全項目表
 
ダム番号:1035
 
味噌川ダム [長野県](みそがわ)



ダム写真

(撮影:XE/S)
054091 Dam master
028576 灰エース
054115 Dam master
054130 Dam master
181231 田中創
148908 Dam master
148923 Dam master
140330 s_wind
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →ダム動画   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
標高日本一の多目的ダム?
___ 木曽川源流域に位置する。完成当時は既設多目的ダムとしては日本でもっとも高いところ(天端標高1130m)にあった。その後、琴川ダムができて、標高第2位に。
貯砂ダムには渓流魚に配慮した魚道
___
貯砂ダムは上流から河川によって運ばれる土砂をダム湖へ流入する前に貯留、定期的に堆積土砂を搬出することにより、ダム容量を保全。貯砂ダムの魚道はイワナ、アマゴなどの渓流魚に配慮したもの。
[写真]貯砂ダム、右側に魚道が見える
木曽の森林に囲まれる
___
木曽川源流。奥木曽湖は、木曽の森林に囲まれている。周囲には、水木沢天然林を始め、木曽ヒノキ、サワラ、ネズコ、ブナなどの森林が広がる。
平成日進の森林(もり)
___
木祖村と友好提携している下流の愛知県日進市が、上下流交流の一環として、分収育林事業を旧営林署、木祖村、林業組合と契約。毎年、育林活動を実施。32haあり、80年後に伐採し、日進7、営林署3の割合で分配する契約。平成13年10月に日本ダム協会の第21回ダム建設功績者表彰を受賞。
[写真]山腹の積雪部分が平成日進の森林(もり)
やぶはら高原ハーフマラソン大会
___
毎年7月に「やぶはら高原ハーフマラソン大会」が開かれる。5km、10km、ハーフの3コースあるが、ハーフは、こだまの森をスタートし、奥木曽湖を一周、こだまの森に戻る日本陸連公認コース。木曽の涼しい風と駒ヶ岳の眺めは最高だとか。平成16年には、7月18日に第18回が開かれた。
[写真]ダム天端を走る
テーマページ ダムを撮る
ダムの書誌あれこれ(65) 〜長野県・味噌川ダム 〜
ダムインタビュー(40) 唐澤一寛さんに聞く 「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」
文献にみる補償の精神【6】 「木の見返りに米をあたえる」(味噌川ダム)
第2回 D-shot contest 受賞作品
野生動物がダムと共生(味噌川ダム)
このごろ 味噌川ダム点検放流見学レポート
ダムカードで知る味噌川ダム
味噌川ダム管理20周年記念木曽川さみっと IN きそむら 開催速報
左岸所在 長野県木曽郡木祖村小木曽  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯35度58分36秒,東経137度46分12秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  奈良井(6km)

