これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会、ダムマイスター 01-014)です。
|
|
◆ 1. 大淀川の流れ
|
大淀川は鹿児島県中岳(標高452m)を水源として、熊本県吉田町の北部県境にまたがる金御岳と南の宮田岳の谷合を西流し、末吉町内を北に流れて、宮崎県南部の都城盆地に流入する。都城盆地は中生層でつくられている東方の鰐塚山地と、西方の霧島火山群との間に南北に延びる面積約150km2の盆地で、北流する大淀川は右岸に、梅北川、萩原川、沖水川、富吉川、東岳川、左岸に横市川、庄内川、高崎川を樹枝状に集水して、都城市を北に流れ、高崎町・高城町の境界をなして北流し大淀川第一ダムに注ぐ。 なおも流下して、岩瀬ダムから流れてくる岩瀬川を合わせて東に転じ、西諸県、北諸県両郡境を東流して宮崎平野に流入する。高岡町で北流した境川を山下付近で合わせ、柚木崎で浦之名川を合わして、平野部を東流蛇行して宮崎市に流れ本庄川を併流し、同市街を貫流して日向灘に注ぐ、幹川流路延長107q、流域面積2,230km2の一級河川である。 流域平均降水量は2,700o程度の多雨地帯に属し、既往の洪水のほとんどは台風性である。2006年の大水害を契機に、水害に強い地域づくりを地域と協力しながら進めている。流域内の産業は、気候にめぐまれており、農業と林業が中心であり、豊かな大淀川の水は、古くから農業用水に利用されてきた。現在では、水力発電として、岩瀬川発電所、綾第一発電所、綾第二発電所、駒発電所、大淀川第一発電所、大淀川第二発電所、野尻発電所、溝之口発電所、南発電所の9ヵ所で最大時に合計約20万kWの発電が行われている。また、宮崎市では上水道の95%の水が大淀川から利用されている。
|
|
|
|
◆ 2. 大淀川右岸地区の農業
|
宮崎県南部大淀川右岸下流域に位置する宮崎市、清武町、田野町は、清武川水系沿いの低・平部の水田地帯と、その周辺部につながる標高10m〜271mの丘陵地上の畑からなる地区面積2,000haの農業地帯である。 この地域の水田は清武川水系の中小河川および溜池に、その用水を依存しているが、水源の乏しい小規模な用水施設のため、用水不足をきたしていた。また、畑の用水施設は無く、さらに水田、畑とも生産基盤が未整備のため、近代的な営農体系の確立と生産性の向上が阻害されてきた。 また、この地区の畑は、用水施設が不備で、かつシラス台地上にもかかわらず比較的生産性の高い食用甘藷、早掘り里芋、大根などが栽培されており、水田では水稲を中心に施設園芸が行われている。しかし、旱魃の年には生産が低下するなど、不安定農業経営を続けてきた。
|
|
|
|
◆ 3. 大淀川右岸地区の農業用水事業
|
|
|
|
|
このようなことから、宮崎県宮崎郡田野町、同郡清武町、宮崎市の水田800ha、畑約1,200ha、計2,000haに対して農業用水を確保し、水田の用水補給と畑地灌漑を行うことを目的とした国営大淀川右岸土地改良事業が昭和56年度に着手された。
この事業は、大淀川水系境川の中流地点に天神ダム(有効貯水量620万m3)を築造し、これにより地区内に導配水するための幹支線(総延長約40q)などを建設し、農業用水の安定的な確保と供給を図るものである。この事業に併せて、関連事業として圃場整備などの農業生産基盤整備事業を実施し、農業の近代化を図るものである。 以下、宮崎農業水利事務所編・発行『大淀川右岸事業誌』(平成17年)により、天神ダムを中心にして、この事業を追って見たい。
|
|
『大淀川右岸事業誌』 |
|
|
◆ 4. 天神ダムの施工経過
|
天神ダムを含む大淀川右岸土地改良事業の施工経過を、年度ごとに追って見ることにしたい。
昭和56年度 大淀川右岸土地改良事業計画確定 事業着工申請 60年度 用地交渉成立 ダム付け替え道路起工 63年度 幹線導水路工事着手 トンネル工事に着手 平成元年度 幹支線水路工事着手 地区内のパイプライン工事に着手 2年度 石久保、北今泉FP完成 4年度 ダム河川協議成立 ダム基礎掘削工事着手 幹線導水路貫通 7年度 別府田野水管橋完成 8年度 梅谷FP完成 9年度 調整池完成 10年度 築堤工事完成 仮排水路閉塞 天神ダム本体完成 11〜13年度 ダム試験湛水 12年度 角上揚水機場完成 14年度 ダム完成検査合格通知 17年度 大淀川右岸土地改良事業の完工 (FP:ファームポンド) |
