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◇ 2. ダムの話

 明治から今日までの日本経済の動向をみてみると次のように区分できる。

 @明治期から終戦まで
  明治〜1945(昭和20)年
 A戦後復興期
  1945(昭和20)年〜1955(昭和30)年
 B高度成長期
  1955(昭和30)年〜1973(昭和48)年
 C安定成長期
  1973(昭和48)年〜1985(昭和60)年
 Dバブル経済期
  1986(昭和61)年〜1991(平成3)年
 E平成不況期
  1991(平成3)年〜2000(平成12年)
 Fグローバル経済期
  2000(平成12)年〜

 この間に多くの近代的ダムが造られてきた。
 戦前に小牧ダム(昭和4年完成)、小屋平ダム(昭和11年)などの工事に携わった石井頴一郎著「ダムの話」(朝日新聞社・昭和24年)では、敗戦後の日本には、2つの宝を持っている、それは天から恵まれた雨であり、景色という資源であり、国力を進めるにはその雨を利用したダム建設が必要だと論じる。
 即ち、ダムがあれば出水時には全部又は大部分の河水を貯水池に貯えておき、不足時電力を定時化出来るのみでなく、電気を起こした後の水は、灌漑や水道に使用することが出来るし、大きな貯水池ならば洪水に役立つと述べ、アメリカのフーバーダムの役割をあげて、ダム建設を強調する。

 ダムの建設について、クレンデニングダム(アメリカ)、フォートペックダム(アメリカ)、石塊堰堤としてサンガブリエル第1号ダム(アメリカ)、扶壁堰堤として丸沼ダム、コンクリートダムとして小牧ダム、グランドクーリーダム、フーバーダム(アメリカ)を挙げて具体的にダム施工を論じる。


「ダムの話」
 石井頴一郎は、戦前ダム施工のなかで、既にダムの美観について次のように述べていることには驚く。
 【ダムは公共物である。その建設者が国や県である場合は勿論のこと、水力発電会社であろうが、都市の水道あるいは用水組合であろうが、天から降った雨を貯えて、これを民衆の用に供するのであるから、これ程公共的なものはない。
 それだから建設の任に當る者は、その安全性に大責任を感じるばかりでなく、公共のため良い遊覧地を提供するつもりでありたいものである。日本でダムを造るような所は、一般に谷が迫り、景勝の地が多いから、自然破壊することなく、天然の風景に人工の偉大な構造美を添えて一層観光価値を高めるようにしたいものである。】

 そして、石井は【小屋平ダムは国立公園黒部峡谷に造られただけ、自然との調和、雪崩に対する付近構造物の安全性等について特に注意したつもりである。黒部の紅葉が小屋平を赤い錦に包んだ頃、あのダムを見た人はダムと取入口と沈砂池の水門塔との取り合わせと、それぞれの構造について峡谷の美を活かすとも決して損じなかったことをうなずいてくれるであろう】と述べている。戦後経済復興期における著書であるが、その後の景観に係わるダム施工についての先見性を見事に捉えているといえる。

 竹林征三著「ダムのはなし」(技報堂・平成8年)では、明治初期コレラや赤痢等を克服するために近代水道の供給に琵琶湖疏水、日本最初の重力式コンクリートダム布引五本松ダム、本河内高部ダムの完成、さらに戦後田子倉ダム、奥只見ダム、黒部ダム等の水力発電ダムが近代産業の原動力になったことを辿りながらダムの役割を論じる。

 また現代のダム建設は環境破壊の元凶だという説はあまりにも一面的な考え方に過ぎないと反論する。

 先ず、ダム造りには知水、敬水、馴水という観点で付き合うことが重要だと主張する。また「ダム擬もどき」について、次のように論じる。


「ダムのはなし」
 ダムの名はあるものの、近代的なダムとは全然本質を異にしているダム擬として、砂防ダム、鉱滓堆積ダム(テーリングダム)、粗朶ダム(ブラッシュウトダム)、丸太ダム(ログダム)、板造ダム(プラングダム)、天然ダム、鉄製ダム(スチールダム)等を挙げている。

