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竹林征三先生(たけばやし せいぞう、富士常葉大学 環境防災学部客員教授)には、以前に、ダムの必要性などを中心にインタビューさせて頂きましたが、その際、先生の独創的な発想から生まれた「風土工学」については誌面上の制約からほとんどご紹介することができませんでした。そこで、今回は「風土工学」の視点からお話しを伺うことにしました。
これからのダムについての新しい考え方や、昨今のダム事業を取り巻く逆風をはねのけるような斬新なアイデアが出てくるのではないかと期待しています。そもそも風土工学というものがどのような学問領域なのか、その独自の発想はどのようにして生まれたのかを伺いながら、具体的に風土工学を活用すると、どういう土木施設ができるのかについて、詳しくご紹介したいと思います。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
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土木の設計は機能一辺倒だった
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中野: 先生は、建設省(現国土交通省)に入省されてから河川のお仕事、その中でも特にダムに関わることをされたと伺っていますが、美しいダムや堰づくりというように、機能本位のダム建設とは少し違うアプローチで取り組まれたそうですが、それにはどういう背景があったのですか?
竹林: 大学の工学部の中には土木科・建築科とありますが、土木というのは昔からずっと機能一辺倒でやってきました。一方、建築には、意匠やデザインというソフトの部分があり、また建築史というものもあったりと割合に幅が広い。それに入試でデッサンをやらせて、美術のセンスを問う大学もあります。ところが、土木は、なんでもかんでも超合理的に機能を追求して行く訳です。構造物を造るには、とにかく合理的な設計というのが土木のバックボーンなんです。見た目の良さを追求するなんて言ったら、土木屋の本流の人間から言わせれば、オマエは気が狂ったのかというようなムードがありました。美しいアーチダムは見た目の良さを追求したのではなく、力学的合理性を追求した結果なのです。計算機を駆使し、超合理的な橋やダムを設計する。こういうことが土木の主流だったんです。
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土木構造物にも景観設計が求められてきた
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中野: そのうちに土木の中にも景観デザインとかが入るようになったのでしょうか?
竹林: そうですね。時代が進んでやがて土木にも、周りの景観を考えて造るという景観設計ということが言われだし、土木学会の中にも景観設計の部会ができ、私自身もダムの仕事をずっとやってきた人間として、ダムや堰も機能一辺倒ではだめだと考え始めていました。きれいな、すばらしい、誰が見ても文句の言えないような美しいダムを造りたいと思うようになり、それで美しいダムの造り方を研究し出したという訳です。
最初にコンクリートダムの景観設計という本をまとめました。内容を簡単に紹介すると、コンクリート面が汚くなるから何とかきれいに保つ方法はないかということに言及したものです。山の中にデーンとあるダムの表面には雨が当たります。雨水がコンクリート面に当たると、空中の汚れが付着してコケがつき、時間が経てば真っ黒い縦縞になるのです。それをどうにかして美しく保てないかという事なんです。解決策は、簡単に言うと水切りをつければ良い訳ですよ。下流面側は傾斜面だから、きれいにする方法は難しいのですが、貯水池側は垂直な壁です。建物のへりには当たり前に水切りがありますが、ダムではそういうことを考えて来なかったんです。垂直面の上部の出っ張りに水切りをつけると雨水がストンと落ち、面には伝わってこないのできれいに保つことができる。そういうアイデアはいくらでもあるのです。
もう一つ、コンクリートの表面をきれいにするという方法。これはシルクスクリーンという方法を施工業者さんが一生懸命考えてくれました。力学的にも合理的な方法で、型枠の面材をシルク地にしてコンクリートを打つと、余った水がシルクについて抜け出てくる。すると余分な水分がなくなるので表面が固くなります。コンクリートというものは、水分が多いと弱いので水気が抜けると固く美しくなり、シルク(絹)の面材だから表面が美しい。木の板よりずっときれいでシルクのようにツヤツヤピカピカになります。
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景観設計のイロハとは
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中野: 景観設計とは、つまり見た目にもきれいになるようにダムを造るという事ですか?
竹林: それが建物だとすればモダンなコンクリート打ちっぱなしで、鏡のように美しいですが、ダムはピカーッと光るつるつるの鏡面は景観上は良くないのです。なぜかと言うと大自然というのは、こうした鏡面は決して造らない。大自然にあるものは、すべて乱反射するんです。鏡は面反射なので、これは自然の中では不自然なものです。一見きれいそうに見えるけど、自然のなかではなじまない。
例えば、美しくなりたいと思って女性は化粧をする。すると化粧した時がいちばん美しいが時間が経つと段々と剥げてくる。だからダムも化粧してはいけないのです。では、化粧せずにどうして美しくなるかというと、素材から美しくするということですね。見た目がどれだけ美しくてもダメで、いちばん美しいのは心が美しい人なんですよ。要するに中身が美しい人がいちばんよろしいという事です。
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なぜ、ダムは環境破壊か
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中野: ダムは環境を破壊して、よく汚いと言われるのですが、なぜでしょうか?
竹林: それは、現地にいって見たらわかりますよ。つまり水位を急激に下げるからです。それも人工的、強引に下げるので自然の山の斜面の表土が追随しないのです。そこに裸地ができるから、見た目にも痛々しく汚い。ダム堤体の景観設計ととらえず、ダムと貯水池が周囲の大地とどうとけ込むかという広い観点が必要です。貯水池の周囲の大地となじまないもののシンボルが帯状の裸地です。それがダムが環境破壊だという印象がもたれる最大の要因です。
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これをなくし美しい湖水にするには、ダムの中身すなわちダムの計画を変えないといけない。今は洪水期制限水位を設定しているのを、オールサーチャージ方式に貯水池運用計画を変える。そうすると帯状裸地がなくなり、美しい湖水となり又生態系的にも豊かになって水際に魚付き林が形成されるのです。 昔から、弘法大師が作った満濃池、行基が作った昆陽池から始まって人工的に造ったダム、溜池などが全国にはたくさんあり、これらは全部自然の中で美しく見える存在になっています。大昔に造ったのも最近造ったのも、同じように造っていますが、なぜ古いものが美しいのかというと、自然の法則に人間が追随しているからです。人間の都合に自然を強引に従わせるようなことはしていない。
ダムというのは土砂が貯まるものだから維持管理が大事で、堆砂を取り除くのは当たり前のことです。弘法大師の満濃池だって数年に一回は、空にして掃除をしています。ダムも機能一辺倒で運用していてはいけない。運用ももっとゆったりとしていなければいけない。洪水期にあわてて水位を下げるなんていうことではいけないと思います。
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次にいけないのは背景を遮断する事で、日本の風景には、山並みがあって、緑があって、そこに広がる風土がある訳です。それを人工物で背景を遮断してしまったらこれは汚く見える。それが景観設計のイロハなんです。 もう一つダムが汚く見える理由は、コンクリートの構造物にゲートという鉄の物がくっついています。コンクリートと鉄は、違う材料で、それがくっついている。形状的には、ダムの上には管理所とか巻き上げ機というものがくっついているし、これらは全部素材が違うし、さらに設計法が違います。それを全部同時にくっつけているから汚く見えるのです。一つのデザインコンセプトで統一したら美しくなる。もう少し、日本の風土になじむ土木の設計、ダムの設計をしないとね。
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景観十年、風景百年、風土千年
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中野: 日本の風土になじむダムというのは、どういうものになるのでしょうか?