|
|
|
◆ 5. 天神ダムの諸元
|
天神ダムは、境川の右岸は宮崎郡田野町、左岸は北諸県郡山之口町に位置する。型式は中心遮水ゾーン型ロックフィルダム、堤高62.5m、堤頂長441.7m、堤頂幅10.0m、天端標高EL.310.5m、堤体積222.1万m3、流域面積10.24km2、満水面積0.572km2、総貯水容量670万m3、有効貯水量620万m3、堆砂量50万m3、常時満水位EL.305.5m、利用水深19.3mとなっている。 洪水吐きは、型式は側溝式、計画洪水流量535m3/s、設計洪水位EL.307.9m、越流水深2.4m、越流堰長67.0mである。ゲートは固定堰タイプ自由越流型、減勢工は強制跳水型である。緊急放流として、ドロップインレット型式放流管路φ=1,350o、ジェットフローゲート(主ゲート)φ=1,100o、最大放流量12.2m3/sとなっている。取水設備として、型式は多孔式斜樋、最大取水量2.83m3/s、取水位EL.284.5m、調節工はスピンドル式バルブである。 起業者は九州農政局、施工者は前田建設工業・清水建設・さとうベネックで、事業費616.43億円を要した。
|
|
|
|
◆ 6. 天神ダムサイトの地形・地質
|
前述したように、天神ダムは宮崎市の南西約20qに位置し、宮崎郡田野町と北諸県郡山之口町の町境を流れる境川の中流域に建設された。この周辺の地形は、鰐塚山(EL.1,119m)を主峰とする中起伏の山地が連なるいわゆる壮年期地形を呈している。境川は南方の天神山をはじめとするEL.760m〜970mの峰々にその源を発し、蛇行を繰り返しながら北流し、高岡町で大淀川に合流する。天神ダムサイト地点は大淀川の合流点から約11q南に位置し、湛水域に流入する4本の支流を含み、広大なポケットを有している。そのダムサイトの地形的な特徴は、4つ挙げることができる。
@ 両岸山体は、最高EL.500m前後であり、山腹斜面勾配20°〜25°と緩く、左岸では40°〜45°と急な非対称地形を呈する。 A 右岸側には、比高約15m、幅(ダム軸方向)約120mの段丘性平坦地が発達する。 B 河床部は比高1〜3m、幅100〜150mの氾濫原が発達する。 C ダムサイトの上下流には、北東から南西方向の小沢が多数存在する。
続いて、ダムサイトの地質についてみてみたい。
@ 地質基盤(先新第三紀) 地質基盤は西南日本の太平洋側に帯状に分布する四万十累層群(中生代〜新生代古第三紀)に属する日南層群である。日南層群は砂岩・頁岩からなり、巨視的には北東〜南西の走行を有し、北西(境川下流方向)に傾斜する単斜構造を示す。 A 第四紀更新世 イ) 姶良火砕流堆積前 ダムサイトでは、旧期段丘堆積物(EL.250〜255m;現河床下)及び旧期崖錐堆積物(右岸アバット部)の存在が確認されている。この二つは同時異相でいずれも日南層群直上部に分布している。 ロ) 姶良火砕流堆積物 南九州の更新世は、姶良火山をはじめとする火山活動の最盛期を迎え、この地区の周辺も更新世後期の姶良カルデラの活動により、降下軽石・火砕流堆積物(溶結凝灰岩・シラス)などが谷地形を埋めて発達している。 現在、当火砕流堆積物は、境川地域に現河床+15〜20mの段丘平坦面を形成して分布している。 ハ) 姶良火砕流堆積後 段丘堆積物として、高位段丘堆積物(姶良火砕流堆積物の上位)及び低位段丘(氾濫原)堆積物(現河床+1〜5m)が境川流域に平坦面を形成し分布している。 B 第四紀完新世 姶良カルデラの活動以後、現在に至るまで断続的に火山活動が続き、降下軽石・降下火山灰に起因する新期ローム層がこの地区全域に堆積し、現在では緩傾斜面に層厚2〜3mの規模で分布している。 最上部の地表付近には、山腹部において崖錐堆積物が、また河床部において現河床堆積物が分布する。
|
|
|
|
◆ 7. 天神ダムの特徴
|
天神ダムは、利水計画上、堤高62.5mを要するが、河床部には幅70mに及ぶ劣化帯が分布しており、コンクリート構造物の基礎としては、大きな沈下、不同沈下、継ぎ目の開口、ずれが生じやすくなる。
