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ダムの書誌あれこれ(68)
〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◇ 1. 福沢桃介の木曽川電力開発

 明治半ばに産声をあげたわが国の電力産業は、今日では、水力発電、火力発電、原子力発電などの発展により、巨大なエネルギー産業を構築し、文化、経済の大基盤を創っている。

 木曽川水系における「水力発電ギャラリー」のホームページをみてみると、幹川流路延長229q、流域面積9,100km2、河川数391、流域都道府県三重、愛知、岐阜、滋賀、長野、包蔵水力112億9,200万kwh/年(11,292Gwh)、発電用水水利権使用許可件数77、発電用最大使用水量872.351m3/sと記されている。このような電力開発は、福沢桃介が紆余曲折を経ながら、大正年間に木曽川の水利権を獲得し、電力開発を行ってきたことが、今日の電力エネルギーを生み出したといえるであろう。その軌跡を追ってみる。

 福沢(岩崎)桃介は、明治元年、現・埼玉県比企郡吉見町に生まれ、福沢諭吉の慶応義塾に学び、福沢家の養子に迎えられる。明治22年諭吉の次女房と結婚。北海道炭鉱鉄道株式会社に就職したが、肺結核を患い、入院。その後株投資で財力を蓄え、丸三商会を興すが、倒産。明治42年名古屋電燈(株)の取締役に就任、木曽川の水力開発の調査に着手、八百津発電所、賤母(しずも)発電所を完成させ、そして大同電力(株)の社長に就任後、須原発電所、桃山発電所、読書(よみかき)第一発電所、当時日本一のダムを誇る大井ダムを造り電力王となった。彼の水力開発の考え方は、一河川、一企業を貫いたことである。昭和3年電力事業界から引退し、昭和12年没する。70歳の生涯であった。

 その桃介の電力事業を陰、日向で助けたのは、女優川上貞奴であった。このことを小説化したのが、杉本苑子の『冥府回廊(上・下)』(日本放送出版協会・1984年)である。さらにこれらを原作として、昭和60年度NHK大河ドラマ『春の波濤』が、福沢桃介=風間杜夫、川上貞奴=松坂慶子、川上音二郎=中村雅俊、福沢房子=檀ふみ等の出演で放映された。


『冥府回廊(上)』
 

『冥府回廊(下)』
◇ 2. 桃介の木曽川電力開発史

 福沢桃介による大正時における木曽川の電力開発史について、三浦基弘・岡本義喬編『日本土木史総合年表』(東京堂出版・2004年)、鈴木靜夫著『木曽谷の桃介橋』(NTT出版・1994年)、関西電力(株)東海支社編・発行『木曽川紀行』(1987年)等により、次のように纏めてみた。


『木曽谷の桃介橋』

『木曽川紀行』
明治43年 桃介、名古屋電燈(株)の取締役となる
     木曽川水力の開発調査に着手
     八百津発電所の起工
  44年 日本における水力発電合計14.4万kW達成
大正元年 名古屋電燈(株)、1万kWの八百津発電所完成、名古屋まで43q、6.6kVで送電
     (昭和49年廃止、現在八百津発電所は郷土資料館に衣替)
  2年 第一次発電調査終了、2,233地点、
     342万kW
  3年 第一次世界大戦始まる〜大正7年
  5年 日本最長31路線300qの木曽森林鉄道開通(昭和50年廃止)
  7年 逓信省及び6地方逓信局に水力課設置
     第二次発電水力調査開始(〜大正11年)
     日本全体の発電設備100万kWを達成(水力60%、火力40%)
  8年 木曽電気興業、木曽川水系の景観に配慮した1.6万kWの賤母発電所完成
  10年 木曽電気興業、木曽川に1.21万kWの野尻発電所及び9,400kWの大桑発電所完成
     木曽電気興業、日本水力、大阪送電を合併して、大同電力株式会社を設立
     (現在の関西電力(株)の前身)、福沢桃介社長に就任
     名古屋電燈と関西水力電気が合併
  11年 大同電力、木曽川に1万kWの須原発電所完成、須原〜大阪間248qを15.4万kVで送電開始
     大同電力、読書第1発電所の資材運搬用として、木曽川に
     4支間、橋長248.8m、最大支間104.5mの吊橋・桃介橋完成
     福沢桃介、三浦ダムの調査に入る
  12年 関東大震災おこる
     大同電力、木曽川水系に2.31万kWの桃山発電所完成
     大同電力、木曽川水系に当時最大47万kWの読書第1発電所完成
     RCアーチで2連142.5mの柿其水路橋など完成
  13年 関東大震災で影響を受けた大井ダム建設に係わる資金を得るために、
     大同電力外債募集に、福沢桃介はアメリカに出張
     大同電力、岐阜県木曽川本川を締切り、大正期最大、大ダムの幕開けとなった
     大井ダム及び大井発電所を完成、堤高53.4m、堤頂長276m、4.8万kW、
     アメリカ人4技師を招き輸入した最新鋭施工機械を導入、ダムサイト上流に恵那峡が誕生
  15年 大同電力、木曽川に1.47万kW、堤高33.3m、堤頂長215mの落合ダム及び落合発電所完成
     木曽川水系7カ所16.78万kWを開発
 大正15年間に日本における水力発電197.6万kWを開発、
     明治44年における14.4万kWの13倍強に達する
昭和3年 福沢桃介、電力事業界から引退
  12年 福沢桃介永眠、70歳

