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竹林征三さん特別インタビュー
ダム技術・今昔物語
−「昭和40年代後半から昭和50年代当初頃のダムの事業を振り返る」−

 竹林征三さんは平成26年春の叙勲で「瑞宝小綬章」を、またダム工学会第24回通常総会では「ダム工学会功績賞」を受賞されました。
 旧建設省在任中はもとより土木研究所においてもダム現場でのお仕事に携わられたほか、その後、三つの風土工学研究所(土木研究センター・富士常葉大学・NPO法人)を立ち上げられてからもダムにまつわる広範な様々な課題解決にご尽力されました。また数多くの執筆・出版活動や講演を通しては、世間のダム反対の風潮に対して一石を投じてこられました。
 ダムの積算基準がなくコンサルタントも未熟な時代にあって、ご自身の経験から現場技術者がどのようにダム事業を進めていったか、わが国のダム事業を振り返りながら、ダム建設の難しさや課題解決の方向性やヒント、そしてこれからのダムのあり方についてお話を伺います。



そうだ!『大地の医者』になろう

中野: 叙勲とダム工学会の功績賞のW受賞おめでとうございます。そこで、あらためてお話を伺いたいと思いますが、これまでのお話に含まれていなかった、ダム造りの現場のお話、旧建設省時代のお仕事を中心にご自身が携わられたダム造りの現場での考えられたことなど、現場で働く若い技術者に役立つようなことを伺って参りたいと思います。



 その前にまず、ダムとの関わりについてお聞きします。土木へ進路を決められたきっかけはどのようなことでしたか。

竹林: 私は、もともと医学部に行って医者になるつもりでいました。しかし受験に失敗して浪人してしまい、その時期に橋をかける、道路を造るという仕事で不便な地域を治す『大地の医者』になろうと考え「土木」に進むことにしました。

土木技術者の基礎素養としての自然観を養う

中野: 大学時代で印象に残ったことは?

竹林: 土木は、「土」と「木」を勉強しなくては思い、教養課程の時、京都市とほぼ同じ位の面積がある京大の芦生演習林に志願して行きました。土木から参加したのは、私だけでした。そこでリュックに樹木図鑑を入れ林学科の先生と毎日テントで生活して徹底的に樹木と植生の調査をしました。もともと小学生の時から昆虫が好きで、農林生物学へのあこがれもあり、この芦生演習林での林学の実習と白浜サマーハウスでの海辺の生物の勉強は、土木の基礎素養としての自然観を身につけるのに役立ったと思います。

実習実務で土木を体験する

中野: そこで、自然生態を深く学ばれたわけですね。専門に進まれてからはどうでしたか。

竹林: 土木に土木工学科では、土を触ることを中心にする部門、構造物を設計する部門、河川(水)を研究する部門、構想を計画する部門の4つに分かれていました。私は、4つの部門のうちどの部門にするのか、実体験をして自分の進む方向を決めようと思いました。

中野: 初めて土木技術者の仕事を体験されたのは、どのようなことでしたか。

竹林: 最初に土木の仕事を学んだのは学生時代のアルバイトで阪神築港高砂の浚渫現場でした。土砂流送管が摩耗するのを調べ、どう取り替えれば良いかを考えました。次は実習で阪神高速公団の本社の設計部へ行きました。当時、高速道路の橋として、中空スラブ橋梁が流行の最先端のひとつの橋梁タイプでした。このタイプの橋は橋桁を支えるために大きな断面になっていて、橋桁の自重を軽減すれば相当合理的な設計になるので、橋桁の中に中空管を入れて自重を軽くするという設計思想です。橋梁には魅かれるものがありました。

中野: 橋梁が好きという土木技術者は確かに多いですね。橋は目立ちますし。他に印象に残った現場はありますか。

竹林: 次に実習で建設省淀川工事事務所に行きました。上林(かんばやし)好之監督官のところに1ヶ月半程いました。桂川、木津川、宇治川の三川は合流して淀川となって流れていくのですが、三つの川は流域面積、河床勾配なども違っている。そこでオリベッティの電動計算機を駆使して、毎日毎日いろいろな河川横断面形毎に粗度係数を変えて計算して、三川合流部の縦断水面形の計算をしていました。川はどういう状況の時にどう流れるのか条件を変えて計算していくのです。世の中に貢献するこのような大切な仕事があるのかと憧れました。

大自然に向き合う河川技術者になろう

中野: まず旧建設省への入省を希望されたのはどういう理由からですか?