河川 木曾川水系木曾川
目的/型式 FNWIP/ロックフィル
堤高/堤頂長/堤体積 140m/446.9m/8900千m3
流域面積/湛水面積 55.1km2 ( 全て直接流域 ) /135ha
総貯水容量/有効貯水容量 61000千m3/55000千m3
ダム事業者 水資源開発公団一工
本体施工者 間組・飛島建設・不動建設
着手/竣工 1973/1996
ダム湖名 奥木曽湖 (おくぎそこ)
ランダム情報 【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(H17.3.16公表)
【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2004)
カワウ、アオサギ、マガモ、カルガモ、ホシハジロ、カワアイサ、ハチクマ、トビ、ツミ、ハイタカ、ノスリ、クマタカ、キジ、ヤマドリ、ウミネコ、キジバト、アオバト、ジュウイチ、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、コノハズク、ヨタカ、アマツバメ、ヤマセミ、カワセミ、アオゲラ、アカゲラ、コゲラ、ツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ビンズイ、ヒヨドリ、モズ、カワガラス、ミソサザイ、コマドリ、コルリ、ルリビタキ、ジョウビタキ、トラツグミ、クロツグミ、アカハラ、シロハラ、ツグミ、ヤブサメ、ウグイス、メボソムシクイ、エゾムシクイ、センダイムシクイ、キクイタダキ、キビタキ、オオルリ、エナガ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、メジロ、ホオジロ、カシラダカ、アトリ、マヒワ、ハギマシコ、ベニマシコ、ウソ、イカル、スズメ、コムクドリ、ムクドリ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス
【ダムの歌】「水の旅」 作詞:岩原健一 作曲:鉄崎幹人 編曲:鉄崎幹人 歌:鉄崎幹人。 味噌川ダム完成10周年を記念して、平成18年に行われた「木曽川さみっと」を前に、歌詞を一般募集、地元の岩原健一さんの詩が選ばれ、下流地域の愛知県の鉄崎幹人さんが作曲。
【ダム工事年表】仮排水路(1982.11〜1984.2) 本体掘削(1983.3〜1986.7) 本体打設/盛土(1986.8〜1993.6)
【ダムカード配布情報】2024.8.2現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver2.0
○味噌川ダム管理所 9:00〜17:00(土、日、祝日を含む)管理所玄関のインターホンを押して下さい
ダムカード画像コレクション
味噌川ダム Ver.1.0 (2007.07)
[協力:さんちゃん]
味噌川ダム Ver.1.1 (2007.07)
味噌川ダム Ver.1.2 (2009.12)
[協力:mayuno]
味噌川ダム Ver.1.2 (2009.12)
味噌川ダム Ver.2.0 (2016.11)
リンク Dam master・味噌川ダム
DAM Photographer・さて、先週末は・・・(その2)
DAM Photographer・雪が見たいので・・・
DAM-goodfellows・味噌川ダム
DamJapan・味噌川ダム
DamJapan・味噌川ダムその2
Damnist・味噌川ダム
Dam's room・味噌川ダム
Damstyle・味噌川ダム
THE SIDE WAY・味噌川ダム
ウィキペディア・味噌川ダム
おぼえがき・味噌川(みそがわ)ダム
だむ†ほりっく・味噌川ダム
ダムカード(水資源機構)・味噌川ダム
ダムどら・味噌川ダム
ダムペディア・味噌川ダム
ダムマニア・味噌川ダム
ダムマニヤ倶楽部・味噌川ダム
ダム好きさん【味噌川ダム】
ようこそ味噌川ダムホームページへ(水資源機構味噌川ダム管理所)
週末はダムに居るかもね♪・味噌川ダム
水力ドットコム・奥木曽発電所
雀の社会科見学帖・味噌川ダム見学 その1
参考資料
■<カメラルポ>建設すすむ阿木川・味噌川ダム
【ダム日本 No.464(S58.6)】
■味噌川ダムのブランケットグラウチングについて 水資源開発公団味噌川ダム建設所 ダム工事課長 高 橋 征 夫
【第21回ダム施工技術講習会(S62.07.16)】
■味噌川ダムのブランケットグラウチングについて:高橋征夫
【ダム日本 No.519(S63.1)】
■味噌川ダムの施工と盛立材品質管理について 水資源開発公団味噌川ダム建設所 所長 中 込 武 史
【第29回ダム施工技術講習会(H03.07.17)】
■味噌川ダムの施工と盛立材品質管理について:中込武史
【ダム日本 No.566(H3.12)】
■【環境保全対策シリーズ】 味噌川ダム建設工事における環境保全対策の一例 −貯水池内に設けられた貯砂ダムに付帯する魚道について−/村尾浩太・為沢長雄
【ダム日本 No.585(H5.7)】
■【カラーグラビア】写真で見る味噌川ダム
【ダム日本 No.593(H6.3)】
■水資源開発公団『味噌川ダムが竣功』
【ダム日本 No.623(H8.9)】
■味噌川ダムの施工と試験湛水について 水資源開発公団味噌川ダム建設所管理課長 小野寺 直
【第40回ダム施工技術講習会(H08.11.14)】
■木祖村の地域おこしと味噌川ダム 長野県木曽郡木祖村長 武重善博
【第44回水源地問題実務講習会(H09.02.27)】
■味噌川ダムの施工と試験湛水について / 小野寺 直
【ダム日本 No.629(H9.3)】
■【水源地域ビジョ ン】 木曽川源流の里<味噌川ダム>/渡辺 稔・川出孝明
【ダム日本 No.700(H15.2)】
関連書籍 ■水資源開発公団味噌川ダム建設所 『味噌川ダム工事誌』 水資源開発公団味噌川ダム建設所 1996
■水資源開発公団味噌川ダム建設所 『源流に歴史をきざむ (味噌川ダム竣工記念誌)』 水資源開発公団味噌川ダム建設所 1996
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[木曾川→白岩川]
【07当初→07最終】河川名[白岩川→木曾川]
【11最終→12当初】堤頂長[447→446.9]
【12最終→13当初】本体施工者[間・飛島・不動→間組・飛島建設・不動建設]

