「四万十川観光には誰の努力があったか?」
25年前の「四万十川ブーム」は凄かった! 都会を中心とした日本全体は、それまでの「工業優先」の時代を過ぎて「環境の大切さ」に気付き始めた。その時のTV/CM…「物より心」「量より質」…そしてついにはNHKの「新にほん紀行」の全国放送「日本最後の清流」で一気に火が燃え上がった!
バブル崩壊が手伝って四万十川は「美しい故里の象徴」として注目された。 多くの都会人は四万十川を目指したが…多くの四万十川人はうろたえた。
しかし…四万十川を材料にして儲かる事を知った人々が…目覚めるのには多くの時間を必要としなかった。
上のグラフの左半分がその状況である。
「四万十川観光に翳りが見えて来た平成10年…」
台風の来襲と…その間の旱魃…これらの報道によって四国の観光客は急落したが…奥座敷の四万十川には水不足=断水は無かったものの、のど元のトラブルは四国全体のイメージとして報道され、四万十川観光の致命傷となったものである。
四万十川観光とは「情報力」でわき上がり…また下落も「情報力」だったのである。
「四万十川住民の努力」
四万十川観光が盛んになった頃…地元住民は「田舎の近代化」を訴えたのだが、都会からの来訪者は「田舎の姿」に憧れていたことを…田舎の人は気付かなかった。
その思い違いのツケが最近現れつつある。これに気付く人も少ない! さて・・・
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