[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


4.小瀬川−小瀬川ダム、弥栄ダム

 小瀬川は、水源を中国山脈の冠山(標高 1,339m)、羅漢山(標高 1,109m)などの一連峰により発し、山脈中の二、三の盆地を貫流、中流部に至り、広島、山口両県の県境をなして南下し、ここで広島県側の支流玖島川を合流し、蛇喰岩、弥栄峡を形成し、蛇行しながら東方に流水を転じて瀬戸内海に注ぐ。流路延長56km、流域面積 342km2の一級河川である。支川玖島川の上流に中国電力・によって、水力発電用ダム渡之瀬ダム(堤高34.5m、総貯水容量1,042.4 万m3)が昭和31年に建設されている。小瀬川の河口付近は、工業地帯を擁し、広島県大竹市、山口県岩国市、和木町があり、石油科学、紙パルプ、化学繊維産業が発展している。

  

『小瀬川ダム工事報告書』

【小瀬川ダムの建設】 
 小瀬川の下流部は、山口、広島県で部分的に改修が行われていたが、戦時中の森林伐採によって山林が荒廃し、洪水量は増大した。昭和20年9月枕崎台風、25年9月キジア台風、26年10月ルース台風によって甚大な被害を受けた。また、下流の工業地帯の発展とともに、工業用水供給の必要性が要請され、多目的ダムとして、右岸山口県美和町釜ケ原、左岸広島県佐伯町浅原地先に小瀬川ダムが昭和39年に竣工した。

このダム建設記録については、小瀬川ダム工事報告書編集委員会編『小瀬川ダム工事報告書』(中国地方建設局小瀬川ダム工事事務所・昭和39年)の書がある。

 このダムの諸元は堤高49m、堤頂長 158m、総貯水容量 1,140万m3、型式重力式コンクリートダムで、その目的はダム地点で 990m3/sのうち 550m3/sの洪水調節を行い、工業用水78,000m3/日を供給するものである。起業者は建設省(山口県、広島県の委託工事)、施工者は(株)奥村組、事業費18.2億円である。補償関係は移転家屋38戸、用地取得面積は93haとなっている。



 津田正幸所長は、『小瀬川ダム工事報告書』のなかで、ダム施工経過について次のように述べている。
「昭和33年6月14日、広島・山口両県の争点であったダムサイト並びに下流工業地帯の配分について建設大臣の裁定を仰ぎ、同年12月1日、両県より中国地方建設局に工事の施工を委託し工事に着手しましたが、補償問題の解決には更に3年の歳月を要しました。一方工事の方は、昭和34年より工事用道路に着手し付替工事を続けて参りましたが、昭和36年11月待望の本体工事契約を行い、翌37年より本格的に本体工事を着手しました。」

 この津田所長のことばは県境を流れる小瀬川におけるダム造りの困難さを如実に表しているが、昭和33年9月建設大臣は両県知事に対し、「小瀬川ダム地点等について」回答し、ダムサイトの位置と工業用水配分について、決着した。

  

『弥栄ダム工事誌』

【弥栄ダムの建設】 
 弥栄ダムは、小瀬川ダム地点から下流、右岸山口県岩国市大字小瀬、左岸広島県大竹市前飯谷地先に平成3年に完成した。

 前述のように昭和39年小瀬川ダムが建設されたものの、昭和47年7月中国地方を襲った大洪水による周辺流域の惨状を考慮した場合、治水の安全度を高める必要性が生じた。
 また、小瀬川の水源に依存するかんがい用水、都市用水はしばしば水不足をきたし、3年に1回程度の渇水調整がなされてきた。これらの不安を解消するために弥栄ダムの建設が行われた。昭和46年着手以来22年間を要している。

 このダムの建設記録について、建設省弥栄ダム工事事務所編・発行『弥栄ダム工事誌』(平成3年)の書がある。



 ダムの諸元は堤高 120m、堤頂長 540m、総貯水容量11,200万m3、型式重力式コンクリートダムである。その目的はダム地点計画高水流量2600m3/sのうち2000m3/sの洪水調節を行い、ダム地点下流の既設取水の安定化を図り、都市用水として 2.1m3/sを確保し、新たに建設された弥栄発電所において、中国電力(株)により最大出力 7,000kwの発電を行う。起業者は建設省、施工者は前田建設工業(株)、(株)奥村組、日本国土開発(株)共同企業体、事業費 1,100億円である。なお、補償問題は移転家屋 130戸、用地取得面積 398haとなっている。

 弥栄ダムは小瀬川河口から15km上流の地点に位置し、沿岸部大竹市、岩国市の都市を抱えている。このダムへのアプローチは、周辺都市から、国道2号線国道 186号線によって約15分ときわめて近い。このような交通の便に非常に恵まれている弥栄ダム周辺は地域活性化のための施設として種々整備された。弥栄キャンプ場、オートキャンプ場、川真珠貝広場キャンプ場、スポーツ公園、美和パークゴルフ場、ラジコン広場、レンタルボート、カヌーフィールド、明神原なごみ広場などである。ダム湖周辺は、「白滝山」、名勝「弥栄峡」の自然環境と相まって近郊遠来を問わず一大レクリエーションスポットとなっている。平成16年度は25万人が訪れた。まさしく、弥栄ダムはレクリエーションのダムの役割をも担っている。


5.錦川−菅野ダムの建設


『錦川総合開発事業史』

 錦川は、山口県の東部に位置し、中国山脈島根県境莇ケ岳に端を発し、南流、徳山市北東約10kmの須々方付近から方向を転じて北上し、玖珂郡錦町で再び東に方向を変え、宇佐川、本郷川、生見川等を合流し、岩国市を貫流し、三角州を形成して河口は今津川、門前川に分流して瀬戸内海に注ぐ。流路延長 124km、流域面積 900km2の二級河川である。

 菅野ダムは、錦川の中流域、徳山市中須及び須金に昭和40年に完成した。このダムの建設記録について、山口県編・発行『錦川総合開発事業史』(昭和43年)の書がある。



 このダムの諸元は、堤高87m、堤頂長 272m、総貯水容量 9,500万m3、形式は重力式コンクリートダムで、その目的は、ダム地点の計画洪水流量1390m3/sのうち 560m3/sの洪水調節を行う。貯留水は菅野発電所を経て一旦下流に放流する。菅野発電所はピーク運転するので下流の水越ダムが調整池となり、 14.35kmの無圧隧道で、徳山に導き、徳山発電所を経て、周南地区工業地帯に都市用水として5.28m3/sを供給する。発電の最大出力は菅野発電所14,500KW、水越発電所 1,300KW、徳山発電所 6,500KWである。

 起業者は山口県、施工者は(株)熊谷組、事業費 79.78億円である。なお、補償関係は、移転家屋 163戸、用地取得面積 328haとなっている。
 菅野ダムは施工時(昭和37年〜40年)には、豪雪や洪水に遭遇し、やむなくコンクリート打設等を中断せざるを得なかったが、ダム技術者たちは、これらを克服し、壮大なダムを完成させた。作業員延 215万人を要した。残念なことは2人の殉職者が出たことである。菅野ダムは、完成後30数年を経過した。この間、治水、利水ダムとしてその効果の目的を充分に発揮している。

[前ページ] [次ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]