竹林: 「景観十年、風景百年、風土千年」という言葉があります。景観が損なわれるという言葉があるように時間の経緯と共に損なわれていく運命にあるのが景観であり、損なわれずに残れば風景になる。更に時間の経緯の中でその地の人々の心象にとけ込めば風土となるということです。
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「景観十年、風景百年、風土千年」 |
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中野: 早く崩れていくものでなく、もっと長い目でみることが大事ということですか?
竹林: 土木の場合は国家百年の計のものを設計するのです。だから単なる景観設計などをせず、風土を設計しろと言っているのです。
世界のダムを見て、すごく広い平原に横にずっと長い階段があって段々になっていたダムがきれいだと、だから日本にも階段状のダムを造ったら良いと言った人がいましたが、これは全然本来の景観設計を知らない人の話です。なぜかというと、階段状のダムがきれいというのは、そこで見える大自然、風土が横基調です。平原とか、広いところ、日本なら北海道の広い平原では、横基調の設計がなじむのかもしれません。
ところが日本のように山深い渓谷では、横基調はダメで、むしろ深い渓谷には縦基調が合うのです。その場の風土の基調と合わせて造ることが大事で、それが合っていないものはダメなんです。
銀座の建物を考えると、周りが高いビルと真四角なビルばっかりで、その中に一つ斜めのビルがあったら違和感があります。それと一緒で、基調を合わせるツボがあるんです。本来の景観設計のイロハがあれば周囲の風景と調和するダムの設計ができる。要するに美学の基本がそこにあるのです
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中野: その土地の風景、風土になじむように造ることがポイントになるのですね。
竹林: そうです。しかし景観設計をやっている人の中には、見た目だけのチャラチャラした、外見だけを飾ったりすることがあります。土木ではそういうものを造ってはだめです。風土に合った素材で背景の景色になじむ造形でダムを造っていけばいちばん良い設計ができる。これが美学の基本なんですよ。
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美の比率の法則を追求するとムダがない
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中野: なるほど自然の中で、人工物をどうなじませて造るかなんですね。
竹林: それからもう一つ、世の中には美しさを徹底的に追求した人が沢山いますが、日本人が編み出した美の法則があります。一つ目は、日本間の設計の基本は、畳の縦横の比率です。これは日本の建物の基本であり、一間、二間、半間と、全部一対二の比率の形が基本になる。鴨居とか欄間など、全部が一対二の比の形の組み合わせからなる設計となっているのです。
中野: そうですね。90cmかける180cmで一畳分ですね。
竹林: 他にも美しい比率はあります。二つ目は、神様が作った神授の法則とも言われている「黄金分割」黄金比率があります。例えば巻き貝の殻の形状の比率は、フィボナッチ数列というのがあります。ぐるぐると同じ比率で渦巻きが大きくなっていく自然が造る美しい立体形状です。三つ目は、用紙のA版、B版の縦と横の比率は一対ルート2です。
この三つの美しい比率がなぜ美しいかわかりますか?それは、この三つの中に隠れているもっと大きい法則というのがあるからです。実は私の本にも書いてあるのですが、この三つの中で共通するものは、半端な、余り物・切れ端を造らないという事なんです。A版、B版の紙、これは折っても折ってもみな同じ形、比率になる、A0版を一回折ったら、A1版になる、A1版をもう一回折ったらA2版になる。何度折っても同じ比率になるという事は、何回切っても同じ比率の有用な用紙になる。一つもムダな切れ端が出てこない。畳の一対二も同じになる。四畳半でも六畳でも日本の建物では何畳の間でも一対二にすれば隙間なく畳が埋められる。巻き貝のフィボナッチ数列というのはフラクタル理論です。こんな小さいものでも、それが段々大きくなっても同じに形状になる。やどかりなんかは成長したら昔の貝は捨てていきますが巻き貝は成長しても、同じ形で先へ先へと大きくなっていくので昔つくったものが不用になることがなく、ムダをつくりません。ムダをつくらないという機能の追求が美を形成していくのです。
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美を追求し美しいものをつくる
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中野: 美しい自然の法則というものは、明解なんですね。
竹林: 美しさの法則の一つは、ムダをつくらないということ。逆に、ムダができるというのは美しくない。それから美の追求では、西洋と東洋なら日本の方が深いように思います。西洋の美のもとはシンメトリー、左右対称で単純です。西洋のゴシック建築など、美しいとされているものはみんな左右対称になっています。ところが日本の建築の美しいものは、実は古代から造られたものでも決して左右対称ではないのです。例えば、出雲大社とか、明治神宮とかの社殿の上の突き出たところは、一見左右対称に見えますが、左右でちょっと違うようになっています。その他に例えば、右近の橘、左近の桜とか。狛犬だって、左右でちょっと違う。口の形は口の開いた阿と口を閉じた吽です。あうん(阿吽)の意味なんです。だから、みんな左右がちょっと違います。
中野: 日光東照宮の逆さ柱もわざと未完成にしておくことで、永遠にという意味があるとか…。左右対称にしないのはそういう理由でしょうか。
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竹林: どんな美人だって顔は左右対称ではなく、右目と左目の大きさや形はちょっと違うでしょ。心臓の位置もちょっとズレているでしょ。日本人が造った美の中には、ちょっとズレて左右対称じゃないというのに意味があるんです。尾形光琳の絵も、建物もそうなっている。大自然が創った美は微妙に左右対称ではなくズレている。西洋人には、シンメトリーで単純な美が良いとされる。そこに美学の深さの差異があるという訳です。大自然が創るものには大変深い美の法則が隠されていて、地球の球体も極軸は少し傾いています。軌道も真円ではないのです。いま言ったプロポーションの、分割の法則や左右対称シメントリーだけじゃなくて、その他に、バランス、リズム、コンポジションという計五つの美の構成要素がある。例えば、リズムを作ったら美しく見える。美しいものは形が美しいだけじゃなくて、美しい形の法則も美しい音の法則も、それから人を感動させる話の法則も、美しいものはみんな同じ共通する美の法則、すなわち美の五つの構造要素が内在しているものなんです。ハードな形や色の美もソフトな名前や意味の美も同じ法則なのです。そういうことが判ってくるから、美しいものを作ろうとしたら、そこを考えないといけない。
中野: 美しい人は心も美しいというのと同じで、建物や構造物もその存在意義、意味付けからして良いものでなければ…というような意味合いでしょうか?