■ このごろ (抄) → このごろ目次
味噌川ダム点検放流見学レポート

 
5月14日(土)に長野県木祖村にある味噌川ダムで行われた、『洪水吐ゲート点検放流』を見学してまいりました。



今回の点検放流は『味噌川ダム管理開始20周年』に併せて行われ、
・水資源機構さまによる記念品(記念シール貼ダムカード・バッジ)配布
・長野県企業局さま協力による 奥木曽発電所の見学会
・地元商店さまによるダムカレー・ダムクッキーの販売
等がありました。


ダムカレー
 ・・・→ 全文はこちら
(2016.5.25、ダムマイスター 03-046 佳)


■ このごろ (抄) → このごろ目次
ダムカードで知る味噌川ダム

 
 味噌川ダム(長野県)で、去る5月14日洪水吐きゲートからの点検放流が行われました。ゲートの点検は、これまでにも定期的に実施されてきましたが、ダム湖側の予備ゲートを下して行なってきたため放流は見られませんでした。今年は予備ゲートを使用せず、はじめて放流を伴う点検を行うことになりました。また、管理開始20年を記念して、特別のシールが貼られたダムカードも配布されました。


味噌川ダム管理開始20周年


==== ( 中 略 ) ====


2.ダムカード

 水資源機構が管理する味噌川ダムでは、2007年「森と湖に親しむ旬間」のダムカードファーストラインナップ登場時から配布されています。初回配布Ver.1.0(2007.07)の裏面を見ると、ランダム情報に『(天)端標高EL.1130.00mは、国内の多目的ダムで第1位を誇る。』と記されています。


ダムカード裏面Ver.1.0(左)とVer.1.2(右)

 現在、味噌川ダムでは、Ver.1.2(2009.12)のものが配布されています。この最新のカードのランダム情報には、『天端端標高EL.1130.00mは、国内の多目的ダムでは第2位。』となっており、順位が変動したことがわかります。1位と2位では、大きな差がありますが、「第1位」から「第2位」に変更されたのは誤植を修正したものではありませんでした。
 その理由は、2008年3月に天端標高1,464mを持つ琴川ダム(山梨県)が誕生したことによるものです。それまで、多目的ダムとしては国内で最も標高の高い位置にあった味噌川ダムは琴川ダムにその地位を渡し、国内2位となってしまいました。しかしながら、その後も、このダムが木曽川最上流部のダムとして大活躍していることに何ら変わりはありません。


味噌川ダム

 いずれにせよ、想像を絶するような場所にダムがあって、私たちの生活基盤を支えているのです。新しく国内第1位となった琴川ダムは、東京スカイツリーを2本縦に重ねた高さよりも、はるかに高い天空に位置しています。私たちは、なぜそのような過酷な環境にダムを建設せざるをえなかったのか、またその目的や役割について正しく理解してゆかなければなりません。


琴川ダム(撮影:萃香)
 ・・・→ 全文はこちら
(2016.5.26、ダムマイスター 01-024 安部塁)


■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

ダムインタビュー(40)
唐澤一寛さんに聞く
「人にものを頼もうとする時は、こちらも誠意をもって付き合わなければいけない」

味噌川は、未曽川


味噌川ダム(撮影:Dam master)

中野: 味噌川ダムの名前には由来があるそうですが、どのようなものでしょうか?

唐澤: ダムというか味噌川そのものの名前ですね。今はダムから伊勢湾まで一本通して木曽川と呼ばれていますが、鉢盛山から流れ出た小さな川が木祖村の小木曽というところで笹川と合流します。それが味噌川です。古くは木曽川を「曽川」と言ったことから、源流地域では「未だ曽川でない」という言い方があり、それで「未曽川」と言っていたらしいのですが、いつの間にか「味噌」の字になっていったという説があります。一方で、川の水が「味噌のように濁るから味噌川」だという説もありますが、昔は尾張藩が厳重に監視して大事にしていた山ですから、そういう濁りの言い伝えは疑問に思われます。
中野: 味噌川ダムは、日本一標高の高いところにある、木曽川最上流のダムということですが、いくつもの町の水源になっていると聞きました。

