全項目表
 
ダム番号:1057
 
大井ダム [岐阜県](おおい)



ダム写真

(撮影:ToNo)
019140 ToNo
019142 ToNo
054235 Dam master
054233 Dam master
019129 ToNo
019136 ToNo
065201 さんちゃん
114269 KAキ
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
木曽川本流を締め切った高さ50mを超える大ダム
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堤高53.4m。よく「日本初の高さ50mを超えるダム」といわれるが、帝釈川ダムが先との指摘も。日本初の発電用ダムとも言われる。木曽川本流を締め切った大規模ダム。「男伊達ならあの木曽川の流れ来る水とめてみよ」と木曽節にも歌われた木曽川の激流をせきとめた。半川締切工法によって建設された最初のダム。それまでの粗石コンクリートダムと異なり、軟練りのコンクリートに玉石を投入する方法で築造された最初のダム。機械化施工、本格的ボーリング調査、カーテングラウチングなども日本初といわれるようだ。戦前のダムの金字塔のひとつ。土木学会の「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されている。
[写真](撮影:声姫)
福沢桃介が手がけた大井ダム・大井発電所
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大井ダム・大井発電所は、福沢諭吉の養子で、日本の電力王ともいわれた福沢桃介が手がけたもの。桃介が手がけた発電所のうちで最大のもの。当時の最大出力は4万2900kw。日本の女優第1号のマダム貞奴が、この地で桃介に協力したという話があり、NHK大河ドラマ「春の波濤」でも紹介された。
[写真](撮影:ToNo)
恵那峡ができる
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大井ダムの完成で、恵那峡が生まれた。木曽川の大井ダムから上流の約10キロ地帯を指し、両岸には屏風岩、蛙岩など数々の奇岩がそびえ立ち、自然の造形美が楽しめる。
テーマページ 第1回 D-shot contest 受賞作品
ダム談義:水力発電を遡る 〜大正浪漫のベンチャー魂 福沢桃介と川上貞奴〜
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (2) 築土構木―ダム建設・前史(その2)―
第3回 D-shot contest 受賞作品
堤高50mを超えるハイダム・大井ダムと水力発電
ダムの書誌あれこれ(68) 〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
Let's visit a historical dam  file.03  大井ダム 「発電ダムのゴッドファーザー」
このごろ 新幹線の旅のお供に、ダムはいかがですか? 〜ひととき 6月号は恵那峡特集〜
「水燃えて火」−山師と女優の電力革命−
左岸所在 岐阜県恵那市大井町字奥戸  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯35度28分53秒,東経137度23分47秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  新溜池(6km)  洗井沢溜池(7km)  阿木川(7km)  中野方(7km)  竹折防災(7km)  上平第一溜池(8km)  小沢溜池(8km)  笠置(10km)  後山溜池(10km)

河川 木曾川水系木曾川
目的/型式 P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 53.4m/275.8m/153千m3
流域面積/湛水面積 2082.3km2 ( 直接:2055.3km2 間接:27km2 ) /141ha
総貯水容量/有効貯水容量 29400千m3/9250千m3
ダム事業者 関西電力(株)
本体施工者 ダム事業者直営
着手/竣工 1922/1924
ランダム情報 【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(H17.3.16公表)
【ダムの歌】「恵那情緒」 作詞:藤川春草 作曲:桑原哲郎。
ダムカード画像コレクション
大井ダム・発電所 Ver.1 (2010)
リンク DamJapan・大井ダム
Damnist・大井ダム
Dam's room・大井ダム
Damstyle・大井ダム
THE SIDE WAY・大井ダム
ウィキペディア・大井ダム
おぼえがき・大井(おおい)ダム
サラリーマンの休日「ちょっと行ってくる」・阿木川ダムと大井ダム
ダムの風景・大井ダム その1
ダムの風景・大井ダム その2
ダムの風景・大井ダム その3
ダムペディア・まみーおふ1日目/まみーおふいちにちめ(2005/08/14)
ダムペディア・大井ダム
ダムマニア・大井ダム
ダムマニヤ倶楽部・大井ダム ど迫力!
ダムマニヤ倶楽部・大井ダム(2006/1/1)
ダム湖の風景・大井ダム
ダム好きさん【大井ダム】
ひろしのダム発電所見学記・大井ダム
水力ドットコム・大井、新大井発電所
水力発電所とダムに行ったおはなし・大井ダム(岐阜県)
雀の社会科見学帖・大井ダム見学 その1
雀の社会科見学帖・大井ダム公式見学
大井ダム(社団法人日本土木工業協会)
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】流域面積[2083→2055.3]
【06当初→06最終】流域面積[2055.3→2083]
【06最終→07当初】河川名[木曾川→黒部川] 流域面積[2083→2082.3]
【07当初→07最終】河川名[黒部川→木曾川]
【08最終→09当初】堤高[53.4→53]
【09当初→09最終】堤高[53→53.4]
【12最終→13当初】本体施工者[大同電力直営→ダム事業者直営]

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堤高50mを超えるハイダム・大井ダムと水力発電

 大井ダムは、日本で初めて堤高50mを越えるダムともいわれることがあり、その建設は日本の電力王・福沢桃介の最大の事業であった。その大井ダムと水力発電について紹介します。
 内容は、水力ドットコムHisaさんの投稿を元に作成しました。
 
 岐阜県、木曽川水系木曽川に設けられている大井ダムは日本初の水力発電用高築堤ダムです。
 当時の大同電力(現在の関西電力の前身)社長、福沢桃介(福沢諭吉の孫で電力王の異名を持つ)により発案され、大正10年7月、蛭川、阿木川との合流点のすぐ上流において着工されました。

