[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


−ダムの用地補償(2)−
生活再建のために

長谷部 俊治
みずほ総合研究所 理事
 
1 特殊な補償項目

 ダムの用地補償では、個々人と補償内容について交渉するまえに、被補償者団体とのあいだで、補償の条件、補償項目、その額の基準などを交渉し、合意するのが通例である。その合意された基準は、もちろんダムごとに違うが、住居が水没するようなダム事業における補償項目を見ると、通常は見かけない項目が含まれている。

 たとえば、
@ 残存山林管理費補償や残存墓地管理費補償のような、財産管理費用の増加に対する補償
A 残存農地補償のような、土地利用を維持できないことによる財産の減価に対する補償
B 天恵物補償、飲料水補償、し尿塵芥処理補償のような、生活のための便宜の喪失に対する補償
C 離職者補償、労務休業補償、副業補償のような、生計基盤の変化に伴って生じる損失に対する補償
D 少数残存者補償のような、集落が一部分取り残される結果生活の継続が困難となる居住者に対する移転費用等の補償

などである。(これらの補償項目の概要については、表2・1を参照。)


 では、なぜこのような補償が必要になるのだろうか。その理由はいくつか考えられる。

 第一に、ダム事業においては、一般的に遠距離の住居移転を強いられること。@やAの補償項目は、これに伴う損失に対する補償であると考えてよいであろう。第二に、ダム事業の実施地域において無償で享受していた自然の恵みを失う結果、経済的な負担が生じること。Bの補償項目は、その失われる経済的な価値に対する補償なのである。第三に、生計を支えていた地域共同体の関係が失われ、従来の生活基盤を継続することが困難となること。CやDの補償項目は、主としてこのような社会関係の変化に伴って生じる負担に対する補償という性格が強い。

 つまり、これらの補償項目は、財産権の損失に対する直接の補償ではない。生活の基盤を回復するために必要となる経済的な負担を補償するためのものである。そしてこのような補償は、土地収用法や公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱においては、公共用地の取得・使用によって土地所有者又は関係人が「通常受ける損失」に対する補償であって、すべての公共用地の取得において適用されるべき補償類型のひとつであるとされている。(土地収用法第88条、損失補償基準要綱第43条。もっとも、C及びDの補償項目については、「通常受ける損失」の範囲を超えていて、ダム事業の特殊な事情に対応するための例外的な補償であるという意見もある。これについては、後ほど改めて考える。)

 だが現実には、ダム事業のみがこのような特殊な補償項目を必要としている。しかも、残存墓地管理費補償、天恵物補償、飲料水補償、副業補償、少数残存者補償のような、損失額の算定が極めて困難な補償項目があたりまえのように適用されている。確かに、ダム事業においては生活基盤が全面的に失われるから、それに伴う損失も幅広く、多面的である。たくさんの補償項目が必要になるのはそのためなのであろうが、果たして事情はそれに留まるのであろうか。

 それを考えるためには、ダムの用地補償交渉において地権者からどのような要求がなされているのかを見なければならない。


2 生活再建と精神的な損失

(1)生活再建への要求

 ダムの用地補償交渉において、ほとんど常に提起されるテーマが二つある。一つが生活再建への要求である。もう一つは精神的な損失に対する補償要求であるが、これは後ほど取り上げることにする。

 さて、生活再建要求の根底には、ダム事業によって失われる生活基盤を回復できるかどうかの不安があると推察される。自発的な引越しでさえも不安が大きいのに、「強いられた」住居の移転を受け入れる決断を迫られるのであり、しかも通常は、故郷を離れて異郷に移住することとなるのである。

 その要求に対応すべく代替地が提供されることは、既に前回の本稿で述べたところである。その際に主張したとおり、代替地提供は、生活再建措置の一環ではなく損失の補償であって、実際にもコミュニティ機能を回復するような役割を果たすことが多い。だが、代替地を提供すれば生活基盤を回復できるのであろうか。