◇ 3. 桃山発電所の建設

 上流から木曽川における水路式発電の桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所の建設について、社団法人日本動力協会編『日本の発電所(中部日本編)』(工業調査協会・1937年)より追ってみたい。

 桃山発電所は、長野県上松町大字萩原にあって、中央線須原駅から木曽川に沿って約4qの上流、海抜570mの位置にあり、大同電力(株)の木曽川筋の発電中最上流に位置する。河床勾配は約1/50に及び、この地点の上流には王滝川が合流し、水量は増加し、川幅も広くなり、また両岸相迫り岩石起伏し、鞍馬の渓、木曽の桟橋、寝覚の床などの景勝が続く。

 電力の送電先は、京浜方面、関西方面であるが、周波数は京浜方面50サイクル、関西方面は60サイクルであることから、この両サイクルの系統の連絡点として、両サイクルに使用できるように発電機結線、水車の構造などについて特に留意された。


『日本の発電所(中部日本編)』
 桃山発電所の諸元は、出力2.31万kW、有効落差79.545m、使用水量36.174m3/sとなっている。また堰堤は木曽川本流を直角に横断して築造されている。その長さは85.45m、天端幅3.6m、高さ5.75m、上流部法1分、下流部法3分、表面間知石張、内部1:3:6玉石混凝土を使い、水叩は12.0m、厚さ1.52m、表面間知石張、内部1:3:6混凝土を使い、最下部には径8分の鉄筋を縦心口0.45m、横心口0.91mに配列し、なお最下部には水叩より0.91m高く、長さ1.82mの面を築造し、これから下流12.73mに厚さ1.21mの木床を設け、その上部0.3mは1:3:6混凝土を充填してある。堰堤の上流部は掘削土砂に良質の粘土をまぜて搗きかため、長さ9.1mに間知石張として川床を安全にしている。

 さらに、桃山発電所の特徴について、次のことをあげている。
 堰堤の築造において、わが国で一般に採用されたS字型曲線式築造では、往々にして、その前面を破壊され、また、排砂門をつけてもなお、上流部には土砂が堆砂することがあることから、桃山発電所では、ドイツモルドー、エルベ河水路調査局において調査研究し、ブラグモルドーのヘルマーで実施されたものを基礎とした直線式築造法を採用し、その上流部に緩勾配を付し、流水の持ってきた土砂がここに堆積して、自然に一定の深度を保ち得るように設計している。この方法は当時ドイツを除いて他の欧米いずれの国にもその例がなくわが国において唯一のものであったという。

◇ 4. 読書第1発電所の建設

 読書第1発電所は、中央線三留野駅から木曽川に沿って下ること約2.2qの地点、長野県読書村字島田に、出力4.07万kWで、大正12年に完成した。着工前に、当発電所から223.9q離れた大阪市へ送電する計画が起こった。即ち木曽川筋において将来開発されようとする水力発電と、既存の発電の一部を合わせて、15.4万Vの送電線路を大阪方面に送電しようとするもので、大同電力(株)が初めて15.4万V長距離送電を行った特筆すべき歴史を有するものであった。主要発電機などを考慮して設置されている。また、この地域は木曽渓谷の景勝地であることから、その美観を損なうことなく、柿其水路橋は付近と調和するように拱橋とし、水槽余水路は天然の渓流を利用している。

 この発電所は、主として、上流の大桑発電所の放水及び阿寺川の水量1.67m3/sと柿其川の水量1.11m3/sをも取り入れ、常時23.1m3/sの水を使用するもので、その有効落差は112mである。

