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−ダムの用地補償(6・終)−
用地取得から紛争予防へ

長谷部 俊治
みずほ総合研究所 理事
 
1 用地補償の三つの役割

 これまで述べてきたことからわかるとおり、ダム事業における用地補償は、用地買収に留まらない広範な役割を果たしているが、その機能は、事業用地の取得、地権者等とのコミュニケーション、被補償者の生活基盤の持続の三つに要約することができると考える。これらの機能とそれを発揮するためのしくみを整理すれば、次のようになる。

ア 事業用地の取得

 用地補償の最終的な目標が、事業に必要な用地を取得することであるのは言うまでもない。用地を買収するだけでなく、土地の権利関係などを整理・調整して事業者の法的な地位を確立するのであるが、最終的には土地収用を適用することもあり得る。

 この役割を果たすうえで基礎となっているのが「用地補償基準」である。用地補償基準の考え方や課題については既に述べたが(本誌前号本欄を参照)、これは「正当な補償」を実現するために価格交渉を排除した補償基準のしくみである。一方で不動産市場が発達していることから、事業用地の取得に当たって市場機能を活用することができないかなど、検討が必要となってきている。(コラム1参照)

イ 地権者等とのコミュニケーション

 用地交渉は、その過程において事業者と地権者等とのあいだのコミュニケーションを促進する役割を果たす。事業説明などによって事業に対する理解を求めるとともに、地権者等が抱える様々な問題や要求に応えることが必要となる。場合によっては、地権者等の考えを事業計画に反映させる必要もある。つまり、用地交渉は事業者と地権者等との調整機能を担うのである。

 この機能を支えるのは、地権者等の信頼を得ることのできる人間性、事業について深く理解し説明する能力、円滑なコミュニケーションのための技能などであるが、これらは、担当者の現場訓練を中心とした研鑽の積み重ねによって確保されている。

 最近、公共的な事業を実施するに際して、パブリックインボルブメント(コラム2参照)など社会的な合意を得るしくみが充実してきているが、地権者等とのコミュニケーションについては、いまなお用地交渉が中心的な役割を果たしているのである。

ウ 被補償者の生活基盤の持続

 ダム事業は地域社会に甚大な影響を及ぼすが、用地補償は、その影響のもとで被補償者の生活基盤が持続できるようお世話をする役割を果たす。代替地提供や生活再建措置がそれであるが、それだけでなく、生活相談などを通じて、事業影響を受け入れ、新たな環境の下で生活基盤を築くことを促すことも見逃せない。社会的な調整機能と言ってよいが、用地補償は、地元地方公共団体とともにその中心的な役割を担うのである。この機能は、生活再建計画などのかたちで明確となるが、関係者の協力関係が不可欠である。水源地域対策特別措置などのしくみがあるものの、社会関係の調整のしくみが確立しているわけではなく、個々の事業の特性に応じてそれぞれに体制を整える方法が取られている。

 もちろん、現実にはア〜ウの機能は複合的に働いている。だが、ダムの用地補償を進める際には、イやウの機能の重要性を見逃してはならない。ダム事業の紛争事例を見ると、その多くは、アの機能のみを追及して、その他の機能とのバランスを失することに端を発している。事業を円滑に進めるためにも、用地補償は事業用地を取得することだけが目的ではないことを明確にすることが必要なのである。


2 紛争の予防へ

 ダム事業は、紛争を経験しないものは無いといってよいほどに社会的な摩擦を伴う。それだけ自然的、社会的、経済的、文化的な影響が大きい事業であるからだが、摩擦を最小限に抑え、紛争を予防するにはどうすればよいのであろうか。

 水源地域対策、生活再建措置、環境アセスメントなどのしくみは、そのために工夫されたと考えても誤りではない。だが、それだけでは十分とは言えないであろう。紛争を予防し回避するために有効なのは、用地補償の経験から導き出される次のような手順である。

@)社会調査の実施

 まず、事業実施予定地域の社会実態を把握しなければならない。地域特性や生活の実態を十分に理解することは、用地補償の計画を策定するためにも不可欠な作業である。そしてその結果は、事業計画の立案にも活かさなければならない。事業計画は、技術的な合理性を確保するだけではなく、用地取得上の課題など社会的な条件を織り込んで、円滑な事業の実施を見通せるものでなければならないのである。

