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10.郡ダム(小糸川)の建設

 小糸川は、その源を君津市南部房総丘陵に発し、三間川、梨の木沢、馬登川、宮下川、江川を併合し、君津市で東京湾へ注ぐ流路延長63.3qの二級河川である。一方、小糸川へ導水する湊川は、その源を富津市東南部山地に発し、志駒川、不入斗川、相川を併合し、富津市上総湊で浦賀水道に注ぐ流路延長33.1qの二級河川である。 
 郡ダムは木更津市南部地区工業用水道事業の一環として、小糸川支川江川、郡川における君津市郡地先に昭和47年に完成した。このダム建設について、千葉県工業用水局編・発行「郡ダム−堤体の設計と施工」(昭和52年)がある。この書からダムの目的、諸元、特徴を追ってみたい。


「郡ダム−堤体の設計と施工」
 郡ダムは高度経済成長期における京葉臨海工業地帯の南に位置する君津、富津地区に進出する新日本製鉄並びに関連企業等に工業用水を供給する目的で建設された。その建設経過について、千葉県工業用水局次長木川進は次のように述べている。

「昭和42年の印旛沼の渇水さわぎのときであったと思う。八幡製鉄の幹部の方が県庁に見えて、豊英ダムは着工することに決まったが、その次の計画どうなっているのかと心配された。漠然と「湊川と小糸川を結べばいくらかの水が」としか考えていなかった。その後、八幡製鉄と共同で調査隊を編成していくつかのダムサイトを調査した結果、現在の湊川から取水し、トンネルで郡ダムまで持ってきて、水量調整のうえ、小糸川(郡川)へ放流する案が採用されたのである。」              

 即ち、小糸川上流の豊英ダム(工業用水道用)により85 000m3/日、湊川導水計画により10万m3/日、小糸川下流地域の農業用水の転用により21 000m3/日と合わせて206 000m3/日の工業用水を供給する計画とされた。
 豊英ダムは昭和44年3月、湊川導水計画は昭和48年3月にそれぞれ完成した。

 郡ダムにかかる湊川導水計画は湊川下流富津市数馬地先に取水堰を設け、湊川の余剰水を最大2.5m3/s取水(揚水)し、約10qの導水路により君津市郡地先の郡ダムに導き、最大1.24m3/sを調整し、放流する。
 放流された水は郡川、江川を経て小糸川に合流し、郡ダムから下流約7qの君津市人見地内の人見浄水場にて処理し、給水する。

 郡ダムの諸元は、堤高38.2m、堤頂長720.5m、堤体積95万m3(コアー41.2万m3、ランダム51.8万m3、ドレーン2万m3)総貯水容量400.4万m3、有効貯水容量388万m3、型式は前面傾斜コアー型アースダムである。起業者は千葉県、施工者は鹿島建設、事業費は181億円を要した。補償関係は、土地取得面積49.8ha、水没移転家屋は3戸であった。

 設計および施工の特徴について、次のことが挙げられる。

(1)ダムの型式を前面傾斜コアー型アースダム とした。
(2)コアーの盛土材料に砂質泥岩を破砕して使用した。
(3)ランダムの盛土材料に砂を使用した。
(4)リップラップに鉱滓を使用した。
(5)貯水池周辺のやせ尾根部の透水性及び安定 性の調整をすると共に地下水位観測井を設置した。
(6)仮排水路を取水路と兼用出来る構造とした。
(7)完成後堤体の動的解析の資料を得るため地震計を設置し、浸潤線の観測井ボーリング孔を利用してP波、S波の観測を行った。
(8)盛土の密度管理R・I・水分密度計を使用した。

 当初、問題となったのは、100万m3からなる築堤を約1年でやれるか、砂の中にうまくトンネルが掘れるかということであった。これらの難問題を解決するため、湊川導水工事技術調査委員会(福岡正己委員長)を構成し、指導を受けた経過があり、ダム導水工事の途中では、幾つかのトラブルが生じたものの、約3年間の短期間で竣工したことは特筆に値する。

 工業用水として、山倉ダム、豊英ダムが完成し、郡ダムは三番目のダムとなった。そして、水資源に乏しい千葉県にとっては、湊川と小糸川を導水によって結び、その水を利活用する郡ダムは貴重なダムと言える。 


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