竹林: 景観設計といわれているものは、私にはどうも物足らない。それは、見た目から考えるようなところがあるからかも知れない。景観設計の意義を唱える人の中には、どうも独りよがりなところがあって、気取り屋というか芸術家気取りの人がいるように思えます。むしろ美しいのは、職人気質のようなものではないかと思います。日本の職人は素っ気ない、気取っていない。だけど本質(ものづくりの心)は妥協することはない、半端を許さないという精神がある。ムダがないのは美しい。
例えば、宮大工は、木の年輪から見てどっちに反るか、から始まって木の声を聞いて、丈夫な木造建築を造る。そういう技を見ていると、気取って作っているのとは全然違うと思います。私は土木においては景観設計という目から入る手法ではなく、ほんとうに内在する美しさのある構造物を作ろうと思って、いろいろ考えた訳です。
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見た目の景観でなく、風土の設計をするという風土工学
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中野: それが、風土工学という発想につながっていくのですね。
竹林: 堰やダムに応用しようと思ったのですが、堰やダムはコンクリートの部分とゲートの鉄の部分と、上屋建材の部分と、それぞれ素材は完全に別のものです。上屋は建物屋が設計し、ゲートは機械屋さんが設計して、コンクリート部分は土木屋が設計して、それをくっつけているだけなんです。それを一つの大きな思想のもとに全部わかった人が設計したらきれいになると思い、風土工学のあり方で美の法則を追求して造ったのが「鳴鹿大堰」です。
中野: 「ダム日本」にも載りましたので拝見しました。
竹林: そもそも始めは、普通の堰の計画でした。頭でっかちの堰でしたが、それを一年間かかって風土工学的手法で設計をし直しました。やってみたら、以前の設計よりもトータルでコストが安くて力学的にもメカニズム的にも合理的で更に形も美しく出来ました。
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九頭竜川鳴鹿大堰 |
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それと、美しいダム造りをしたい。美しい設計をしたいという事を追求していったら、景観設計の手法ではうまくいかないことがわかり、その地域になじむもの、そこの風景になじむものを、その地域になじむ材料、なじむ設計の心、そういうものを使って造っていったら、結果的にはその土地の風土になじむものができるということだと思いつきました。
それで名付けて風土工学。いわば風土になじむ設計だと。土木には風土工学というものが必要なんだと思いました。思いつきで風土工学を構築したのではなくて、地道に美しい土木構造物を造ろうと、いろんなものを分析したから、そういうことが判ったのです。 風土工学を考えついたもう一つのきっかけになったものは、色なんです。
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土木構造物の色彩
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中野: 色ですか?例えば、その土地に似合うダムの色という事でしょうか?
竹林: 大自然が作った色は基本的に美しいものですが、土木の構造物は無機質なので、そこに有機質の塗料を塗ってはいけない。有機物はどんどん風化していくように、時間が経過すると剥がれる。色も、設計もいっしょで、日本の風土の色は、雨が多く降って湿度も高いという日本の独特の環境、風土の色があるのです。砂漠地域に行ったら、赤い原色のような色ばかりですが、日本の色は原色系ではないので、建物を風土に合わない赤やピンク色にするとみんな反対しますよね。それと同じで色もちゃんと風土に合う設計・デザイン方法があるのです。これは、すでに研究している人がいました。日本カラーデザイン研究所の小林重順先生です。その人の美しい色、カラーデザインの設計手法も、私の風土になじむ設計手法もデザインプロセスの心がいっしょだったんです。
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風土工学の萌芽、「湖水の文化史」シリーズ全五巻 −デザイン対象としての土木構造物の命名−
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中野: 色の他にダム湖の名付け方についても、何か美の法則があるのでしょうか?
竹林: そうそう、それともう一つ風土工学立ち上げのきっかけになったものが、ソフトのデザイン手法です。これは名前の設計、つまり名付け方です。ダムで言えば、ダム湖の名前や公園の名前、橋の名前。今までそういうものが無頓着に何も考えずに行われてきました。中でも一番面白くないと思うのは、何々貯水池とか、何々ダム湖というように、単純に機能を表す名前はもったいないと思います。一方、何々湖と名付けられているものは何々湖水八景が生まれたり、文化が生まれたり、観光地と親しまれていきます。
ダムの仕事をしていた時、日本中のダムの名前を聞けばすぐにどこの、どのようなダムかわからなければなりません。それでダム名を覚えているうちに、ダムの名前は面白いなと思いました。例えば、動物の名前のつくダム、十二支めぐりのダム名もある、ダム名の数え唄もできるなと思っていて、ダム湖の名前の由来を調べたら実に多彩な風土の物語を語っていて実に面白いのでそれを書いて「ダム日本」に掲載してもらいました。それをもとに「湖水の文化史」シリーズ全五巻を出版しました。
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「湖水の文化史」シリーズ |
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個人の名前でも商品の名前でも、ふさわしい名付け方は非常に難しい。ふさわしい命名法を分析すれば、名前の候補となる種の集め方からそれらがふさわしいかどうかを評価する方法等に法則があることに気づきました。それらは風土と調和する美しい形の設計法とその法則、こういうものは全部いっしょなんだと気付きました。ハードの形や色の設計手法もソフトな名前や意味の設計手法も風土になじむ設計ができるのではないかと思った訳です。いろいろ考えて風土を設計しようと思えば、まずは風土というものがどういうものかわからないといけないとなり、それをどう定義付けるかから考えてみました。
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お経の文句にみつけた環境の”こころ”・「東洋の知恵の環境学」
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中野: 風土工学を始めた頃はどんなお仕事だったんですか。
竹林: その頃、私は土木研究所のダム部長から出来て間のない環境部長になりました。世の中がなんでもかんでも環境への配慮がうるさく言われる時代になったからでしょう。環境部長になった頃は、ちょうど走りの時期でみんなが環境、環境と言い始めていて、旭屋か紀伊国屋か忘れましたが、都内でいちばん大きな本屋に行って、タイトルに環境と名のつく本はみな目を通したいと思い買い集めました。土研の図書館は国会図書館の分室で、前から本は相当バックナンバーは揃っておりましたが、ない本はまだいっぱいありましたのでせっせと揃えました。天井まで届く大きなロッカーで2つか3つは、一杯になり、それら本で必要な箇所は全部読みました。
中野: 環境のどういう内容についての本だったのでしょうか?
