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3.神通川〜室牧ダム、久婦須川ダム、熊野川ダム


 神通川は、その源を岐阜県大野郡宮村南西部境飛騨山地の稜線に連なる川上岳(標高1626m)北麓より発し、北流し高山盆地に入る。岐阜県内の部分は宮川と呼ばれる。岐阜、富山両県の境猪の谷付近で高原川と合流し神通川となる。猿谷から笹津までを神通峡といい、なお北流し、笹津付近より富山平野に入り、扇状地を形成し、山田川、井田川、久婦須川、熊野川の支流を集め、呉羽段丘の東を流れ、富山市街の西部を過ぎ東岩瀬港で富山湾に注ぐ。幹線流路延長 120km、流域面積2720km2の一級河川である。

  


【室牧ダムの建設】 
 神通川の支流井田川(大長谷川、室牧川を含む)はその源を岐阜県楢峠に発し、八尾町近郊で野積川、別荘川、久婦須川を集め、婦負の穀倉地帯を流下し、さらに山田川と合流し、神通川に注ぐ。流路延長44.9km、流域面積 435.8km2である。

 室牧ダムは、井田川総合開発計画の中枢をなしたもので、昭和36年10月富山県婦負郡八尾町小谷北原、蒲谷地先に築造された。余談ながら八尾町は「風の盆おどり」で有名なところである。このダムの建設記録として富山県電気局編・発行『室牧ダム及び発電所工事誌』(昭和38年)が刊行されている。


 このダムの必要性については、井田川流域はひとたび氾濫すれば八尾町、婦負町の5600haに被害を及ぼし、また少雨ともなれば、3000ha流域農地の大半が恒常的な水不足に悩まされてきた。このため、富山県は井田川の総合開発計画の一環として、室牧ダムを築造し、ダム地点にて 330・/Sの洪水調節を行い、下流域の既得用水の取水の安定化を図った。さらに、電力需要に対応するため、発電はダム水路式により室牧発電所にて使用水量23m3/S、有効落差113.57mをもって最大出力 22000kwを供給し、また若土ダム、八尾ダムを造り、それぞれの発電所を設け、発電を行っている。室牧ダムの諸元は、堤高80.5m、堤頂長 153.1m、総貯水容量1700万m3、型式ア−チ式コンクリ−トダムである。ダム及び発電所総事業費27.2億円、施工者は佐藤工業(株)、酒井建設(株)である。なお、補償については55戸が移転しており、残念ながら工事において3名の方が亡くなっている。



 このダムの特徴は、井田川本川の他に隣接河川である百瀬川から水を取り入れ、本川の水量と合わせて発電や渇水補給に有効利用し、その後再度山田川へ戻すという、この当時稀な河川利用方法であった。
 この山田川流域変更については、山田川流域7ケ町村から用水の不足及び県の施設は信用できないとの理由により建設反対の態度が出され、一時計画を中断したことがある。
 昭和32年吉田実知事の努力によって、平井為造山田川総合開発期成同盟会長との間で
・山田川流域の慣行水利権は侵害しない。
・菅沼貯水池及び室牧貯水池において総貯水容量1600万立法米以上を貯水し、室牧発電所水槽より、山田川谷地内に導水する隧道を新設すること
・山田川谷地内に容量19万5千立法米以上の調整池ダムを設け、常時 1.5立法米の水量を 放流すると共に灌漑期においては最大7立法米の流量を確保すること
等の覚書が締結され、山田川流域の変更が可能となり、井田川総合開発計画の実施がスタ−トした。このような経過もあり、室牧ダム及び発電所の完成は、県営初の本格的なダム造りであって、戦後、富山県水力発電王国の復興となる契機のダムといえる。

  

【久婦須川ダムの建設】 
 久婦須川は富山県のほぼ中央部を南北に流れる神通川の左支川、井田川の右支川であり、その源は岐阜県宮村小坂山(標高1045m)に発し、飛騨山脈北麓の山々から流れ出る水を集め、流域に段丘平野を形成しながら北流し、富山県の中央部に位置する婦負郡八尾町で井田川と合流する。流路延長31.5km、流域面積77.6km2である。