 木曽川本流に設置する堰堤は、長さ112.5m、高さ河床上4.267m、天端幅2.743mで、前面3分、背面1割の法となっており、表面は粗角石練積、内部は玉石入混凝土造で、前面には根固め張石、背面には水叩張石を施し、その左右端近くに幅2.438〜2.743m、深さ1.22mの缺口を2箇所設け、角落を装置して、流材の用に供し、右端に勾配6分、幅1.524mの魚道を設け、堰堤天端付近に放水を調節するための角落を設置している。

◇ 5. 賤母発電所の建設

 賤母発電所は、長野県吾妻村茅ヶ沢地先において木曽川を横断して堰堤を築き、取り入れ口を設けられ、それから隧道14、蓋渠5、開渠1、合計5,000mの水路により、41.74m3/sの水量を導いて同郡山口村字麻生の水槽にいたり鉄管3條と鉄筋混凝土管鉄管併用の1條とによって40mの有効落差を利用し、4台の水車発電機を運転して、1.4万kWの電力を発生させる。工期は大正6年〜8年であった。諸元をみてみると、堰堤は長さ140m、高さ3.8m、天端幅2.7m、前面法2分、後面法1割、割栗石入混凝土表面張石で、魚道は右端長さ22.3m、幅1.8mで、また流木路は溢水部の両側各1箇所幅2m、長さ1.5m、水叩幅9m、底部基礎割石混凝土張石、安全溢流量3.760m3/sとなっている。

 福沢桃介の電力開発事業において、第一次世界大戦、関東大震災により多大な打撃を受けている。大正6年賤母発電所第一期工事は大戦の最中であり、大正7年〜8年にかけて、物価の高騰、労力の不足、資材が集まらず、非常な苦労があった。

 また、水車類は、スウェーデンのボービング会社に注文していたが、折しもドイツ潜航艇の脅威にさらされ、機械類を積んだ船が出航したことは判明したものの、その後消息不明となり、何時水車が到着するかも見込みが立たず、やむを得ず日本製の水車を準備していたが、幸いにもこの船が奇跡的に難を逃れ無事日本に到着したと聞いた時は、この幸運を祝福したという。

 その当時の電力の需要は日増しに増加し、至る所で不足をきたしており、賤母発電所工事は昼夜兼行で施工され、2ヵ年で竣工した。

◇ 6. 落合ダムの建設

 さらに、落合ダム、大井ダムの建設について、前掲書『日本の発電所(中部日本編)』によりみてみたい。

 信濃と美濃の国境、木曽川がその渓谷を過ぎ、美濃平野に入ろうとするところで、落合川と合流する。この合流地点の下流150mの所(岐阜県恵那郡落合村字森ヶ鼻)に、落合ダムが大正15年に完成した。ダムサイトから上流4.5qの間を貯水池とし、ダムと相並んで左岸に取水口を設けこれから長さ222.6mの水路によって導水し、2條の鉄管により発電所に至る。この地点の水力に係わる諸元は次のとおりである。

 流域面積1,747.43km2、有効貯水容量153万m3、使用水量最大83.48m3/s、最小25.04m3/s、有効落差22.0m、出力最大14,740kW、常時4,570kWとなっている。

 取入堰堤の項で、以下のように記されている「堰堤は、溢流堰堤と貯水堰堤の二部より成り、何れも粗石入混凝土造重力型直線堰堤で河心に直角に築造されている。取入口堰堤付近の地盤は表面に土砂が堆積してあったけれども、その岩は全部斑晶質花崗岩より成り、断層その他地質上の弱点はなく、……堰堤築造にあたっては充分にモルタルグラウチングを施工した。その総延長は天端において215m、最高桟橋面から基礎岩盤まで31.52mである。溢流部の上には幅7.58m、水深6.06mの缺口18個を設けてある。堤の頂部を放物線状とし、これに深さ6.06m、幅7.58mの電動式鉄製テンターゲートを取付けてある。貯水面は、本流の水量の如何に拘わらず、常に貯水池堰堤頂面下3.34mに保たれるようになっている。貯水池内の土砂は主として、洪水時に流下することとし、その場合に堰堤テンターゲートを開扉する。」

 なお、落合発電所の1年間の総電力量は、約81,000,000kwhで、その一部は名古屋方面に、一部は犬山を経て大阪方面へ供給されている。ほかに1カ年約950,000kwhが地元の配電に充てられる、とある。その当時としては、重要なエネルギー電力であった。