竹林: ハードな文明型からソフトな文化型、基礎的な学問分野から応用的な学問分野まで何々環境と言う新しい用語を用い、改まって何々環境学というのか。何々環境学と称する枠組(フレーム)、環境学の精神について書かれたところばかりをつまみ食いして軒並み全部読んでみたら、だいたいその時代の何々環境学という学問のレベルが判る。環境、環境と言う学者というのが、どれくらいの環境についての認識レベルの人間でどれくらいの知恵で改まって何々環境学と言い出したかわかりました。ずっと読んでいたら、航空工学の第一人者で環境科学分野で活躍された近藤次郎さんが、「環境科学読本」という啓蒙書を書かれておられ、その最後の方の一、二行に仏教との関係のことが書かれていました。つまり、仏教のお経には環境のことが書かれているところがあるというのです。
中野: 仏教の教えといえばお釈迦様の言葉ですが、そこに環境について書かれているということですか?
竹林: 仏教やお経の本をいろいろ読みあさってみたら段々と判ってきました。江戸時代とかもう少し前の時代には、いちばん勉強していた人、その時代の知識人はどのような人だったかというと、お坊さんなんです。つまり弘法大師にしても行基にしても、ものすごい知恵と洞察力と行動力をもっていた方なんです。そして、いちばんの知恵の源はお経だということなのです。
キリスト教とイスラム教は一神教で全知全能の唯一人の神様が森羅万象を作った。それを信じなさいというところから始まります。信じないと、キリスト教もイスラム教も成り立たないから、これらは100%宗教です。つまり神様は一人なんだということです。仏教では、神様は何人いると思いますか?八百万(やおよろず)の神々というのは神道です。仏教では神様はいません。代わりに仏様がいるのです。それで、どのような人も死ねば仏になるのです。仏教には、一神教の宗教のようにとにかく神や仏を信じなさいという事は書いてない。
ただ仏教にもたしかに宗教という部分もあります。それは、南無妙法連華経とか、南無阿弥陀仏と唱えなさい、唱えると救われる、と説いている。つまり、そこからが宗教なんです。その前までは宗教ではないです。だから、お経は科学の生みの親で、哲学的な思考の結晶なんだということが判ったんです。
キリスト教の聖書に記されていることは、科学技術の進展が次々解き明かすこととは互いにあいいれず、進化論や地動説などの宗教裁判があったことはよく知られています。一方、科学技術の進展と共に、2000年程前に作られていた仏教の経典に書かれていたことが次々に明らかになってきている。
お経というのは、科学的思索の原点である哲学的思索の結晶が凝縮されて書かれている。そこに、今、これだけ混迷する環境問題のことをどう解き明かせば良いかということのヒントが随所に書かれてあるんです。 もう少し説明すると、お経というのは、すごく種類がたくさんありますが、みんな中身で言ってることが違う。お釈迦様の教えをいろいろな側面から説いているのです。例えば、般若心経というのは、世の中で一番短いお経で、文字数で262文字。いかに少ない文字でお経の真髄を話そうとして、それが般若心経になっています。その他、例えば法華経というのは、お釈迦様の教えの真髄を例え話で教えようとしたら、法華経になったというのです。華厳教というのは、宇宙の法則を科学的な考え方に近い形で説こうとしています。
中野: なるほど、お経というのはお釈迦様の教えをまとめたものとされていますが、そこに自然の事、環境についての事が書かれているというのですね?
竹林: 仏教の自然哲学から環境と風土のことを考究することが求められているんですよ。環境がわからないと風土もわからない。環境とは何かと言うと、自分のまわりの家庭の環境、学校の環境、職場の環境、自然の環境、これが環境です。同じことが風土にも言えます。自分の家庭の風土、学校の風土、職場の風土、自分の住んでいる近所の自然の風土。でも、環境と風土では全然違います。環境とは、自分のまわりの森羅万象すべてに対して、“こころ”のやりとりを伴わないで、理性的に客観的にアプローチする概念です。ところが風土とは、自分のまわりの森羅万象すべてに対して、理性のみでなく感性も付加して美しいなというような、人の心の動き、感性の形容詞、言葉のやりとりがあるのです。感性や主観を付加してアプローチする概念が風土なのです。
中野: 風土とは、環境と同様に人の身の回りすべての事ですが、主観が入った言葉で表されるものも含めて風土ということなんですね。
竹林: 例えば、富士山を環境としてみるときに、3776mという高さのコニーデ式の山と捉えれば、これは単なる自然環境です。ところがそれを風土としてみれば、美しい山だなと。人に絵心があれば、絵を描く。カメラを持っていれば写真を撮る。そういう感情が起こってくる。文人的素養があれば詩歌や俳句等々が生まれてくる。そこに、私たちが考える上で、何でも全て客観的でなければならないという事が間違いだったのではないか。客観だけがすべてじゃない。いちばん大切なところに第六感があったり主観があるんです。私達の全ての判断は客観的だけではない、主観的な判断分析が非常に重要なのです。
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左脳中心の工学に、右脳を使う感性を盛り込む
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中野: 数理をベースにした工学に、感性というか人間がどう感じるかという別の尺度を持ち込んで行こうという事ですか?
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竹林: そうですね。それで、私たちが今までやってきた教育というものについて、どうも大きな間違いがあると思いました。何かというと、つまり左脳なんです。私たちが小学校から社会に出るまでのあらゆる学校教育でいう勉強には、数学であり、英語であり、論理であり、知識であり、これらは全部左脳優先の教育ばかりなのです。ところが人間の脳みそは右脳と左脳、半々ある。どうもまだ右脳の働きの重要性に気づいていない。右脳を使わない判断や行動には大きな欠点が潜んでいます。
例えば、変なやつが物騒な事件を起こしたりしているのも右脳を使わず、右脳を評価しないで社会を作ってきたことに一因があるのではとも思います。モノづくりも、右脳を全然使わない設計思想でやっていることが多いのに気付き、そこに問題があるのではと考えました。
しかし、すでに感性工学があるということを知り、びっくりしたのですが、これからはもっと工学分野でも右脳を使うことが求められているということです。
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感性工学との出会い
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中野: そうなんですか。人間の感性を工学にするという学問があったと…?