|
|
|
|
また、ダムサイト右岸段丘部において、上位に厚く分布する溶結凝灰岩の下位に薄層で分布する大隅降下軽石は、N値<20の軟弱層であり、掘削計画上残存し、掘削法面への露出が不可避となる。このような地質的に特異な基礎地盤に対して、設計施工に関し技術的に高度な専門知識と経験を要した。天神ダム施工について、次のような技術的特徴があげられる。
@ 迂回監査廊 堤高62.5mの天神ダムでは、築造後の維持管理上、監査廊の設置が必要であった。しかしながら、河床部には幅70mにも及ぶ劣化帯が分布しており、その変形係数は1,000〜2,000s/p2,を示し、コアトレンチ基礎としての支持力的な問題はないと考えられるが、監査廊基礎としては、 イ) 両岸堅岩部に比べて相対的に変形係数が小さく、より大きな沈下、不同沈下が懸念される。 ロ) 劣化帯の内部にも比較的堅硬な砂岩と軟質な頁岩が互層しているため、局部的な不同沈下が懸念される。 ハ) 上記不同沈下の発生する岩盤上にコンクリート構造物である監査廊を設置した場合、監査廊自体の変形は、その継目のみで発生するため、必然的に継目における開口、ズレが生じやすくなる。また、監査廊自体のネジレ、過大応力の発生が予想される。等の問題が生じた。 このため、監査廊の設置位置、タイプ解析し、施工性などから検討した結果、劣化帯部下流迂回案を採用した。
|
|
|
|
|
|
A 地中連続壁 ダムサイト右岸段丘部は、複雑な地質構成をなす。そのうち、新規ローム、高位段丘堆積物、上位シラス、下位シラス、大隅降下軽石、N値<20の軟弱層であり、基本的には掘削除去するが、上位に溶結凝灰岩が厚く分布する部分は、堤体荷重を溶結凝灰岩で支持させるとともに、大隅降下軽石を通るスベリに対しては、押さえ盛土で対処することとした。 しかし、施工時、掘削法面での大隅降下軽石層の露出は避けられず、地下水による大隅降下軽石層の流出、パイピングの発生が懸念され、この対策として地中連続壁を設置することとし、試験施工の後ディープウェルによる地下水位管理を実施して、連続壁自体の安全性を確保しつつ、掘削、盛立工事を完了した。 B 不透水性ゾーンの拡幅 天神ダムの不透水性ゾーンは、原設計では幅29.8m(水深の52%)の上下流対称断面を計画していたが、応力変形解析の結果、破砕帯部ではコア敷直下の基盤部に、最大6kgf/p2,程度の引張応力領域の発生が確認された。この部分はダム構造上最も重要な箇所であり、パイピングなどの懸念がもたれることから、その対策として不透水性ゾーンを拡幅することにより浸透路長の確保を計ることとした。 不透水性ゾーンは、破砕帯部で上流側に拡幅し、幅45.4m(水深の79%)、堅岩部の1.5倍とした。これに対し、浸透流解析を行った結果、漏水量、動水勾配はともに減少し、水理的安定性が増大することが確認された。 C 監査廊継目処理としての外防水止水板 左岸アバット部の監査廊は、継目の変形が10oと大きく予測されるため、変形対応外防水止水板を用い、さらにその上部にバックアップゴムを設置した。この採用に当たっては、次のような室内、現場試験を行い、施工性、性能を確認した。 イ) 監査廊止水板接着面水密試験及び損傷確認試験 ロ) 止水板、バックアップゴムの耐圧試験 ハ) コンクリート打設試験 なお、これらのダム技術の施工については、九州農政局管内ダム技術検討委員会「会長長谷川高士委員長(京都大学農学部教授)」による技術指導を受けた。
|
|
|
|
◆ 8. 起業者のことば
|
大淀川右岸土地改良事業は、昭和56年度に着工し、24年の歳月を経て、平成17年度に完了した。その間、起業者においては、様々な問題に直面しながらも、一つ一つ丁寧に対処して、難問を解決された。この書『大淀川右岸事業誌』から歴代の所長らのことばをいくつか追ってみたい。