竹林: 一番は、淀川工事事務所での経験です。河川は大自然の営みを学ぶので、相手に不足はないし河川技術者になろうと建設省に勤めることにしました。世の中の仕事でこんなに素晴らしい仕事はないと思いました。

中野: 入省後、最初はどのような部署でどんなお仕事からスタートされたのですか?

竹林: 卒業後4月1日付けで建設省に採用になりましたが、同日付けで和歌山県庁に出向となり、和歌山土木事務所道路改良係に配属になりました。仕事は、災害査定用の測量から始める。現地に2本のポールと巻尺で行うポール測量をして災害査定用の設計図面を作り積算することでした。県単独費で道路を改修するには予算があまりないので、毎日現地に行き要望を聞き出して、国から補助金を貰うための設計書類を沢山作成しました。国の補助事業として認めてもらうか災害として認めてもらうかが最も重要でした。災害が起きたときには、災害査定官に災害として採択してもらい朱入れしてもらってはじめて予算の裏付けができ地域の長年の夢の悲願達成となるのです。

中野: 和歌山県へ出向されて初めて就いた仕事は、鉄道マンでいうと切符切りからと同じようなスタートだったのですね。

竹林: この時、土木の設計とは構造物の応力計算ではなくお金を見積る積算である、ということを体験として学びました。初仕事から1年半ほどで和歌山県土木部砂防利水課に移動になりました。ここは砂防とダム事業をするところで、私はダム担当の利水係に配属になりました。その頃計画されていた椿山ダムは県にとっては大きな仕事でしたが、用地交渉がなかなか進んでいませんでした。もうひとつの広川ダムは治水目的でダムを造れる制度ができてその第1期生として計画されました。こちらは地域の交渉がかなり早くまとまり1年後に本体発注のスケジュールになりました。そこで私は本体発注の技術課題をまとめるようにいわれました。

実学としての積算実務に携わる

中野: 当時はダムの積算基準がまだ一切なかったと聞きますが、広川ダムの積算実務はどのようにされたのですか。

竹林: 積算基準としては災害歩掛だけしかありませんでした。まずダム工事の施工計画書をつくること、ひとつ一つ作業要素を積み上げていく訳ですが、ダムの場合、ダムサイトへの進入路はどこからか、掘削・積込み・運搬等、施工機械の選定、組合せ、オペレーター等人工(にんく)は何人か、何mのベンチにすれば良いか、発破の量や火薬の種類は何が良いか、ボーリンググラウチング・パッカーションか、ロータリーか何mm径か、パッカーは何m単位か、注入量や時間等々を考えて、施工計画書を作って何度もシュミレーションしないと単価が出てこないのです。コンクリート1m3の単価、掘削1m3の単価を出すのに、準備工事を知る、発破工法を学ぶ、施工機械の組み合わせや人夫の配置、何交替制か雨天時等を学びました。


広川ダム(撮影:安部塁)
中野: ダムの発注から完成までを全部シュミレーションするわけですね。

竹林: そういった作業を1年以上やっていました。あちこちの現場に出張に行き、施工計画書や積算資料等を入手して勉強しました。そんななかで、ダム屋さんは沢山、積算資料を持っている人が尊敬さるということがわかりました。現場に行った時は、現場監督しながら機械の稼働率、人夫の配置等のデータを集めていました。当時ダム技術の専門書としては大ダム会議の「ダム技術基準」とか水門鉄管協会の「水門鉄管技術基準」とか大根義男先生のフィルダムの本くらいしかありませんでした。全国研修センターのダム技術研修の各講師の薄いテキスト(パンフレット)は、重要な資料でした。