 これらのダム擬には事故が起こりやすい。ダム事故の報道が実はダム擬の報道が多く、近代的なダムと同一視されて報道されることに徹底的に異議を唱えている。近代的なダム事故は日本では皆無であると言い切っている。

 図のように、日本のハイダム、世界のハイダムの建設史は一目瞭然に体系的に理解できるようになっている。前近代的な締固め方法の図も大変興味を引く。


 試験湛水の項では、湛水を神の裁きであると厳粛に受けとめ初期湛水が最大の関門であり、万全の準備しておく必要があるという。
 その対応には、@最悪の場合を想定して準備の万全を図ることA最悪の危機管理の体制の整備を整えておくことB緊急非常事態処置がとれるようにしておくことを強調する。

 試験湛水において、日本のダムでは事故は起こっていないが、1895年ブシェイダム(フランス)の崩堰、1928年セントフランスダム(アメリカ)の崩堰、1959年マルパッセダムの破壊、1963年バイヨントダム(イタリア)の貯水池地滑り、1976年ティートンダム(アメリカ)の基礎破壊などの事故をあげ、基礎岩盤処理と初期湛水試験での各種計則の重要性をダム技術者に対し指摘する。ダム事故に関してはロバートB. ヤンセン著「ダムと公共の安全−世界の重大事故例と教訓」(東海大学出版会・昭和58年)に詳しい。

 ダム事故をなくすためにもダム土木工事には着工式など儀式は欠かせない。寺社建築とダム建設の儀式の比較が表されていることも興味がつきない。
 糸林芳彦氏(元水資源開発公団理事)の口癖であったという「ダムは水を貯めて評価されるもの」を引用されているが、ダムは治水の役割を果たし、その貯水された水がユーザーに安全にスムーズに供給されることに、ダムの価値が見いだされるものであるといえる。その意味ではダム管理は重要である。

 竹林征三著「続ダムのはなし」(技報堂・平成16年)が発行され、その内容は次の通りである。
@日本の河川・堤防・ダム−堤防は切れるように設計されている。
A水資源とダム−気候変動でダム開発量は実質的に目減りしている。
Bダムと環境−鳥類の聖域となった湖沼群、箕面川ダムと品木ダムの環境の取り組み
Cダムと経済評価
Dダム無用論を憂う
Eダム湖水と景観


「続ダムのはなし」
 ここで改めて平成13年2月20日、田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」の主旨をみてみたい。
@コンクリートダムは地球環境への負荷を与え、完成したダムに多くの堆砂を生じ、その処理に多額を要する。
Aダム建設は国の補助80%であるが、安易な理由で建設すべきではない。
Bダム建設より、河川改修費用が多額となろうとも、100年、200年先の子孫に残す資源としての河川、湖沼の価値を重視したい。
 長野県においては出来る限りコンタリートダムを造るべきではない。
 「以上のことを前提として下諏訪ダムは未着工のため、治水、利水共にダムに頼らない対応は可能であると考え、中止する。治水は堤防の嵩上げや川底の浚渫を組み合わせ、利水は河川や地下水に新たな水源を求められるかどうか、その可能性を調査したい」

 このような脱ダム宣言に対し、この書で次のように疑問を呈している。
@脱ダム宣言を読むかぎり、治水ダムや多目的ダムのことを対象としているようだが、他の目的のダムは環境破壊にならないのか。
A脱ダム宣言では、ダム型式の中で明確にコンクリートダムのみに限定している。ロックフィルダムアースダムなどは環境破壊にならないのだろうか。なぜ脱ダムの対象ではないのだろうか。
Bダムに頼らない治水方式と言うことであったが、その具体的代替案は何も示されていない。

 このように脱ダム論に対し、「何となく情緒的な論」であるとして、ダムを情緒的なかつムード論的で白黒をつけるべきではなく、ダムは国家百年の計で造るべきだ、と主張する。