唐澤: 味噌川ダムは昭和46年に予備調査が始まり、昭和57年に着工しましたが完成は平成8年で、およそ24年の歳月がかかっています。完成当時は、標高日本一でしたが、今は山梨県の琴川ダムに抜かれて二位です。琴川ダムは標高1,464mで味噌川ダムは1,130mです。総貯水容量は、およそ6100万tということで、諏訪湖とだいたい同じです。それでも徳山ダムの1/10程度です。
 この水が、どこの水源になっているかというと、愛知県と岐阜県、それと名古屋市が水道用水の水利権を持っており、さらに愛知県は工業用水も取っています。水道用水としては、愛知県内では9市2町(名古屋市、瀬戸市、春日井市、刈谷市、東海市、大府市、高浜市、尾張旭市、長久手市、日進町、東郷町)岐阜県内では5市(中津川市、恵那市、瑞浪市、土岐市、多治見市)が水道に利用していて、毎日およそ385万人に水道を供給していることになります。


中野: ダム周辺の自然環境についてはどうでしょうか?クマタカの営巣地などもあるということですが、ダムが出来てからも自然は守られていますか。

唐澤: 味噌川ダム周辺は、木曽の山々に囲まれた豊かな自然がいっぱいで、クマタカなど稀少種といわれるさまざまな動植物が生息しています。味噌川ダム管理所では、クマタカの行動を観察し、経年的な繁殖の有無などを把握することを目的として、クマタカ調査を行っています。クマタカは経年で確認されていて、今は2ペアの繁殖が確認されています。猛禽類にとって良好な森林環境が維持されています。

中野: ダム湖に流入する川には、貯砂ダムが設けられているそうですが、他に特徴のある施設ありますか。

唐澤: 貯砂ダムは、流入河川によって運ばれる土砂がダム湖へ流入する前に貯留させる施設です。貯砂ダムには魚道が設置され、ヤマトイワナ、アマゴ等の渓流魚が自由に移動できるようにしています。また、貯水池にある取水塔は表面取水方式を採用していて、表面の暖かく澄んだ水を取水して下流に流すようにしています。

ダムの水は、多くの人の水道に

中野: 以前、牧尾ダムが渇水になった時に、味噌川ダムから放流して助けたことがあったと聞きますが、どういうことですか?

唐澤: それは、まだ味噌川ダムが完成する前だったと思います。水が溜まる前に放流したので、確か一年ほど竣工が遅れました。味噌川ダムが出来てからは、名古屋市は渇水で水道に困るということは全くないと言っても過言ではないと思います。下流域では何年かに一回は渇水を起こして苦労してくれた方が上流の有り難味がわかるのではないかと思ってもみますが。ダムがなかった頃は水の心配をするが、ダムが出来てからは、いつでも水が出てくるのが当たり前になってしまい、水の有り難さを感じることがなくなってしまうので、いろんな地域の人と交流することで、木祖村はこういう村なのだということを知ってもらい、毎日自分たちが飲んでいる水が木祖村から来ているということを解ってもらうのが大事だと思っています。

商工会の付き合いから自治体の提携へ

中野: 交流ということで、日進町(現在は日進市)との事が知られていますが、それはどういうきっかけからでしょうか?

唐澤: まだ日進町ですから昭和50年代のことです。日進町は名古屋市のすぐ隣でベットタウンとして発展しており、どんどん大型店が入ってきたので、町ではどういう街づくりをしていくか商工会の青年部の人たちは悩んでいました。

 一方木祖村の青年部もなかなか村の地域再生のきっかけがつかめなくて悩んでいました。それが、たまたま商工会の付き合いを通じて会ったということで、同じような悩みを持つもの同士が意気投合して、付き合いが深まったと聞いています。それで、商工会同士で平成元年に提携して、民間同士が仲良くなっていきました。当時の青年部にいた者が、なかなかのやり手で、彼に引っ張られるようにして、村も日進町に行くようになり、平成4年には自治体同士が友好提携を結んだのです。


 ・・・→ 全文はこちら
(2012年8月作成)



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文献にみる補償の精神【6】
「木の見返りに米をあたえる」(味噌川ダム)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」は、米アカデミー賞・長編アニメーション賞、独ベルリン映画祭金熊賞を受賞し、2340万人を魅了した。あれから3年、今秋「ハウルの動く城」が人気を呼んでいる。平成10年に上映された「もののけ姫」もまた、その当時話題を投げかけたシネマである。この「もののけ姫」は室町時代、屋久島を背景としている。森林を破壊しながらタタラ工場で武器をつくるエボシ。山犬に育てられた少女サンが森林を守るためにエボシと闘う。そのサンを優しく見守り、援けるアシタカの活躍を描く。古代から人間は自然を開発することによって暮らさざるを得なかった。このシネマは、森林を開発する側と開発される側との拮抗物語であり、自然界と人間界とが対峙する永遠のテーマでもある。しかしながら、今日では、市民や漁師たちが山に木を植え森林との共生が図られる時代となってきた。