積算とは美学の追求

中野: そうした緻密な積算作業をやっていくうちにどのようなことを感じられましたか。



竹林: 積算という過程は、ダム建設の各作業工程を何度も何度も追体験していることになります。いくつかの先行ダムの積算と比較して、何度もチェックを繰り返すということは、ダムの工事が何年かかかるとすれば、ダムの積算とは総額何億円を与えられてそのお金を使って多くの職種の人に日々、日給を払い資材を購入して、数年間の全工種の作業を思い浮かべて仮装体験シミュレーションすることです。当時ダムの積算で悩んだことは各地建・府県毎に直接経費と間接経費(本社経費、支店経費や現場の共通経費)等全体のフレーム構成の考え方が違っていたことです。複数年度に渡る契約となれは物価や労務費の変動をどう考えたらよいのか、そうしたスライド条項でも悩みました。現場事務所の2Fの会議室に泊り込み2〜3人のチームで1年くらいかかりました。
中野: 大変なご苦労があったのですね。完成後の広川ダムが、ダム湖活用環境整備事業で桜の植樹や公園整備等が行われ、広川ダム公園にソメイヨシノを中心に3,000本の桜が咲き多くの人が訪れるそうですが。

竹林: 広川ダムは余り大きくないダムだったので、ダム本体と共に周辺のポケットパーク的な整備計画も一緒に積算したと記憶しています。ダム完成後、どこにどんな記念とする樹木を植えよう等という美しいダムを作る楽しい夢を追う仕事でもありました。美しいダムの創造を思い描いて、単価と数量の掛け算を積み上げていく。夢が精緻になれば、なるだけ積算も細密になっていきました。積算とは夢の実現へ向けてのダムの美学の追求だと思いました。広川ダムの本体契約も終わった昭和47年4月1日付けで和歌山県の一係員から、建設省の河川局開発課補助技術係長になりました。

前例のない本省の補助技術係長へ

中野: 初めての建設省勤務の河川局開発課でのお仕事はどのようなことでしたか。

竹林: 府県担当の係長でしたから、府県のダムの技術的課題を聞くことが仕事でした。この職は、もとは建設省のダムのベテランの経験者のポストで私のような青二才が付くのは初めてのケースでした。相手は府県庁の課長補佐や係長です。だいたいは県では一番のベテランの方ばかりでした。相談を受ける私の方が経験も浅いので、相手の説明が理解できない疑問だと言えば、相手は私に納得してもらうまで説明してくれました。耳学問でダムの課題解決の実務をいろいろ学ぶことができました。毎日、先方の言うことに対し間違えない解決をしなければならないという思いで必死でした。

中野: 立場を越えて土木行政の一番のベテランとマンツーマンで技術論をするのは相当厳しかったのでは…。

竹林: ダムは直轄、補助、公団、府県とありますが、直轄ダム、公団ダムにはダム所長、地方建設局、建設省と役割分担がありました。ところが、補助ダムは責任者が全部、事業主体は府県知事でしたが、国の補助金が過半ですと、補助金適正化法(適化法)という厳しい法律で縛られます。失敗や事故が起きればお金がかかります。虚偽の報告をして補助金を得れば実刑になります。大断層があった、山崩れがあったという時にどう対処すればいいのかはダム技術者に問われるところです。当時、補助ダムの数は200以上ありましたが、毎日、全国各地の現場から失敗や事故の報告にヒアリングして対応しなければなりませんでした。毎年実施計画調査の認可、変更計画協議等々で、入札図面や入札図書等すべてが協議認可事項でした。1ダムについてその年度の計画認可、変更認可、完了認可で最低でも3度、それに入札とか試験湛水開始とか、重要事項があればそれらの協議が入る。実施計画のヒアリングだけで47府県で1日1県としても2ヶ月位かかる計算です。ダム数の少ない県は1日2〜3県をこなすとしても約2ヶ月かかります。それを数回繰り返すので年がら年中ヒアリングの毎日でした。県にとっては技術的に極めて重要な協議事項ばかりが持ち込まれるのですが、それらの重要案件を即決即断して処理して行かなければ事業が滞ってしまうので緊張の連続です。

素晴らしいダムを目指し共に悩んでこそ信頼が生まれる

中野: そこでデータの蓄積が役立ってくるのですね。ダムの発注も多い時期だったのでしょうね。

竹林: 当時、毎年10数ダムが本体発注し、10数ダムが湛水を開始し、管理へ移行していき、一方で、10数ダムが新たに実施計画調査に着手するという時代でした。ダム本体発注協議は段ボール箱で数箱、各県の宿泊所の会議室に持ち込まれ、深夜まで数日掛かりで府県の積算担当者と一体となって、共同作業で施工計画と積算資料を修正しました。この仕事では府県の担当者と達成感を分かち合え、一緒に飲む酒は、また格別に美味しかったし、信頼関係も生まれました。