竹林: 初めは、感性が何故、工学になるんだと驚きました。それで、感性工学の本を全部買い込んで、全部といっても当時、長町三生先生が書かれた三、四冊しかなかったのですが、それを読んで、ぜひ長町三生先生にお会いしたいと思って会い行きました。
広島大学の情報処理工学科の工学部の教授で、感性工学を世界で初めて構築した創始者だから工学博士だと思って会ってみたら、名刺に文学博士とあって驚きました。文学博士がどうして工学部の情報処理学科の教授をやっているのかと思い、長町先生の論文を読んでみたら、感性工学というのは、感性というあやふやなものを数値化して、コンピュータで分析しようという学問であることがわかりました。要するに心理学の応用で、人間の感性の動きといった心理状況を統計心理学手法を駆使してものづくりをしようということです。例えば、面白い研究を長町先生がやっておられ、ある企業が大もうけした例がありますが、それはブラジャーの設計なんです。
中野: ええ?なぜ衣服、それも下着の話になるのですか?どういう工学なんでしょうか?
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竹林: 女性の前で言うと失礼かもしれないが、要するに長町先生が感性工学でブラジャーを研究し、どの角度で、どうしたら美しく見えるかということを、いろんなことをやって感性で、きれいに見えるかというのを定量化して、どう作ると良いかを考えたのです。ここをちょっと上げて、少し寄せるというデザインですが、それをワコールが生産し発売して大ヒットしました。感性工学の下着デザインへの応用です。
女性の服の選び方をみると、今日はダンスパーティだ、彼氏とデートだ、法事だと、いろんな場合に着る服を選ぶ訳ですが、選び方のプロセスを分析してみると、女性は自然に自分の感性でやっていて、こういう髪形に、イヤリング、ネックレスで、ドレスはどうで、スカートはどんなのがいいか、やっぱりヒダがいいか、短いのが良いかと感覚でいろいろと選ぶのでしょう。それを、どう選ぶかを全部計量化して調べて、統計的な手法で意思決定のプロセスを経ていって、感性的な評価をしたものをデザインしたら、ものすごくよく売れた。長町先生の感性工学は、ものづくりの産業界を着実に変えていった。でも、いちばん最初にその説に飛びついたのは韓国で、日本より早く韓国で感性工学会が出来た。それからアメリカでも感性工学会が出来ました。その後日本でようやく感性工学会ができたということでした。
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感性の尺度と測定法
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中野: 自分ではほとんど感性というか個人的な感覚そのもので洋服を選ぶのですが、その選び方にあるパターンが見えるという事なんでしょうか?それをデザインや服の生産に持ち込むと売れる服が出来ると…?
竹林: 簡単に言うと、感性工学とは人間の感覚的なものをデータ化して工学で扱えるようにするということですが、左脳で丁か半かみたいに中間を認めない単純な判断ではなくて、こっちの方がどちらかと言えばやや美しいとか、あっちの方はかなり可愛いなとかいう、感性形容詞をくっつけて分析して設計する方法論です。感性工学というのをもっと機能設計の中に取り込んでいけば、土木の中にも新しいものができてくるのではないかと思ったのです。工学でも左脳だけじゃなくて右脳を使おうという、そういう設計を土木の設計に取り入れようということです。土木の設計にも右脳というか感性を応用するという考えは実に素晴らしいことだと考えました。
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和辻哲郎の『風土−人間的考察−』
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中野: ところで、風土は英語で何と言うのですか?
竹林: 実は、英語には風土に該当する単語がありません。ある和英辞典には風土はclimateとありますがclimateは気候で、全くの誤訳です。英語には風土という概念がないのです。新しい学問領域を作ったというが、風土工学を英語に訳してそれこそ英語で発表すればもっと広がると言われるのですが、英語に風土の概念がないので、これはやりようがないのです。 ところで、世界中で風土のことをいちばん深く研究した人は誰かというと、『風土−人間的考察−』という名著を書いた人。和辻哲郎さんです。
和辻哲郎さんは、「超越」という概念を入れることによって風土のことをうまく説明しました。彼は哲学者ですが、風土とはどういう構造をしているかをものの見事に解明しておられます。 風土というものすごく多面的で、とらえどころのないものを間違いなくとらえる体系がお経の中の哲学や、和辻哲郎の哲学の中にある。それを用いて風土の枠組を構築していけば、システムが出来て、更に分析する方法は感性工学の感性評価法、右脳を駆使すれば風土工学が構築できると思ったんです。
中野: なんとなく風土工学への流れが読めてきた気がします。
竹林: 次に大切なことは、連想、発想。例えば、飛行機の設計というのは、ある人が自分も鳥と同じように空を飛んでみたいという漠然とした夢をもって考えたことから始まった。空を飛ぶには羽がいるから身体に羽をつけ、鳥と同じようにバタバタしたら空が飛べるんじゃないかと思って、いろいろ失敗を重ねて、その都度、それを克服する工夫を重ねて飛行機というものが設計できた。では、海の中にどうしたら魚のように海中を泳げるようになるのかと考えると、マグロと同じような流線型の魚の形状のものを作ってプロペラつけたら海中で泳げるのではないかと。それで作ったのが潜水艦。
というように物を作るうえで一番大事なことが連想、発想なんです。これは人の知識の量が多いほど、発想量が多くなる。同じようなものがどこにあったかということを想いおこせば、どんどん次々と発想、連想できる。それで、風土を考える原点はどうかというと、たくさん、いろんな風土の事象をできるだけ多くを知るということです。
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風土の研究は、名付けて数える。数えて名付ける“名数化”から
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中野: つまり、風土というのは自分が住んでいる地域では身近なものですが、他所のもよく知れという事でしょうか?
竹林: そのとおりです。発想、連想を原点にして考えるということはものすごく重要ですね。だから風土を徹底的に調べようということになる。風土を調べる方法論とは何か、その方法論の一つは、風土をみつめる感性なんです。具体的な方法論では、その第一歩は「名数化」です。つまり物事を名付けて数える、数えて名付けるという事です。これはすべての学問の基本になるものです。学問というのは分類学から始まる。どんな学問でも最初はいろんなものを全部かき集めて、いろんな視点から同じようなもの、違うものを順次仕分けしてどんどん細かく分類していく、すなわち分類学。すべての学問はこうした分類学から始まったんです。だから、最初の博物学というのは全部分類学ですよ。
それで風土を学問体系として構築していこうとしたら、名数化が、どこまでできるのかがポイントになります。私も風土工学をやって13年目になりますが、全国いろんなところを、神社仏閣、名所旧跡など、大字・小字地名に始まって、大きい巨石から小さい奇石まで、いろんな石碑や石造物等々を調べてまわりました。そうすると、あちこちで民話伝説など、そっくりな話がいっぱいあるんです。そっくりなところをまとめていったら民俗学になる訳で、民俗学者がやっていることはみな理解できます。よく似たパターンの民話伝説があると、そういうものを何十個と集めてきたら、今度は、美学と一緒でこれらの法則性がわかってくる。そして法則性が判ったら、学問の体系が出来ます。地名学もいっしょ。風土工学というのは、そういった方法論を使っている訳です。そう考えていくと風土になじむ土木の構造物ができてくるのじゃないかと考えたのです。
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風土工学へ導いてくれた大先達
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中野: こうした新しい学問領域を起こすという事は、たいへん難しいことだと伺っています。道を拓いてくれた先人もいない中、例えば論文を審査してもらうにも大変だとか。風土工学では実際にどういうふうに認められていったのでしょうか?