 よく、森林は水を育てるといわれる。雪や雨が降ると、森林の腐葉土を通した豊富なミネラル分を含んだ水が川に流れだし、やがて海へ注ぎ、汽水域では魚介類を育む。汽水域では植物プランクトンの大量発生により、漁獲量が増える。森は海の恋人と呼ばれ、その仲立ちを行うのが川であり、まさしく森と川と海は密接に繋がっていることが分かる。

 宮城県船形山のブナ原生林の水がおいしい良質な米をつくり、岩手県室根村の森林水が大川を流れて気仙沼湾の牡蠣、帆立貝、昆布を育てる。そのために漁業関係者は市民と協力しながら、室根山に木を植えつづけている。また昔から富山湾の漁師は「ブナ一本、ブリ千匹」と言っているように、富山県立山連峰の雪が寒鰤を育てる。 

 このような森と川と海の関係について、柳沼武彦著『木を植えて魚を殖やす』(家の光協会・平成5年)、松永勝彦著『森が消えれば海も死ぬ』(講談社・平成5年)、畠山重篤著『日本<汽水>紀行』(文藝春秋・平成15年)に論じられている。

 昭和48年、日本でも有数な森林地帯である木曽川水系木曽川の長野県木曽郡木祖村小木曽地点に味噌川ダムが建設されることになった。堤高 140m、堤頂長446.9 m、堤体積 890万m3、総貯水容量6100万m3の中央土質しゃ水型ロックフィルダムで、起業者は水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)である。補償の概要は取得面積 276.8ha、水没家屋はなく、公共補償、漁業補償である。取得面積のうち91.4%が山林で、 253haの山林は国有林、組合林、村有林で占められ、当時の用地担当者は国有林等の補償、ダム掘削土による土捨場用地に係わる補償、地域振興対策等に苦労されている。
 この当時木祖村の村長であった日野文平著『源流村長』(銀河書房・平成元年)には、味噌川ダム建設に係わる村の真摯な対応が綴られている。この書に、昭和55年4月21日の中日新聞記事「古文書生き返る、あるダム補償 尾張方式で援助」が転載されており、ここに日野村長の「補償の精神」を読みとることができる。