 問題は三つある。まず、被補償者全員が代替地に移転するわけではない。それらの者も生活基盤を回復できるような補償が必要である。次に、生活基盤の回復というとき、どのような状態を実現できればよいのかが不明確である。従来の居住地と同様な状態を再現するのは不可能である。特に、自然環境やコミュニティは決して復元できない。さらには、たとえ代替地を提供したとしても、それが取得可能かどうか、そこでの生活を継続できるのかという問題が残る。
そして、ダム用地補償における特殊な補償項目は、単に「通常受ける損失」に対する補償ではなく、これらの問題に対応するためのものでもあると考えられる。

 まず、事業者が提供する代替地を取得することなく独自に移住する被補償者に対しては、生活基盤の回復に要するに足る費用を金銭で補償しなければならない。失われる自然環境などからの受益や、移転に伴って生じると思われる費用を幅広く把握して、必要に応えることが要請されるのである。
この必要性は、代替地に移転する者にも共通する。買収される土地と代替地とは等価でなければならない(差額は決済する)とされているから、十分な財産を持たない被補償者が代替地を取得して生活を継続するのは容易ではない。借地権や借家権に対する補償金を充てるだけでは代替地の所有権は取得できないが、代替地で貸地や貸家を用意することは極めて困難である。あるいは、代替地における生活は、従前よりもコストが嵩むことになるであろう。失われる財産権に対する直接の補償のみでは生活基盤を回復することが困難である被補償者に対しては、それ以外の補償項目による補償を充実させることが要請されるということである。

 さらに言えば、生活基盤の完全な復元はできないのだから、それを補うためにも、残存する墓地や失われる天恵物などに着目した補償項目が必要となるのだと推測しても誤りではないであろう。生活再建への要求に応えようとする努力が、特殊な補償項目に結実していると言ってよい。

(2)精神的な損失

 ダムの用地補償交渉で提起されるもう一つの要求が、精神的な損失に対する補償である。長く住み続けてきた土地を失い、移住を強いられることは、精神的な苦痛を伴うであろうことは疑う余地はない。特にそれが集団的に発生し、また、その原因となる事業から直接に受益するわけではない(このことは被害者意識を惹起するかもしれない)という事情にあるダム事業においては、精神的な苦痛や不満はより強くなりやすいであろう。

 このような要求に対しては、精神的な損失は否定しないが、これに対する補償は必要ないという考え方が確立している。

 現在の公共事業に伴う損失補償の枠組みは、「公共用地の取得に伴う損失の補償を円滑かつ適正に行なうための措置に関する答申」(昭和37年(1962)3月20日、公共用地審議会から建設大臣あて答申)によって確立されたものであるが、そこでは、精神損失に対する補償について、「公共用地を適法な手続により取得する場合において、たとえ精神的苦痛を与えることがあるとしても、これは社会生活上受忍すべきものであって、通常生ずる損失とは認めることができないものであるから、この種の補償項目は、設ける必要がない。」と述べて、その考え方を明確に表明している。そして、これに続けて同答申は、謝金などの名目で財産的補償を補足する事例があるが、これは土地の取得及びこれに伴う通常損失に対する補償が十分でないために生ずる場合が多いと考えられ、財産的補償は補償基準に基づいて適正に行うべきで、不明確な名目による補償は行わないようにすべきとしている。

 この考え方は、損失補償を明確かつ合理的に行うための整理として明快であるが、自らが直接には受益しない事業のために生活基盤を根こそぎ失う者にとっては、精神的苦痛は「社会生活上受忍すべきもの」とされてもにわかには納得し難いものがあろう。現実に生じている苦痛や不満を解消するのは容易ではないのである。

 実際の対応としては、第一に、被補償者と対話を続けて相互理解を深めることが不可欠である。この場合には、多分、事業の必要性や生活再建措置に関しての理解に留まらず、人間的な相互理解が必要となろう。第二に、補償を十分に行って生活基盤の回復を可能ならしめることが必要である。社会経済的な不安の解消によって、精神的な苦痛や不満が薄まることを期待するのである。
そして、ダム事業に特有な特殊な補償項目は、被補償者の置かれた実態を十分に理解したうえで、通常生じる財産的な損失に対する補償を十分に行おうとするときに必要となる措置であると考えてよい。