◇ 7. 大井ダムの建設

 大井ダム(岐阜県恵那郡蛭川村字奥渡)の建設は、大正10年7月着工し、大正13年9月に竣工した、わが国初のハイダムで当時世の人々の注目を惹いた。だが、このダム工事期間中、洪水に遭い、さらに大正12年9月1日の関東大震災によって、一時工事に支障をきたし、大同電力(株)の資金不足が生じた。この時、福沢桃介は外資導入をはかった。その状況を杉本苑子の『冥府回廊(下)』によりみてみたい。

 「関東大震災は打撃だった。首都の壊滅によって景気は大幅に後退……。電力の需要が激減したばかりでなく、金融梗塞によって資金面にまでいちじるしく狂いが生じたのだ。大同電力はすでに大井ダムだけでも、一千万円を超す工費を投入してきている。完成までに、さらに莫大な資金を要するのは目に見えていた。いま震災の煽りをくらって融資の道が断たれることになれば、工事はストップせざるをえない。これまでの努力のいっさいが水泡に帰してしまう。どうしたらよいか?『外資の導入……。策はまだ残されていたぞッ』天啓さながら閃いた考えを、桃介はすぐさま重役会議にかけた。」

 アメリカに渡った福沢桃介は、招宴の席などでこんな挨拶を流暢な英語で、平気で述べたという。
 「アメリカ経済は世界最大の富強を誇っています。連邦準備銀行の金の保有額は、百二十億ドルにも及ぶと聞いていますが、だぶつきすぎるのもけっして良いことではありません。お国はいずれローマのごとく、金の毒素によって衰亡の道をたどることになりかねない。わたしは金を借りに来たのではなく、この毒素をわずかながらでも取りのぞきにまいったわけで、アメリカから感謝されてしかるべきだと自負しています」

 桃介の奮闘努力により、ニューヨーク市場で大同電力(株)の社債の売り出しが発表されると、忽ちその日のうちに完売し、さらに倍額の応募超過になった。

 大井ダムの建設について、『日本の発電所(中部日本編)』により、その諸元、施工特徴などいくつか挙げてみたい。

 大井ダムの必要性については、木曽川の勾配は読書、賤母発電所付近では約1/100であるが、大井ダム地点では1/280であり、他の多くの水路式発電所と組合わせるうえからも、調整能力があり、また即時に負荷に対応し得る発電所を要した、とある。

 大井ダムの諸元等をみてみると、次のとおりである。
 最大高さ基礎上42.4m、敷幅52.7m、堤頂長271.24m、その中央部159.09mは溢流堤とし、残りの部分は非溢流堤となっている。天端には有効幅員3.3mの通路を設け、溢流堤の頂部には、幅7.58m、高さ6.36mのテンターゲート21門を設けて、予想最大洪水量4,730m3/sになっている。
 流域面積2,060km2、総貯水容量2,780万m3、有効貯水容量1,113万m3、最大使用水量125.2m3、有効落差最大42.4m、出力42,900kW、工事費1,952万円、使役人員146万人(殉職者31人)であった。

 大井ダムの建設にあたって、以下のことが特に考慮された。
@ 下流に水路式発電所が在り、しかもその発電所は他の会社に属し、常時27.8m3/sの水を使用しており、もし大井発電所が普通に利用するとすれば、下流の発電所では水の不足を生じ、その既得権を侵害することとなる。それを防ぐために、最も適切有効なる貯水池の利用方法、さらに最も経済的な火力補給方法がとられた。
A 木曽川筋では、漁業があまり盛大でないことから、堰堤には魚道は設置せずに、堰堤上流に幼魚を放流してこれを補った。
B 流材については、当流域内の木材はすべて、汽車、電車、その他の軌條を利用して搬出されており、したがって流材の設備は設けなかった。
C 用水については、木曽川下流はいわゆる濃尾平野であり、古来より用水が発達しており、このため、木曽川最下流の水利地点を利用し愛岐水力の発電所として逆調整池を建設し、もって上流発電所の能力を充分に発揮させて、なおかつ下流に対しては、河川の自然流量を放流し、支障のないように行った。

 ダム工事の材料は、砂利25,600坪、大割石1,210坪、砂9,840坪、セメント228,700樽などである。工事の特徴を挙げてみる。
@ 技術者を海外からもとめ、アメリカのシーボー・スター・エンド・アンダートン会社から技術者を招聘し、竣工するまで現場に駐在させて、指導を受けた。
A また、国内の権威者の意見を聞くなど、工事の完全さについて充分な努力を払った。
B 一方諸材料、機械設備など大規模に設けた。
  国有鉄道中央線大井駅からダム現場の奥戸まで、諸材料運搬のため4.3qの軌道を敷設し、省線貨車を直接引込み出きるようにし、軌道終点をダム天端上高さ約30mの右岸平坦地に設け、その付近に事務所、諸倉庫、機械工場、修繕工場等を建て、ダムに至る間の傾斜面を利用して砕石、混凝土工場を設けた。