中野: いいダムを作るということで一体となって徹夜でやる作業は、お互いの信頼関係にもつながり良い成果を出すことになった訳ですね。

竹林: 府県の担当者が一生懸命になって考えてくれる、いい知恵を出してくれるということで、どんどん解決していくようになりました。以前、広川ダムの所長で地元の用地交渉をまとめ本体発注を終えて石川県の河川開発課長に栄転された柳沢さんから教わった事が土木の仕事はまず酒を飲むことだと教えられました。酒の量は一升とか二升という単位ではない、一泊二日とか二泊三日で飲めるということで、本当に酒だけは鍛えられました。昭和47年から2年間、補助ダム担当係長の猛勉強に次ぐ猛勉強が私のダム技術の骨格・原点をつくってくれました。ダム技術とはダム失敗事故から学ぶということで、Lesson from Dam Incident & Failure です。ダムとは次々想定外の事故失敗が起きるものです。

糸林芳彦さんはダムの神様

中野: 以前にダムインタビューでお話を伺った、糸林芳彦さんはあらゆるダム技術に精通されておられる方ですが、インタビューのなかでは「ダム工事の真髄は積算資料」と話されていましたが、開発課におられた時期が一緒だったとか。

竹林: 糸林さんはダムの神様でした。当時、私が、係長の時、糸林さんは補助担当の補佐をされておられました。糸林さんは直轄ダムの所長他多くのダム現場をこなしてきたベテランでダムのことは何でもわかっているし、人の苦労もわかる人情味あふれる人でした。課長や専門官等にも信頼が厚い方で、私の誤った判断に対しいつも大きな心で軌道修正し私を育ててくれた神様仏様のような存在でした。

中野: なるほど、昭和47年から2年間補助の係長時代に上司に糸林さんがおられた訳ですね。
 早明浦ダムの施工計画をされ、苦労して作った積算に問題なしと評価されたというお話を思い出しました。その時代にはダムの資料も少なかったと。


竹林: そうですね。ダムについての詳しい資料はほとんどなかったし、大学でもダムの講義がほとんどなかった時代です。係長の時も毎日ダムの試験を受けるような状況でした。ダムの計画論、ダムの設計論、そのダムの地元問題、諸々何を聞かれても大丈夫なように必死でノートにメモをとる以外になかったのです。最初の半年位は厚く重いダムの認可計画書の運搬係で雇っているのではないと当時の藤代専門官に叱られましたが、半年位経ったら、ようやく一人前のダム屋として認めていただき、府県のダム技術者に良きアドバイスが出来たと自覚するようになりました。

補助の係長時代はダム技術追体験の場

中野: 当時工事中のダムで思い出に残る事例はありますか。

竹林: 昭和47年中国地方の豪雨で、あるダムで据付中の放流管が本体越流で流されて落下し、工事中の事務所飯場も流され、作業員の給料を入れた金庫も流されてしまいました。事故後は、責任はどこにあるのか追求され、請負業者や発注者側の責任等についても、様々な議論がありました。こうした場合、損害額は誰が負担するのか。天災条項の足切をどう適用するのか等、次々と難題が発生してきます。当時は、まだ天災条項を適用した事例がなかったので、天災条項足切り論を徹底的に勉強し、契約論にも詳しくなりました。他に初期湛水の時、地すべりで動き出し、貯水位を下げようと思っても放流管がないので水位を下げられなかったので急遽堤体穿孔しなればならなかったことから、水位低下設備の設置基準を作りました。さらに、ダム建設当初計画の工事は全て終わったので管理に移行した後、はじめて満水を迎えたら高位標高から大量に漏れ出してしまい、それから追加グラウチングしようとしても建設事業の会計は締め切られているので管理の経費しかありませんでした。これを契機に満水の結果が出るまで竣工としないよう、試験湛水を制度化しました。ほかにもいろいろありましたが、大自然からのメッセージを謙虚に聞いていればこんなことにならなかったという反省ばかりでした。

中野: 計画時には予測つかない事態が起こった後に、それに基づいた基準や制度を作られていったのですね。補助技術係長の次は直轄技術係長に変わられましたが、業務内容はどうでしたか。

