昭和28年6月26日、梅雨前線により筑後川流域は水害による大きな被害を受けた。その災害を防ぐために筑後川上流に松原ダムと下筌ダムのアベックダムが建設省(現・国土交通省)によって、築造された。
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下筌ダム |
その時水没者の一人山林地主の室原知幸氏は、昭和33年からダム建設が真に公共事業に値するのかと真っ向から問い、法律論争を挑み、下筌ダムサイト右岸側に蜂の巣城を築き国と対峙した。昭和45年紆余曲折を経て両ダムが完成し、今ではダムは減災に役立っている。
永瀬清子氏は、室原 新の二女として生まれ、水没地熊本県小国町志屋地区に育ち、大分県中津江村栃野間地地区に嫁ぎ、平成23年に『句集 合歓の峡(ねむのかい)』を出した。清子氏は室原知幸氏の妹である。 この句集には、下筌ダム湖に沈んだ故郷のことが詠まれている。
〇<ダムの辺に 宮残りゐて 栗の華> 宮は志屋神社(天満宮)で、下筌ダムの直下と松原ダムのバックウォーターの近くの水没しない帯状残地に位置している。 | |
〇<灼けて居る 湖底の村に 父の声>
厳しいかった父への思慕と消えてしまった故郷の想いが切に詠まれている。
この句碑は志屋神社の境内にあり、裏面には「平成十四年四月 室原 新二女清子建立」とある。
〇<父の世の ままに冬靄(もや) ダムの峡>
多目的ダムとなって水没してしまった私の故郷、父は、その事を知らずして逝って幸せだったと今に思う。冬の朝、山々の襞(ひだ)から白い靄が立ち昇って、物音ひとつない静けさ、今父がこれを見たなら涙を浮かべることだろう。(清子)
〇<水没の 故郷に来たり 墓参り>
〇<満水の ダムに漣 冬めく日>
〇<冬のダム 満々として 故郷なし>
〇<笹の笛 吹きゐし童 ダムは雪>
〇<山容の 変わらぬ故郷 冬のダム>
〇<春暁(しゅんぎょう)や ダムの故郷を 夢に見て>
〇<ダム緑りに細き村 道春の雪>
〇<山桜 ダムの水位の 上がりゐて>
〇<夏涸れの ダムの湖底に 川流れ>
〇<夏涸れの ダムに村道 白く伸び>
〇<水没の 村眼裏(まなこうら) 秋のダム>
〇<秋の虹二つのダムをまたぎ>
私は平成30年12月19日松原ダム(梅林湖)、下筌ダム(蜂の巣湖)を訪れた。大分県日田市は底霧が漂っていたが、筑後川沿いの大山町を上っていくと…二つのダムは満々と水を溜め、青空が湖水を照らし、静寂だった。
激しい闘争繰り返した蜂の巣城闘争から既に60年を過ぎている。二つのダムに沈んだ故郷への愛着は、通常の人々の心にはなかなか伝わらないだろう。
父母の愛を一心にあびてと育った故郷。その故郷の暮らしは水没者にとってはかけがえないものである。消えても、心から消え去るものではない。その心情が静かに詠みとれる。