 五十三年二月のことである。木曽最上流部の「味噌川(みそがわ)ダム」=長野県木曽郡木祖村の実地調査をしていた水資源開発公団に、地元・木祖村の日野文平村長が、たまりにたまったうっぷんをぶちまけた。
  〔村長の一言で愛知県動く〕
「水をもらう愛知県は、地主にあいさつもせんで大工を送り込むのか」
 怒りを伝え聞いて愛知県の幹部が、初めて現地にすっ飛んできた。体育館の落成の日でもあったが、村長はモーニングに威儀を正して(?)愛知県との初交渉に臨んだ。
 「名古屋の衆は、木曽の水を持ってって水洗便所を使う。しかし、木曽に水洗便所はほとんどないんですぞ」「昔、尾張藩は、木曽のヒノキを守る私らに年間一万石の米をくれていたことを知ってなさるか」
 ダム建設に伴う上流部と下流部の宿命的な利害の対立は、数え切れない。が、きわめて複雑な状況といわれた味噌川ダムの場合は、この村長の一言から劇的な展開を繰り広げていった。
 木祖村の中心・藪原から、山道をジープで三十分。村の名前の通り「木曽の祖」ともいえる木曽川の源流点近くがダム建設の現場である。周辺の民有林、村有林約百五十haが湖底に沈む計画を知らされた当初、村人たちの心には複雑なキ裂が走った。
 まず、補償の実態を調べていた関係者は、現行法規をみてガク然とした。水源地域対策特別措置法では「水没農家三十戸以上または水没農地三十ha以上」が補償の基準で、家屋も農地もない味噌川ダムは適用外だったのである。
 法の基準に達しない地域を救う「水源基金制度」(東海三県と名古屋市で設置)でも、長野県が加盟していないため、木祖村への補償・援助はダメ。「そんなバカな」「先祖代々守り育ててきた森林を、むざむざ沈められてたまるか」・・・。
 が、どんなに調べても、公団からの直接補償以外、木祖村への見返りは制度的に何もないのが実情だった。愛知県が「地主にあいさつもせんで大工を送り込んだ」のはまさにこの理由からだったが、村の人たちからは当然のように不満がわき上がった。「こんな状態で名古屋がそんなに水がほしけりゃ、濃尾平野に池を掘れ」とまで言い切ってうやむやな法や制度に率先して挑みかかったのは、元陸軍少尉の熱血漢、日野村長自身だった。
  〔木の見返りに米をあたえる〕 
 郷土史を調べる・・・。信州・木曽地方は江戸時代、ずーっと尾張藩に属した。明治になっても一時、名古屋県の所管になっている。
 なぜか。理由は木である。御岳のすそ野に広がる広大なヒノキの天然材は、木曽川を下って熱田・白鳥(名古屋市)の貯木場に集められ、江戸城、名古屋城とその城下町、伊勢神宮など中世・近世日本の重要な拠点を造り続けてきたのだ。 
 尾張藩はここを直轄地とし「木一本、首ひとつ」の過酷な林政をしいた。が、古文書はまた、その見返りとして尾張が木曽に年一万石の米を与えていたことも示していた。その米の一部は尾張藩の命で伊那地方から送り込まれたとか。だから伊那節の中にも〃木曽へ木曽へとくり出す米は 伊那や高遠のなみだ米(余り米ともいう)〃とある。
 「これだ!」。こぶしを握りしめた村長は、冒頭に紹介した愛知県との最初の交渉から、この歴史的事実をぶつけていった。
 「三百年も昔に、上流と下流はギブ・アンド・テークの関係を持っていたんですぞ」「木が水に代わっただけ。法や制度を乗り越えてこそ、真の交流が出来るんじゃないか」
 村長が提出した木と水の膨大な古文書は、愛知県の仲谷知事の手元に届き、難航していたダム問題は一気に解決の糸口を見いだした。昨年五月、同県は木祖村への制度外援助を歴史的事実に基づいて了承、仲谷知事と西沢長野県知事とのトップ会談で最終的合意に達した。

 このように藩政期から木曽川源流域の人々は木曽の森林を育成し、このことが現代では下流域に良質な都市用水の供給となっている。山奥での過酷な労働の対価として尾張藩は、「木の見返りに米をあたえてきた」という史実は、上下流域の人々との共存共栄の補償の精神に繋がるものである。日野村長はこの補償の精神を強く主張され、仲谷愛知県知事の心を動かし、実際にダム建設促進の起爆剤となった。この地域振興対策はを尾張藩方式と呼ばれており、その方式について、味噌川ダム建設所編・発行『味噌川ダム工事誌』(平成8年)から追ってみる。

 昭和52年9月財団法人木曽三川水源地域対策基金が設置され、昭和57年12月味噌川ダムに対する基金事業が議決された。これを受けて、味噌川ダム対策基金46億円のうち木祖村分として基金対象額23億円となり、ほとんどの額を愛知県が負担した。

 昭和57年度以降林道、農道、灌漑排水事業が施行され、木祖村小学校の改築、簡易水道、消防施設、保健センターの建設がされた。さらに、スポーツ、レクリエーション施設として、野外緑地広場、テニスコート、体育館が設置されている。

 これらの設置はすべて村民のための公共施設であり、山間地木祖村(面積 140km2、人口3600人)にとっては、村の発展につながる社会資本基盤の充実が図られた。また村は日本一のキャンパス枠の画材の生産を誇り、デザイン室も設け、「日曜画家の村」として著名であり、絵を描く人たちにとっては理想の村である。

 完成後8年を経過した。今では、味噌川ダムはダム地点の計画高水流量 650m3/sのうち、550 m3/sの洪水調節を行い、流水の正常な機能の維持を図り、都市用水として、愛知県、名古屋市、岐阜県に対し、合計4.30m3/sを供給可能ならしめ、下流域における都市の発展に寄与している。さらにダムの放流水を利用し、長野県は最大4800kwの発電を行い、その効果を十分に発揮している。