 これは、事業が長期化しているダム事業が教える重要な教訓でもある。一度掛け違えたボタンを修正するのは容易ではないのだから、事前に相手をよく知ることが必須なのである。

A)摩擦の予測と事業計画への反映

 次に、把握した社会実態に照らしてどのような摩擦が生じるかを予測し、その対応を検討する。一種のシミュレーション作業であるが、アンケートなどによって社会への影響を把握することも有効であろう。環境への影響について環境アセスメントが実施されるが、社会影響、とりわけ紛争についてのアセスメントが必要なのである。

 このとき重要なのは、予測の結果を事業計画に反映することである。複数の選択肢を用意して比較するとか、事業規模を変えるとか、柔軟に検討すべきである。公共事業については、事業開始に当たって費用便益分析を実施しなければならないが、その作業に社会的な摩擦の予測結果を組み入れることも必要である。社会的な摩擦や紛争は、コストであることを十分に認識しなければならないのである。

B)コミュニケーション

 地域社会や地権者等と十分にコミュニケーションする必要があることは言うまでもない。このとき大事なのは、コミュニケーションは双方向であることを忘れないことである。一方的な事業説明や情報伝達ではなく、相手の立場を理解し、必要に応じて事業計画に遡って検討する覚悟が必要である。このとき、用地補償についてもテーマとしなければならない。事業に対する理解と、用地補償に対する理解とは、表裏一体の関係にあるからである。

 最近は、コミュニケーション技術が発達し、情報技術を活用したプレゼンテーションも盛んであるが、事業の性格や地域特性に応じた対応の柔軟性、個別の事情に敏感な感性、そして相手を対等の立場で受け止める人間性が不可欠である。コミュニケーションの本質は、人間関係の形成なのである。そして、合意は、コミュニケーションの過程から徐々にかたちづくられていくということでもある。

C)相談・支援

 コミュニケーションの過程で、地域社会や地権者等が抱える様々な課題が露になることが多い。もちろん、生活再建への不安なども顕在化する。それらに対応するには、相談・支援の体制を整えることが必要である。できないことはできないと明確に告げる責任を負うことが重要で、相談内容を制限してはならない。相談・支援の内容は多岐に渡ると予想されるから、各種の機関や専門家のネットワークによって対応するのが合理的である。このとき、用地補償、代替地対策、生活再建措置、水源地域振興等々を総合化して対応しなければならないのは当然である。

 生活相談所のようなかたちだけではなく、メールによる相談、共通する相談に対応するためのワークショップなど、相談・支援のかたちを工夫することも必要であろう。生活再建計画も、そのような過程を通じて明確になっていくであろう。そして、相談・支援は、コミュニケーションと同時並行的に進める必要があるから、関係者相互の連携を欠いてはならない。

D)中立的な助言・斡旋等

 ときに、地域社会や地権者等と事業者のあいだで対立が生じ、容易に解消できないときがあろう。このときには、中立的な助言・斡旋・調停・仲裁のしくみが有効である。事業用地の取得に関して合意に至らない場合には、斡旋・仲裁を行うしくみが既に整備されている(土地収用法第15条の2〜15条の14)。しかし、もっと幅広い紛争等、たとえば事業計画や生活再建措置などに関する対立など事業に伴う様々な摩擦について対応するしくみが必要なのである。この場合、土地収用法に規定されている斡旋・仲裁のしくみを拡充することも考えられよう。

 実は、各種の紛争を解決するには、中立的な専門家によって客観的に迅速に助言・斡旋・調停・仲裁をするしくみ(裁判外紛争解決手続き(Alternative Dispute Resolution、ADR)、コラム3参照)が有効であるとされる。たとえば公害紛争については公害等調整委員会、建設工事紛争については建設工事紛争審査会というように政府による紛争処理機関が設立され、機能している。また、不動産取引紛争における特定紛争処理手続きのように、財団法人などがその機能を担っている例もある。このようなADRは、複雑で専門性を要する紛争事案について、柔軟に、迅速に対処する方法として成果をあげているが、公共事業に伴う紛争に関しても、同様なしくみを整備することが有効であると考える。

 さらに言えば、ADRのしくみは、その存在自体が紛争の予防に資するのである。中立的な助言・斡旋・調停・仲裁を受けることが保証されていることは、地権者等が対等に交渉できる基盤を形成することとなり、そして、対等性が確保されていれば、紛争がエスカレートする可能性を抑えることができるのである。(逆に、事業者も交渉に当たって対等性を維持しなければならないのは当然である。対等な姿勢を欠けば真の信頼関係を築くことはできないであろう。)