(3)生活権という考え方

 ところで、生活基盤が根底から失われるような場合には、補償の対象は用地などの財産ではなく、生活そのものであるという主張がある。生活再建や精神損失補償への要求は、財産的価値の回復ではなく生活基盤の回復を求めているのだから、生活基盤の喪失自体に対して補償すべきとする主張である。

 生活権補償を主張する根拠としては、日本国憲法の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(第25条)という規定(一般に「生存権」を保障する規定とされている)が援用されるのが通例である。公共事業に伴って「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことが困難となる場合には、その憲法で保障された権利に対する侵害が生じるのであるから、財産権に対してではなく、失われる生活基盤に対して補償すべきであるとする。

 だが、この場合の「生活権」の具体的な内容は必ずしも明確ではない。居住や生計を維持することのできる最低限の基盤を享受することを言うのであろうが、その実態は、住宅、職業、家族、コミュニティ、居住環境等々、種々の要素が組み合わさったものであり、個人差が大きく、その見極めは難しい。しかも、生活権の法的な性格に関しては、生活権と生存権の関係をどのように考えるのか(たとえば、憲法第25条は「プログラム規定」であって国の努力目標や政策的方針を規定するに留まり、個々の国民に対して直接に具体的権利を賦与したものではないという意見も強く、そうであれば生活権補償の根拠とはならない)、生活権という権利が社会規範として十分に成熟しているかなど、疑問や議論すべき課題がたくさん残っている。

 このような事情を反映してであろうか、前述の公共用地審議会答申は、生活権補償として要求されているものの多くは、通常損失に対する補償を含む財産権の補償が十分でないために生ずると考えられるとし、「これらの補償(筆者注・財産権の補償)を適正に行なうならば、生活権補償というような補償項目を別に設ける必要は認められず、公共の利益となる事業の施行に伴い生活の基礎を失うこととなる者がある場合には、必要により、生活再建の措置を講ずるようにすべきである」と述べて、生活権補償の必要性を否定している。

 答申が示しているのは、
ア 財産権の補償は十分に行わなければならない
イ 必要があるならば、補償とは別に生活再建の措置を講ずるべきである
ウ ア及びイを行えば、生活権補償は必要ない
ということである。そして、現在の用地補償業務は、この基本的な考え方のもとで実施されている。ダム事業における特殊な補償項目は、アの要請に応えるためのものであると考えてよいであろう。ただこのとき、イにいう生活再建措置を補完するために、財産権補償の枠組みを最大限に拡大するような運用がなされていると考えられる。

 思うに、補償を客観的合理的に、適正に行う必要と、生活基盤の回復という要請に応える必要との両方を満たそうとするとき、この答申の整理は説得力がある。そもそも、どのような状態が「健康で文化的な最低限度の生活」あるいは補償を必要とする生活基盤なのかを、権利義務関係として判断できる程度にまで明確にすることは大変に困難なことなのである。

 もっとも、生活権に対する補償であればその義務は全面的に事業者が負うことになるが、生活再建措置と補償とを分離すれば、生活再建措置を実施する責任のすべてを事業者が負う必然性はない。生活権補償の否定によって、損失を補償する法的な義務の範囲が具体的かつ明確なものとなる一方、生活再建に対する責任は関係者の努力に委ねられることになったのである。後述するが、生活再建措置を定める法律上の諸規定がいずれも努力義務に留まっているのはそれゆえである。また、代替地の提供等について事業者が必ずしも積極的でないことの理由のひとつでもあろう。(なお、生活基盤の回復のために代替地が不可欠な場合には、その現物提供を補償の一環として捉えるべきであることは、前回の本稿を参照されたい。)

 しかしながら注意すべきは、答申は、生活権補償は必要ないとするだけで、その考え方まで否定しているわけではない。現実的に生活基盤の回復を図ることができるのならば、あえて生活権補償などのような不明確な補償項目を設けなくともよいではないか、というのが答申の趣旨である。