竹林: 補助ダムとは府県が事業主体であり、国はそれに対し補助金を付けます。補助技術係長はそれに対し技術指導を行うという立場でした。ダム事業は府県にとっては事例が少なく規模が大きい事業で専門とする技術者が育っていないという事情から、府県のダム事業では次々に発生する技術課題について強力な指導が求められそれに答えるために技術的内容の仕事が多かったのです。それが直轄技術係長になって一変してしまいました。補助係長時代にやっていた技術的内容の仕事は、直轄ダムの事務所あるいは地方建設局でやっていました。それらの仕事は一切関係がありませんでした。反対に補助ダムにおいては県会で問題にはなるが国会では議論になることもありませんでした。しかし直轄ダムでは大蔵省、会計検査院等、関係各省との計画調整の業務が中心となりました。つまり補助ダムは技術的内容が中心に対し直轄ダムでは行政的内容が中心ということです。

特定多目的ダム法の施行

中野: 今までとは全く違った内容になったわけですね。

竹林: 建設省は河川全体のことをみています。河川事業で一番大切なのが洪水調節・治水です。多目的ダム事業は治水洪水調節を中心としますが発電や利水の省庁と一緒になって造る共同事業です。基本協定が決まらないとダム事業は一切進まない。当然、河川の仕事ですからもちろん建設省の責任は一番大きい。昭和32年に施行された特定多目的ダム法によって費用負担制度が法制化された。ダムの不特定用水の妥当投資額をどう積算するかが課題でしたが身替わり建設費をもって妥当投資額とするということを藤代武司専門官が明確に決断されました。アロケーション(予算配分法)の確立に取り組んだのが、佐々木才朗専門官でした。佐々木・藤代両専門官が日本のダム技術行政を先導されました。

ルールづくりが肝要

中野: 予算配分の問題ですね。ダムには難しいことが沢山ありますね。

竹林: ダムという大事業を実現するには事業費を誰がどの割合を負担するのか、水利権はどうするのか、事業は誰が責任をとるのか、治水・利水関係者全員を納得させなくてはならない。その知恵がアロケーション理論です。専門官は、ゼネコンと発注者側のルールがダムの積算と契約請負論で、ダム積算基準をつくろうと考えられたのです。それをどうすれば良いか。当時の補助ダムの激務からしても開発課として大課題でした。企画係を新しく設けて、私の後、関東地建のダムのベテランの長門明さんに一年二年以内に全国統一のダムの積算基準をつくってもらうことになりました。長門さんは全国の当時のバラバラだったダムの積算資料と施行計画書を多方面から分析し、関東地建流で2年くらいかけてまとめられました。ダム事業費の増額は会計検査院、大蔵省に説明が求められるので、専門家でない者に理解してもらうためにはそれ相当な知恵が求められていました。


ダム技術の課題

中野: これを機にダム事業がスムーズに運ぶようになりましたが、現状での課題はどうですか。

竹林: 例えば、ある技術的な問題が発生した時、誰が責任をとるのかがわからないという問題があります。あまりに分業化され過ぎていると、誰も責任をとらないままになるという問題も出てきています。そういったことから各府県のダム技術者不足とダム技術レベルの向上を図らなければならないということで、補助ダム技術者のプール組織としての「ダム技術センター」(構想)が浮上しました。
 きっかけは、ある現場での経験です。そこでボーリンググラウトした時、ある深さの所で大量にグラウトが入るのでおかしいな?と思い、もう一度ダム基盤の地質構造を見直しました。すると、極めて堅固な安山岩の下に凝灰岩層があり、その境界ゾーンが軟弱層を形成していることがわかった。これは大変なことになったと…。このまま本体打設を継続すれば基礎岩盤が落盤するかも知れません。そこで、ダム本体最盛期に打設をストップさせ軟弱化層をダウエリングで補強する工事を急遽計画しました。そして、それが完了するまで堤体打設は中止しました。何故、ダムサイトの地質調査で何本ものボーリングをしているのに気付かなかったのであろうかと思って、よくよくボーリングの作業日報を読めば、その位置でロットがストンと落ちたとの記述があった。ダム技術をよく知らない人がやっていると大事故につながる可能性があるのです。当時は、こういった問題が日々持ち込まれましたがその後、全国47都道府県にその機運を盛り立てるのには未だ少し時間が必要でした。私が課長補佐として再び開発課に戻ってくるまで時間が必要でした。

