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ダムの書誌あれこれ(65)
〜長野県・味噌川ダム 〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◇ 1. 森は海の恋人

 よく、森林は水を育てると言われる。雪や雨が降ると、森林の腐葉土を通り、豊富なミネラル分を含んだ水が川に流れ出し、やがて海へ注ぐ。森と川と海の繋がりとその役割について、次の書から考えてみたい。

 長崎福三著『システムとしての〈森−川−海〉』(農山漁村文化協会・平成10年)には、森林、河川、海は水という「血液」を通じて繋がっている身体のようなものであり、具体的な例として、屋久島における魚付林の効用を論じる。屋久島はスギ、イスノキ、ウラジロガシの森林に覆われ、年間平均4,000oの大量の降雨量は、大小40河川に分かれ十数qの陸地を滝のように流れ海に注ぎ、この海域には多くの種の魚、特に浮うき魚うおの産卵が多く、屋久島全体の森林は魚の棲息、繁殖用の魚付林の役割を担っていると主張する。さらに、松永勝彦著『森が消えれば海も死ぬ−陸と海を結ぶ生態学』 (講談社・平成5年)のなかに、「森林は天然のダムであり、洪水を防ぎ、河川の水量をできるだけ一定に保つ重要な役割を持っている。また森林は川を通して海のプランクトンや海藻を増やす栄養素を海に運び、食物連鎖によって魚介類を増やす機能もある。河川の恩恵を受けて生い茂った海藻(海中林)は産卵や稚魚の生育場となっている」と論じる。このような森と川と海における水の循環、物質循環という自然の摂理の不思議さを感じるとき、熊谷龍子氏の歌を想い出した。

 〈森は海を海は森を恋ながら悠久よりの愛を紡ぎゆく〉

◇ 2. 味噌川ダムの諸元

 昭和46年、日本でも有数な森林地帯である木曽川水系味噌川の長野県木曽郡木祖村小木曽地点に味噌川ダムが建設されることになり、平成8年に竣功した。ダムの諸元をみてみると、堤高140m、堤頂長446.9m、堤体積890万m3、ダム天端標高EL.1,130m、流域面積55.1km2、湛水面積1.4km2、サーチャージ水位EL.1,122.5m、総貯水容量6,100万m3、有効貯水容量5,500万m3、型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダムである。

 また、貯砂ダムが設けられており、その諸元は堤高14.6m、堤頂長55.5m、堤体積5,460m3、堤頂標高EL.1,113.1m、計画貯砂容量10.8万m3、型式は重力式コンクリートダムである。

 ダム湖は奥木曽湖と名づけられ、起業者は水資源公団(現・独立行政法人水資源機構)、施工者は間組・飛島建設・不動建設共同企業体で、事業費は1,612.51億円を要した。

 水没関係町村は木祖村一村で、主なる補償は土地取得面積276.8ha、移転家屋はなく、公共補償、漁業補償である。取得面積のうち92%約253haは山林で、国有林、組合有林、村有林で占められ、国有林等の補償、ダム掘削土石に対する広大な土捨場用地の確保、地域振興対策に苦労している。

◇ 3. 味噌川ダム建設の原動力

 ダム建設ではダムを建設される側とダムを建設する側との確執が必ず生じるものである。また水を供給する側の上流部地域と水を使用する側の下流部地域の対立もある。

 これらの難題は度重なるコミュニケーションによって、解決に向かうものであるが、当時の木祖村の村長であった日野文平著『源流村長』(銀河書房・平成元年)に、味噌川ダム建設に係わる村の真摯な対応が綴られている。それは昭和55年4月21日の中日新聞記事「古文書生き返る、あるダム補償尾張藩方式で援助」が転載されており、この日野村長の発想が味噌川ダム建設の原動力になったといえる。

 五十三年二月のことである。木曽最上流部の味噌川ダム=長野県木曽郡木祖村の実地調査をしていた水資源開発公団に、地元・木祖村の日野文平村長が、たまりたまったうっぷんをぶちまけた。