3 財産権補償の限界

(1)補償からはみだすもの

 前述のとおり、財産権に対する補償を十分に行えば、おおむねのところ生活再建は可能であろう、というのが現在の用地補償の考え方である。しかしながら、現在の用地補償業務の運用において、財産権に対する補償に限定するという基本原則からはみだすと思われるものが二つある。

 一つが、離職者補償、労務休業補償、副業補償のような、生計基盤の変化に伴って生じる損失に対する補償(本稿の1で述べた特殊な補償項目C)であり、もう一つが少数残存者補償(同じく補償項目D)である。前者は、いわば期待利益に対する補償であって、「通常生じる損失」であるかどうか議論があろう。財産の喪失に伴う損失の範囲を超えている感を否めないし、その本来の性格は生活再建を支援するためのものである。また、後者は、自らの財産権の損失に伴う補償ではなく、共同体から取り残されるという、社会的な公平を欠くような受忍できない損失に対する補償である。
さらには、代替地の提供において、その取得に要する費用は買収される土地等の代金を上回ることが通例で、「通常生じる損失」に対する補償金を代替地の代金に充当するほか、代替地の造成原価を低減させる工夫等が必要になっている。これは、少なくともダム事業においては、補償の一環として代替地提供が必須であるからであり、一般的な財産権の補償のみでは生活再建が困難であるということを示している。

 このような齟齬が生じるのは、実は、財産権の補償ではカバーできない損失があるからだと考える。そもそも、現在補償される財産権は、事業に用に供する土地等のような、個人の所有する資産に限定されている。そして、その個人資産の損失に伴って必要となる家屋移転等の費用を、「通常生じる損失」として補償することによって「正当な補償」を全うすることができるとしている。だが、事業によって失われるのは、個人の資産だけではない。

 個人資産のほかに失われるものは、大きく二つあろう。自然資源とコミュニティである。まず、自然資源であるが、一般に、自然資源から受けている恩恵は、「反射的な利益」に過ぎないから補償の対象とはならないとされる。だが、ダム事業地のようなところで営まれる生活は、自然資源に支えられ、それと一体となっている。その喪失は、土地等の個人財産の喪失に匹敵する損失を生じるであろう。だからこそ、天恵物補償、飲料水補償、し尿塵芥処理補償(特殊な補償項目B)のような補償が必要になるのである。これらの補償項目は、財産権の喪失に伴う通損として取り扱われているが、実際は、失われる自然環境に対する補償として捉えるべきであろう。

 もう一つのコミュニティについては、前回の本稿で代替地の提供の必然性を述べたときに既に触れた。生活が、伝統的に継続してきた共同体に支えられて成り立っている場合には、その機能の喪失は生活基盤の喪失でもある。特殊は補償項目C及びDは、その機能を回復するために必要な措置だと考えれば、なぜこれらの補償項目が財産権補償に限るという原則をはみだしているかが理解できるのではないか。

 つまり、ダム事業によって居住基盤を失う被補償者にあっては、その生活の実態に照らせば、個人資産のほか、自然環境やコミュニティが失われることによる損失を補填することが不可欠であるということである。

 もちろん、自然環境やコミュニティの価値を定量的に算定することは極めて困難である。また、その喪失による損失は、個人差が大きいであろう。過去に、「精神的損失補償」とか「生活権補償」とかの名目で不明確な補償が行われた事例があったことに照らせば、補償の対象を個人財産に限定すると整理したうえで、はみだす部分を生活再建措置のゆだねるという現在の考え方はやむを得ないと考える。だが、その前提は、自然環境やコミュニティの喪失に伴う損失を補うに足る、十分な生活再建措置が別途行われることであった。

 補償業務においては、このような背景を十分に踏まえて、補償の対象を個人の財産権に限定するという原則に限界があることを理解することが重要である。財産権補償の枠組みからはみだす損失を直視し、そのような損失を補うに足る生活再建措置が十分に講じられているかどうか、さらには実際に生活再建が可能であるかどうかを十分に検証したうえで用地補償の方針を決定しなければならないのである。もっとも、用地交渉の現場では、その実情は十分に理解されていると考える。