 最近、ダム建設に批判的な水余り論に対しては、トータルでどれだけ水を備蓄しているかということで、利水安全度を諸外国と比較した場合日本は低すぎる。さらに環境にやさしい「緑のダム」は幻であり、「緑のダム」は即ちダムに代わる森林には、洪水調節効果も、渇水時の水補給効果もないと言い切っている。しかし良好な森林は深層崩壊は防げないが、土砂流失を防止する効果はあるとして、ダムとの共存は図るべきだと主張する。

 治水対策は「面の治水」の流域対応、「線の治水」の堤防対応、「点の治水」のダム対応で面から線そして点の治水であって、一つの対応に過度に期待することは禁物であると警鐘を鳴らす。

 この書では、物部長穂(明治21年〜昭和16年)の土木技術の歴史に刻んだ業績を挙げ称賛している。
@大正13年「構造物の振動殊に其の耐震性の研究」論文を発表し、世界に先駆けた耐震設計法を確立したこと。
A大正15年「我が国に於ける河川水量の調査並びに貯水事業に就いて」の論文を発表し、多目的ダム論を提唱したこと。
B「水理学」の書を著し、日本最初の水理学の体系化を図ったこと。
 昭和9年には「地震に因る重力水圧を考慮せる重力堰堤の断面決定法」の論文を発表し、重力式コンクリートダムの耐震設計理論を確立し、以後ハイダム建設の幕開けとなった。

 なお、土木工学の父と呼ばれた物部長穂の伝記については、川村公一著「物部長穂」 (無明舎出版・平成8年)が出版されている。

 ダム湖水と景観では、前述の石井説と同様な精神をもって論じる。
 ダム築造による水面づくりは素晴らしい景観の設計の原点であるとして、国立、国定公園の傑出した風景に溶け込んでいるダム湖、大白川ダム、尾立ダム、野反ダム、犬上ダム、皆瀬ダム、鳴子ダム、栗駒ダムを挙げている。

 また、ダム環境では鳥獣保護区の指定地区が増え、鳥類を主体とする良好な生態系となっており、その良好なダム湖として、糠平湖、美山湖、丹沢湖、我谷ダム湖、奥野ダム湖、引原ダム湖、大原湖、市房ダム湖を挙げ、ダム建設は必ずしも環境破壊につながらないと主張する。


「物部長穂」
 藤井敏夫代表執筆「ダム」(オーム社・昭和60年)によれば、ダムの定義について、次のように述べている。
 【ダムとは、一般的に河川の水を貯留したり、取水したりして、灌漑、水道、発電などに利用し、あるいは洪水を防ぐために造る構造物のことである。わが国では河川法上、15m以上の堤高をダムという。】
 ダムの定義と問われたとき、なかなかスムーズに諳そらんじることができなくて恥ずかしい思いをすることがある。この書ではダムの生いたち、ダムの種類、ダムの役割、ダムのできるまで、そして、日本のダム、世界のダムの技術の変遷などについて平易にわかりやすく著している。

 この書から海外における日本のダム技術協力をみてみたい。
 技術協力の形としては、わが国の建設コンサルタントが相手国政府等の依頼に応じ、相手国の開発資金または、わが国の2国間贈与資金などの国際金融機関(世界銀行、アジア開発銀行など)などの資金を利用して行う。


「ダム」
 日本の技術協力によって完成したダムを挙げてみる。
 ダニムダム(ヴェトナム・1963年完成)、カランカテスダム(インドネシア・1959年)、ナムグムダム(ラオス・1971年)、シーナカリンダム(タイ・1966年)、ハサンウールルダム(トルコ・1980年)。
 日本のダム技術は高く評価されており、世界に誇れるものであり、これからもダム技術の協力は益々進展するであろう。

 日本ダム協会編・発行「日本の水とダム−足りない水・暴れる水」(平成元年)の内容は、日本の水、渇水と洪水、水の脅威を恵みの水に、日本の水とダム、ダムABC、資料編から構成され、写真や図によって日本のダム問題についてヴィジュアルに捉えている。