『源流村長』
  〔村長の一言で愛知県動く〕
「水をもらう愛知県は、地主にあいさつもせんで大工を送り込むのか」
 怒りを伝え聞いて愛知県の幹部が、初めて現場にすっ飛んできた。体育館の落成の日でもあったが、村長はモーニングに威儀を正して(?)愛知県との初交渉に臨んだ。
「名古屋の衆は、木曽の水を持ってって水洗便所を使う。しかし、木曽に水洗便所はほとんどないんですぞ」
「昔、尾張藩は、木曽のヒノキを守る私らに年間一万石の米をくれていたことを知ってなさるか」
 ダム建設に伴う上流部と下流部の宿命的な利害の対立は、数え切れない。が、きわめて複雑な状況といわれた味噌川ダムの場合は、この村長の一言から劇的な展開を繰り広げていった。
 木祖村の中心・薮原から山道をジープで三十分。村の名前の通り「木曽の祖」ともいえる木曽川の源流点近くがダム現場である。周辺の民有林、村有林約百五十haが湖底に沈む計画を知らされた当初、村人たちの心には複雑なキ裂が走った。
 まず、補償の実態を調べていた関係者は、現行法規をみてガク然とした。水源地域対策特別措置法では「水没農家三十戸以上または水没農地三十ha以上」が補償の基準で、家屋も農地もない味噌川ダムは適用外だったのである。
 法の基準に達しない地域を救う「水源基金制度」(東海三県と名古屋市で設置)でも、長野県が加盟していないため、木祖村への補償・援助はダメ。「そんなバカな」「先祖代々守り育ててきた森林を、むざむざ沈められてたまるか」
 が、どんなに調べても、公団からの直接補償以外、木祖村への見返りは制度的に何もないのが実情だった。愛知県が「地主にあいさつもせんで大工を送り込んだ」のはまさにこの理由からだったが、村の人たちからは当然のように不満がわき上がった。
 「こんな状態で名古屋がそんなに水がほしけりゃ、濃尾平野に池を掘れ」とまで言い切ってうやむやな法や制度に率先して挑みかかったのは、元陸軍少尉の熱血漢、日野村長自身だった。

◇ 4. 木の見返りに米を与える

 もうすこし、この『源流村長』からその解決の糸口の思想を追ってみたい。

 郷土史を調べる。信州・木曽地方は江戸時代、ずーっと尾張藩に属した。明治になって一時、名古屋県の所管になっている。なぜか。理由は木である。御岳のすそ野に広がる広大なヒノキの天然材は、木曽川を下って熱田・白鳥(名古屋市)貯水場に集められ、江戸城、名古屋城とその城下町、伊勢神宮など中世・近世日本の重要な拠点を造り続けてきたのだ。
 尾張藩はここを直轄地とし「木一本、首ひとつ」の過酷な林政をしいた。が、古文書はまた、その見返りとして尾張が木曽に年一万石の米を与えていたことも示していた。その米の一部は尾張藩の命で伊那地方から送り込まれたとか。だから伊那節の中にも、木曽へ木曽へとくり出す米は、伊那や高遠のなみだ米〈余り米ともいう〉とある。
「これだ!」。こぶしを握りしめた村長は冒頭に紹介した愛知県との最初の交渉から、この歴史的事実をぶつけていった。
「三百年も昔に、上流と下流はギブ・アンド・テークの関係を持っていたんですぞ」「木が水に代わっただけ。法や制度を乗り越えてこそ、真の交流が出来るんじゃないか」
 村長が提出した木と水の膨大な古文書は、愛知県の仲谷知事の手元に届き、難航していたダム問題は一気に解決の糸口を見出した。昨年五月、同県は木祖村への制度外援助を歴史的事実に基づいて了承、仲谷知事と西沢長野県知事とのトップ会談で最終的合意に達した。


◇ 5. 味噌川ダムの役割

 昭和48年に建設省から水資源開発公団に承継されたロックフィルダムの味噌川ダムは、前述したように日野文平村長らの尽力によって、平成8年に完成した。4つの目的を持った多目的ダムであるが、水資源開発公団味噌川ダム建設所編・発行『味噌川ダム工事誌』(平成8年)、同『源流に歴史をきざむ 味噌川ダム』(平成8年)に、そのダムの役割について、次のように記されている。