 (なお、土地収用法では、平成13年(2001)の改正によって、生活の基礎を失うこととなる者は、宅地建物等の取得や職業の紹介等の生活再建のため必要な措置の斡旋を起業者の申し出ることができるとし、起業者はそれを講ずるよう努めなければならないという規定が追加された(同法第139条の2)。だが、この改正は生活再建についての基本的な考え方を変えるものではないとされている。)

(2)生活再建措置

 では、生活再建措置は、制度上どのように取り扱われているのだろうか。
生活再建措置に関する規定がある法令としては、土地収用法、都市計画法及び水源地域対策特別措置法水特法)がある。これらに共通する生活再建措置の内容は、第一に、宅地、開発して農地とすることが適当な土地その他の土地の取得、第二に、住宅、店舗その他の建物の取得、第三に、職業の紹介、指導又は訓練である。このほか、水特法は、もう一つの内容として、「他に適当な土地がなかつたため環境が著しく不良な土地に住居を移した場合における環境の整備」を規定している。

 そして、それらの措置要求に対しては、事業者は(水特法においては、関係行政機関の長、関係地方公共団体、指定ダム等を建設する者及び整備事業を実施する者が協力して)、「斡旋に努める」とされている。(なお、公共用地の取得に関する特別措置法にも生活再建措置に関する規定があり(同法第47条)、そこでは斡旋だけでなく、都道府県知事による「生活再建計画」の作成を義務付けているが、極めて特殊な事情にある事業を対象にした措置である。注1を参照。)

 だが、このような規定と、代替地を必要とする切実さとのあいだにギャップがあることはもはや明らかであろう。現実に、代替地の提供は補償の一環として行わざるを得ないこと、そして、生計維持のために離職者補償等のような生活再建を支援するための補償が必須であること、さらに、このギャップの原因の一つが、補償の対象を財産権に限定するという考え方であることは既に(代替地提供の必要性については前号の本欄で)述べたところである。

 だが、見逃してはならないもう一つのギャップの原因は、生活再建措置が社会政策として実施されているということである。社会政策とは、社会の安定や公平の確保のために、不平等な関係を是正し、社会的な弱者を保護する政策であり、たとえば社会保障制度や雇用関係の調整制度がその典型である。そして、生活再建措置は、このような社会政策としての役割を果たすためのものであると理解されているのである。つまり、事業による損失補償は十分に行われたが、土地や労働の市場が十分に発達していないために、生活基盤の回復が困難な場合があり、このときに社会政策として生活再建措置を講じるという考え方である。そしてこのときには、措置に当たって中心的な役割を担うのは、社会政策行政の担当者である地方公共団体となろう。そして地方公共団体も事業者も、その措置を講じるのは「努力義務」に留まることになるのである。

 実際にも、事業者が代替地を確実に提供することは困難であるし、職業の紹介や訓練を実施するような用意が無いのは事実であろう。生活再建措置を行うに当たって、地元地方公共団体の協力が不可欠であり、また、地方公共団体としても、事業により生活の基盤を失った人々に対して支援する行政的な責任を免れるわけにはいかない。水特法が、生活再建措置に対応すべき主体として、「関係行政機関の長、関係地方公共団体、指定ダム等を建設する者及び整備事業を実施する者」を列挙しているのは、そのような事情を反映したものと考えられる。

 しかしながら、事業者と地方公共団体とは、果たして「共同で」生活再建措置に対応するような関係なのであろうか。少なくとも、大規模に生活基盤が失われる場合にその回復を可能にする責任は、第一義的には事業者が負うべきである。一方で、地方公共団体は、そのような状況にある住民に対して必要な支援をする責任を免れることはできない。生活再建措置が社会政策の一環であるとして、本来負うべき義務や責任を曖昧にしてはならないのである。