 平成14年八尾町桐谷地先に完成した久婦須川ダムは久婦須川総合開発事業の一環として建設された。このダムの記録として、富山県久婦須川ダム建設事務所、(株)アイ・エヌ・エ−編『久婦須川ダム工事誌』(富山県・平成15年)の書があり、そのダム事業の必要性について、「昭和44年台風7号による浸水被害 201戸、浸水農地 320ha、また昭和54年台風16号により被害が発生しており、河道改修は不可能のためにダムが築造された」とある。



 ダムの目的はダム地点における計画高水流量 500m3/Sの洪水調節を行い、久婦須川沿岸の既得用水の確保、ダムの取水口から7m3/Sの水によって、3100kwの発電を久婦須川発電所で行う。さらに、八尾町に対し、冬期間(12月1日〜3月31日)小長谷地点において 1.913m3/Sの消流雪用水を可能ならしめることにある。ダムの諸元は堤高95m、堤頂長 253m、総貯水容量1000万m3、型式重力式コンクリートダムである。施工者は前田建設工業(株)、(株)大林組、新栄建設(株)共同企業体で、総事業費 439.4億円である。なお、補償については、水没家屋なし、用地取得面積68ha、北陸電力(株)久婦須川第一発電所の移転補償を行っている。



 この久婦須川ダム施工の特徴について、森岡秀悟富山県土木部長はこの工事誌に寄せて、次のように述べている。

「建設にあたりましては、ダム本体工事にRCD工法を採用するとともに、県営ダムとして初めて監査廊プレキャスト化するなど合理化施工に努めてまいりました。
 さらに上流締め切りは全国で2例となるCSG工法を採用することにより、従来のフィル形式に比べスリム化が図られるなど工事コストの縮減を努めるとともに、貯水池に流入した流木もチップ化して再利用するなどゼロエミッションを目指した施工を行いました」

 このように施工にはコスト縮減を図りながら、さらに自然の生態系や水辺環境に配慮されており、河川環境の保全がなされた。

  


【熊野川ダムの建設】 
 熊野川は神通川の右支川で富山県のほぼ中央に位置し、その源を西笠山(標高1687m)に発し、東の常願寺川、西の神通川に挟まれた間をほぼ北北西に流れ途中、黒川、虫谷川、急境川を合流し、富山市布施地点で神通川と合流する。流路延長 32.31km、流域面積 127.9km2である。熊野川は文珠寺より合田地点は河床勾配が1/100と急なため、しばしば災害を被り、また下流域の農地は夏季の渇水期には水不足に悩まされ、都市人口の増加によって水道用水の確保が強く望まれてきた。このような必要性から熊野ダムは、昭和59年富山県上新川郡大山町手出、赤倉地先に建設されたものである。この建設記録として富山県熊野川ダム建設事務所、(株)建設技術研究所編『熊野川ダム工事誌』(富山県・昭和60年)の書がある。



 このダムの目的は、ダム地点の計画高水流量 540m3/Sのうち 230m3/Sの洪水調節を行い、富山広域水道圈(富山市、大山町、大沢野町、八尾町、婦中町、山田村)へ水道水 110,000m3/日を供給し、さらに熊野川発電所によって最大出力7000kwの発電を行うものである。このダムの諸元は、堤高89m、堤頂長 220m、総貯水容量 910万m3、型式重力式コンクリートダムである。施工者は前田建設工業(株)、大成建設(株)、丸新志鷹建設(株)共同企業体、総事業費 154.2億円である。なお、補償については移転家屋2戸、用地取得面積43.1ha、北陸電力(株)の熊野川第一発電所が支障となり休電補償が行われた。

 なお、ダムの特徴については、下流農業用水の冷水化を防止するため、ダム貯水池の表面水を取水する施設としたこと、都市型自然公園化を志向したことが挙げられる。

 一方、施工にあたっては非常用洪水吐全面越流としたため、導流壁が堤体に斜に位置し、全国的に稀な構造となっている。またカ−テングラウチング工については、透水性が低いにもかかわらず流入量が多いという現象が現れたが、これは節理内の流入粘土がグラウチングによって押し流されたためと考えられ、この原因究明に苦心されたとある。

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