C 混凝土材料の砕石、砂利は主として付近の花崗岩の石山から取ったが、外に付近の川原の砂利を使用した。砂は最初山砂を使用したが、後には川砂を使った。これらの諸材料とセメントは絶えず厳重な試験を行い、一定の規格に合格したのを使用した。
D ミキサーは、ランソン式1ヤード練りのものを4台並行に並べて据付け、混凝土はガソリン機関車によってダム上部に設けられた鉄製トレッスルの上を運転し、シュートを利用して所定の位置に搬入。これは新しい試みであった。
E また、トレッスルに平行して容量6トンの索道2條を設けて玉石や型枠等の諸材料の運搬を行った。1ヵ月の最大混凝土の最大出来高は12,300m3にも達した。

 ダムは、関東大震災が起こった丁度1年後、大正13年9月に完成。新しいダム湖の誕生である。西尾実著『恵那峡物語』(大衆書房・1986年)は、大井ダム建設を背景として、桃介と貞奴のロマンスを描く。



『恵那峡物語』
◇ 8. 読書第二ダムの建設

 読書第二ダム及び発電所の建設は、大正12年に竣工した読書発電所の増設で、昭和35年に完成し、7万kWの発電が可能となった。この昭35年時には、読書ダムの外には、市房ダム(球磨川)、豊沢ダム、岩洞ダム(北上川)、平鍋ダム(奈半利川)、綾北ダム(大淀川)、田子倉ダム(只見川)、有峰ダム(常願寺川)などが竣工している。

 読書ダムは、長野県西筑摩郡南木曽大桑村野尻に位置するが、その建設については、関西電力(株)発行・編『読書第二発電所工事誌 事務・土木編』(1960年)があり、この書により、建設の経過、ダムの諸元、その特徴等に関し、追ってみたい。

 読書ダムの建設経過は、昭和31年計画調査を開始し、ダムの位置、発電所の位置と地下発電所の採用などについて、比較案が検討され、昭和33年初めに決定。昭和33年8月1日建設所が開設された。昭和33年9月25日土木本工事の請負業者の決定。水利使用、工事実施の許認可の関係で昭和33年11月16日に工事着手。昭和35年10月14日通水。完成した。

 ダムの諸元は、高さ31.6m、堤頂長293.8m(溢流部68.0m、非溢流部87.0m、止水壁138.8m)、堤体積7.614万m3、総貯水容量431.7万m3、有効貯水容量261.7万m3、使用水量最大73.0m3/s、常時27.65m3/s、有効落差最大使用水量時112.16m、出力7万kW、型式コンクリート造直線重力式溢流型である。起業者は関西電力(株)、施工者は間組である。


『読書第二発電所工事誌 事務・土木編』
 東正久建設所長は、『読書第二発電所工事誌』の発刊に際し、工事の苦労について、次のように述べている。
 「着工間もなく昭和34年2月の冬期洪水による堰堤仮締切堤の破損、その後伊勢湾台風と前後する十数次に及ぶ洪水被害、トンネル工事の落盤、肌落事故、水圧鉄管路竪坑地下発電所の掘削、機器搬入路入口の中央線の切替、地下発電所内機器据付と土建工事の工程等の工事上や、また工事区域が大桑、読書、吾妻の3カ村に渉り、営林局の諸施設、国鉄中央線、国道19号線関係等と用地、補償、国道国鉄森林鉄道の路体補強護岸、民家公舎の移転、漁業補償等事務上にも、関係者の心労はたえませんでした。」

 また、ダム施工の特徴については、「堰堤左岸止水壁の規模が割合に大きい、水路工事は圧力トンネル延長8,339m、平均掘削断面積35.57m2と掘削量も大きく、又施工方法が各請負業者で異なりその比較が大体出ている、水圧鉄管に初めて2H鋼を使用しこれを竪坑内に設置した。又地下発電所を採用し、発電機より屋外の主要変圧器迄相分離母線を採用した等であります。」と記している。

 なお、読書第二発電所は、黒部川第四発電所に次ぐ地下式発電所として、あらゆる点に技術の粋が結集したものである。

 以上、大正年間福沢桃介の電力事業に情熱かける姿と、昭和35年完成の読書第二発電所の建設を追ってみた。

[関連ダム]  落合ダム  大井ダム  読書ダム
(2010年10月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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