 このような事業者と地方公共団体との関係を象徴するのが、「行政需要補償」である。これは、事業によって地方公共団体の行政需要が著しく増大する場合に、その必要最小限な費用を事業者が地方公共団体に対して補償するものである(公共補償基準要綱(昭和42年(1967)2月21日閣議決定)第18条)。この補償は、実質的にはダム事業についてのみ適用されているが、その算定に当たって「起業者が直接間接に利益を受ける限度」とされているように、ダム事業の実施において地方公共団体の協力が不可欠であるという事情を反映している。しかし同時に、地方公共団体がその行政の一環として住民の生活再建を支援するのは当然の責務であり、「補償」になじむかどうかは疑問である。
生活再建措置のあるべき姿は、事業者が地方公共団体等と協議の上で生活再建計画を策定し、そのなかで計画を実施するために必要な費用の負担関係を明確にするというようなしくみを整えることである。このとき、用地補償との連携は不可欠である。また、地方公共団体等が負う特別の財政負担については、水源地域の整備に要する費用とは別途に、生活再建措置のための費用として、明示的にダム事業者が負担するのが合理的であると考える。


4 生活再建の実際は?

 さて、前述したように、生活権補償に関する答申の考え方(2(3)のア〜ウ)によれば、生活再建を達成することができれば、生活権に対する補償と同様の効果を実現することになるとする。だとすれば、現実に満足できる生活再建が現に実現しているかどうかを問わなければならない。

(1)現地再建と集団移転

 通常、ダム事業における生活再建は集団移転地において達成される。その際に問題となるのは、その移転地をどこに求めるかである。ダム湖周辺に代替地を造成して移転する「現地再建」か、水没地から離れた場所に集団移転のための代替地を求める「域外集団移転」かの選択は、生活再建の姿を大きく左右する。(そのほか、集団で移転せずに個々人に生活基盤の回復を委ねる場合を「個別再建」又は「個人移転」という。)

 そして、その選択は地域事情に応じて様々で、たとえば前回に本稿で紹介した宮ヶ瀬ダムの場合は、原則的に域外集団移転を選択し、ダム湖周辺で事業を営む者等のための現地再建が組み合わされた。両方の方式を比較すれば、表2・2のようになろう。


 全面的な現地再建の一例としては、八ッ場ダム(利根川水系吾妻川、1967年着手、現在建設中、総貯水容量1億750万m3、重力式コンクリートダム、水没地の住戸340戸)がある。その置かれた環境から、ダム湖周辺で生活再建を図ることが計画され、その地域基盤を整えるべく、図2・1に示すような幹線施設の整備が進められている。図から読み取れるとおり、各集落に対応した代替地(宅地・農地)の造成、付け替える鉄道や道路計画との整合化、さらには(図からはわからないが)川原地区での温泉経営の継続の確保など、生活再建を支えるための多くの工夫がなされている。

 この整備計画の実現のためには、用地補償のほか、ダム建設事業、水源地域対策特別措置法による整備事業、利根川・荒川水源地域対策基金による事業などの緊密な連携が不可欠である。もちろん、地元の地方自治体の幅広い協力や尽力も欠かせない。しかも、事業用地の買収、代替地用地の買収、代替地の造成、付け替え道路等の整備などを齟齬のないように進めていく必要がある。現地再建がいかに困難な取り組みであるか、その一端を知っているだけに、感慨深いものがある(注2)。

 一方、全面的に域外に集団移転を選択した例としては、たとえば徳山ダム(木曾川水系揖斐川、1971年着手、2007年完成予定、総貯水容量6億6千万m3、ロックフィルダム)がある。このダム建設に伴って、徳山村の全世帯が移転する(従って村が消滅する)という大規模な生活再建措置が必要となったのであるが、移転対象466世帯のうち71%は、ダム地点から20〜40q離れた5つの集団移転代替地に移転した(図2・2参照)。


 このような離れた位置にある代替地の整備においては、水特法の整備事業との連携は不可能であり、ダム事業者が、ほぼ全面的にリスクを負いつつ宅地造成事業を進めるほかない。また、代替地が立地するのはダム事業とは無縁の地方公共団体であるから、その協力に限度があるのは当然である。移転者の生活環境は激変するのであり、現地再建とは質的に異なる生活再建上の困難さを抱えているはずである。