竹林: 感性工学でいうあやふやな感性の形容詞にも尺度があって測定法があるということで、コンピュータで計算できるということをやったのが感性工学の創始者の長町先生です。風土工学の始まりでは、この長町先生にお世話になりました。それともう一人佐佐木綱先生です。この方は、交通工学の権威で、交通量、どういうところで渋滞が起こったりするかというのを専門に研究しておられた先生です。その佐佐木綱先生が、風土分析ということを始められた。例えば、男らしさ、女らしさという尺度で表したらいろんな風土の個性が分析できると提唱されました。京都の街を男らしさ、女らしさで表してみよう、東京の町を表してみよう、銀座を表してみようというように、これでやってみたら、どんどんその街の個性が、風土が分析できるようになる。風土分析の創始者です。
中野: 長町三生先生と佐々木綱先生が風土工学へ導いてくれた大先達という訳ですね。
竹林: 当時、私が思いついた風土工学の方法論の骨格がだいたい構築できてきました。そこで、長町先生に二つの論文を送付させていただきました。一つは、環境哲学、これはお経の環境学です。それと風土工学の二つです。役所を辞める前にドクターとりたいからどっちがいいだろうと相談したら、どちらも独創的で素晴らしいが、風土工学の方は発展性がより大きいからそれを出しなさいとアドバイスされました。
中野: 長町先生に見ていただいた論文が通ったのですか?
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竹林: いや、まずは相談です。長町先生は、神戸大学の文学博士で、広島大学の情報処理工学科の先生でした。ドクター論文をとる方法、ドクターを与えてもらうにはルールがあります。ドクター論文を面倒見てくれる指導教官が必要です。又、ドクターを与える博士過程のある大学でなければ付与してもらえない。自分の出身大学の先生にお願いするのが基本です。それで、京都大学の先生に頼めということになったんですが、京都大学で面倒を見てもらえる先生がいなければいつでも広島大学で面倒を見てやると温かい励ましを頂きました。
当時、京都大学で風土工学なんか理解してくれる先生は誰もいないのではないかと思いました。でも、佐佐木綱先生が男らしさ女らしさとか風土分析を言っておられたので、佐佐木綱先生にまず相談してみようと思いました。佐佐木先生はその頃は、もう京都大学ではなくて立命館大学の特任教授でした。先生に京都駅前の京阪ホテルのロビーで30分程説明させていただいたら、これはすごい、私の考えていた風土工学を見事に構築してくれた。もう明日にも論文を出しなさいと言われました。ところが、佐佐木先生がドクター与えることができないので、佐佐木先生の後任の京都大学の飯田恭敬先生という先生がおられる。すぐ電話で推薦してドクター論文の面倒を見てやってほしいとお願いしておくから行きなさいと言って下さいました。
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京都大学工学部に異色の論文!
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中野: それで、母校の京都大学で論文を出されたのですね。
竹林: 紹介された飯田恭敬先生に論文の内容を説明させて頂きました。飯田先生はもうすでに論文としては完成しているので、すぐに審査請求の手続きをしなさいということになった。しかし、先生からこの論文は相当に危ないぞと言われました。工学部の他の学科の先生方から、どのような追求があるかも知れない。それに対する備えが必要だということになったのです。
工学博士というのは、論文を工学部の全員の教授会で出さないといけない。そうなると、論文のタイトルを見て「風土工学?これは何?」となったら、何でこれが工学だという先生が必ず出てくると思うから、こういうややこしい名前をつけたら大変だと言われました。 そこで、変わったタイトルではなく、みんなから見てヘンに興味をもたれないタイトルをつけなさいという指導を受けました。又、指導教官としては一人では大変なので建築学科の宗本順三先生と連名にすることで、対応したいということになりました。
中野: いきなり風土工学とは、というタイトルでなくて、どういうものだったのですか?
竹林: 実際の論文名は先生の指導により「風土資産を活かしたダム・堰および水源地のデザイン計画に関する研究」としました。こういうタイトルだったら気が引かれることもないという訳で博士論文を書き、工学部の教授会ではほとんどひっかからずすみました。
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科学技術庁長官賞と優秀博士論文賞を受賞
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中野: その論文で著名な賞をおとりになったとか?
竹林: 建築と土木の部門で一年間でいちばん優秀な博士論文に与えられる、前田工学賞というのがあります。普通、土木と建築で一つずつですが、風土工学は土木にも建築にもまたがるテーマであったということでしょうか五回目の時は私の風土工学だけでした。副賞には金一封も頂きました。百万円かな。その年度は、ただ一人だけだから大変嬉しかった。
中野: 右脳を使うことをちゃんと評価してくれたのですね。
竹林: そうですね。土木建築両部門の何人の審査委員の先生か査読されてこれは画期的だと言ってくれました。もう一つ嬉しかったのは、前田工学賞と同じ平成10年に、科学技術長官賞というのも頂きました。第一回科学技術普及啓発功績者として、松本零士さんと、あと米村傳治郎さんも受けられました。受賞者は4名で、その時の科学技術庁長官が、今の自民党総裁の谷垣さんです。日産科学技術研究財団からは研究助成金六百万円ももらいました。これも嬉しかった。評価してくれる人がいたということですね。
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科学技術庁長官賞を受賞。前列左から二人目が松本零士さん、左から四人目が谷垣科学技術庁長官(当時)、後列左が米村傳治郎さん、真ん中が竹林征三さん。 |
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富士常葉大学の初代学長予定の徳山明先生から、今回、日本初の環境防災学部を設立するから当初から参加してほしいといわれたので、大学に席を移すにあたって、現在の(財)土木研究所内に風土工学研究所があるので、大学付属の風土工学研究所を作ってくださいとお話すると、全国初の風土工学に関する研究所なのでPRになるからつくりましょうということになりました。
そうしたら知り合いが、竹林さんは良いですね。役所を辞めたら外郭団体へ行って、研究所を造ってもらって、研究費や給料も役所からつけていただいたりしてと羨ましがられましたが、研究所といっても、研究費も給料も一切なしで自分のことは全て自分で手配して稼ぎ確保しろということです。研究所ですので一人ではなく何人もいるので、その人達の給料も当然、稼がなければなりません。人の何倍もの苦労していますよ。(笑)
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陰陽五行説で最優秀賞「鬼翔平(おにがけだいら)物語」
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中野: 単に良い先生に恵まれただけじゃないのですね。
竹林: そうですよ。良き友人からの支援も忘れられないですね。その後、面白かったのは、北上市の創作民話で最優秀賞をもらいました。北上市に「鬼剣舞」という民俗芸能があり、すばらしいもので、鬼の里ということを市のキャッチフレーズにして、「鬼の舘」がつくられており、鬼の話を作りたいという企画があって、公募をしていた。私がかつて共にダム技術センターで働いていた時の人が岩手県庁におられ、創作民話を公募しているので、風土工学のことを社会に知らせるためにも是非とも応募されたらどうかと話があった。ところが日にちがない。それで北上市のことを書いた本を図書館で探してもらって、それを家に送ってもらって、お盆休みに全部読んで、風土工学の手法を駆使して慌てて物語のストーリーを構築しました。
中野: すごく突貫工事で作られたのですね。
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「鬼かけっこ物語」 |
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竹林: 時間がなくてあわてて創ったのが「鬼翔平(おにがけだいら)物語」。これは、プロアマ問わず、国内海外から応募した作品のなかで最優秀賞をいただいた。風土を詳細に勉強し、風土資産(風土の宝)相互を緻密に発想技法とスクリプトの手法でつなぎあわせて全部理詰めでシナリオを構築し、陰陽五行説(万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説)の思想に沿って物語化しました。
中野: 相当に長いお話なんですか?