味噌川ダム(撮影:XE/S)
 終わりに、繰り返すことになるが、日野文平村長の「木の見返りに米をあたえる」の発想から「水の見返りに木祖村の発展を」という補償の精神は、まさしく森と川と海が一体であることを物語っている。味噌川ダムは、水源地域対策特別措置法の指定がなく、その代わりに木曽三川水源地域対策基金が大きな役割を果たした。この基金を受けて、日野村長の補償の精神が生かされ、木曽川上流域と下流域の人々の共生といえる共存共栄がなされた。日野村長の「補償の精神」とは共生の信条であったといえる。

 海の幸が山からの授かり物であることを認識させるスルメやコンブが、木曽の山々の神社や祠に奉納されている。このことは日本全国の山々で見られる光景であるが、その根底には森の恵みに感謝し、森と川と海との共生が図られていることの実証を表している。

  森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの 愛紡ぎゆく
                            (熊谷 龍子)

(2006年2月作成)



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野生動物がダムと共生(味噌川ダム)

 味噌川ダムの周辺は、ダム湖を含んで自然が残り、そこに多くの野生動物が生息しています。その一部を紹介します。作成に当たっては、独立行政法人水資源機構味噌川ダム管理所にご協力いただきました。
 
■クマタカ
 クマタカは、山地に住む希少な猛禽類。日本では、北海道から九州にかけての亜高山から低山の森に生息している。全長は、オス72cm、メス80cmで、翼開長は、140〜165cm。

 味噌川ダム周辺にもクマタカのツガイが生息している。1999年春に雛が生まれ、雛は、豪雪の冬を無事乗り切り、大きく成長し、時々親子で飛んだり餌探しをするなど、ダムのある環境と共生している。
 写真は、巣で親からもらった餌(ネズミ?)を食べる幼鳥。2000年7月撮影。


■ハクビシン


 ハクビシンは、ジャコウネコ科の哺乳類で、タヌキと間違えやすいが、むしろネコ科やイタチ科に近いと考えられている。頭から尻までの長さは60〜65cm程度。日本にもともといた動物ではなく、外国から移入された動物と考えられていて、もともとの分布地域は、中国西部から東南アジア、海南島、スマトラ、ボルネオ、台湾など。日本での分布は、年ごとに拡大してきており、ほぼ北海道から九州まで見られる。

 写真は、ダムの堤体上を歩くハクビシン。しっぽが長い。
■ニホンカモシカ


 カモシカ属のなかでも最も原始的な種といわれる。日本の本州、四国、九州の山地に分布。特別天然記念物。 おとなで頭胴長100〜115cm、こどもは約35cm。移動を行わない定着性の動物で、それぞれがなわばりをもって、ふつう群れをなさず単独で行動する。
■ツキノワグマ


 世界には 5属 7種のクマがいるが、ツキノワグマはその一つで、アジアからロシアにかけて広く分布する。日本では、本州より南に分布するが、九州ではすでに絶滅したと考えられ、四国でも絶滅が心配される状態になってる。絶滅危惧種。体長140〜160cm 。子育て中の親子以外は単独生活をする。雑食性で、普段は植物の新芽や木の実などの植物性のものを食べている。冬期には樹洞、岩穴、土の穴などに籠もって冬眠する。雌は冬眠中に一頭か二頭の子を産む。

 味噌川ダム周辺にも時々出没する。山へ入るときはクマ鈴などの使用を。
■ノウサギ


 日本固有種。平地から亜高山帯までの森林・草原に棲息する。頭胴長45〜55cm。葉、芽、樹皮などの植物性のものを食べる、やさしい性質の動物。棲息地域により、冬に毛が白くなるものとならないものがいる。

 写真は、ダム周遊道路にいたノウサギ。道路に出てくることも多いようだ。
■カケス


 日本全国に分布する。褐色の体に、羽の一部にきれいな青。黒い色をしていないが、カラスの仲間。ジェーッという声のほかに、ほかの鳥の声や物音のまねた声も出す。

 味噌川ダム周辺でも頻繁に見かける。飛んでいる時の羽の青色がとてもきれいだ。
■ミサゴ
 ワシタカ科の留鳥。北半球全体に広く分布し、日本では沖縄を除いてほぼ全国的に繁殖している。海岸部に多いが、冬期、内陸部の河川や湖沼にも広く出現する。全長オス54cm、メス64cm。停空飛翔した後、飛び込んで魚をとらえる。

 味噌川ダムでは、2002年10月末から11月中旬にかけて飛来し、ダム湖の奥木曽湖に生息するイワナを捕獲し食べていた。2003年は、5月頃からダム周辺で時々見かけた。


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(2004年9月作成)


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