 さて、これらの手順が有効に機能するために重要なのは、@)〜D)のどれ一つとして欠いてはならないということである。これらは相互に支えあって機能する、全体でひとつの紛争予防・解決のためのシステムだからである。また、前述したように、用地補償は地権者等とのコミュニケーションや被補償者の生活基盤の持続という機能を発揮する必要があるが、そのためには、このようなしくみが有効でもある。

 ダムの用地補償は、他の事業に較べて用地補償制度が抱える課題が最も顕在化しやすい現場であろう。その経験を活かして必要なしくみを整備していかなければならない。その際に留意しなければならないのは、用地取得のみに目を向けることなく、事業と社会との調整を図るという問題意識である。用地補償の今後は、「用地取得から紛争予防へ」という課題と取り組むところから進展していくと考える。


3 現場の息吹

 用地補償の考え方が整理され、しくみが整備されたとしても、用地補償の現場での主要な課題は、人間関係を築き、合意を形成するということである。不確定な要素に満ちた、担当者の資質が問われる業務であるから、定型化が難しく、経験に基づく知恵を蓄積する努力が欠かせない。人間臭さに満ちた仕事である。ダムの用地補償を理解するには、そのような現場の息吹を知る必要がある。
 しかしながら、筆者にはそれを紹介するだけの準備がない。わずかに接した現場の息吹を、対話によって再現することでこれに代えたい。公共事業の用地補償担当者が交わした架空の対話である。

(ある日の午後、ダム現場、50代の男性二人)

A:
僕たちの仕事が用地を買収するだけではないということは、案外知られていない。土地を評価して価格を決め、説得し、最後は収用法を適用する、というような事務的な仕事だと思っている人も多い。

B:そうだね。そもそも、相手の信頼がなければ交渉にはならないが、信頼を得るということだけでも大変だよ。役所に恨みを持っている人、若いといって相手にしない人、なかには、いまの市長が嫌いだから協力できないなどという人さえいる。人間関係が大事なのさ。

A:君はどうしているのかな、その人間関係を築くために?

B:結局は誠実に対応するほか無いのだが、公共性を十分に納得してもらうことが大事だと思う。私的な利益のために交渉しているのではないということが相手に通じれば、まずは第一のステップをあがったことになる。頭で理解してもらうことより、心でわかってもらうことのほうが重要だと信じている。

A:でも、公共性なんて抽象的だしね。理屈は言えるが、心を通じるのは未だに苦手で……。昼間から「俺の酒を飲めないのか」などという人もいるしね。(顔をしかめる。)

B:得意な人は少ないんじゃないかな。ただね、事業の必要性や合理性を十分に理解していれば、自ずと公共性が身に付いてくる。心を通じさせるのは、信念のようなものではないだろうか。

A:そういえば、以前上司に言われたことを思いだすね。「自分が事業に十分に納得しないで交渉に出向くな。わからないことは、遠慮なく計画担当に聴け。自分が信じられなくては交渉はできないよ。」とね。

B:計画担当者も、そのように聴かれることで様々な気づきがあるだろうね。交渉相手から問いかけられたことを伝えることで、計画がよりよいものとなることさえあるだろうしね。交渉の真髄は、対話さ。

A:結局、人が好きでないと用地補償の仕事は勤まらないということかな。そういえば僕は、交渉相手でなくても、ときどき電車の中で「この人はどんな人かな」と観察し、考え、推理することがある。人を理解する努力が欠かせないね。

B:そのとおりだ。思うんだが、仕事をしながら人間に興味を持ち、好きになるなんて素敵なことじゃないか。

A:しかし、そうやって交渉していっても、最終的には補償基準がある。こちらの交渉余地はなきに等しいとは思わないかい。

B:大事なのは、まさにそのことさ。君はわかって言っていると思うが、補償基準は公共性のためにこそある。誰に対しても公平に、平等に補償するための基準なのだからね。そうでなければ、民間の不動産業者が土地を買うのと変わらなくなってしまう。

A:では、補償額の交渉はできないということか?