竹林: 北上市は子ども向けの絵本にしたいということで字数の制限がありました。それに対し私が考えた物語の筋は理屈っぽくて長いからと、小説家の田村喜子先生に、先生の感性で、子どもでも判るような文章表現にして短くしてくださいとお願いしました。
田村先生には、夏休みも返上して一生懸命添削して頂き、そのおかげでやさしく豊かな表現の物語になり、「鬼かけっこ物語」として完成し合作ということになりました。その時、田村先生からは、竹林さんの物語はくどいくどいと、散々いわれました。(笑)
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風土工学の適用、雫石の「道の駅」
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日本で始めにプロの小説家になった人は、南総里見八犬伝を書いた滝沢馬琴といわれています。南総里見八犬伝もすべて木・火・土・金・水でできていて、同じように、それを物語りの柱にして書いた。陰陽五行説というのは、実はものすごく緻密な思想で、それをもとに物語を創りました。結局、最優秀賞をいただくことになり、この話は、のちに絵本になりました。
中野: 実際の土木事業の中で、風土工学によるデザイン展開がなされた事例があるとのことですが、ここでいくつかを具体的にご紹介いただけますか?
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竹林: さきほど話した現在「ダム日本」に掲載中の「鳴鹿大堰」のデザインの他に、雫石の「道の駅」があります。ここでは「雫石あねっこ七話」という絵本を作りましたが、これも私の自信作です。日本の「道の駅」は現在900以上あると言われています。道の駅「雫石あねっこ」は、規模も小さいが、すごく流行っていて評判が良く成功例となっています。なぜかというと、この「道の駅」の物語性が日本一だから。(笑)
この話も、すごく緻密に構築されていて、別々の物語が七話まとまって一つの大きな物語になっています。内容は、秋田は美人の里というが、雫石あねっこは美人でその上、頭が賢いというのをうたい文句にしました。雫石というのは、木の根元から雫がポトンポトンと落ちる音が、その地名の由来です。どうやったら美人で賢い女性ができるのかというと、その雫石の水を飲み、その水で顔を洗ったら、皆、美人が生まれてくるという…。そしてタンタン、タンタンという雫の落ちる音を聞けば、頭が賢くなるという骨組みで代表的な雫石に伝わる民話の伝説を素材にして大きな物語を構築しました。この雫石の歴史をたどって、過去にすごく美人でかつ賢い娘さん、お母さん、奥さんがいて大活躍するというのが七つの物語の柱になって一つの絵本ができました。
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「雫石あねっこ物語」 |
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中野: そういう土地の伝説というのは、なにか形に残っているものなんですか?
竹林: 雫石神社にはタンタンの伝説の泉があります。また道の駅には、私が設計した「あねっこ橋」の欄干や親柱にもそういった美しく賢い女性(五姫)がデザインされています。
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ダム湖に名前を付けて、町起こし
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中野: 2008年の森と湖に親しむ旬間全国行事で「九頭竜川の麻那姫湖 サマーフェスタ」が開催されましたが、その時会場になった「麻那姫湖」の名前も命名されたのですか。
竹林: 「麻那姫湖」の名前は、真名川ダムの課長の時に、竣工式にダム湖名を披露しようということになり、どんな名前がいいかと議論になった。それで真名川下流には、麻那姫淵というのがあって、昔、麻那姫様が渇水や洪水で苦しむ村人を救おうと、身を投げて鎮めたという伝説があったので、発案してダム湖の名前を麻那姫湖にしようということになった。
でも私が命名する訳にはいかず、所長に言って大野市長に話したら、市長も喜んで、麻那姫の生まれ変わった姿が現在の真名川ダムであるという意味を込めてこの名前を付けられました。私は湖水誕生直後に、麻那姫湖の名前を国土地理院に登録しなさいと薦めました。
それから十何年たって、当時の市長とは変わっていましたが、麻那姫湖の名前の由来に気づきこの湖名で地域おこしをしようということになり、「麻耶姫小唄」が作られ、ダム湖畔に麻那姫公園を作って麻那姫の銅像をつくったから、是非、序幕式に出席願いたいという話がきました。もしもこの名前がなかったら、地域おこしは始まらなかったでしょう。
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麻那姫の銅像 |
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研究所の発起人に宮司さん
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中野: 次に、風土工学デザイン研究所の発起人になっていただいた方についてお話いただけますか?
竹林: 秩父神社の薗田稔宮司さんが、風土工学のことを読んで、社報「柞の杜(ははそのもり)」のなかで紹介してくれた。日本の風土の中では、神社を中心として地域おこしをしなくてならないというところが持論で話が合いました。
そこで、地域おこしの座談会を鶴岡八幡宮で開催し、それが縁となって、風土工学デザイン研究所の発起人になっていただいた。風土工学デザイン研究所は、その他、民俗学・地名学の谷川健一先生、元京都大学総長・農業土木の沢田敏男先生、河川学の高橋 裕先生、民族造形学の金子量重先生、地理学会会長の中村和郎先生、それに感性工学の創始者の長町三生先生、中部地名文化研究会会長の服部真六先生等々、その道の第一人者が設立発起人になっていただいた。こうして沢山のすばらしい方々に支えられて出来た研究所なので、今後も頑張って続けていかなくてはと思います。
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村松貞次郎先生の推せん文
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中野: 風土工学は、これまでどのように理解されいったのでしょうか?
