち40万m3を利用して補給する。

・水道用水として、青森市中部地区に対して標高263.4mから標高253.4mの容量210m3のうち170万m3を利用して0.75m3/S(65000m3/日)を大柳辺地点で可能ならしめる。

 次に、ダムの諸元は、堤高 本ダム70m(副ダム52m)、堤頂長 本ダム366m(洪水吐部192.5m、副ダム225m)、堤体積 本ダム269.5万m3(副ダム102.8万m3)、有効貯水容量1100万m3、総貯水容量1260万m3、堆砂量160万m3、型式は、本ダム中心コアロックフィルダム(副ダム傾斜コア型ロックフィルダム)である。起業者は青森県、施工者は鹿島、西松、フジタ協同企業体、事業費約472億円で、費用配分率は治水79.6%、上水道20.4%となっている。主なる補償関係は、土地取得面積106.4ha、温泉利用権の消滅施設、寒水沢発電所の移設補償であった。

 前掲書『青森県土木五十年史』によれば、下湯ダムの経過について、次のように記してある。

「昭和42年度に予備調査に着手、昭和46度には建設省の補助治水ダムとして実施計画調査に採択されるとともに、昭和49年度には建設事業に移行した。昭和51年3月青森市より上水道用水の需要増大に対応するため下湯ダムに共同事業として参加表明があり、昭和52年度から多目的ダムとして事業が進められた。」

「昭和54年12月にダム堤体工事に着手、1200mに及び仮排水路トンネル工事も昭和56年10月に概成し、同時に転流を行い堤体部分の掘削工事が本格化した。掘削量は全体で320万m3にも及び、最盛期には日当たり15000m3が運搬され、また、ダム堤体の総量370万m3の盛立工事は、昭和57年10月の定礎式を契機として日当たり19000m3を施工し、最盛期には800人の作業員と数百台の施工機械が稼働、延べ8時間にわたり工事が実施された。昭和60年9月に209千m3の洪水吐コンクリート打設完了、昭和61年8月に3723千m3の堤立盛立完了、昭和62年10月3日より試験湛水を開始した。昭和63年4月13日にサーチャージ水位に到達、その後、低水位に低下させたのち同年7月28日常時満水位に復帰させた試験湛水が完了、9月14日に待望の竣工式を向かえた。引き続きダム周辺の環境整備や管理用発電等の工事も完了し、下湯ダムは昭和49年に建設工事に着手して以来14年の歳月と約472億円の事業費を投じて平成元年3月に完成」

 このように完成まで、下湯ダム鹿島・西松・フジタ共同起業体工事事務所編・発行『下湯ダム記念アルバム』(平成元年)では、ヘルメット姿の男たちの奮闘を写し出す。

 さらに、下湯ダム施工の特徴について、山舘清士青森県土木部河川課長は、前掲書『下湯ダム工事誌』のなかで、ダムサイト周辺の地質は新第三紀及び第四紀の地層から形成されており、その物性値は多様で、しかも脆弱であることから高度な技術的判断が必要とされ、次のように列記する。

・ダム型式はロックフィル型とし、本ダムは半径600mの円弧の中心コア型を、副ダムは独立の傾斜コア型を選定したこと。

・洪水吐を中央部に、これを挟んで左岸に本体ダム、右岸に副ダムを配置し、これによって堤頂の長さが783mに及んでいること。

・ダム中心に沿ってダム本体部分とグラウトトンネルとによって1200m止水ラインを設け、基礎岩盤の浸透流抑制のためのボーリンググラウチング延長が約30万mに達していること。

 そして、「地質を語らずして、下湯ダムを語ることはできない」と。 副ダムのほぼ全域にわたる凝灰角礫岩の深層風化帯について、グラウチングによって基盤を改良すると共に、地下浸透流の抑制を広範囲に確保することでパイピングに対する安全性などの増大に努めたこと、この基礎処理工事に一部スリーブ・グラウチング工法の特殊工法を採用した、とある。

 さらに、ダム管理上でも、堤体観測装置についても約400箇の装置堤体が内部に埋設され、地震時のダム挙動を解明するために高精度な加速度地震計を設置する等、地震多発地帯の重要構造物として安全性がチェックできる措置をとっている。軟質な基盤のうえにダムが築造されたので、このようなダム技術が集約された。

 これらのダムの技術が高く評価されて、下湯ダムは、優秀な土木事業の設計、施工に対し、贈られる第2回土木学会東北支部技術賞に輝いた。「受賞対象となったのは「複合ロックフィル」と呼ばれるダム工法。同工法はコンクリートと土と石を利用してダムを造り上げるが、強い地盤と弱い地盤が複雑に入り組んだ地層をうまくダムサイトに応用したことが認められた」(東奥日報平成2年5月18日)

 技術者たちが創りだした下湯ダムは、本ダムと洪水吐きと副ダムが一体となって、調和
する技術美を誇っている。これからの下湯ダムの活躍を見守るように、北村正哉青森県知事の「よみがえれ堤川」、下湯ダム建設所長の「今生きてる人が未来のために建設する」記念碑が建っている。

  春めいて 男去りゆく ダムの路 (吉永貞志)


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