『味噌川ダム工事誌』

『源流に歴史をきざむ 味噌川ダム』

@ 洪水調節
 ダム地点の計画高水流量650m3/sのうち、550m3/sの洪水調節を行い、下流を洪水から守る。
A 流水の正常な機能の維持
 味噌川ダム地点下流の木曽川沿岸の既得用水の補給など、木曽川における流水の正常な機能の維持と増進を図る。
B 新規利水
 ダムにより新しく生まれた水、最大取水量4.3m3/sの内訳は、岐阜県の水道用水として0.3m3/s(確保地点落合)、愛知県の水道用水として1.043m3/s(確保地点兼山)、1.726m3/s(確保地点今渡)、愛知県の工業用水として0.731m3/s(確保地点兼山)、名古屋市の水道用水として0.5m3/s(確保地点今渡)である。
 平成6年、平成の大渇水時には、当時試験湛水中であった味噌川ダムの貯留水を緊急的に放流している。
C 発電
 ダムからの放流を利用して、長野県企業局は最大出力4,800kWの発電を行う。発生電力量は年間約1,830万kwhで、全量中部電力(株)に卸供給しており、これは標準家庭5,000世帯分、木曽郡在住世帯の約40%の年間消費電力量にあたる。



◇ 6. 味噌川ダムの建設経過とその後

 幾多の紆余曲折を経て味噌川ダムは完成したが、その建設経過、管理移行の足跡をまとめてみる。

昭和43年10月 木曽川水系水資源開発基本計画の決定
  46年4月 味噌川ダム予備調査開始(建設省)
  48年7月 味噌川ダム事業水資源開発公団に承継、味噌川ダム調査所の発足
  51年5月 木祖村味噌川ダム対策委員会発足
  54年11月 味噌川ダム連絡協議会発足(愛知県、長野県、岐阜県、名古屋市、建設省、公団)
  55年7月 国有林野と基本協定締結
    11月 味噌川ダム建設所の開設
  56年2月 林道仮付替トンネル着手
    3月 一般補償基準妥結
    4月 公共補償協定締結
  57年1月 「国有林野内の土捨場の取扱いに関する協定」締結
    9月 ダム本体工事着手
    12月 味噌川ダムが木曽三川水源地域対策基金の対象ダムに採択
  59年2月 転流開始
  61年8月 堤体盛立開始
  62年8月 ダム定礎式
平成元年2月 発電事業受委託協定締結
  5年6月 堤体盛立完了
  8年8月 試験湛水終了、竣功式
    12月 味噌川ダム管理開始
  9年7月 味噌川ダムに対し、土木学会技術賞の贈呈
  10年7月 サマーキャンプが日進市、名古屋市、木祖村の子供達の参加で開催
  11年6月 梅雨前線による出水75m3/sに対応し50m3/sの一定放流で洪水調節
  12年8月 「交流の絆」調印式
  13年4月・5月 異常渇水に対し、牧尾、味噌川、岩屋、阿木川の4ダム総合運用を決定
  14年3月 水源地域ビジョン「木曽川源流の里ビジョン」作成
    5月 木祖村・日進市友好提携10周年記念植樹祭
  15年2月 「水源の森」森林整備協定調印式(木曽広域連合と愛知中部水道企業団)
  16年10月 台風23号の降雨、最大流入量79m3/sに対し、29m3/sの放流操作を
実施(ダム流域平均累計雨量185o)
  17年5月〜7月 渇水対策本部設置、4ダム総合運用決定され最大約20m3/sを放流
  18年7月 記録的梅雨前線豪雨(ダム流域平均雨量累計448o)
    11月 味噌川ダム完成10周年記念「木曽川さみっと」開催

 さて、味噌川ダムの経過をみてきたが、前掲書『味噌川ダム工事誌』のなかで、高橋征夫味噌川ダム建設所長は、ダム施工の特徴について次のように述べている。

 「ダムが建設された地点は、標高1,100mと日本の多目的ダムの中では最も高い位置にあり、最低気温が−20℃以下まで下がる厳しい気象条件下にあります。また、ダムサイト付近は、複雑な地質構造を示し、地質は砂岩、粘板岩とその互層よりなり、全体に割れ目が多く風化が深部におよび、決して良好ではありませんでした。このように厳しい施工環境や恵まれない地質条件のなかで堤体積890万m3の中央土質しゃ水壁型のロックフィルダム築造と付替林道、工事用道路等の付帯施設の施工を行ったものであります。」