ダム事業の想定外と事業費

中野: ダム事業は工事期間も長いので、いろんな想定が必要になってくるのですね。

竹林: 国家予算は単年度予算で、2ヶ年にわたる契約はダム以外にはほとんどなくダムだけには継続費設定がありましたが、スライド条項といって物価、労務単価も上がります。それにどう対応できるかが、ダムの専門家にとって一番重要なことだと思っています。ダム事業は地球上で唯一そこしかない特定の場所に巨大構造物をつくるのですが、大地は千変万化で、いくら綿密な調査を重ねても想定できないこともあります。本体掘削から工事を始めていくと漏水、地すべり、労務事故等様々な問題が生じます。ですから間違いのない技術的判断の基準を策定し対策を講じなければなりません。想定外の漏水や地すべり、岩盤崩壊に対しては相当な追加事業費を必要としますが、万全な調査と詰めをやっておればその想定外の対策が少なくて済みます。皆が納得いく方法で解決できるようにしていくのが実学なのです。


ダム技術の専門家とは

中野: 先生にとってのダム技術の専門家とはどのような人なのでしょうか

竹林: より良いダムの計画・設計・施工・管理が出来る人ということですがその原点は地形・地質等大自然からのメッセージをよく聞き、それに謙虚に対応出来る人ではないかと思います。ダム技術者として一番大切なものとしては、ダムサイトの地形・地質を見る目、万象から天意を悟る人ではないでしょうか。ダムは総合土木です。いろいろな工種があり、それらの組み合わせで築造され、別々の設計理論を総合して基礎地盤とその上の人工構造物で大自然の営力(洪水)を受け止める構造物をつくる事業です。ダム事業をうまく執行するポイントは不測のことへの前兆を見逃さず早期に対処することです。早ければ早いほど軽傷で済みます。遅ければ取り返しのつかないカタストロフィに至ります。工事中もし不測の事態が起これば、失敗・事故の責任は全て自分がとると覚悟を決めてそれに全身全霊であたる以外にないのです。大事業ですので多くの人の知恵と意志決定がかかわっていますが、責任逃れは醜悪です。そうすれば必ず解決策は見出せます。大切なことは大自然の営力に謙虚に耳を傾けること。大自然の営力は人知を遙かに超えるものだと思います。よく検査で指摘されることが怖いと言いますが、人を騙すことは出来ても大自然は正直で誤りは許してくれないのです。

中野: ダム技術者を育てるという問題では、いまは専門化、分業化し過ぎていて細かいことをやらなくなっているということで、ダムを総合的にみることが減っていて問題だとか?そういう中で具体的な技術力アップは、どう考えれば良いのでしょうか?

竹林: 例えば、官庁側の技術者を支えてもらうためにはコンサルタント(ダム設計技術と地質調査部門)のレベルアップが重要課題でした。各府県も一度ダムサイトの地質調査やダム概略設計業務をコンサルタントに発注すれば同じような名目では業務発注できないし、コンサルタントが変われば、又一からの出直しとなります。だから各府県にそのダムのことは一つのコンサルタントに任せろ、変えるなという方針を示し、コンサルタント技術者に責任をもたせるようにしました。そのためには、優秀で信頼出来る技術者には随意契約するように指導をしました。結果コンサルタントのダム設計と地質調査の技術者のレベルアップに繋がったと思います。

ダムについて思うこと

中野: 日本のダム技術や土木技術について、新たな挑戦はどのようにしていけば良いでしょうか?若手の技術者へのエールも含めてご意見をお聞かせください。

竹林: 先ほども少し話しましたが、ダム技術は総合土木で、なお且つ、人知をはるかに超える大自然の営力に挑む技術です。これまでに経験しなかった現象に頻繁に遭遇することになります。その時に原点に立ち返って解決しなければならない、物真似でない本物の知恵が求められます。その時、土木技術の中でもダム技術は総合土木の華と思っていますが、土木において将の将たる技術として課題解決にあたって貰いたいと思います。ダムの設計施工しか関心のない視野の狭い技術者では困ります。マニュアル的な形だけを追及する技術者は必要ではありません。真のダム技術者は難題解決に向けて原点に立ち戻り幅広い深い知恵を結集する能力が求められていると思います。日本文明の根幹・国家百年の計を建設しているのだとの気概を持たなければなりません。ダム技術者は将の将たる技術者を目指さなければならないと思います。
 阪神淡路大震災や東日本大震災以降、我が国は巨大災害の世紀に突入したと言われていますが、巨大地震・津波のみではなく、平成23年の紀伊半島大水害、平成24年の北部九州豪雨、平成25年の伊豆大島、平成26年の大土石流災害等々、4時間雨量が約400ミリというとんでもない豪雨災害が頻発しています。また台風が日本列島に上陸する直前に足踏みをして巨大化してから日本列島に上陸するようになってきました。こうした巨大災害の世紀を迎えてこれらの大豪雨に備えるには信頼できる治水技術が求められています。ダム技術は今後ますます重要になってきています。「ダムか堤防か」(できるだけダムによらない治水)という単純な論理ではないと思います。