 ただ、現地再建か域外集団移転かの選択はあるにせよ、生活再建対策は、代替地の引渡しで終わるわけではなく、生活支援や地域の産業振興など、被補償者の個別事情や社会経済環境に対応して生活基盤が回復されるまで、十分なフォローが必要となることに変わりは無い。社会的な支援が不可欠なのである。

(2)生活再建の不安

 さて、本来ならば、ここで、ダム事業に伴う生活再建の達成状況を述べなければならない。だが残念ながら、そのような調査は数少ない。個々の事業についていくつかのフォロー調査はなされているが、生活再建の実態を一般的に紹介するに足る最近の資料やデータを入手することはできなかった。また、生活の実態を調査すること自体、大変な労力を要することでもあろう。

 やや古い成果であるが、水特法の制定前のダム事業を対象にして、生活再建の実態を学術的に調査した結果としては、華山謙「補償の理論と現実」(勁草書房、1969)がある。氏は、1963年から67年まで、ダム事業によって移転した730戸に対して、面接によるヒアリングを実施し、その結果をまとめている。また、個別事業における学術的な調査結果としては、日本人文科学会編「佐久間ダム」(東京大学出版会、1958)や、関西大学下筌・松原ダム総合学術調査団編「公共事業と人間の尊重」(ぎょうせい、1973)が充実している。

 これらの調査結果が示すのは、
ア 被補償者は、長期間にわたって、生活の変化や将来の展望に不安を抱き続けていること
イ 移転に伴って、職業や家業を変えた被補償者が多いこと
ウ 金銭補償額について、物価や地価の変化に伴って価値が低下したとする者が多いこと
エ 問題の中心は、代替地の取得・選択にあること(佐久間ダム事業においては、代替地が提供されなかった結果、被補償者の生活再建は非常に困難であったという)
である。 

 しかしこれらの調査は、水源地域の振興に対する制度が十分に整っていなかった時代のものであり、また、社会経済状況も現在とは異なるから、生活再建の実態を把握するためには限界がある。
思うに、問題なのは、最近、そのような総合的な調査が見当たらないことにある。生活再建措置が「正当な補償」を補完するような重要な政策であるからには、常に事後の検証が不可欠なのである。

 ここでは、架空の二人の対話で、被補償者が生活再建をどのように受け止めているかを述べておくに留めたい。ただし、その内容はあくまでもフィクションであり、筆者の個人的な思いが強く反映しているに注意して欲しい。

A:久しぶりだね。隣同士に住んでいたのに、離れ離れになってしまって、今でも寂しく思うことがあるよ。
B:僕も同じ。君は「現地再建」組、僕は「集団移転」組だったからね。なぜ君は現地再建を選んだんだ。
A:この土地を愛しているからさ。ダム湖には観光客もやってくるし、ここで生活を続けたいと強く思った。君は?
B:故郷の生活の良さはわかるが、先行きを考えると、街でもっと自由な生活がしたいと思った。仕事も選べるし、何かと便利だしね。本当は、集団移転ではなくて自分で移転先を見つけたかったのだが、女房が、知り合いのいないところで暮らすのは嫌というから、集団移転を選んだんだ。
A:確かにここでは、生活を建て直すにしても選べる道はひとつしかない。ずーっとこの地に生きるしかないというのは、ちょっと寂しい気持ちになる。子供はどうするのだろうと気になるしね。その点、君は…。
B:僕のほうがほんとうはもっと寂しいよ。それにね、生活の環境が変わるというのは大変なことだよ。思わぬお金が必要になったりするし、仕事だって、すぐには見つからない。知らないところで、慣れない仕事をするのは苦労が多いんだ。僕は我慢したけれど、せっかくだからと大きな家を建てたCなどは、屋敷の維持だけで四苦八苦しているようだしね。
A:そうだね。現地再建と言ったって、生活が変わることには違いが無い。住んでいる人も減って、過疎地の生活はもっとつらくなっていくんだろうね。水特法で整備されたのは施設だけで、それをどう使うかは現地再建組の責任だと思う。なかなか将来の見通しが立たないよ。
B:ダム事業がきっかけで、それぞれが将来の生活を考えざるを得なくなったということかな。生活再建措置というけれど、結局のところそれぞれが自分で生活の道を選び、努力するほか無いということがよくわかった。
A:現地だってもとのままではない。自然の様子も隣近所の関係も、みんな変わってしまった。もとの集落が目の前の湖底にあるのは、ときとしてプレッシャーにもなるしね。
B:集団で移転したはずだが、もう引っ越した人もいるよ。失われたものは、もはや戻ってこないんだ。
A:お互い苦労が多いね。僕はできるならば死ぬまでこの故郷で生活したいと思っている。ときどき会いたいね。
B:ありがとう。元気でね。