竹林: それは「風土工学序説」の推せん文で、東京大学・村松貞次郎名誉教授が書いて下さったことだと思います。
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「風土工学序説」 |
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その村松先生にお会いしたのは、私が土木研究所の環境部長をやっていた時、文化庁で土木建築物文化財保護の委員をしていたのですが、その時に村松先生は委員長をされていた。それで、先生にこの「風土工学序説」の原稿を送って読んでいただき、さらに推薦文も書いていただいた。
これは、本当に涙が出るほど嬉しくて感激したことを覚えています。まさに本が出来た日に、早速お礼に行こうと思ったら、なんとその日が先生のお葬式だったというのも強烈な思い出です。
その村松貞次郎先生の推せん文の一部を紹介すると、
「正直申しまして、芸術だ、デザインだ、と昔から言ってきた建築の方が、機能一点張りの土木工学よりはるかに先行しているという優越感が、この「風土工学」によって覆されたという、少々残念な気もしないではない。しかし、それは内輪のつまらぬ感情。土木や建築など、広い意味での風土や環境にかかわる仕事をしている人たちにとって、これはえらく勇気を鼓舞してくれる近来稀れな学説であり著作だ、と喜びかつ確信して広くここに推薦する次第である。」
というものです。
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ダム屋はもっと自信と誇りを持つべし
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中野: ダムに関わる技術者への応援という意味も込めて、これからのあり方を考えるヒントをいただけますか?
竹林: 20世紀は石油資源の争奪の世紀、21世紀は水資源の争奪の世紀になると言われています。そして四つの気候異変。降れば大雨、降らなければ渇水。局地豪雨の頻繁化。気候の区切り、季節異変。トータル降水量の減少化。それらが着実に進んでいます。それに備えねばなりません。このような気候異変を鑑みれば、ダム事業の重要性は今後ますます増加してくることは間違いありません。マスメディアがつくる風潮に流されることなく、国家百年の計の最も基幹となる社会基盤施設を築いているのだという自負を失うことなく取り組んでいただきたいのですが、こういった社会の風潮が形成されてきたことにも大いに反省しなければならない点が多くあります。その最大のものはダム屋はダムという構造物をただ作りたいためだけだ、と思われている所があるのではないでしょうか。目的が土木構造物の建設ではなく、国家百年の計でより良き風土の形成でなければなりません。そのより良き風土形成に欠かすことができない重要なものにダム建設があります。従来の土木工学から風土工学へのパラダイムシフトが求められている今、ダム技術者はまず風土工学を学び、実践的規範者であることが求められていると思います。
中野: 最後に、ダム技術者の方に何かメッセージをお願いします。
竹林: こんなにもダム屋が叩かれるので、以前に「ダム無用論を憂う」で反論したんですよ。日本のダム屋で、私腹を肥やしている人などいないし、技術屋は安給料で山奥に入って、単身赴任で苦労して身を粉にして社会にとって大事な基盤施設の構築に向けて頑張っているのだから、もっと評価されなくてはいけないと思います。
実際に本当に大変な仕事だから、もっと正しく評価されるようになって、ダム屋さんには自信を持ってもらわないといけないと思います。世の中から、社会基盤施設整備をする土木事業はムダのシンボルとされ、それを担う土木技術者は悪者扱いにされ、肩身の狭い思いをされている。ダムは日本の国土保全と産業基盤を支える最も重要な基幹施設であり、四つの気候異変が襲ってきている天変地異の世紀を向かえてその役割は更に大きくなっていることを肝に銘じて、ダム技術者は、自信と誇りを失わなずにダム事業に取り組んでいただきたいと思います。
中野: 本日はお忙しい中、貴重なお話しをありがとうございました。
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風土工学関係参考文献
『風土工学序説』(竹林征三/技報堂出版/1997.8) 『景観十年 風土百年 風土千年』(竹林征三他/蒼洋社/1997.11) 『風土工学事始』(竹林征三/土木学会関東支部山梨会/1997.12) 『東洋の智恵の環境学』(竹林征三/ビジネス社/1998.5) 『風土工学への招待』(竹林征三/山海堂/2000.4) 『風土と地域づくり』(風土工学デザイン研究所監修/ブレーン社/2003.4) 『市民環境工学 風土工学』(竹林征三/山海堂/2004.10) 『風土工学の視座』(竹林征三/技報堂出版/2006.8) 『湖水の文化史シリーズ』全五巻(竹林征三/山海堂/1996.7〜1997.2)
(参考) ウィキペディア・竹林征三 |
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[関連ダム]
九頭竜川鳴鹿大堰
真名川ダム
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(2010年5月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、
までお願いします。
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[テ] ダムインタビュー(82)佐藤信秋さんに聞く「国土を守っていくために, 良い資産,景観をしっかり残していくことが大事」
[テ] ダムインタビュー(83)岡村 甫先生に聞く「教育は,人を育てるのではなく,人が育つことを助けることである」
[テ] ダムインタビュー(84)原田讓二さんに聞く「体験して失敗を克復し, 自分の言葉で語れる技術を身につけてほしい」
[テ] ダムインタビュー(85)甲村謙友さんに聞く「技術者も法律をしっかり知らないといけない,専門分野に閉じこもってはいけない」
[テ] ダムインタビュー(86)前田又兵衞さんに聞く「M-Yミキサ開発と社会実装 〜多くの方々に支えられ発想を実現〜」
[テ] ダムインタビュー(87)足立敏之氏に聞く「土木の人間は全体のコーディネーターを目指すべき」
[テ] ダムインタビュー(88)門松 武氏に聞く「組織力を育てられる能力は個人の資質にあるから,
そこを鍛えないといけない」
[テ] ダムインタビュー(89)佐藤直良氏に聞く「失敗も多かったけどそこから学んだことも多かった」
[テ] ダムインタビュー(90)小池俊雄氏に聞く「夢のようなダム操作をずっと研究してきました」
[テ] ダムインタビュー(91)米谷 敏氏に聞く「土木の仕事の基本は 人との関係性を大事にすること」
[テ] ダムインタビュー(92)渡辺和足氏に聞く「気象の凶暴化に対応して,既設ダムの有効活用, 再開発と合わせて新規ダムの議論も恐れずに」
(竹林 征三)
[テ] ダムインタビュー(23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
[テ] 特別インタビュー〜 竹林征三さんが新たな出版を準備 〜
[こ] 竹林先生の新著「ダムと堤防」が届いた
[テ] 竹林先生緊急インタビュー 「風土千年・復興論−天変地異・災害の世紀」を緊急出版
[テ] 竹林征三さん特別インタビューダム技術・今昔物語−「昭和40年代後半から昭和50年代当初頃のダムの事業を振り返る」−
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