B:「交渉の余地」とは、駆け引きの余地ではない。補償額は、補償対象の実態を十分に把握するかどうかによって左右される。実態をよく知るには信頼が欠かせないし、生活が変わることによる損失なども具体的に理解しないと十分には把握できない。対話を欠いては、ほんとうの実態は見えてこないということだ。生活再建措置と用地補償は切り離すことができないというのは、そういう意味だ。

A:数字を言う前に、補償対象を深く理解せよ、ということか。そういえば、「漁業補償はまず魚に聴け」と言われたこともあったね。現場に深く入らないとできない仕事だ。
  しかし、用地交渉をもっと効率的に進めよ、という圧力も大きいよ。適切な土地収用の活用、などという要請もあるしね。

B:(決然と)まったく矛盾しないと思う。信頼を得て、誠実に説明し、実態をよく理解するという基盤を欠いては、「正当な補償」は実現しない。土地収用の適用も、そのような基盤が整ってこそ社会的にやむを得ないと受け入れられるのだと思う。結局のところ、人間関係がすべてなのさ。もちろん、事業を円滑に進めるためのしくみを充実されることを否定はしないが、人の心が通じ合わない限り用地補償は成り立たないのさ。補償は「情に叶うべし」と言うだろ。

A:そうだとしても、苦労が多いね。だからこそ、事業が完成したときの喜びも大きいのだろうが……。蜂の巣城紛争で有名な、松原・下筌ダムの用地補償に携わった職員がつくったという歌を教わったことがある。
 (山谷ブルースのメロディーで歌う)「お国のためとはいいながら/人の嫌がる山奥へ/召されてきたのは誰のため/下流百万、人のため」(以下4番まで)
 この歌、正直な気持ちが現れているね。国のためではなく、人のためというところなど、正鵠を射ている。嘆きながら、仕事を楽しんでいるような感じもするしね。

B:用地補償の現場は、人間を鍛える機会に満ち溢れている。仕事に手ごたえを得るチャンスも多い。昔から用地補償の仕事は苦労が多いと嫌われがちだったし、最近は事務的に仕事を進めることが推奨されているような気もする。だが、用地交渉のおもしろさは、やってみなければわからない。自分を試される、社会の機微に触れる、公共を代表する、臨機応変に判断し対応する、勇気を持って対決する等々、現場でしか味わえないことがたくさんある。とても人間味にあふれた仕事なのだ。
われわれはもう退く年齢だが、是非、現場の息吹を次の世代に伝えていきたいね。

 (ここで述べた意見は個人のものであり、みずほ総合研究所の見解ではありません。)

コラム1 不動産市場の発達

 不動産市場の発達を促したのは、不動産と金融との緊密化である。金融システムが銀行融資を中心とした間接金融から、金融市場からの調達を中心とする直接金融へとシフトするなかで、不動産の資産性を活かすためのしくみが整備されてきたのである。
 たとえば、現在の不動産市場においては、その不動産から期待される収益を基礎にその価値を評価する方法(収益還元価格)が主流となりつつある。価格形成において、金利などの社会経済的な要因が強く働くようになってきているのである。また、土地と建物とが一体となって価値を生み出すのであるから、収益還元価格が主導する取引においては、更地評価を基本とする考え方の修正を迫られることになる。さらには、従来、不動産の取引価格は相対の交渉で決まることが多かったが、不動産市場の動向に関する情報の充実を背景に、透明な市場において形成される価格が取引を主導するようになる可能性もある。
 用地補償基準における価格の決定は、取引事例に基づいて、更地を取得するために一定の算式で「正常の取引価格」を算出するという考え方によっている。しかし、収益還元法が普及するなか、あるべき「正常の取引価格」を絶対値として算出するのではなく、合理的な市場で形成された相対的な価格に従って取引するようなしくみが必要なのかもしれない。また、事業用地に用益権を設定して事業用地からの受益を証券化するしくみ(被補償者は、事業用地の将来的な価値を受け取ることができる)、用地ファンドを創設して不動産市場を通じて用地を取得するしくみなども考えられる。用地補償に当たって不動産市場の発達を活かすことを検討する時期にきているような気がする。

(参考)

 不動産価格を鑑定する方法には、@)原価法(不動産の供給価格を推定)、A)取引事例比較法(現実の取引事例を分析して価格を推定)、B)収益還元法(将来の収益を現在価値に変換することにより価格を推定)の三つがある。そして、不動産市場が発達するほど、収益還元法による価格推定が優越することになる。収益還元法は、不動産市場の情況を最もよく反映した推定方法だからである。
 収益還元法による価格予測の代表的な手法がDCF法(Discounted Cash Flow Analysis)である。その基本的な考え方は、将来の一定期間にわたる収支変動を予測し、そのキャッシュフローから生じる純収益等を割引率によって現在価値に割り引いた額の合計を求めるのである。これを式で表せば、