 初めて堤体高50mを越えるため米国より土木技術者を4名招きました。途中、資金不足に陥り米国より資金を調達して工事を続け、ダム及び発電所の総工費1952万円、延べ人数146万人もの莫大な人、資材を投入し、大正13年11月に竣工しました。幾多の苦難を乗り越えての完成で、我が国ハイダム技術の原点とも言うべきものです。

 大井ダムは、大井発電所で水力発電を行うための施設です。大井発電所は、大正13年12月に運用開始、当時の最大出力42900kWでした。



大井発電所全景
大正13年12月運用開始、当時の最大出力42900kW(現在は52000kW)。
右側に見える川に面して縦長の水門(ローラーゲート)が2基設けられている建屋は新大井発電所(最大出力32000kW)で、昭和58年4月に増設されたものです。
 




発電所と大井ダム
発電所と大井ダムの位置関係はこんな感じです。
大井ダムで取水された水は発電所建屋の奥に4本見える柱状のコンクリートの部分まで水路により導水し、水面までの落差約42mを利用し発電を行います。
 




大井ダムを下流右岸側より望む
一番手前は新大井発電所の取水門ですが以前はここもクレストゲートでした。
 




ダム直下の様子
洪水流量が非常に大きいため導流部は堤体全幅に及びます。
岩盤が非常に強固なためか減勢工がありません。
 




ダム天端より下流を望む
下流の橋脚の高さが洪水時の水位の高さを物語っています。
手前の放流口は新大井発電所のものです。
川幅が細く感じられますが水深が深いためで、大井、新大井の両発電所での最大流量は約225立方メートルもあります。
 




ダム湖の様子
恵那峡という観光名所になっています。
左端に写っているのは大井発電所の取水設備です。
(2004年12月作成、2005年10月修正)



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Let's visit a historical dam 
file.03 
大井ダム 「発電ダムのゴッドファーザー」

by  『THE SIDE WAY』 あつダム宣言!

所在地: 左岸 岐阜県恵那市大井町奥戸
右岸 岐阜県中津川市蛭川
ダム形式: 重力式コンクリートダム
堤高: 53.4m
堤頂長: 275.8m
竣工年: 1924年
目的: 発電
ダム事業者: 関西電力



大井ダムは木曽川水系で最初に造られたダムで、建設当時は世界級のビッグプロジェクトと呼ばれ大正13年(1924年)に竣工しました。重力式コンクリートの堤高は50mを超え、これも当時としてはほとんど類をみない高さでした。


 
 


写真左手(右岸)手前の大井発電所は大井ダムと共に福沢諭吉の養子である福沢桃介の手によるもので、日本初のダム式発電所です。

その奥は昭和58年に造られた新大井発電所であり、合計8万キロワットの電力を生み出しています。

 
 


今回はダム下流の大井発電所付近から見学させて頂きました。

見学コースを通ると、大井発電所の水圧鉄管が出迎えてくれます。

水圧鉄管から響くゴンゴンと言う重低音は、どこか心臓の鼓動の様にも聞こえます。

 
 


見学通路を登って行きます。ひんやりした空気と森の匂いがします。

振り返るとゲートが並ぶ堤体が見えます。

 
 


天端レベルまで登って来ました。

管理所前にある立派なモニュメントには福沢諭吉のレリーフと座右の銘「独立自尊」が刻まれています。

 
 


こちらは新大井発電所の取水口制水門の脇にあるモニュメント。

裏面には大井ダム建設に携った方々の肖像が埋め込まれています。福沢桃介氏も
右上におられます。

このモニュメントの側面にはちょっとしたサプライズがあるのですが、それは現地でのお楽しみにしておきます。

 
 


右岸からラジアルゲートが21門並ぶ壮観な堤体を望みます。

玉石コンクリートのざらつき感と骨材の鉄分が生む朱色のストライプが印象的です。

 
 


下流面の岩盤補強でしょうか、ごつごつと幾何学的な表情をしています。

しかも一つ一つのブロックが巨大です。

越流面も下ではレベルが揃ってなくジャンプ台がいくつも並んでいるかの様です。

ダムが好きな方々でも意見が分かれる部分ですが、個人的にはとても好きな部分です。

 
 


天端はトレッキングコースにもなっており開放されています。通路幅は1.2m位でしょうか。

外灯や高欄の装飾が素晴しいです。

手摺の曲線はアールヌーヴォー、外灯の台座の装飾は建設当時欧米でも最先端であったアールデコの影響を既に受けている様に感じます。

 
 


左岸に渡って来ました。

通路のフェンスで気が付きませんでしたが、天端ダム下流側も、巻上げ機と通路をはさみシンメトリーに外灯の台座や高欄が配置されています。

 
 


フェンス越しにラジアルゲートの巻上げ機を見学します。

ゲート自体は新大井発電所の工事と同じ時期に改修されていますので巻上げ機も新しい物と思います。

下流の風景は新大井発電所を除き、竣工当初とさほど変わらないのではないでしょうか。

しばしタイムスリップしたかの様な感覚を受けます。

 
 


大井ダムにより生まれた恵那峡は飛騨木曽川国定公園に指定されており、2005年にはダム湖百選にも選ばれています。

 
 


再び右岸に戻って来ました。

1番ゲートのピア付近のコンクリートを観察すると現在のダムの姿は竣工当初より何度かの改修を経ている事が確認できます。

大井ダムは、わが国の土木工事の金字塔であるだけでなく、日本の水力発電の偉大なる父でもあります。

土木学会選奨の日本の近代土木遺産、経済産業省の近代化産業遺産の指定を受けた大井ダムは、これからも幾度となく訪れてみたいダムでした。
(2009年9月作成)


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