(ここで述べた意見は個人のものであり、みずほ総合研究所の見解ではありません。)
(注1)公共用地の取得に関する特別措置法は、土地収用法の特例として、昭和36年(1961)6月に制定された。公共の利害に特に重大な関係があり、かつ、緊急に施行することを要する事業に必要な土地等の取得手続を定めたもので、緊急裁決、その際の仮住居補償、国土交通大臣による裁決の代行などが規定されている。それらの規定の一つとして、生活再建等のための措置がある(同法第47条)。そこでは、生活再建措置の内容として水特法と同様の4つの措置を挙げたあと、都道府県知事は被補償者の申し出が相当であるときには、「関係行政機関、関係市町村長、その申出をした者又はその代表者及び特定公共事業を施行する者と協議して、生活再建計画を作成するものとする」と規定する。そして、事業者は、生活再建計画のうち、被補償者に対する対償となる事項を実施しなければならないとするほか、国及び地方公共団体は、法令及び予算の範囲内において、事情の許す限り、生活再建計画の実施に努めなければならないとする。この規定は、水特法の制定前のものであるが、生活再建のための具体的な手続を定めたものとして、注目に値するであろう。だが、現実にこの規定が適用された例は無い。

(注2)筆者は、1994年7月から1996年7月まで、関東地方建設局(当時)用地部に勤務し、八ッ場ダムの用地補償について関与したことがある。現場事務所で勤務したわけではないから業務の苦労を実感したとは言い難いが、たまたま「用地補償調査に関する協定書」の調印時期に重なったこともあり、現在の事業の進捗に感慨を覚えずにはいられない。また、八ッ場ダムの反対運動を主導された萩原好夫氏(故人、「八ッ場ダムの闘い」(1996年2月、岩波書店)の著者)に、一夜お話を伺ったこともあり、ダムの用地補償を考える上で良い経験となった。記して感謝する。
 なお、萩原氏はその著書で、生活再建のための理論として、クリストファー・アレグザンダーの「オレゴン大学の実験」(鹿島出版会、1977)に深い感銘を受けたと述べている。建築物の利用者が事業に参画することを徹底的に求め、事業のプロセスを重視するというアレグザンダーの思想は、生活再建を導く理論として示唆に富む内容であったのだろう。だが、そのような萩原氏の理論的な主張が地元社会にどこまで理解されたかをいまにして思うと、氏は一抹の寂しさを覚えておられたのではないか。
これは、「月刊ダム日本」に掲載されたものの転載です。

(2007年7月作成)

ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
【 関連する 「このごろ」「テーマページ」】

 (用地補償)
  [テ] 補償交渉と生活再建(宮ヶ瀬ダム)
  [テ] 後輩に伝えたい、私の経験〜 ある用地職員の思い 〜
  [テ] −ダムの用地補償(1)−代替地はなぜ必要か
  [テ] −ダムの用地補償(3)−合意形成に向けて
  [テ] −ダムの用地補償(4)−蜂の巣城の教訓
  [テ] −ダムの用地補償(5)−用地補償基準はなぜ一律か?
  [テ] −ダムの用地補償(6・終)−用地取得から紛争予防へ
  [こ] 暁をみる
  [こ] ダムをうたう(21) -補償妥結の寂しさ-
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]