となる。この式から明らかなように、不動産の価値を構成するのは土地と建物とが一体となって生み出す収入やコストである。また、保有期間や割引率をどのように設定・予測するかに大きく左右されることに現れているように、DCF法は社会経済環境を強く反映する予測手法である。価格は市場での取引を通じて決まるという原則がよく現れている手法と言ってよい。


コラム2 パブリックインボルブメント

 パブリックインボルブメント(Public Involvement)とは、アメリカの交通計画において発達した地域社会との合意形成のしくみで、日本においても、道路計画の策定や都市整備事業に当たっては一般的な手法として採用されている。
 このしくみの核となるのは、@)計画策定に際して市民の意見などを聞いて計画に反映させる機会を確保すること、A)計画に関する情報を公開し、その策定過程を明確にすること、の二つの手続きである。これによって、計画段階では、住民ニーズの把握、社会的理解の促進、事業の方向性の確定などが、事業段階では、具体的な個別事業についての説明責任の達成、透明性の確保、事業の円滑化などが確保できるとされる。地権者等の利害関係者に留まらず、任意の住民団体や幅広い市民が参加するのが通例である。
具体的なパブリックインボルブメント活動の内容は、広報活動(広報誌の発行、マスコミとの接触、イベントの実施など)、情報交換(公聴会や公開ヒアリングの開催、研究会活動など)、意見聴取(質問の受付や意識調査の実施、コミュニティセンターの開設など)である。
 このように、事業を進めるに当たって必要となる合意形成の努力は一般化し、その手法も充実しているが、これらの手法によって被補償者の個別的な要求や疑問に対応することは難しい。パブリックインボルブメントのような手法は、事業に対する合意形成と用地補償についての合意とを分離し、前者を先行させようというものであるが、実際には、事業に対する理解と用地補償の受け入れとは表裏一体である。その適用には限界があると考えざるを得ない。事業についての合意形成のしくみのなかに用地補償についての交渉過程を組み込むことが必要となるのだが、その手法はいまだに確立しているとは言い難いのが現状である。
 そもそも合意形成とは、形式的な手続きではなく、利害の衝突、価値観のすり合わせ、感情のぶつかりあい、裏切りその他の様々な出来事が連なる過程、つまり社会関係の縮図なのであるから、事業者が主導し、コントロールできるような性格のものではないのである。価値の交流に力を注ぎ、人のこころにまで立ち入るような用地交渉にこそ、合意形成の本質があると考える。


コラム3 裁判外紛争解決手続き(ADR)

 裁判外紛争解決手続き(Alternative Dispute Resolution、ADR)とは、紛争当事者が任意に合意した裁判以外での解決方法により紛争を解決することをいう。通常、紛争を解決する手段は裁判であり、法律的な最終解決を図ることができる。しかし裁判は、原則として公開で行われ、判決までに長期間を要することも多く、また、裁判官はその紛争に関連する分野の専門家であるとは限らない。そこで、最近、ADRを活用して紛争を解決する方法が注目され、その活用を促進するための法制度(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律、今年4月1日施行)も制定された。
 ADRの特徴として言われているのは、非公開性(当事者の秘密やプライバシーを保護することができる)、柔軟性(法律上の権利義務だけにとらわれない円満・建設的な解決が可能)、専門性(その分野の専門知識を持った者が解決に当たる)、迅速性・低廉性(裁判に比べ時間と費用を節約することができる)などであると言われる。また、国際的な紛争を解決する手段として有効であるため、電子商取引における紛争処理のしくみとしても活用されている。
 なおADRには、斡旋(斡旋人が紛争当事者の話し合いが円滑に進むよう取り持つ。当事者の自主的な話し合いが中心)、調停(調停人の仲介によって当事者間の交渉を行い、その過程で調停人から解決策を提示する。この解決策には強制力がなく、従うかどうかは当事者の自由に委ねられる)、仲裁(当事者間の仲裁合意に基づいて仲裁人が審理・判断を行い、当事者は仲裁人の解決策に最終的に従う)の三つの種類がある。

これは、「月刊ダム日本」に掲載されたものの転載です。

(2007年9月作成)

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