中野: 本日は、貴重なお話をありがとうございました。



(参考)竹林征三さん プロフィール

竹林 征三(たけばやし せいぞう)
生年月日:昭和18年9月

学 歴:
昭和42年3月 京都大学土木工学科卒業
昭和44年3月 京都大学大学院工学研究科修士課程修了

学 位:工学博士(京都大学)平成8年11月

職 歴:
昭和44年4月  建設省に入省、和歌山県土木部(和歌土木事務所・砂防利水課)
昭和47年4月  建設省河川局開発課(補助技術係長・直轄技術係長)
昭和50年4月 近畿地方建設局真名川ダム工事事務所(工務課長・調査設計課長)
昭和52年2月 近畿地方建設局河川計画課長補佐
昭和52年8月 土木研究所企画部ダム計画官
昭和53年11月 近畿地方建設局河川計画課長
昭和56年4月 建設省河川局開発課課長補佐、河川計画課課長補佐
昭和57年11月 (財)ダム技術センター企画課長
昭和59年4月  近畿地方建設局琵琶湖工事事務所所長
昭和61年4月  関東地方建設局甲府工事事務所所長
昭和62年9月 建設省河川局開発課建設専門官
平成 1年2月 建設省河川局開発課開発調整官
平成3年4月  土木研究所ダム部長・環境部長・地質官
平成9年4月  (財)土木研究センター風土工学研究所所長
平成12年4月  富士常葉大学環境防災学部教授、附属風土工学研究所所長
平成18年4月  富士常葉大学大学院環境防災研究科教授(兼)風土工学研究所長
平成22年5月  富士常葉大学名誉教授
平成24年4月〜平成26年3月山口大学時間学研究所客員教授
平成23年10月〜 NPO法人風土工学デザイン研究所理事長、環境防災研究所長

専 門:河川学、砂防学、環境防災学、風土工学

主な受賞歴:
平成5年7月  建設大臣研究業績表彰「ダム・堰技術の高度化と水歴史文化に関する研究」
平成10年4月 科学技術庁・長官賞受賞、第一回科学技術普及啓発功績者表彰
平成10年5月 前田工学賞受賞。 第五回年間優秀博士論文賞
       「風土資産を活かしたダム・堰及び水源地のデザイン計画に関する研究」
平成14年4月 北上市創作民話公募「鬼翔平物語」最優秀賞受賞
平成15年7月 国土交通大臣建設功労表彰
平成17年5月 ダム工学会著作賞「ダムのはなし」「続ダムのはなし」
平成23年5月 ダム工学会出版賞「ダムは本当に不要なのか」
平成25年6月 富士学会功労賞受賞
平成26年5月 瑞宝小綬章の受章
平成26年5月 ダム工学会功績者表彰
その他風土工学関係受賞多数

主な著書:
「東洋の知恵の環境学」ビジネス社、1998.5
「風土工学序説」「風土工学の視座」 技報堂出版、1997.8、2006.8
「ダムのはなし」「(続)ダムのはなし」 技報堂出版、1996.2、2004.4
「甲斐路と富士川」土木学会山梨会、1995.9
「実務者のための建設環境技術」山海堂、1995.7
「湖水の文化史シリーズ」全五巻、山海堂、1996.7〜1997.2
「湖国の水のみち」サンライズ出版 1995.5
「ダムは本当に不要なのか」国家百年の計から見た真実 近代科学社 2010.8
「環境防災学−災害大国日本を考える文理シナジーの実学−」技報堂出版、2011.8
「ダムと堤防−治水・現場からの検証−」 鹿島出版会、2011.8
「風土千年復興論」 ツーワンライフ社、2013.2
その他ダム技術に関する執筆分担著作多数

(平成27年1月作成)
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