◇ 7. 味噌川ダム建設の苦労

 上記のように、高橋所長はロックフィルダム味噌川ダムサイトにおける複雑な地質構造、また堤体積の膨大な盛立量等に、ダムの特徴をあげているが、前掲書『源流に歴史をきざむ 味噌川ダム』に、歴代所長座談会が掲載されており、その建設の苦労を追ってみたい。

@ 廣澤正美(初代所長)
 ダム事業の説明会では「国は我々を騙す。我々は国策で満蒙開拓に行ったが、最後は悲惨な結果に終わった。今度は国はダムを造りたいというが、我々はもう騙されない。」と言われる方もおりました。私は「満蒙開拓は、日本が戦争に負けて不幸な結果に終わったけれど、皆さんの息子さんや娘さんは、今、名古屋方面に出て行かれているでしょう。名古屋は今、たくさんの水を必要としているのです。ぜひダムを造らせて下さい。」とお願いしました。「毎日毎晩お願いに参ります。私どもも国の命令で来ましたが、悪いようにはしません。」と何度もお願いするほかありません。
 ダムサイトの地質調査は、地質構造が複雑だったため、かなりの数量になりました。弾性波調査の他、ボーリング調査を約400m、試掘横坑を約200mも掘りました。また、奈良井ダムや阿木川ダム他のダムの横坑を見て地質の比較をしたり、建設省の土木研究所等の経験豊富な方々に見ていただき意見を聞くなどしつつ、地質構造の把握や岩盤の強度定数等を決定しました。実施計画調査を3年で終え、いち早く建設に持ち込むつもりでしたが、調査予算が十分つかなかったこともあり、結局6年かかりました。
 (財)木曽三川水源地域対策基金の援助を受け、地域振興対策の一環として、山村振興センター(木祖村役場)や社会体育館などの建設が実現されました。これなどは、味噌川ダム事業により生まれた奇跡といってもよいでしょう。調査から建設に移行するには、地元の了解がもらえなければ駄目なので、木祖村の日野村長に長野県知事に相談に行っていただきました。そのとき知事は「応援してあげなさい。必ず良い結果が得られるはず。」と言われたそうで、日野村長はそれからいろいろと足繁く建設省や公団本社等に陳情や相談に行かれるようになり、積極的に現場事務を応援していただき、大変感謝している次第です。

A 和田浩伸(二代所長)
 昭和58年の台風10号災害のことで、現場の方も惨憺たるものでして、当時の薮原林道は跡形もない状態で、かなりの数の重機類が高いところに孤立してしまいました。企業体も工事をやれる状態にするため、上部に孤立した重機にヘリで燃料を運び、上と下からの修復作業にとりかかりまして1ヵ月位で終わらせました。営林署は災害復旧に1年はかかるだろうと思っていたようで、職員の大配置転換まで計画していたんですが、それをやらずに済んだと、大変感謝されました。
 味噌川ダムの着工の条件に「7項目の要求」があったんですが、木祖村がこの中で一番力を入れていたのが「こだまの森」計画でした。これは基盤整備を公団がダム建設工事の捨土で行い、建物などの施設は木曽三川基金の拠出金や各省の補助金で作るという事業だったんです。ところが非常にタイミングが悪いことに、昭和50年代の終わりは国の財政再建のためマイナスシーリングの時代になり、ダム建設予算が伸びなくなってしまったんですね。肝心のダム建設に予算がつきません。日野村長には「公団は約束を平気で破るのか。」と叱咤を受けました。

B 石井義(三代所長)
 堤体の盛立は70万m3くらい、高さで10mくらいでき上がっていたと思います。在任中の一番のテーマは、堤体のゾーニングと勾配の変更をしたことでした。当初の原石山の地質調査では、砂岩の賦存量は足りると考えられていたのですが、掘削が進んでいくうち、必要な砂岩が粘板岩の間にレンズ状に分布していたりして、絶対量が足りないことがわかりました。新たに原石山と廃棄岩の土捨場を確保するのは困難で工事も止まってしまうものですから、粘板岩を堤体内部に使用できないか検討しました。良質でない材料を使用するわけですから、それだけ厳しい設計と材料の施工管理が必要になりました。堤体の勾配は当初設計より上下流面とも少し緩くなりました。ゾーニング変更については、当時いろいろなご批判もいただきましたが、材料について技術的にクリアできました。また建設コストもかさまずに済み、あの時点では最善の策ではなかったかと思っております。

