補償妥結何か寂しく春残し (鬼水)
この句は、下久保ダム連合対策委員会編・発行『下久保ダムの記録』(昭和54年)に所収されていた。ダムの補償は解決まで大変な困難が伴う。必ずや起業者と水没者等関係者との確執が生じる。また、水没者等関係者の中でも確執がおこる。水没世帯が多ければ多いほどその解決には困難が伴い、時間を要する。
昭和22年9月のカスリーン台風は、利根川流域などに未曾有の被害を及ぼした。下久保ダムは、利根川流域の水害防除と、東京都、埼玉県に対し都市用水の供給を目的として、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって、昭和43年3月に完成した。下久保ダムは、利根川水系神流川中流域の左岸群馬県多野郡鬼石町(現・藤岡市)、右岸埼玉県児玉郡神泉村(現・神川村)に位置する。補償における土地取得面積は361.8haに及び、余儀なく移転せざるを得なかった364世帯は、住み慣れた故郷を離れた。
下久保ダムの補償基準は、昭和38年4月9日に仮調印が行われ、同年6月補償基準が妥結している。水没者からみれば、補償交渉が次第に煮詰まっていくにつれ、この基準で生活再建は可能であろうか、これからの生活は大丈夫だろうかと、自問自答するのは当然のことである。紆余曲折を経て、苦悩しながらも補償妥結の時を迎えた。そのときの水没者の心境を詠んだ句である。
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