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12.新鶴子ダム(最上川水系丹生川)の建設

 村山北部農業水利事業地区は、山形県北東部村山盆地の北部に位置し、尾花沢市、大石田町に跨がる受益面積3410haのほぼ平坦な水田地帯である。主なる水源は宮城県境に源をもつ最上川支流の丹生川、朧気川、野尻川からなっており、これらの3河川とも表流水に乏しく、33箇所に及ぶ井堰と5個所の溜池並びに698箇所の揚水機場により用水不足に対処していたが、常時干ばつ被害に脅かされ、また河川取水施設の不備に加え、用水不足から地区内水路は用排水兼用となっており、区画は未整備の地域が大部分を占め、農業発展に大きな支障となっていた。

 この村山北部農業水利事業は、これらの用水足を解消するために、丹生川上流山形県尾花沢市大字鶴子地先に基幹施設として新鶴子ダムを建設し、用水の安定化と水利施設の統廃合により用水利用の合理化を図るものである。

 新鶴子ダムは、昭和52年度仮排水路工事に着手し、昭和56年〜60年にかけて盛立を実施し、昭和63年〜平成2年試験湛水を実施し、平成3年3月に完成した。

 日本技術編『新鶴子ダム技術誌』(東北農政局村山北部農業水利事業所・平成3年)により、ダムの諸元、特徴について追ってみたい。


『新鶴子ダム技術誌』

 新鶴子ダムの諸元はダム堤高96m、堤頂長283.9m、堤体積291.1万m3、総貯水容量3150万m3、有効貯水容量2980万m3、型式は中心コアロックフィルダムである。起業者は農林水産省、施工者は前田建設工業・飛島建設共同企業体、事業費は267.5億円を要した。 新鶴子ダムの設計、施工上の特徴については、『新鶴子ダム技術誌』に次のように記している。

(1)本堤の設計及び盛土施工
◇堤高が96mと高いことより、耐震性を考慮した材料構成及びゾーニングとした。
◇遮水性材料の盛土量は、約38万m3となることより、ダムサイトから得られる粘性土と洪水吐掘削により産出するレキ質財との混合を、ストックヤードにおいて実施し、遮水性ゾーンの施工を行った。
◇堤高が高く、貯水圧も大きくなることより、遮水性ゾーン岩着部にはコンタクトクレイを施工するとともに、本堤標準遮水性材料との漸変を考慮した粗粒遮水性ゾーンを設置した。
(2)付帯構造物の設計及び施工
◇洪水吐においては、新鶴子ダム(防災ダム)の補償施設として、1.6m×17.0mのフラップゲートを設置した。フラップゲートの諸元は、既定の洪水波形を新鶴子ダムに作用させ、その結果ダムから放流される流水が当初のハイドログラフと同一となるようにして決定した。
右岸基礎処理としては、施工時の掘削状況及び止水効果等より、地山ダム軸上を基礎処理ラインとし、洪水吐流入部については、揚圧力等に対する安全性を考慮した設計、施工を実施した。
◇新鶴子ダムにおいては、遮水性ゾーンの基礎に基礎処理の施工性の向上、保守管理面での有意性より、ダム軸において監査廊が設置されている。新鶴子ダムにおいては、堤高、堤頂長とも大きく監査廊の延長が長くなるため、維持、管理を容易にするため、左岸側にトンネル式のアクセスギャラリーを設置した。

 なお、これらの設計施工については、当初より東北農政局管理ダム設計施工研究委員会(沢田敏男委員長、長谷川高士委員)において、充分検討された結果である。

 この新鶴子ダムの技術と併せて、村山農業水利事業所の歴代の所長の回想のなかには、以下のように、ダム造りの苦悩は甦ってくる。

「判こを貰いに行くのは大抵は夜の事です。一升瓶をぶらさげて尋ねますと、歓迎をしてもらえます。山盛りの漬物を囲んで茶碗酒を汲みながら、なかなか本題には入ってくれません。ときには顔に似合わぬ(失礼)張りのあるいい声で、最上川舟歌などが出たりします。そのうちに待たせていた運転手さんが「直ぐに帰らないと雪で帰れなくなりますよ」と言いながら飛び込んできます。特別どうこうという問題は無いのですが、なかなか契約書に押印してくれません。いらいらし始める頃、こんな事を言われました。「判こを押してしまったら、所長さんはもう来てはくれないでしょう。それが理由ですよ」どこまで本当の話かつまびらかではないのですが、深い雪の下で半年を孤独に暮らす老人の寂しさがじんときたものでした。」(松尾和重)

「昭和55年春、本体第一期工事として発注するに至った。しかし河川協議は遅々として進展はなく、止むを得ず右岸側河川敷外の堤体基礎掘削から開始となった。そして掘削は順調に進んだものの莫大な掘削土が河川敷際まで堆積、丁場が狭いこともあったが、施工管理の不手際から或る日突然崩壊し、河川を埋め、結果として丹生川下流に濁水が流下という事故が発生してしまった。それが不運にも鮎釣り最盛期と重なり、遂にマスコミ(新聞)に取り上げられるという大変不名誉な事件がありました。河川協議中ということもあり、河川管理者は勿論のこと関係者に対する事故の後処理に大変苦心したことが思い出されます。」(似内勝次)

「委員の先生方にも直接ピットに入っていただき地質状況を見ていただいた後、ダム基盤(遮水ゾーン最低基盤)を現計画より3m切り下げたいこと、また、監査廊は当初方針どおりカルバート式で実施したい旨ご相談申し上げたところ、このような基盤の状況であれば他地区の事例に照らしてもそう問題はあるまい、監査廊の設計には注意が必要だが3m盤下げという事業所側の考え方はまず妥当であろうとのご判断を頂き、一同心からほっっとするとともに改めて言い知れぬ心強さをひしひしと感じたところであった。 ダム委員会の諸先生方には、その後も監査廊やアクセストンネルの設計・施工、グラウチング、盛土施工等様々なテーマについてご指導をいただいた。」(藤森淳一)

「ダムの材料のうちロック材は、河床及び洪水吐の掘削岩とダム上流の原石山に依存することとなっていた。河床及び洪水吐、特に洪水吐の掘削岩はその粒径・硬度とも良質で仮置きがしてありリップラップ材として利用した。しかし、原石山は、まるで理科の教科書にでも出てくるような典型的な柱状節理の発達した岩で、やや小さ目の粒径となってしまい、しかも均一で、粒度調節に苦労し、特にフィルターの粒度調整には施工業者もクラッシングに大変気を使ったことと思います。そのうえ数量も不足し、盛立最終年になってダム完成の工程とも絡み、大特急で保安林の解除・原石購入の手続きを行い、正規の手続きからはかなりのフライングを行いながら4ケ月で完了したことなどは、今となっては懐かしい思い出である。」(落合信義)

 ダムを造る側にとっては、トラブルがスムーズに解決したときは余り印象に残らないものである。しかし、用地補償や技術に関して、特に困難な問題に直面したとき、どのように知恵をしぼって処理してきたか、時が経ても懐かしく想い出させる。不思議なことだ。


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