C 村田正彦(四代所長)
 原石山法面は林道の高さのところの掘削を始めてから急激な変状を起こし、平成元年の6月末〜7月頃には1日6oくらい変位を示しました。原石山を切りながら盛立を進めているわけですから、工事をストップするわけにもいきません。変状の大きいところはとりあえず盛土で押さえ、そこを立ち入り禁止にして、原石山下流側の別な所を掘削しました。盛立て工事との追い駆けっこでしたので、材料が足りなくなるのではないかと非常に焦ったものです。最終的には林道より下の部分に広い平場を設け、その下の掘削は45度の緩勾配を切り、その斜面を盛土で押さえることにしました。掘削計画の変更に伴い、原石が160万m3くらい足りなくなりました。新しい原石山として、笹尾沢の左岸側を選定しました。

D 中込武史(五代所長)
 平成4年度の予算要求のとき、事業費を1,040億円から1,610億円に改訂要求をしました。各ユーザーに説明に回ったとき、度重なる事業費の増額に不満の声が出ましたが、当初想定していなかった原石山法面対策や新原石山の工事等を直接見ていただき、何とかご理解をいただきました。
 味噌川ダムの場合、計画に於ける維持流量は毎秒0.8m3ですが、試験湛水中にそのまま流すと、いつまでたっても試験湛水が終わらないので、特別に毎秒0.3m3に認めていただきました。笹川との合流点までのわずか下流2qの区間のことでしたので、漁業組合も「川に水がながれておれば結構です。」と納得してくれました。また、試験湛水中はダムに少しずつ水を貯めようという考え方から、水を貯められる期間は基本的には非洪水期のみになっています。出水期には貯水できないという厳しいルールがあるのです。地元やユーザーの方は、 「出水期に何故貯水できないのか、せっかく貯めた水を出水期前に何故放流するのか。」と理解できないようでした。

E 山口省治(六代所長)
 平成7年度で建設事業終了ということで、「終わり良ければ全て良し」という言葉がございますが、いよいよ建設の最終段階になり、その重大さは痛感したものです。すでに試験湛水は開始されておりましたが、平成6年は未曽有の大渇水に見舞われ、その後の平成7年も冬渇水ということで、計画どおり貯水がすすみませんでした。結局、建設事業が一年延期されることになりました。
 工事用道路として使用してきた村道や林道の引渡しのための道路補修工事、プラント跡地や土捨場跡地等に周辺環境整備工事や係船上屋や通廊のモノレール設備などの管理設備の最後の仕上げ、建設事業用地や財産の処分をした訳ですが、特に気をつかいましたのは周辺環境整備です。

◇ 8. おわりに

 味噌川ダムは、昭和46年の予備計画調査開始以来、26年の歳月を経て完成し、平成8年に管理移行後、平成21年現在、12年が流れた。

 木祖村は、水源地域対策特別措置法の恩恵は受けられなかったが、昭和52年9月財団法人木曽三川水源地域対策基金が設置され、昭和57年12月に味噌川ダムに対する基金事業が議決され、木祖村のインフラが整備された。昭和57年以降林道、農道、灌漑排水事業が施行され、木祖村小学校の改築、消防施設、保健センターが建設された。さらにスポーツ、レクリェーション施設(「こだまの森」)、野外緑地広場、テニスコート、体育館が設置され、憩いの場となっている。また、上下流の相互理解のもとに、日進市、名古屋市、一宮市の市民が木祖村を訪れ、植林や育林に汗を流し、森と川と海を繋ぐ幅広い交流が行われている。

 木祖村はキャンパス枠の画材の生産を誇り、デザイン室も設け、「日曜画家の村」として、絵を描く人たちにとっては理想の村でもある。
 ここに、日野文平村長の「木の見返りに米をあたえる」という木曽川における上下流友好の思想は承継された。

[関連ダム]  味噌川ダム
(2010年7月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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