 例えばダムの再開発について、
@貯水池容量を増大させる方法
A現在行われている貯水池の運用を変える方法がある。
 @についてはダムの嵩上げや貯水池の掘削があり、Aについては、取水設備や放流設備を新設や改造によって貯水池の運用方式を変え、治水利用面での効率を高めようとする。新中野ダム53mから74.9mに嵩上げ、新丸山ダムは嵩上げ98.2mから123m、木屋川ダムは嵩上げ41mから51.5m、萱瀬ダムは嵩上げを51mから65.5mに実施。


「日本の水とダム−足りない水・暴れる水」
 福地ダム、藤井ダム、笠堀ダム、笹生川ダムは放流設備の改造を行った。
 さらに強酸性河川の水質改善を図った珍しいダムを挙げている。群馬県の白根山や草津温泉などから流れだす大沢川、谷沢川、湯川は強い酸性の水である。その三つの川に中和工場から石灰ミルクを流し込み、その下流に品木ダムを建設し、そのダムで石灰ミルクと酸性成分が反応して生じる沈殿物を取り除き、その水を下流へ流し水質改善を図っている。

 ところで、ダム技術の進歩は、水圧との闘いであったといえるだろう。
 NHK「テクノパワー」プロジェクト著「巨大建設の世界・水圧と闘うダム・運河」(NHK出版・平成5年)では、ダムの巨大な水圧に対する最先端技術を取材している。
 ダムの堤高が高ければ高いほど堤体の壁にかかる水圧が大きくなり、貯水量の多さとは関係ないという。構造物にかかる水圧が水底の方へいけばいくほど強いことを数値で示したのは1586年、オランダの数学者シモン・スティーブンだ。水に波などの動きがないと仮定したときの水の圧力のことを「静水圧」というが、シモンは「静水圧」は下にいくほど大きいという「三角分布」を初めて明らかにした。仮に堤高100mだとすると深部のダムにかかる静水圧は1m2当たり100トン、200mだと200トンになる。堤体の壁にかかる水圧を足し合わせると、堤高156mの宮ヶ瀬ダムの場合、堤体にかかる上部から下部までの水圧の合計は300万トンにもなる。日本一高いダムはアーチ式の黒四ダムの186m、世界一はフィルダムのNurekダム(旧ソ連)300mであるがどのくらいの水圧がかかるのであろうか。


「巨大建設の世界・水圧と闘うダム・運河」
 この書ではブラジルとパラグアイで共同建設し、管理するイタイプダム(ブラジル)を取材する。堤高196m、堤頂長7q、貯水容量290億m3、総発電力1 200万kWの世界最大の水力発電用ダムである。イタイプダムでは堤体の最も下部で絶え間なく1cm2当たり2sもの水圧がかかっているという。このため堤体には数多くの計測機器が取り付けられ、24時間、60人の保守担当技術者体制で管理されている。計測器には鉄線におもりをつけ、コンクリート構造のブレをミクロン単位で測るプラムライン計測器、コンクリートの堤体が川に対して垂直にまたは水平にどれくらい歪んでいるかを調べるロゼッタ計測器、さらには基礎岩盤自体の歪みを調べる伸縮計などがあり、全部で14種類、機器の数はあわせて3 000にもなる。こうした機器はすべてコンクリートの堤体の中に埋め込まれておりダムの巨大水圧に対し構造物がどのように変容を受けているのか等、24時間体制で微細に監視されている。イタイプダムの場合は最大2p程度の変形だといわれている。

 このように計測されたデータは15日ごとにコンピュータで集計し、1年に1度専門家が集まって長期的な分析が行われる。まさしくダム管理は常に水圧との闘いである。

 さらに、最先端技術を結集した宮ヶ瀬ダム建設について取材する。それはコンクリートの発熱との闘い、光ファイバーによる堤体温度管理、RCD工法による熱対策、コンクリート発熱対策としてのクーリングプラントの活用、カーテングラウチングの技術、連続一体壁を造る中央内挿法の技術力を追求する。そして日本が開発したRCD工法を高く評価する。中国政府が観音閣ダム建設でRCD工法を採用するにあたり、日本は技術協力した経過がある。


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