@ 丸目賢一・大淀川右岸土地改良区理事長 「本事業の基幹的水利施設である天神ダムは、平成14年3月に全ての完成検査を終え今、山紫水明の地に紺青の水を満々と堪え静かに佇んでおりますが、事業実施期間の内、実に三分の一はこの天神ダムの権利調整に時間と労力が費やされており、改めて用地交渉の困難さ、大切さを痛感いたしたところであります。私自身、すでにダム湖底に没した地区公民館に通い事業協力をお願いした説明会の日々の情景が鮮やかに記憶によみがえってまいります。 ダム水源の用地解決を見ると、直ちにこれまでの停滞した時間を引き戻すべく事業推進に全力を傾斜し、昭和62年には部分特別会計に移行し事業の効率化を図りました。このことが結果的には、事業効果の早期発現に繋がり今日を迎えることが出来ましたことを大変喜ばしく思います。」 A 第5代所長・原田種雄 「農家の人が私に言いました。「田植えが出来ないよ。早くダムをつくってよ。」私は「はい、今、急いでやっています。もう暫くお待ちください。」と答えました。「もう暫く」が、どのくらいの年月かは、私はだいたい解っていました。しかし、農家の人達はどう思ったか、「もう暫く」と言う時間は、そんなに永い時間とは思わなかったでしょう。 それから永い年月が経ちました。今、天神ダムには水が貯まっています。もう雨が降らなくても田植えは出来るでしょう。その頃、あちこちの他の地区ではダムは要らないと言う話が出ていました。この時農家の人から「早くダムを作れ」と言われた事、これほど元気づけられた事、有難い言葉を聞いた事は今でもまだ忘れません。」 B 第7代所長・福嶌一祐 「ロックフィルタイプの天神ダムの現場は、直径2mを超えるタイヤの重ダンプが行き交い大型ブルドーザーがうなりをあげる「男の現場」ですが、その重ダンプのオペレータ4名が若き女性だったのに驚きました。女性の作業員がいることで、宿舎、トイレ、娯楽施設、スポーツ・ジムなども配慮がなされ、工事用道路に花が植えられ殺伐とした現場が和み、事故などもなく、作業効率も上がるとの話には感心し考えさせられもしました。事実、「天神ダム無災害記録100万時間達成記念」を祝ったほどでした。 当地区は、肥沃な火山灰土壌と全国トップクラスの日照時間、快晴日数及び気温と他地区と比べ恵まれており、立派に完成した“ひむかの里を潤す天神ダム”の清く豊かな水が加われば必ずや日本一の農業が展開できると確信します。」
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ダムは、堤高62.5m、堤頂長441.7m、堤頂幅10.0mと均衡がとれ、訪れる人の心を和ませるのであろう。ダムのゆったりした姿、そして、どこか余裕さえ感じさせてくれる貯水池をながめると自然にこころが癒されてくる。この貯水池の水が大淀川右岸地区の農業に貢献している思いが強まった。ダムサイトの欄干に可愛い田の神様が置かれており、にこやかに笑っている農業の神様に手をあわせて、天神ダムをあとにした。
|
|
|
|
|
おわりに、大淀川の書をいくつか掲げる。 ・甲斐亮典編著『大淀川 流域の歴史』第1巻 原始・古代から中世へ(鉱脈社・2009年) ・同編著『大淀川 流域の歴史』第2巻 近世・交流のすがた(鉱脈社・2009年) ・同編著『大淀川 流域の歴史』第3巻 近代・水と闘い水と生きる(鉱脈社・2009年) ・建設省宮崎工事事務所編・発行『大淀川百科(児童書)』 第1巻 大淀川と生きものたち(1997年) ・同編・発行『大淀川百科』 第2巻 大淀川の見どころ(1997年) ・同編・発行『大淀川百科』 第3巻 大淀川の治水(1998年) ・同編・発行『大淀川百科』 第4巻 大淀川の歴史(1999年) ・同編・発行『大淀川百科』 第5巻 大淀川の未来(2000年) ・霧島盆地水害対策委員会編・発行 『大淀川上流の水害』(1954年) ・農林省農地局編・発行 『大淀川水系農業水利実態調査』(1958年) ・国土庁編・発行『大淀川・川内川地域主要水系調査書』(1984年) ・大淀川教育課程編集委員会編『大淀川の教材化と指導計画』(宮崎市教育委員会・1986年) ・宮崎県総合博物館編・発行 『大淀川の自然』(1989年)
|
|
|
|
|
[関連ダム]
天神ダム
|
(2017年5月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、
までお願いします。
|
|
【 関連する ダムマイスター の情報】
(古賀 邦雄)
「このごろ」の関連記事(55 件)
「テーマページ」の関連記事(159 件)
|
|