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日本人のみの手による我が国初のアーチダムとして、昭和32年に完成した鳴子ダム。 当時建設省が初めてアーチダムを設計するにあたり、「堤頂から放流水を自由落下させることは、堤体下流の洗掘や震動の問題が未解決」、「堤体に大きな孔や切り欠きを設けるのは、その応力解析をあいまいにするので避けたい」と考え、堤体下流面に沿って流下させる自由越流形式の洪水吐きと、地山に設置するトンネル式洪水吐きの、二本立てで洪水処理を行うこととしたのである。
堤体下流面を流れ下った高速の水脈はアーチ中心点に集中するため、エプロンにデフレクタを設置し、大流量時には河道に沿うように流向を変えて飛散させ、ダムから離れた地点に着水させるようにしている。 左岸地山に設けられたトンネル式洪水吐きは、地形地質の条件から平面的に湾曲しながら流れ下ったのちに水平となる複雑な線形となった。 これらの形状の決定にあたっては、デフレクタの形状と水脈の飛散状況、トンネル湾曲部におけるらせん流防止対策等について、数多くの試行錯誤的な水理模型実験が土木研究所で行われている。
日本人のみで初めてアーチダムを造るという挑戦の中で採用された珍しい形式の洪水吐きを持つ鳴子ダムは、融雪期には「すだれ放流」と呼ばれる美しい越流状況を見せ、訪れた人々を喜ばせている。
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